134.冷遇令嬢は祖母を引き受ける
暖炉の薪も充分に支給されていて、部屋は暖かい。
窓の外に広がる、冬山の雄大な景色に目をほそめた。
もうレナータを祖母だと思うのはやめた。
テンゲル王家の系図から、その名を抹消する手筈も整えてある。
わたしの女王即位への正統性も毀損することになるけど、その分、仕事を頑張ろう。
「とても高くて、キレイな景色。ちょうど貴女がお母様を投げ落とした城壁くらいの高さですわね?」
「ぐ、ぐ……」
「毎日、眺めて暮らしても、これだけ雄大な景色なら飽きがこないでしょう?」
「ま、待て……」
「夜には、警備の篝火が焚かれ、きっと勇壮な光景になるのでしょうね。……まるで、反乱軍に包囲されてるような」
コショルー公の恨みの深さが窺われる。
レナータは毎晩毎晩、あの夜の光景を再現して見せられていたのだ。
それで痩せ細ったというのなら、僅かなりとも、お母様に対して後ろめたい気持ちを抱いているのか。
「わたし宛ての書簡だけは許します。……気が変わったら、いつでも報せてください。エルヴェンに用意した隠居所にお移りいただきますから」
踵を返し、部屋を出た。
ふたたび重い鉄の閂がかけられ、金属の擦れる音が響いた。
老侍女には、帰国を勧めたけれど、
「……レナータ様の最期まで、お側に仕えることをお許し賜りたく……」
とのことだったので、引き続きの随従を許した。
ただ、老侍女については、テンゲルに残る親類との書簡のやり取りを認め、折りをみて一時帰国するようにと命じた。
忠誠は麗しいけど、さすがに犠牲の度が過ぎる。
一時帰国した上で、ふたたびこの尖塔に戻るのなら、もう止めはしないけれど。
エイナル様の腕に手をかけ、馬車に戻る途中、ピシュタが尋ねてきた。
「あの……、コルネリア姉様」
「ん? ……なあに?」
「……どうして俺の発言を遮られたんですか? 差し出がましかったですか?」
ピシュタは大きな瞳をほそめ、しょげた小犬のような顔をしていた。
自身の父と祖母の裏切りを、祖父に告白する正義感の強いピシュタのことだ。
レナータの罵声に憤慨してくれていたからこそ、わたしに発言を止められたことが腑に落ちないのだろう。
「ああ……。ふふっ。ピシュタ、あなた名乗ろうとしたでしょ?」
「あ、……はい。レナータ様のかかりは、コショルーで負担させていただけますし……」
「大変よ? あんなのに名前覚えられたら」
「え?」
「……いいのよ。お祖母様は、わたしだけを憎んでたらいいの」
お母様が6歳にしてスッパリ断ち切られた縁を、わたしが無理に復活させたのだ。
そのくらいは、引き受けよう。
ただ、あの得体のしれない憎悪が、わたしの周囲にまで向くのは、かなわない。
エイナル様を紹介しなかった理由も同じ。
レナータの心のなかで、エイナル様のお顔と名前を一致させるのが、厭わしかった。
「コルネリア姉様……、お強いのですね」
「……ピシュタ。テンゲルが、コショルーに迷惑をかけたわ」
「いや、そんな……」
「わたしたちの世代で、明るく豊かな時代をつくっていきましょうね?」
「は、はいっ!」
どういう運命なのか、従姉弟同士、お互いに父と祖母を断罪し、切り捨てた。
わたしの場合、誇り高い貴族でありたいと、父のふる舞いから学び、いま、祖母のような王族にはならないと決意した。
ピシュタとも力を合わせ、前の世代が残す、濁りや淀み、闇を晴らしていきたい。
「……ピシュタ?」
「は、はい!」
「お祖父様……、公妃とも、側妃ともうまくいかず、お心の内を思うと、やりきれないわ」
「……そうですね」
「最初の娘は家を捨て、息子には裏切られた……。せめて、孫のわたしたちは、仲良くしましょうね?」
わたしが微笑むと、ピシュタは堅い表情で頷いた。
少年の面影を残す16歳のピシュタ。
公世子の地位に就いたとはいえ、これから、廃嫡された父との確執が待っていることだろう。
側妃は豪族の出であり、国内に後ろ盾がある以上、いずれは謹慎を解かれる。
「……交易で、国が富むことばかりに気を取られずにね」
「はい……」
「国が富めば、富の偏在が起きる。取り残された者たちは、不満を募らせるわ」
そして、廃世子である父親のもとに集い始めるだろう。
ふたたび骨肉の争いが起きる。
祖父コショルー公が健在の間に、ピシュタは権力基盤を固めなくてはならない。
「……時流に乗り遅れた者たちにこそ目配りをして、一緒に国を富ませる仲間に引き入れてあげてね」
「か、必ずや!」
「約束よ?」
「は、はい!」
「……折を見て、仲立ちをしてくれる者を見付けて、父上とも仲直りするのよ?」
「……かしこまりました」
「ふふっ、テンゲルにも遊びに来てね」
「は、はい! ぜひ!」
コショルーの歴史は重い。
急激な変化は軋轢も生むだろう。わたしで出来る限りの後見をピシュタに約束した。
馬車に乗り込み、エイナル様に寄りかかってから、大きくため息を吐いた。
「……コルネリアは優しいね」
「え、そうですか?」
「諸侯たちに送った書簡で、レナータ殿を内乱扇動の罪に問うことも出来たのに」
「でも、誰にも相手にされませんでしたし……」
「ふふっ……、まあね」
「リレダルにいながら動乱を勃発させた前大公に比べたら、……小物すぎて。罰したら、テンゲル王家の恥の上塗りですわ」
「……なるほど」
馬車がゆっくりと動き始める。
わたしが、この尖塔に足を運ぶことは二度とないだろう。
モンフォール侯爵家に大損害を与えた父やフランシスカでさえ、わたしが課す罰は重労働にとどめた。
父は堤防の工事現場で、フランシスカは燻製小屋で、同僚たちと働いている。
行動に制限はあるとはいえ、開放刑だ。
まさか、世の中に、幽閉されていることでプライドを保つような人間が存在しているとは、夢にも思わなかった。
自分では籠城しているつもりなのだろう。
いつか、わたしか誰か身分の高い者が、膝を折って迎えに来るまで、自分からは動かないことで、困らせているつもりなのだ。
自分は幽閉されるほどの高貴な存在なのだ、とまで思っているかもしれない。
ふと、馬車を止めてもらった。
雪の上に、そっと足跡をつける。腰をかがめて手で雪に触れた。
「エイナル様!冷たいですわ!」
「うん、そうだね」
初めて触ったのだ。真っ白な雪。
ちいさく丸めて、えいっと樹に投げる。
ポスッと、雪玉が割れた。
そのまま、エイナル様とルイーセさんと、ピシェタと、ゲアタさんと、ウルスラと、護衛の騎士たちもみんなが、雪合戦で遊んでくれた。
「もう、手加減しないでくださいませ!」
「え~、無理言わないでよ?」
エイナル様がピシュタと顔を見合わせ、苦笑いを交わし合う。
そのとき、パス、パスっと、ルイーセさんとゲアタさんの雪玉が、わたしの顔に命中した。
「すべては、女王陛下の思し召しのままに」
「遊ぶときは、本気で遊ばないとつまらないものです」
ふたりの言葉が嬉しくて、目を丸くするウルスラが可愛らしくて、初めての雪玉の感触に目を輝かせた。
大笑いしてから雪の上に寝転がり、ナタリアにすこし叱られた。
「……雪の妖精のようではございますが」
「ふふっ。……サウリュス殿も来れば良かったのにね」
「寒いところは苦手だそうですから……」
無性に、あの気難し屋の画家に会いたかった。
わたしは今、どんな顔をしてるだろう。サウリュスの目には、どう映るだろう。
自らの出生の秘密ともいえる、クランタス王家のお家騒動になど、サウリュスは何の関心も示さない。
ただ無心にキャンバスに向かう。
「いや……、無心ではないか」
クスリと笑って、身体を起こした。
サウリュスにはサウリュスの、大切にしてるものがあって、そこでは悩み悶えながら、必死に戦っているのだ。
「帰りましょう。カルマジンへ」
エイナル様が、にこりと微笑んでくださった。
軍船をゆったりと下らせ、峡谷の景色を楽しみながら、カルマジンに戻った。
カリスからの書簡が届いており、リレダルでは秘密協定の締結に向け、王家、大公家、公爵家の間で、最終調整に入っているとのことだ。
民の富を貪る闇資金の解明に向け、大河流域国家が動き始めた。
本日の更新は以上になります。
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