13.冷遇令嬢は義妹からも学ぶ
母国バーテルランド王国の宰相閣下が、慌ててエルヴェンに駆け付けられたのは、先日の父と義妹フランシスカの非礼を詫びられるためだった。
「……この重要な時期に、わが王国の侯爵が、あまりにも無配慮なふる舞い。私が下げた頭に免じて水に流してはいただけませんでしょうか……」
「どうぞ、頭をお上げください、宰相閣下……」
と、かろうじて微笑を浮かべて対応することはできている。
だけど、外の世界での経験に乏しいわたしでは状況を把握しきれず、混乱していた。
わたしは、その非礼を犯した侯爵の娘で、政略結婚で敵国に送られてて、でも、その敵国から総督代理に任じられてて……、えっと……、結局、わたしは何を答えたらいいの?
と、政務総監のクラウス伯爵に助けを求める視線を送ってしまった。
正直、敵味方の概念が、わたしの中でこんがらがってる。敵国のクラウス伯爵に、母国のトップへの対応を委ねるとか、自分でも意味が分からない。
冷厳な表情ながらに、軽くうなずきを返してくれたクラウス伯爵が、宰相閣下に向き直られた。
「宰相閣下のご誠意。しかと、承りましてございます。……所詮は些事。我らが王都に、この件は報告しておりません」
「おお……、クロイ伯爵。かたじけない」
と、宰相閣下が顔をお上げになる。
もちろん、わたしは初対面。
ブラウンの髪を品良くまとめられた細面。お母様と同い年の、今年40歳におなりのはずなのに、そうは見えない若々しいお姿だ。
やや神経質そうではあるけど、目鼻立ちの整ったお顔に、心から申し訳なさそうな表情を浮かべ、クラウス伯爵に目を向けられた。
「我らが心血注いだ和平交渉。くらだぬことで壊してしまえば、クロイ伯爵に申し訳の立たないところであった。総督代理閣下におかれましても……」
と、宰相閣下が、わたしに向けた目を大きく見開かれた。
「テレシア殿……」
宰相閣下は、お母様の名前を口にされ、呆然としていた。
「お初にお目にかかります。モンフォール侯爵が長女、……縁ありまして、エルヴェンの総督代理の任を受けました、コルネリア・モンフォールです」
「これは失礼……」
と、宰相閣下が威儀を正された。
「……宰相閣下は、お母様のことをご存知なのですね?」
「ええ。私と同世代の者で、テレシア殿のことを知らぬ者はおりません」
「そうなのですね……」
「それにしても、早速、総督代理に任命されるとは、さすがはテレシア殿のご息女と感服しておったところにございます」
憧憬にも似た、熱い視線。
きっと、宰相閣下が見ておられるのはわたしではなく、お母様、テレシア・モンフォールなのだ。
「お姉様には、いつも私が、王立学院で学んだことを教えていたからですわ!」
と、フランシスカが得意げな声をあげた。
「学のないお姉様が、役職をもらえるだなんて、おかしいんですもの。私、ずっと考えていて、ようやく分かったのです! 私のお陰だって! ね!? お姉様、そうでしょう!?」
「や、やめないか、フランシスカ。きょ、今日は詫びに来たのだ……」
と、父が潜めた声に狼狽を隠せず、宰相閣下の顔をチラチラ見ながら、フランシスカをたしなめた。
クラウス伯爵はわたしの顔色を窺うような視線向け、宰相閣下は露骨に顔を顰めた。
「だって、私は王立学院で34位の成績を修めた優秀な生徒ですのよ? その私が毎日のように、お姉様に教えていたのですから、私のお陰で間違いありません!」
経験のないわたしには、学院34位がどれほどのものか分からない。
けれど、宰相閣下の険しさと呆れの入り交じった表情から推し量ることはできる。
「ですから、私にもお父様にも罪はありませんわ! 宰相閣下がお姉様に頭を下げられる必要などないのです!」
この論理の飛躍こそ、わたしでは絶対にマネできないものだ。
先日も〈父侯爵が国王陛下から内密で相談を受けていることは、他国だから明かして良い〉と、奇怪な論理を展開していた。
他国にこそ漏らしてはいけないだろう。
雰囲気から察するに、母国で宰相閣下から相当な叱責を受けてこの場に連れて来られたはずだ。
だけど、フランシスカはめげてない。
奇妙奇天烈な自説を、得意げな表情で、得々と述べている。
――いったい……、わたしは何に、軟禁され続けて育ったのだろう……。
つい、遠い目をしてしまった。
目の前では、父が取り乱してフランシスカを黙らせようとするし、宰相閣下が睨みつけ、フランシスカはそれでも喚いている。
ただ、ひとつだけ確かなことは、フランシスカの目的が〈保身〉にあることだった。
自分は悪くないと、必死で訴えている。
思わず眉間にシワを寄せ、目を険しくほそめてしまった。
クラウス伯爵が、咳払いをひとつした。
「宰相閣下。……あとは、ご帰国された後に解決していただければと存じますが?」
「……誠に面目ない。この埋め合わせは、必ずきっと……」
と、宰相閣下が深々と頭を下げられ、退出して行かれる。
父は、フランシスカを引きずるようにして、その後に続く。
「だから、私は、お姉様を別邸から出すことに反対したでしょ~っ!」
という、フランシスカの悲鳴のような喚き声を残し、宰相閣下ご一行様は、嵐のように立ち去った。
いつも冷淡に見える表情のクラウス伯爵が、ハッキリと、明確に、心配そうな表情をわたしに向けた。
「どうされます? ……結婚式」
たしかに、その通りだ。
父からは、まだわずかに貴族としての体面めいたものを感じられた。
けれど、フランシスカは無理だ。両国和平を壊しかねない。
ただ、義妹欠席が和平のための政略結婚への異議であるとリレダル王国側の貴族に受け止められたら、政治問題化するだろう。
もし、戦争を継続したい勢力が存在するのなら、大義名分として利用されてしまうかもしれない。
「ありがとう……、クラウス伯爵。よく考えてみますわね」
エイナル様に義妹のことを話す必要に思いが至り、さすがに暗い気持ちになった。
わが義妹のことながら……、〈本物〉に分からせるとは、なんと難題なのだ。この解法こそ、お母様に遺してほしかった。
Ψ
それでも、フランシスカはいくつかの学びを、わたしに残していってくれた。
保身は、見苦しい。
わたしは、軟禁されることや、エイナル様からの優しさを失うことを恐れて、堤防工事の欠陥を指摘せずにいた。
保身だ。
そんな見苦しい女が、エイナル様の隣に相応しい訳がない。と、わたしは覚悟を定めることができた。
もうひとつ。
フランシスカが誇った学院34位がどれほどのものか、やっぱり分からない。
けれど、どれほどのものか、周囲が分かっていないのは、わたしも同じだ。
いや、わたし自身ですら、分かっていないのかもしれない。
わたしは、老博士に乞うて、堤防修復工事の図面を広げた。
「おお……、コルネリア様の方から課題をご提示くださいますか」
「せっかくエイナル様からいただいた総督代理という立場。経費も支給していただいております。せめて、このくらいは学ばせていただかねば……、と思い」
「うむうむ。……大河の縦断するリレダル王国において治水は常に重要課題。殊勝な心がけにございますな」
と、図面に描かれた工事の詳細を、解説していただく。
「博士。川のカーブでは外側の流れが速くなり、内側が緩やかになると、先日教えていただきましたわ」
「左様、左様。ふふふっ。退屈そうにされておっても、やはり、よく聞いておられたのですな」
「退屈だなんて……」
「よいのです、よいのです。私はコルネリア様の、そういう底知れぬところに……」
と、図面に視線を落とした老博士が、黙り込んでしまわれる。
顔色が変わった。伝わった。
図面通りの角度で堤防を修復すると、増水時に水の勢いをうまく逃がせない。
負担がかかり過ぎる箇所があって、堤防は決壊する可能性が高い。
老博士が、ニヤリと笑われた。
「コルネリア様は、この老木が気付いたことにされたいのですな?」
「わたしが総督代理として命じるよりも、博士からの進言である方が、丸く収まることもありましょう。……もちろん、一般論ですけれど」
わたしが微笑むと、老博士は気持ち良さそうに笑われた。
修復工事は、ただちに中断された。
老博士が、政務総監のクラウス伯爵にご進言くださったのだ。
ふだんは王都の王立学院で権威あるお立場にある、老博士からのご指摘ということで、ことはスムーズに運んだようだ。
エルヴェン総督府に所属する技師たちの、プライドを傷付けることもなく。
そして、夜中のテラスで、カリスからたくさん褒めてもらって、自分の心をどうにか落ち着けることができた。
お母様から授かった学問を表に出すことが、こんなにも、わたしの心に負担をかけるのだということに、初めて気が付いた。
遊覧船の事業計画の時は、それとなく示唆することで、有能で敏腕なクラウス伯爵がどんどん進めてくれたので、むしろ、わたしが心の中で完成させていたものより、よい計画になった気がする。
これには心を躍らせていた。
だけど、今回は、かなり直接的に指摘したのだ。わたしにしては。
「大丈夫よ。……こんなことで、誰もネルを閉じ込めたりしないわ」
カリスの言葉に、ようやく肩から力が抜けていった。
そして、遊覧船事業の開業の日。
ついに、エイナル様が、エルヴェンの総督府にご到着された。




