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135.冷遇令嬢は驚きの声を漏らす

カルマジンに戻って、政庁の執務室でカリスからの書簡に目を通し、



「あら……」



と、驚きの声が漏れた。


お隣に座るエイナル様が「ん?」と、お顔を向けてくださる。



「どうしたの? ……カリスからの書簡、何か問題があった?」


「あ、いえ……。リレダルから、クランタスに使節を送るそうなのですが……」



秘密協定の締結前に、提唱したクランタス王の真意を確認しておきたい。


それ自体は、リレダル王国の反応として至極まっとうなことだ。



「その……、フェルディナン殿下を派遣されたそうで……」


「ははっ!」



エイナル様は、すぐにわたしの意図を察せられ、気持ち良さそうに笑われた。


直情的なクランタス王と、奔放な王太子フェルディナン殿下。



「……け、喧嘩になりませんかね?」


「ふふっ。すごく意気投合するかもしれないよ? おふたりとも明るいご気性だし」


「そ、そうですわね……」



エイナル様は愉快そうに微笑まれ、ご自分の手元に視線を戻された。


わたしの執務室で決裁作業をお手伝いいただくにあたり、エイナル様がご自分の机を下座に置こうとされていたのを、



――いえ、お隣で。



と、口をへの字にお願いした。


苦笑いされたエイナル様だけど、わたしの願いを聞いてくださった。


執務中でも顔をあげたら、隣にエイナル様がいらっしゃる環境は、とても良い。


いつも食事と寝室は一緒だけど、執務室で拝見するエイナル様の横顔には、また格別の凛々しさを見付けてしまう。


つい、チラチラと見てしまう。


そして、ご自身の領地であるグレンスボーのご統治や、大公世子としての職責など、リレダル本国に関わる、なかなかの量の職務をこなされていることに気が付いた。


いつも泰然と構えておられ、エイナル様が忙しそうにされているところなど、わたしは見た覚えがない。


なのに、これだけの量の職務を日々、淡々と処理されていたのだ。


わたしの大河伯就任のため、役職を返上してくださる前は、一体どれほどのお働きぶりであられたのか想像もつかない。


すごい旦那様の奥さんにしてもらえたのだなと、あらためて尊敬の念が湧く。



「……王太子殿下をお遣わしになられたということは、それだけリレダル王国が真剣に検討してくれてるってことだよ?」


「え、ええ……、そうですわね」



エイナル様がサインされた書類を、わたしに渡してくださる。


リレダル宮廷の序列3位、序列4位として、わたしたち夫婦にも、秘密協定の締結に賛同を求めてこられたのだ。


エイナル様のお名前の下に、エルヴェン公爵としてサインする。


本来、これだけでも、わたしには充分すぎるほどに幸せだったのになと、感慨深く眺めてしまった。


ばあやに手渡し、リレダルに急ぎ送付してもらう。その横には手順を学ぶウルスラの真剣な表情があった。


エイナル様が楽しげに笑われた。



「フェルディナン殿下は気まぐれなところはあるけど、優秀な方でもあるよ?」


「あ、ええ……」


「まあ、ここのところリレダルの外交シーンは、ユッテ殿下が担われることが多かったけど……、いまはノエミにご執心なんじゃない?」


「ふふっ。……ノエミにご手配くださった老博士からのご講義、ユッテ殿下の宮殿で行われているそうですものね」


「よほど、気に入ったんだね、ノエミのこと」



カリスの書簡と一緒に、ノエミからのお手紙も届いていた。


無事に王都ストルムセンにあるわたしの別邸に入り、義母大公夫人からも良くしていただいているようだ。


ウルスラが気恥ずかしそうに頭を掻いた。



「……お、恐れ多いことです」



遠く離れた姉ノエミのことを心配しつつ、誇らしくも思っている。


そんな表情をしたウルスラを眺め、エイナル様と微笑み合った。



「ユッテ殿下にとっては、なかなか貴重な存在なのかもしれないわね、ノエミは」


「そうなのですか?」



わたしの言葉に、ウルスラがパッと目を輝かせる。


ウルスラは人の営みや人間そのものに興味を惹かれるところがある。学問的に理論を学びたい姉のノエミとは対照的だ。


現場の侍女の道を望んだのも、そのせいだろう。



「リレダルの貴族令嬢がお相手だと、ユッテ殿下のお立場では、どうしても家同士の関係がチラつくものよ」


「ああ……。お姉ちゃんには、これといったしがらみはないからですから」



なるほどと、ウルスラが頷いた。


ばあやから、やさしく「お姉ちゃんではなくて『姉』もしくは『姉様』ですわよ?」と諭され、また頭を掻く。



「……ノ、ノエミ……姉様? うぷっ。は、はい……、気を付けます」



と、はにかむ姿も微笑ましい。



「……でも、ノエミは本当に学問が好きなのね。わたしへのお手紙は、老博士から習ったことばかりだわ」


「それは、学費も滞在費もコルネリア陛下からご援助いただいてるのに、ちゃんと勉強してます! って報告してもらわないと……、妹の私の肩身が狭くなります」


「ふふっ、……ほんとね。ウルスラもノエミも賢いわね」


「いや……、私のはそういうのでは……」



姉のノエミが褒められると喜び、自分が褒められると頬を赤くして俯く。


姉思いの、いい妹だ。


学究肌の姉ノエミと違い、ウルスラには肝の座ったところがある。


あの深夜の集落でも、ノエミが長老を呼びに行く間、まるで自分が人質になるかのように、ウルスラはひとりで残っていた。


夜闇から突然現れたわたしとルイーセさんに、恐さより興味が勝ったのだろう。


物怖じせず、アカネ染めで、ケルメス染めにまけない鮮やかな緋色を出す秘密をサラッと教えてくれた。


侍女になってからもメイドや従者と積極的に交わり、急な出世をやっかませることもなく、上手く溶け込んでいるようだ。


ノエミはリレダルで最先端の学問を身に付けて帰ってきてくれるだろうし、ウルスラの働きぶりは皆が認めている。


いずれ、わたしのもとで、賢姉妹として評判になるのではないかと思う。


将来が楽しみだ。


そして、大河院からの書簡も届いていた。


リレダルの博士たちに加え、バーテルランドとテンゲルから選抜された技師や専門家が集まり、雨期に向け、各国の水防施設の検討会合を開いてくれていた。


報告書に目を通し、意見を書き加える。


ウルスラが、興味深げに口を開いた。



「……いっぱい偉い人が集まって、なにを話すのですか?」


「そうねぇ、……喫緊の課題は、堤防のつなぎ目ね」


「つなぎ目……」



リレダル王国内はともかく、バーテルランドとテンゲルでは、領有する貴族が思い思いに堤防を整備している。


結果、領地の境界で、堤防の幅や高さが違うことがあるのだ。


もちろん、その箇所は脆弱になる。


その上、肝心なところとして、領地を接すると見栄の張り合いや、責任の押し付け合いがある。


まずは、そういったものと切り離し、学術的に正しい補修内容を、専門家だけで検討してもらった。



「へぇ~! ……でも、そんなに偉い先生がいっぱい集まって、それこそ喧嘩にならないものなんですか?」


「ふふっ。鋭いわね、ウルスラ。……すごい大喧嘩をしながら、なんとか意見をまとめてくれたと思うわよ?」


「へ、へぇ~。い、一度、のぞいてみたいです……。チラッと」


「ふふっ。そうね、またいつかね」



そのいちばん大喧嘩をしてそうな狷介博士から、わたし宛の書簡が〈私見〉として添えられていた。


目を通して、眉根を寄せる。


わたしも手元で、計算し直して確認する。



「……リレダルからテンゲルにかけての水防が整う結果、たしかに雨期における下流への最大流入量が増えますわね」


「うん。コルネリアが大河伯に就任するときも、いちばん気にしてたよね」



と、エイナル様が腕組みされた。


テンゲルが大河の下流側で国境を接する、ブラスタ王国の水防が懸念される。


特に、ブラスタ王国の堤防が国境近くで決壊したら、テンゲル側にも浸水が及ぶ可能性を狷介博士がご指摘くださっていた。



「ふむ……。ブラスタとの交渉はうまくいってないよね?」


「ええ……、ケメーニ侯爵が粘り強く交渉にあたってくれていますが」



偽造緋布の補償交渉が、なかなかまとまらないのだ。


ブラスタ王国に関しては、大河委員会条約への加盟など持ち出せる状況ではない。


まして、堤防の脆弱性を報せたりしたら、プライドを傷付け、かえって関係がこじれる可能性すらある。



「……かといって、放置する訳にもいきませんし」


「う~ん……。また、決裁案件を片付けたら、国境沿いまで視察に行く? 図面だけじゃ分からないこともあるでしょ?」


「そうですわね。少なくともテンゲル領内への流入は防がないといけませんし……」



カリスは、リレダルとの交渉を特使のフェルド伯爵に引き継ぎ、すでにバーテルランドに向かっている。


まずは大河委員会にクランタス王国だけを加える形での秘密協定締結でも構わない。それでも大きな一歩だ。


ただ、いざ雨期を迎えたときにブラスタ王国の堤防が決壊すれば、さらに関係がこじれることは必至。


なかなかの難問だ。


もちろん、ブラスタの民にも大打撃になる。


ここは、先手を打っておきたい。



「ふふっ、ウルスラ? また一緒に〈お出かけ〉しましょうか?」


「え!? いいのですか!?」


「時間をつくるために、また全速でお仕事するから、ウルスラも手伝ってね」


「は、はい!」



目を輝かせるウルスラに、エイナル様とまた微笑み合う。


もちろん、わたしの目も輝く。


テンゲル王都より下流への〈お出かけ〉は、わたしにとっても初めてだ。


ウキウキと決裁案件を片付け、カルマジンを出発した。


今回の行幸には、サウリュスも同行する。

本日の更新は以上になります。

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