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15.冷遇令嬢は見ても学ぶ

  Ψ  Ψ  Ψ



エイナル様が、



「ボクの側を離れないように」



と、仰られ、嬉しくなってしまった。


わたしをエイナル様の婚約者だとお認め下さっていることに、じんわりと温かいものを感じる。



「……はい」



と、お答えし、ツツと半歩近寄った。



「ん、んッ」



咳払いをされたエイナル様のお顔を見上げると、頬をすこし赤くされ、腕をわたしにさし出してくださっている。



――これ……、夫人教育で習ったわ!!



そっと、手を伸ばして、エイナル様の腕にかける。


わたしの腕とも、カリスの腕とも、全然違う、硬くて温かい逞しい肉付きをした腕を、上等なコートの深紅のビロード越しに感じる。


胸がドキドキして、少しだけ、ほんの少しだけ、怖くて、でも、それよりもずっと、この温もりに身を委ねることへの不思議な安心感が湧いてくる。


沿道の皆さんの視線が、急に気恥ずかしく感じられて、視線を地面に落して歩いた。


わあっと、歓声と拍手に包まれて顔を上げると、色とりどりのリボンが船着き場へと延びる遊覧船『エイナル&コルネリア号』の姿が見えた。


うわの空で歩いているうちに、式典会場に到着していたのだ。


エイナル様のマネをして、お集まりくださった最初の乗客の皆さんに、にこやかに手を振る。


でも、わたしの意識は反対の手のひら、エイナル様の腕の温もりにあった。


ところが、遊覧船のタラップのすぐ側に設けられた式典の演壇まで進むと、なにやら揉め事が起きていた。


ひと目で高貴な身分と分かるご令嬢が立っていて、従える年配の侍女が、式典を差配する文官に抗議していた。



「なにゆえ、ホイヴェルク公爵家のご令嬢が、このような粗末な席に!?」



ラベンダー色のドレスを着たご令嬢。背が高くて、腰から背中にかけてのラインの美しさに目を奪われる。


ながい銀髪が河風でかすかに揺れ、退屈そうに口元を扇で隠され、優雅に微笑まれる様子は、まさに物語に出てくるお姫様。



「あら、エイナル様ぁ!」



と、ご令嬢が、歩み寄られた。



「……久しいな、カーナ殿」


「エイナル様が総督として立派にお治めになられるエルヴェンで、新たな事業を興されると耳にして、つい駆け付けてしまいましたわ」



ホイヴェルク公爵家。リレダル王国の建国神話にも登場する名家だ。



「なのに、こちらの文官ときたら、席次も弁えませんのよ? 私をクラウス殿の隣に座らせようだなんて……」


「ど、どうぞ! エイナル様のお隣に!」



と、わたしが声をあげると、公爵令嬢カーナ様は、チラッとわたしを見た。



「……あら、こちらは?」


「ボクの婚約者。バーテルランド王国の侯爵令嬢、コルネリア殿です……」


「そう……。よく、立場を弁えられていらっしゃるのね」



目をほそめられたカーナ様は、クルリと身を翻し、式典のために並べられた椅子の、総督席の隣に、優雅に腰を降ろされた。


エイナル様が腰をかがめ、わたしの耳元で囁かれる。



「……よいのですか? コルネリア殿」


「ええ。せっかく遊覧船の開業に花を添えようとお運びくださったのですから」



エイナル様とわたしで、カーナ様を挟んで着席する。もう一方のわたしの隣にはクラウス伯爵が座った。


式典が始まり、街の有力者が演壇で祝辞を述べ始めた。


カーナ様は、扇で口元を隠され、なにやらしきりにエイナル様に囁いておられる。


ジッと、その様子を見詰める。



――こ、こうかしら……。



と、カーナ様のマネをして、扇で口元を隠してクラウス伯爵に話しかける。


わたしは、義妹フランシスカ以外の〈貴族令嬢〉を生まれて初めて目にしたのだ。


フランシスカとは全然違う。優雅で高貴で嫋やかで、艶やか。さすがは、エイナル様のソルダル大公家と並び立つ権門のご令嬢だと、わたしの目が輝く。


あまりジロジロ見ては失礼というものだろう。だけど、美しくて麗しい所作を見て学びたくて、チラチラと覗き見る。


クラウス伯爵が、声を潜めた。



「……申し訳ありません。カーナ嬢を止めることもできず」


「えっ? ……なにか、不都合が?」


「あ、いや……。不都合というほどのことではないのですが……」


「カーナ様は、エイナル様とお親しいのですわね」


「……王立学院で、ひとつ下の後輩でした。あ、いや、それ以上の関係ということはなく……」


「そうですのね……」



わたしには学生時代というものがない。


エイナル様とクラウス伯爵。ひとつ下にはカーナ様。


高貴な身分の美男美女が彩るリレダル王国の王立学院は、さぞ華やかなものだったことだろう。


想像するだけでも、胸を躍らせてしまう。


やがて、演壇にはエイナル様が立たれる。


絹のような金髪が河風に揺らされ、すこし離れてすべてを目に収められる凛々しいお姿に、つい頬を緩めた。



「……貴女」



と、カーナ様が、わたしに囁かれた。



「はっ、はい!」



潜めた声が、裏返ってしまう。


優美な公爵令嬢の、端正なお顔立ちがわたしのすぐ側にあると、急に緊張する。



「こんなところで呑気に……。貴女は夫人教育に励むべき立場でしょう? この後の乗船はお控えになられては?」


「あ。夫人教育は、終わりまして……」


「えっ!? ……半年かかる夫人教育を? まだ2ヶ月ほどでしょう!?」


「グレンスボーで学び終えたので、残りの期間はエルヴェンで過ごしたらいいと、エイナル様から……」


「あ……、そうなの」



夫人教育は行儀作法や家風についてのもので、学問ではない。


いい奥さんになるために前向きに取り組んだら、アッという間に終わってしまった。


驚きすぎたときに大口を開けてしまうクセだけは、どうしても抜けなかったのだけど、それも「扇で隠せばいい」とエイナル様から助言をいただいた。


でも、わたしには優雅な所作の手本にできる、お知り合いのご令嬢がいなかった。


教わった通りにふる舞っているつもりだけど、このタイミングでカーナ様と知り合えたことは、とても嬉しい。


タラップを登っていかれる優美なお背中を、ジッと見詰めてしまった。



  Ψ



急な来賓にも、接遇のための文官を同乗させることは出来ない。定員があるためだ。


政務総監のクラウス伯爵がカーナ様の側に立ち、わたしからはお姿がよく見えない。


首を伸ばそうとしたら、エイナル様が微笑まれた。



「良い、風景ですね」


「はい」



エイナル様の腕に手をかけ、大河沿いの雄大な景色に目をやる。



「風が冷たい。……もう少し、ボクの側に寄られては?」



というお言葉に、背中の上の辺りにむずがゆいものを感じながら、ソッと歩み寄る。


老ガイドの張り切った声に混じって、カーナ様の嫋やかなお声が聞こえた。



「エイナル&コルネリアなどと……。和平も大事でしょうが、まずはリレダル王国内の和合を優先すべきでは?」


「しかし、すでに決まったことなれば」



クラウス伯爵が、いつにも増して冷淡そうに聞こえる声で応える。



「エイナル&カーナなどいかが? わがホイヴェルク公爵家とソルダル大公家の和合を示す、よい名ではありませんか?」



もっともなことだと、エイナル様のお顔を見上げた。


初めて見る、険しいご表情。河風が目に染みておられるのかと、お腕に添えた手に力を込めた。



「ん? ……どうされました、コルネリア殿?」


「あ……。エイナル&カーナ。わたしは、よろしいのではないかと思うのですが」


「あら? 随分と立場を弁えられておられるではありませんか!?」



と、カーナ様が、クラウス伯爵を交わすようにして、エイナル様のお隣に歩み寄られた。



「所詮は平民の血が流れる女。和平のため、やむなく結婚されるとはいえ……」


「カーナ。ボクの婚約者を貶めるのはやめてもらおう」



エイナル様が、冷え冷えとしたお声を忍ばせる。遊覧を楽しむ乗客への配慮と、カーナ様への明らかな敵意に……、わたしは動揺した。



「コルネリア殿のご母堂は伯爵家の出自。身上書で確認している」


「あら? おかしいですわね。わが家で夫人教育に励む、バーテルランド王国から来た令嬢に聞きましたのよ?」



目をほそめ優雅に微笑まれるカーナ様。



「……カーナ様の仰られる通りです」



と、わたしは声を絞り出した。


わなわなと、身体が震える。エイナル様とクラウス伯爵が、わたしに驚きの視線を向けているけど、震えを止められない。



――クズの父は、長年軟禁しただけでは飽き足らず、お母様のことを存在ごと消してしまいたいのだ……。



鳩尾(みぞおち)を冷たいものが、何度も走る。


身上書を偽ってまで、お母様を蔑ろにする父への憤りを抑えることができなかった。



「……わ、わたしの母は……、テレシア・モンフォール。……平民の生まれで、間違いございません」


「あらぁ!? バーテルランド王国は偽りの花嫁を寄越して、なにを企んでいるのかしら?」



カーナ様の仰られる通りだ。


父は、長年続いた戦争を終わらせるこの政略結婚を、なんだと思っているのか。


クラウス伯爵も、母国バーテルランド王国の宰相閣下も「心血を注いだ」と口をそろえた、薄氷の和議だというのに。



「……カーナ様」


「あら、なにかしら?」


「ありがとうございます。わが父の不義を成婚前に明らかにしていただきました」



わたしが、深々と頭をさげると、カーナ様はサッと口元を扇で隠された。

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