14.大公世子は奇跡を感じる
Ψ Ψ Ψ
ボクがエルヴェンの総督府に入ると、目を潤ませたコルネリア殿が出迎えてくれた。
「お待ち申し上げておりました、……エイナル様」
安堵と喜びが入り混じった表情で、恥じらうように目の下あたりだけを淡く紅潮させ、ボクとの再会を喜んでくれていた。
グレンスボーで感じたコルネリア殿の儚げな美しさは、より一層に洗練され、触れたら壊れそうな危うささえ漂わせる。
けれど、ボクを惹き付けてやまない透んだ青い瞳には、どこか秘めていた芯の強さが露わになったかのような、凛とした光を帯びて見えた。
――こんなに短い期間で……、まるで冬の蕾が、春の陽光を浴びて一気に開花し始めたようではないか……。
コルネリア殿が変わっていかれる、大切な瞬間を見逃してしまったようにも感じる。
多忙にかまけて、おひとりでエルヴェンに向かわせてしまったことを、今更ながらに深く後悔した。
はやくコルネリア殿と語らいたかったけれど、まずは総督職にある者の責務として、執務室に入って、諸々の報告を受ける。
政務総監を任せるクラウスが、珍しく苦笑いをした。
「エイナルが、早く来てくれて良かった。……危うく、コルネリア様に本気になってしまうところだった」
「おいおい……、やめてくれよ。クラウスらしくもない」
「ははっ、その通りだ。オレらしくもなく、コルネリア様に夢中になってしまうところだった。……だが、今日、エイナルを見詰めるコルネリア様の瞳が、オレの目を完全に覚ましてくれた」
「……そうか」
「コルネリア様の瞳には、エイナル、お前しか映っていないのだな、と」
クラウスはいつも冷静沈着で、副将に抜擢されたエルヴェン奪還戦においては、冷血とまで評された果断な采配を振るい、王国に大戦果をもたらした。
そのまま和平交渉における実務責任者の大役まで担い、停戦合意にこぎつけた敏腕。幼馴染にして畏友。
ボクと同い年の弱冠25歳にして、父上ソルダル大公の懐刀と呼ばれる男が……、失恋のほろ苦さを噛み締めていた。
「和平、政略……。そんなものを抜きにして、コルネリア様を大切にしろよ? エイナル」
「ああ、分かった」
学生時代に戻ったようにボクの肩を小突いたクラウスの拳には、ふだん表に出さない内側の熱と悔しさ、そして祝福が込められていた。
自分の気持ちに区切りをつけるためだったのだろう。
ボクはクラウスの拳を重たく受け止め、ふたりで笑い合った。
老博士は、ボクが見覚えのないほどに、顔をほころばせていた。
「エイナル閣下の申される通り、コルネリア様は大変な才覚を秘めておられる」
「最初に見付けられたのは、老博士ではございませんか」
王立学院時代には、ボクとクラウスを厳しく指導してくださった老博士。王国いちの博識。学問における最高権威。
大公の世子であるボクに対しても、遠慮も忖度もなく雷を落とされたことは一度や二度ではない。
その老博士が浮かべる、孫娘を可愛がるような、あるいは、秘めたる宝物を見付けたような、好々爺然とした朗らかな笑みに、思わず苦笑いしてしまった。
「いえ、エイナル閣下。あのままの私であれば、コルネリア様の秘めた才覚をこじ開けようとして、かえって堅く閉じ籠らせる結果となっていたことでしょう」
「ええ……」
「コルネリア様が自ら解き放たれるまで、ゆっくり見守るようにと仰られたエイナル閣下の、さすがのご慧眼。……老木は感服しております」
総督府の中を検分して歩けば、どこか空気が緩んでいる。
けれど、糺すべき弛緩ではない。
謹厳な政務総監クラウス伯爵の指揮で、総督府にはいつも一分の隙もない、張り詰めた空気が漂っていた。
それが、高位文官からメイドや下男にいたるまで、みなの瞳がキラキラと輝いて、活気に満ちていた。
――まるで、コルネリア殿の瞳が、みなに乗り移ったかのようではないか……。
そして、温室でお待ちくださっていたコルネリア殿に、……1時間ぶりの再会を果たした。
ボクの姿を認めるや、パアッと明るい表情を浮かべてくださる。
慎ましやかで、儚げな笑顔。
一回一回の邂逅に、奇跡を感じてくださっているかのような笑顔に、ボクもコルネリア殿と過ごす時間を大切にしようと決意を新たにする。
遊覧船事業の開業式典までの間、温室でお茶をして、語り合う。
「……エイナル&コルネリア号だなんて、私、賢しらではありませんか?」
「賢しらということは、ありませんよ」
と応えるボクの言葉に、コルネリア殿は、はにかまれたように、白磁のような頬の上側を紅くされた。
ボクはコルネリア殿の使われる〈賢しら〉という言葉の意味を、つかみかねていた。
どこかしら、普通とは違う響きを感じることがある。
クラウスからは、
「コルネリア様のご家族には、どうやら何か問題があるようだ……」
と、簡単な報告を受けていた。
父と妹が、停戦合意が交わされたばかりだというのにエルヴェンまで観光に訪れ、ひと悶着起こしたらしい。
「……コルネリア様には口止めされていたのだが、バーテルランド王国の宰相閣下まで詫びに来られたのではな……」
「そうか……」
「だが、エイナル。いま、バーテルランドに人をやって調べる訳にもいかず……」
「そうだな。……痛くもない腹を探られることになるだろうな」
それに、密かに人をやって前歴を調べさせるなど、コルネリア殿を束縛するようで、ボクの性にも合わない。
ボクはただ、コルネリア殿本人とだけ向き合って、いつか心を開いていただきたい。
「いずれにしても、正式な婚儀までは、いましばらく時間がある。もう少し、様子を見ることにする」
と、ボクはクラウスとの話を打ち切った。
総督としてエルヴェンに訪れるのは久しぶりであったし、コルネリア殿とゆるりと徒歩で船着き場に向かった。
もちろん、護衛の騎士やクラウスも同行しているし、ふたりきりという訳ではない。
クラウスの手腕で、順調に復興が進むエルヴェンの街並み。
けれど、ここにも、どこか朗らかな活気が生まれていた。
果物屋の女店主とおぼしき女性が、コルネリア殿に駆け寄った。
「姫様! これ、持って行っておくれよ」
「まあ! これは……、サジーね?」
「そうだよ、さすがよくご存知だね!?」
「あ、いや……、く、果物には目がなくて……。実際に見たのは初めてなのよ?」
「……エルヴェンでは、まだみんな生活に余裕がなくてね、果物はあまり売れないんだけど……。姫様の遊覧船に納入させてもらえることになって、珍しい果物も仕入れられるようになったって訳さ!」
「私の遊覧船だなんて、そんな……」
「あははっ! 姫様と総督様の遊覧船だったね!」
と、コルネリア殿は、庶民にも分け隔てがない。
遊覧船の乗船料に、ウェルカムフルーツの料金を含ませるのはコルネリア殿の発案であったそうだ。
「美味しい果物を、みなさんと分け合って味わいたいものですわ」
と、クラウスに示唆したと聞く。
ふだん手を出さない果物の甘さは、復興に向け懸命に働く庶民にとって、ひと時の余暇を、より潤いのあるものにするだろう。
そして、ひと口味わえば、船上でふた口目を買い求めてくれることもある。果物屋が潤い、経済が動いてゆく。
よく考えられている。
すでに試験運行で近隣都市の住民の目に触れた遊覧船『エイナル&コルネリア号』は話題となり、今日の開業にも多くの観光客が押し寄せている。
――そうか。エルヴェンの街に〈遊び〉が生まれているのか……。
街の者たちは、ボクやクラウスには遠慮がちに頭を下げる。
だけど、コルネリア殿には実に親しげに接し、まるで敵国から嫁してくる令嬢であることを忘れたかのようだ。
儚げな美しさを湛えるコルネリア殿から、さらなる奥深さを感じさせられる。
独り占めにしたくなる自分の心を抑えるのに必死だ。
船着き場に到着する寸前、眉を寄せたクラウスが耳打ちしてきた。
「……エイナル。開業式典に、カーナ嬢が来ているらしい」
「カーナが?」
「庶民向けの事業ということで、貴族にはどこにも招待状を出していなかったのだが……」
カーナ・ホイヴェルク。
わがソルダル大公家とリレダル王国で双璧をなす、ホイヴェルク公爵家の令嬢で、ボクとクラウスのひとつ年下。
見目麗しい凛とした公爵令嬢ではあるのだけど、王立学院に入学してくるや、ボクにつきまとった。
交際している訳でもないのにボクを束縛しようと、あの手この手で悩まされた。
「……きっと、コルネリア様にちょっかいを出すつもりだぞ?」
「分かってる……」
カーナは既に24歳。貴族令嬢として行き遅れの年齢になっても独身でいるのは、まだボクに執着しているからだとも思える。
コルネリア殿に、ボクの側を離れないようにと伝える。
ポッと、頬の上側を紅く染めたコルネリア殿に……、つい見惚れてしまった。
本日の更新は以上になります。
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