131.冷遇令嬢は眉間に拳をあてる
窓の外では、かすかに雪が舞い始めた。
前大公は鷹揚なご態度で、わたしの問いにはすべて率直にお答えくださる。
「うむ。儂に投資したいという者は、山のようにおった。……バーテルランドとの戦争再開を望む者たちだな」
「それを、リレダルの宮廷にお配りになられた……」
「そうだな。……受け取るだけ受け取り、知らぬ顔で息子大公につく者もおったが、まあ、宮廷闘争とは、そうしたものだ」
「ええ……」
武器商、糧秣を扱う商人、戦時国債でひと儲けした者たち。30年に及ぶ戦争は、戦時経済を形成しており、和平は彼らの利益を失わせた。
最終的な和平成立の直前。最後の望みを前大公に託したのだろう。
前大公の語りぶりにも、悪びれたところはない。
兵どもが夢のあと――、みたいな空気を出されるのには、正直、ちょっとイラッとするけど、前大公には前大公の正義があり、信条を貫かれたことは分かる。
「もちろん、儂に〈次の戦争〉を望む者もおった。……が、そのような不埒な者は、すべて退け、カネも受け取ってはおらん」
「……ご立派な見識ですわ」
「ふふっ。……戦とは商いのためにするものではない」
次の戦争とは、リレダル王国内の内戦だ。
現王政打倒の兵を挙げてはどうか。リレダル王に反旗を翻してはどうかと、唆してくる者たちがいたのだろう。
大公位を息子に譲らされ、隠棲を強いられたとはいえ、前大公はリレダル王国内の実力者であり続けた。
もしも、反乱の兵を挙げていれば、あとに続く貴族もいただろうし、リレダル王国は大混乱に陥っていただろう。
だけど、前大公はその道は選ばなかった。
あくまでも政治闘争、宮廷闘争の範囲に収め、政変を仕掛けた。
ゆえに、前大公は政治闘争の敗者ではあっても、罪人ではない。
大貴族としての矜持は感じる。
「……ふむ。闇資金……、か」
「ええ。……詳細は申し上げられませんが、不正に流出した資金が、お義祖父様の手に渡ったのではないかという疑いがございます」
「むう……。後ろ暗いカネを受け取ったつもりはないが、あくまでも秘密資金。入りも出も、帳面をつけるようなカネではなかった」
「はい……」
「まともなカネの顔をして紛れておれば、あるいは……。いや、いまとなっては分からんな」
前大公は、正直にお答えくださっているのだろう。
なにせ、捕虜にした敵将と酒宴を張り、痛飲して意気投合するような、昔ながらの大貴族であられる。
万事が鷹揚にして、大雑把。
首を傾げるお姿にも、濁りはない。
ただ、もしもご自分が得体のしれない闇の勢力に利用されたのだとしたら――、という羞恥と憤慨を滲ませられていた。
「お義祖父様。急ぎはしません。……ご記憶をたどっていただくことは出来ませんでしょうか?」
「うむ……、それはかまわんが」
「ひとつお約束します」
わたしは、ジッと前大公の瞳を見詰めた。
互いの呼吸が合うのを待つ。
この年輪を重ねた偉大なる一代の英雄に、駆け引きではかなわない。
「……なにかな? コルネリア陛下」
「お義祖父様から頂戴する新たな証言は、わたしの手元だけにとどめ、お義祖父様にカネを渡した者も、受け取った者も、新たに罪に問うことはいたしません」
視線と視線が、中空でぶつかる。
わたしが解明したいのは不正な資金の流れであって、リレダルで互いに死力を尽くして宮廷闘争を戦った者たちではない。
いまはリレダル王に恭順を誓った者たちを改めて罪に問えば、新たな火種になる。
それこそ、内戦を招く恐れさえある。
「……分かった。義理堅い孫嫁、コルネリア陛下を信じよう」
「恐れ入ります」
微笑みを交し合い、約定を交わした。
おぼろげな記憶をたどっていただき、書面に書き起こしてもらう。
しばらく時間はかかるだろうけど、わたしの手元に密かに届けていただく。
核心には迫れなくても、闇資金の流れをつかむ、手がかりを得られるかもしれない。
「あの……、お義祖父様。それで、祖母からは、書簡でなんと……?」
「う、うむ……」
と、前大公は苦笑いを浮かべた。
すでに内容が薄々察せられ、続きを聞くのが億劫になるような笑い方。
「色々と、何通も頂戴したが……」
「な、何通も?」
「はっは。いい暇潰しにはなった。……コルネリア陛下がレナータ殿の言うことを聞かぬのは、儂の孫、エイナルが誑かしたせいであろう……、とか」
「……ま、まあ……」
「責任をとって兵を挙げ、コルネリア陛下を懲らしめろ……、とか」
「それは……」
「ご息女ステファニア殿の親不孝で苦しむ気持ちを、息子に大公位を追われた儂であれば分かるだろう? ……とか」
目を閉じ、眉間に拳をあてる。
おそらく、有史以来もっとも〈幽閉〉という罰を嫌悪するひとりであろうと自認するわたしだけど、コショルー公の判断が正しかったのではないかと悩まされる。
下手に、テンゲルの王女位とコショルーの公妃位を保持したままにしているから、よけいにタチが悪い。
たとえ身分をすべて剥奪し、野に放ったとしても、今度はよからぬ者たちの格好の餌食になるだろう。
元王女、元公妃の肩書きを利用され、詐欺にでも使われたら、王家、公家の恥でしかない。
結局、投獄して幽閉だ。
政変に敗れ、辺地で隠棲させられても鷹揚と構え、威厳さえ漂わせる前大公を目の前にしているだけに、頭の痛さが増す。
「……祖母が、ご迷惑を」
「いや、なに。……血筋に振り回されるのは王侯貴族の宿命のようなもの。ご心中、お察し申し上げる」
逆に慰められるような形になって、前大公の隠棲所をあとにした。
小舟に揺られ、エイナル様が呟かれる。
「……コルネリアに、惚れ直しちゃったなぁ……」
「え? ……いきなり、なにを仰られるのですか?」
「いや、私もだ」
と、ルイーセさんが深く頷き、ゲアタさんも目を閉じ、何度も頷いていた。
エイナル様が、敬意のこもる眼差しでわたしを見詰めた。
「あのお祖父様を相手に一歩も退かず、けれど譲るべきは譲って、協力を引き出す……、見事だった」
ルイーセさんが、これまで見たことのない熱い視線をわたしに向けてくれる。
「私は、ソルダル大公家の内紛を知っているからな」
「え、ええ……」
「前大公ハルフダン閣下と、現大公ヘアマン閣下の死闘。……戦争と同時並行でリレダル王国を揺るがした政治闘争。その一方の雄であるハルフダン閣下を相手に……、いや、感服した」
「……あ、ありがとうございます」
「それに、ハルフダン閣下は戦場の名将でもあられた。匂い立つような武威を前にしても怯むことなく、冷静な交渉。……私は本当に素晴らしい主君を得た。感謝する」
「そ、そこまで仰っていただいては……」
ゲアタさんが、グッと身を乗り出す。
「いえ! 私の親分、メッテがコルネリア陛下に心服してやまない理由が、ようやく腹に落ちました!」
「あ、ええ……」
「……この上は、この鳳蝶のゲアタ。命を差し出す覚悟でお仕えさせていただきます。いかようにもお使いくださいませ!」
「い、命は……、大切にね?」
「いえ! コルネリア陛下の大志を前にして、わが命など……」
「……ゲアタさんにも、大望がございますでしょう?」
「そ、それは……」
「もちろん、メッテさんにも」
「はい……」
「ね? ……命は大切にしてくださいね」
普段は飄々としたゲアタさんと、不愛想なルイーセさんが、急に熱くなるものだから、すこし戸惑う。
ただ、わたしのことはともかくとして、それだけ前大公が大人物だということだ。
敵に回せば手強くてやっかいなお方ではあるけれど、心強い味方を得たのかもしれないと思いつつ、炭焼きの村に降り立った。
ウルスラが、髪色とおなじ赤茶けた瞳をキラキラとさせていた。
「父ちゃんと母ちゃん……、いえ、父と母から聞いてた通り、美しい山野でした」
「ふふっ、そうね」
川縁から、周囲を見渡す。
「ん、まあ!」
と、わたしを見るなり、口を大きく開けたナタリアに座らされ、お化粧を直してもらう。
ゲアタさんが、ナタリアの手元を熱心にのぞいて、メモをとる。
「……帰ったら、特訓ですわね。ゲアタ様」
「分かりました、姐御」
「姐御はよせ」
ナタリアとルイーセさんの声がそろい、わたしとエイナル様が吹き出した。
迎えに出てくれた義叔母のノラと一緒に、山奥の長老を訪ねる。
前大公の無聊を慰めてくれていることに礼を言い、醸造所で買い求めていたサジー酒をお土産に渡す。
「また、前大公様と一緒にいただくことにするよ、コルネリア」
長老が嬉しそうに微笑んだ。
幼き日、お母様が育った長老の山小屋をあとにする。
軍船に戻り、ふたたび支流を遡る。
コショルー公宮よりさらに北、最果ての地に幽閉された祖母レナータに会うために。
本日の更新は以上になります。
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