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129.冷遇令嬢は呼吸が鎮まらない

ウルスラが、初めて訪れるコショルーの景色に、目を輝かせた。


内戦さえ起きなければ、ウルスラのご両親にとっては、ずっと暮らしたかった愛する故郷だ。


幽閉されていた集落で、ウルスラは良き思い出を聞かされて育った。


ウルスラを小舟に降ろし、ナタリアを同伴させて、先に炭焼きの村へと向かわせる。


ばあやにはカルマジンでお留守番を頼んでいて、ゲアタさんがいつもの飄々とした風情で眉を寄せた。



「え? ……私だけでいいんですか? 知りませんよ?」


「うん、いいの。お願いね」



と、ゲアタさんだけを侍女として同行させ、わたしはエイナル様と、対岸に建つ前大公の隠棲所に向かう。


わたしたちを乗せた小舟が、充分に軍船から離れてから、そっとゲアタさんに囁く。



「機微……、のようなものなのよ」


「はあ……」


「……テンゲル育ちのナタリアにとっては、動乱を扇動した前大公は、どうしてもただの敵にしか思えないところがあるわ」


「なるほど……」


「……でも、エイナル様にとっては大切な祖父君でもあるし……」


「ああ……。リレダル育ちでないと、一代の英雄、前ソルダル大公ハルフダン・グリフ閣下の偉大さは、たしかにピンとこないかもしれませんね……」


「そ、そ。……だから慣れないところ悪いんだけど……」


「ふふっ。分かりました。……侍女っぽくお淑やかにふる舞わせていただきますわ」


「その調子で、お願いね」


「……刺青、隠れてます?」


「ん。……大丈夫」



できるだけ小声でヒソヒソとやっているけど、きっとエイナル様にも聞こえてる。


だけど、エイナル様は泰然と微笑まれたまま、徐々に小舟が近付く隠棲所を、感慨深げに見詰めておられた。


護衛のルイーセさんがヌッと、わたしとゲアタさんの間に顔を寄せた。



「……ゲアタは黙っていれば美人だ。にこにこしておけ」


「了解です、姐御」


「姐御はよせ」



親指をたてるゲアタさんが飄々と言えば、ルイーセさんは不愛想。


わたしが反応に困ると、エイナル様が吹き出された。



「大丈夫だよ。……刺青を見せてあげた方が喜ばれるかもしれないしね」


「じゃあ、脱ぎます」


「それもよせ」



ルイーセさんとゲアタさんの、トーンの低い掛け合いに、エイナル様が楽しげな笑い声を重ねられた。


やがて着岸し、エイナル様に抱きかかえらえて、河岸に降り立つ。


ソルダル大公家が建てた隠棲所。


小ぶりではあるけれど、気品漂うリレダル様式の建築だ。


エントランスで、わたしの義祖父、前大公がお待ちくださっていた。



「コルネリア陛下、エイナル殿下。……わざわざのお運び、痛み入ります」



丁重な拝礼を捧げてくださり、わたしはテンゲル女王として、それを受ける。



「出迎え、ご苦労。……壮健そうでなによりにございます」


「お陰さまでヒマをもてあまし、なにやら若返ったような心持ちでおります」



エイナル様によく似た金髪に、厚い胸板。


ご長身で立派な体躯からは、衰えも年齢も感じさせられない。


威厳に満ちた、堂々たる敗者のふる舞いで、中へとご案内くださった。


暖炉で温められた貴賓室。


大公家より随従する年老いた近侍の者が、お茶を淹れてくれる。


ここからは、身内の時間だ。


前大公に、やわらかく微笑みかけた。



「お義祖父(じい)様。遊びに行くとお約束しておきながら、遅くなりまして……」


「はははっ。……コルネリア陛下は随分と義理堅くあられるのですな」


「お約束は、お約束ですから」


「……なるほど」



と、前大公は鷹揚に微笑まれ、お茶を口にされた。


ソルダル大公家ほどの権門であれば、たとえ倒した政敵であっても、一定の敬意を払い、体面を保てる形で遇する。


行動に制限はあっても、隠棲所での暮らしに不自由はさせていないはずだ。


エイナル様が、やわらかなソファに腰かけ直された。



「……お祖父様がお元気でいられると、またいつ何を仕掛けてこられるのかと、ワクワクさせられてしまいますね」


「エイナル。……祖父を見くびるなよ」



言葉の鋭さに反して、前大公がエイナル様に向けられる声も眼差しもやわらかい。



「……儂は二度、敗れたのだ。この上は、身の処し方くらい、弁えておる」


「そうですか?」


「ふふっ。……最初は息子に寝首をかかれた。大公位を追われ、捲土重来を賭けた二度目は、孫嫁に足をすくわれた」


「……恐れ入ります」



孫嫁とは、わたしだ。淡々と語る前大公に、優雅な微笑みを返した。



「……そのいずれにも、後ろにおったのは、エイナル。そなただ。さすがに三度挑むほど儂は愚かではない」


「さすがは、ボクのお祖父様。負けっぷりが潔い」


「ははははっ。そうだ、エイナル。覚えておけ。……男の、貴族たる者の真価が問われるのは、負けたときであるぞ?」


「ボクはいつも、コルネリアに負けっ放しですよ?」


「まあ……。いつの間に?」



思わず、エイナル様のお顔を見上げる。


実に楽しげに笑われていた。祖父に甘えるやんちゃな孫、そのままのご表情で。



「ふふっ。……お祖父様の前で、惚気てもいいなら言うけど?」


「あ、いえ……。そういうことでしたら、また、ふたりのときに……」


「はははっ。仲の良いことであるな」


「ええ、もちろん!」


「はははははっ! これは、負けて悔いなしであるな!」



気持ち良さそうに笑い合う祖父と孫に、わたしは目を白黒させる。


なにを通じ合っているのかよく分からないけれど……、楽しそうなので、まあ、いいか……。と、微笑む。


前大公は、なぜか満足気に目をほそめた。



「……対岸の、炭焼きの村の者たちが、ときどき慰めに来てくれるのだ」


「あら……、そうですの」


「うむ。地の野菜や魚を片手に、サジー酒という酒を持って来てくれる。……おかげで賑やかに暮らせておる」



流刑になった貴人を憐み、近隣の民が慰めに足を運ぶことは珍しくない。


幼き日の母テレシアと一緒に育った義叔父、義叔母たちが、前大公を囲んでざっくばらんな宴席を開いてくれるらしい。



「……コルネリア陛下のご縁で、みなが儂を尊んでくれるのであろう」



前大公は感慨深げな笑みを、わたしに向けた。


後で聞いてみればすぐに分かることだけど、ひょっとすると義叔父、義叔母たちは、前大公がわたしの義祖父であることに気を使ってくれているのかもしれない。


排外的な気質のコショルーの民は、いったん身内と認めたら、どこまでも世話を焼くところがある。


この流れで闇資金のことをお聞きしてみようかと、わたしが一瞬、逡巡したとき、前大公が腰を上げられた。


そして、窓辺に立ち、外を眺められる。



「……炭焼きの村の者たちから、コルネリア陛下のご母堂のことを聞いた」


「え、ええ……。炭焼きの村では、母が幼き日に世話になったと聞いております」


「因縁よの……」


「……え?」



前大公は、しばし黙り込まれた。


その大きな背中を、エイナル様とふたり、黙って見詰める。



「……初めは気付かなんだ」


「え、ええ……」


「だが……、コルネリア陛下の祖母君、レナータ殿からご書簡を頂戴したとき、ふっと、記憶がつながったのだ」


「え? ……祖母からお義祖父(じい)様に書簡が?」


「ふふっ。……直接の関係はないのだが、記憶とは不思議なものだ」



エイナル様と目を見合せる。


前大公が何を仰りたいのか、エイナル様にも分からないご様子だった。



「儂がこうしてコショルーの地に隠棲させられたことに、……因縁を感じずにはおられなんだ」



と、ふり返られた前大公は、漂白されたような、えもいわれぬ表情を浮かべていた。



「……ご母堂、テレシア殿の幽閉は、儂がけしかけたようなものだ」


「え?」


「いや、直接手を下した訳でも、具体的になにか工作を仕掛けた訳でもない」


「は、はい……」


「ただ……、望んだのだ。敵国、バーテルランドに綺羅星のように現われた才媛の、退場を」



前大公の思わぬお話に、気が動転する。


キュッと、エイナル様が手を握ってくださり、見れば、やさしく微笑みかけてくださっていた。



「……巻き添えに幽閉された令嬢が、エイナルの夫人となり、戦争を終わらせ、ご母堂の血筋を根拠に即位し、……儂をこの地に追いやった」


「はい……」


「因縁……、因果応報。なんと言うべきか分からぬが、……儂は報いを受けたとしか思えぬ」



前大公の視線は、やわらく慈愛に満ち、そして深い後悔の色が窺えた。



「もはや、なんの力も持たぬ身ではあるが、せめて償いをさせてほしい」


「は、はい……」


「……なんでも問われるがいい。儂の知ることであれば包み隠さず答えよう」



エイナル様の手を、ギュッと握り返す。


呼吸を落ちつけようとするのだけど、なかなか鎮まらない。


ただ、エイナル様と同じエメラルドグリーンをした前大公の瞳を、見詰め返し続けた。

本日の更新は以上になります。

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