128.冷遇令嬢はみなに支えられる
カルマジンを発ち、漁港の港町に入る。
穏やかな支流の流れに白い息を吹きかけながら、軍船の到着を待った。
粗末でいまにも崩れ落ちそうだった桟橋は補強され、この地も徐々に暮らしやすくなっている様子が窺えた。
〈柳のじいさん〉と呼ばれる老爺は、今日も子どもたちに飴を配っていた。
「ちゃんと歯を磨くんだぞ?」
「はーいっ!」
元気だけは良くて、聞いてるのか聞いてないのかよく分からない子どもたちの返事に思わず笑ってしまう。
老爺と目が合うと、シワだらけの顔をほころばせ、かるく頭をさげてくれた。
歩み寄り、椅子に腰かける老爺に膝を折った。
「お元気そうで、なによりですわ」
「ははっ。……身体が頑丈なことだけが取柄で、いっこうに冥府からのお呼びがかかりませんで困っております」
「まあ。そんなことを仰らず、いつまでもお元気でいてくださいませ」
この地も王領伯の統治下にあった。
理不尽な行いも目立つ役人たちに、老爺は敢然と立ち向かい、意見すべきは意見し、集落の者たちの盾となってきたそうだ。
義侠心に富む行いは、メッテさんたち無頼の生き様にも通じるものがある。
もっとも、メッテさんは、
『私らなんざ、見栄っぱりなだけで、ちょっとマシ……、な方の無頼だな!』
と、笑う。
けれど、王権が民を虐げるテンゲルの暴政下においては、こうした行いを、どれほど皆が恃みにしたことだろう。
役人から煙たがられたら、ありもしない罪を着せられ、投獄されたかもしれないというのに。
人知れず民を守ってきた老爺のような者たちを労い、肩の荷を降ろしてもらいたい。
やがて、港に小舟が集まってくる。
この地の桟橋に、軍船は着けられない。わたしたちを運んでもらうよう依頼していたのだ。
褐色の肌に白い歯を輝かせる船乗りのラヨシュが、屈託のない笑みで頭をさげた。
「ご用命、ありがとうございます」
「いえ、助かりますわ」
実を言えば、一度、ラヨシュたちの小舟にも乗ってみたかったのだ。
騎士たちが検分している間も、エイナル様の腕に手をかけ、ソワソワと小舟を眺める。
ラヨシュが照れ臭そうに、鼻の頭を掻いた。
「女王陛下にお乗りいただけるなど、子々孫々に渡って語り継げる誉れです」
「ふふっ。……漁具は降ろしてくれてるのね?」
「はい……。あっ、お礼が遅れてしまいましたが、陛下からお伝えいただいた網の改良で、ずいぶん漁が楽になりまして……」
「……水揚げはどう?」
「ええ、そこそこ上がっております」
「そう……」
「……この辺りは、あまり良い漁場ではありませんから」
だからこそ手間賃を稼ぐ、小舟での運送が発達したのだろう。
けれど、商業が発展すれば、いずれは効率的な輸送船が運航し始めるだろう。道路の改良も進めているので、やがては陸上輸送もライバルになる。
それまでには、ラヨシュたちの生活が成り立つよう、なんらかの方策を見付けたい。
ジッと支流の河面を見詰め、考え込む。
やがて、下流側から軍船が姿を見せた。
「ラヨシュ? ……いっそ、この地の者たちで大きな輸送船を運行させる……、という考えはないのよね?」
「申し訳ありません……。俺たちは、やはり漁師なんです。いけるところまでは、親から受け継いだ小舟で食っていければ……、と思っております」
「そうね……」
大切にしてる生き方を、王権で曲げさせるようなことはしたくない。
けれど、繁栄から取り残される民も出したくはない。
大きな宿題をもらいながら、エイナル様に手を引いてもらい、ワクワクと小舟に乗り込んだ。
ギィ~、ギィ~と、ラヨシュの漕ぐ櫂の音には風情がある。
――川遊びの観光地に……?
などと考えながら、褐色をしたラヨシュの逞しい腕の動きを目で追う。
『……不当な裁きも全部、調べ直していただきたいのです』
最初に出会ったときのラヨシュの言葉を思い出す。
準備を進めていると伝えたいのだけど、それは水没文書が実は焼失していなかったと教えることにもなってしまう。
正体不明の闇の勢力。どこに目があり耳があるのか分からない。
善良に生きる、ラヨシュや老爺たちに迷惑がかかるようなことがあってはいけない。
グッと我慢して、河面に視線を移した。
エイナル様におんぶしてもらい、軍船に乗り込む。
微笑ましく見守ってくれるラヨシュたちの視線が、すこし気恥ずかしい。
「ありがと~! 帰りもよろしくね~!」
すこし頬を紅くして、甲板の上からラヨシュに手を振った。
Ψ
コショルーに向け、軍船は最速で遡る。
かつてのテンゲル動乱平定のための旅は、期せずして母テレシアのルーツを訪ねる旅と重なった。
今度は、お母様に代わって、祖母レナータを裁く旅になるのだろうか。
よく晴れ渡った冬空の下、甲板で流れゆく景色を眺めた。
エイナル様が腰に手を回してくださる。
「……前は雨期で、景色を楽しむ余裕もなかったからね」
「ええ。……とても、キレイですわね」
「だけど、身体が冷えちゃうよ?」
「ふふっ。そうですわね」
エイナル様のやさしげなお顔を見上げ、船室に入った。
ナタリアの故郷、フェルド伯爵領で船を停め、醸造所のジイちゃんに顔を見せた。
「はははっ! 女王陛下になっちまったっていうのに、義理堅い孫娘だな!?」
「へへへっ。……どう? サジー酒の売れ行きは?」
「ああ、コルネリアのおかげで順調だ。ほんとに自慢の孫娘だよ」
と、ジイちゃんは、わたしの頭を撫でた。
自慢なのは、わたしの方だ。
女王から『祖父と孫娘の付き合い』を許されても、それを嵩に着ることもなく、淡々と営みを紡ぎ続ける。
へたな貴族などより、よほど高貴な生き様だ。
まったく。ジイちゃんの爪の垢を煎じて、祖母レナータにお腹いっぱい飲ませたい。
「あらあら、これはこれは。女王陛下、よくぞお越しで……」
と、エプロンで手を拭きながら出てきてくれたのは、お母様とテンゲル王都の酒場で同僚だったヴェラだ。
ヴェラは動乱平定後も王都には戻らず、醸造所で働くことを選んだ。
両手を合わせて、再会を喜びあった。
「……逞しい騎士様の馬の後ろに乗せてもらって、ギュウッと抱き付いて、女王陛下をご案内した。私の一生の自慢ですよ」
「ふふっ。あのときのヴェラの働きがあればこそ、いまのテンゲルの平和があるのよ? 誇りにしてもらえると、わたしも嬉しいわ」
母テレシアの通ったあとには、誇り高い人たちしかいない。
みな、偉そうぶらず、とても謙虚。
動乱平定の勲功に褒美を授けようとしたら固辞されて、押し付けるようにして受け取ってもらったのは、ほぼ記念品だ。
日々の暮らしに戻り、会えば笑顔で出迎えてくれる。
そして、わたしの立場を慮り、差し出がましいことを言ってくることもない。
それが、どれだけわたしの名声を高めていることか。
――さすがは名君、コルネリア陛下のもとで功をなした者たちよ。
と、わたしも一緒に褒め称えられる。
みなに支えられて、わたしはどうにか女王をやれているのだと、感謝の気持ちを新たにした。
わずかな時間だけど、思い出話を楽しんで、醸造所をあとにする。
軍船は峡谷を遡上し、岩肌の切り立つ絶景に目を輝かせた。
「グレンスボーを思い出しますわね」
「ふふっ。……グレンスボーの峡谷の方が見応えがあるけどね?」
「まあっ。エイナル様ったら……」
エイナル様の逞しい胸に身体を預け、微笑みながら景色に見惚れた。
やがて、コショルー公国領に入り、炭焼きの村が見えてくる。
その対岸。テンゲルとの国境沿い。コショルー公国としては辺境の地に、前大公の隠棲所が建っている。
小舟を降ろし、まずは前大公との面会に臨む。
わたしの『複雑な事情』を、ひとつずつ紐解いていく。
本日の更新は以上になります。
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