142.冷遇令嬢は涙をこらえる
慌てふためいて、港に駆け付ける。
いたるところが焼け焦げた、軍用高速船。
埠頭は負傷者の搬出と応急手当てを受ける者たちとで騒然としている。
わたしは、女王だ。
すぐにも駆け寄り、カリスを探し出して抱き締めたい気持ちを押さえ、皆を労いながら、高速船へと歩み寄っていく。
昨晩、深夜。バーテルランドとの国境近辺で、河賊からの襲撃を受けたそうだ。
高速船はいわゆるガレー船だ。
人力で櫂を漕いで進む。
救援を求める前に、自力で脱出を図る方がはやく、わたしに急報が届いたのは、王都の港にたどり着いた後のこと。
「そのままで、そのままで……。治療を続けてください」
と、横たわる負傷者たちを労わりつつ、焦げた煤の香り漂う岸壁を歩く。
やがて高速船の前に、先行していたビルテさんの鮮やかな赤髪を見付ける。
――カリス!!
ビルテさんの隣。
ほほに煤の跡がついてるけど、元気そうなカリスの顔を認め、その場に崩れ落ちそうになった。
「ネル……。わざわざ来てくれたのね」
「あ、当たり前じゃない……」
「……ごめんね、心配かけて」
涙をこらえるわたしの二の腕を、カリスが優しく撫でてくれた。
見ると、左手に包帯が巻かれている。
「ああ……、消火作業を手伝ってたら火傷しちゃったのよ」
苦笑いするカリスに、言葉が出ない。
立ち尽くしていると、カリスがそっと顔を近づけ、わたしの耳元で囁いた。
「……こんなことで、負けないわよ?」
「う、うん……」
「気を強く持って。私なら大丈夫だから」
カリスと視線を交わす。
そして、頷き合った。
襲撃は突然、大量の小舟に囲まれたところから始まった。
油を詰めた素焼きの壺がいくつも投げ入れられ、割れた壺が油を撒き散らす。
火を投げ入れられ、炎に包まれた。
「乗っていたのは、エルヴェンから移籍してきた歴戦の水兵と騎士だ」
ビルテさんが、わたしを落ち着かせようと肩をすくめて笑った。
「この程度の火攻、対処するのは造作もない」
その後の攻撃は投石によるもの。
消火活動を妨げ、また矢を用いなかったのは出所を探らせないためだろう。
つまり、狙いは船の積荷などではなく、最初から沈没させるつもりで襲っている。
単なる河賊の仕業ではない。
油は甲板下の漕ぎ手たちのところにまで滴り落ち、一部が発火する中、全速で旋回させ、小舟を蹴散らしながら離脱。
その間も同乗の騎士が濡らした厚手の布を船体に被せ、順次消火していく。
火傷を負った漕ぎ手も簡単な処置だけで漕ぎ続け、王都の港まで最速で駆けた。
ビルテさんの視線が大河に向いた。
「……無駄かもしれんが、先ほど討伐の軍船を差し向けた」
「ええ……」
「なんの変哲もない小舟で、乗っていた者たちも夜の闇に溶け込むような黒ずくめの装束。……それでも、なにか手がかりになる痕跡が残っていないか探らせる」
カリスが、片手に乗るくらいの小さな素焼きの壺を差し出した。
「……ひとつ、割れてないのがあったのよ」
「うん」
蓋になってる皮革を、カリスが剥いだ。
「……ん?」
と、のぞき込む。
中が空洞になっておらず、ちいさな穴が空いている。
素焼きの、かたまり。
――どんな戦術なの……?
と、内心、首をひねったとき、穴にカリスが指を入れ、ちいさな紙片を抜き出した。
「あっ……、通信筒なのか」
「そう、ほかの小壺と同じ見かけで、カモフラージュされてる……、ね」
カリスから紙片を受け取る。
〈月の進路に誤りなし。――蜻蛉〉
暗号のような短い文面。
闇組織からの脅迫か取り引きを持ちかける文面だろうと予想していた。
けれど、そうは読めない。
「蜻蛉、蜻蛉……、蜻蛉……。どこかで聞いたような……」
と、何度か口に出してみる。
「あっ……、デジェー……」
カルマジン王領伯の嫡男。逃亡中で行方の知れないデジェーの言葉だ。
〈エイナル殿下という太陽の隣で、コルネリア陛下という月が輝いているのは存じております。……ならば、私にはその月に焦がれ、一夜で命を終える蜉蝣の栄誉をお与えくださいませんでしょうか〉
筆跡も、カルマジンの不正調査で何度も目にしたデジェーのものと一致して見える。
きっと文面にある〈月〉とは、わたしのことだ。
カリスとビルテさんと視線を交わし合い、紙片を随行するばあやに渡す。
デジェーは闇の向こう側にいる。
そして、わたしに何かを伝えようとしてきた。闇の仲間たちにバレないように、カモフラージュまでして。
エイナル様も駆け付けてくださり、一緒に兵たちを激励して回る。
油がついた腕から炎があがっても櫂を手放さず、漕ぎ続けてくれた勇敢な漕ぎ手もいた。
膝を突き、手を握って感謝した。
Ψ
皆に王宮の執務室に集まってもらい、軍用高速船への襲撃とデジェーが寄越した紙片について分析する。
クラウスが腕組みをして、眉間にシワを寄せた。
「……恐らく、秘密協定のことが漏れたのではありますまい」
「はい……」
と、続きを促す。
「漏れたのなら、カリス殿の帰りを襲うのは不自然。既にことの決した後ですから」
「そうなのですよね……」
「考えられるのは、王都での大火と同様に脅しでしょう」
表向き、カリスのリレダルとバーテルランド訪問は、デビュタントに贈られた祝いの品への返礼使だ。
公式の外交行事であり、カリスの旅程は必要以上には伏せていない。
ただ、カリスを狙ったにしても、秘密協定の妨害もしくは阻止するつもりならタイミングがおかしい。
ルイーセさんに視線を向けた。
「デジェーを取り逃がされたときのこと。……もう一度、教えてもらえませんか?」
「ふむ……。私が不覚をとったのは」
と、ルイーセさんが天井に顔を向けた。
「……デジェーの目に、コルネリア陛下への忠誠を感じたからだ」
「忠誠……」
「暗殺のため女王陛下の寝室に忍び込んだ者の目ではなかった。……感覚的なもので申し訳ないが、ふと首を傾げてしまった間に、取り逃がしてしまった」
カリスやばあや、それにエイナル様など、デジェーとの接触があった人たちの意見も聞きながら、紙片を睨む。
エイナル様が口に手をあて、考え込まれながらポツリポツリと話される。
「……たしかに、あのとき……、殺気を感じなかった。……父親の王領伯に義理立てしてのことかと思ってたけど……」
「闇の組織に潜入するため、わたしの暗殺を企てたという事実が必要だった……」
「あるいは……、それを利用したか」
因果関係は逆かもしれない。暗殺があっての潜入なのか、潜入のための暗殺なのか。
ともかく、デジェーはわたしに報せてきた。
進路に誤りなし――、と。
「……着実に追い詰めてるということか」
エイナル様が唸るように仰った。
カルマジンをはじめ、王家領の各地で不正を暴き、闇組織に流れる資金の源は確実に断っている。
立て続けの火攻は、
――そろそろ不正の追及をやめろ。
というメッセージだと読める。
わたしの身辺は剣聖ルイーセをはじめ、万全の警護が敷かれており、何人たりとも手を出せない。
弱いところを攻めてくる。
察しろよ? というやり口は、不快以外の何ものでもない。
黙って何の説明もなくわたしの食事を断った、フランシスカや父を思い出させる。
「だけど、効いてる……、ってことね」
カリスが涼やかに微笑んだ。
「春には不正追及をひと段落させる。……そろそろ、公式発表してもいい頃合いかもしれないわね」
「そうね……。わたしが降参したって思わせておきたいわね」
皆の顔をグルリと見回す。
反対意見はないようだったので、
――春には女王が在所を王都に戻す。
と、クラウスから正式に布告してもらう手筈を整えた。
そして、寒さの緩みはじめた頃、各国からの連絡を待ちつつ、わたしは一旦、カルマジンに戻る。
在所移転に備えた空の荷馬車を従えて。
――私は陛下の理想をテンゲルに根付かせるため、最も鋭い、汚れ仕事も厭わぬ刃となりましょう。
デジェーの言葉が頭のなかで響く。
あの頃のわたしには、〈敵〉がこれほど巨大で隠微な存在だとは見えていなかった。
エイナル様の馬の前に乗せていただき、冬空を見上げた。
――デジェー……。無理はしないでね。
エイナル様が片手を手綱から放され、そっとわたしの手を握ってくださった。
本日の更新は以上になります。
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