127.冷遇令嬢は初めて頼み込んだ
宵闇が、カルマジンの盆地を包む。
「……遅くなりました」
「いや、かまわない」
カリスと分担していた緋布交換の決裁作業は、わたしひとりに集中している。
勢い、サウリュスの前に座るのが、普段よりも遅れてしまった。
けれど、サウリュスは文句を言うでもなく、いつも通りに物憂げな表情で、ただ黙々と絵筆を運ぶ。
宵闇が夜闇に向かう、静かな時間。
クランタス王から明かされたサウリュス出生の秘密。本人が口にしない以上、わたしからかけるべき言葉はない。
さすがに、警護は手厚くした。
でも、サウリュス本人はどこ吹く風だ。
サウリュスとクランタス王の父君、クランタスの先代王は、妾腹かつ第4王子の生まれだったそうだ。
街の娘と恋に落ち、駆け落ち同然に結婚したけれど、誰も文句をつける者もなく、海辺の漁村で幸せに暮らした。
だけど、海の向こうからもたらされた新種の流行り病が、クランタスの王都を襲う。
王太子以下、第2王子、第3王子、さらには王弟までもが次々に病没。
時をおかず、父である先々代王も病に冒され、明日をも知れぬ身の上となる。
第4王子が急遽、王宮に呼び戻されたとき、身重の奥さんは王位を継ぐことになる夫の将来を思って姿を消した。
即位し、有力貴族から王妃を迎え、生まれたのがクランタス王、イグナス陛下。
存在自体が正史から抹消された元の奥さんから生まれたのが、サウリュスだ。
「……されど、父王は妾腹の第4王子という生まれ。宮廷からは侮られ、治世は困難を極めました」
とは、クランタス王の弁だ。
それでも王妃を愛しみ、王太子イグナスを可愛がり、帝王学を学ばせた。
「ですが、……私を見る父王の視線が、どこか他の誰かを見ているように感じていた意味が理解できたのは、死の床でサウリュスのことを打ち明けてくれたときです」
「……イグナス陛下のご心痛たるや」
「いえいえ。かえってスッキリとしたものです」
「まあ……」
「私に注がれた父王の愛情を、本当に受けるべきだった兄がいる。父の視線の謎が解けて、むしろ安堵いたしました」
「……心がお強いのですね」
「ふふっ。……謎を謎のままにしてはおけない性分を、どこで育んだのか、誰から受け継いだのか、自分でも分かりませんが」
イグナス陛下は即位後ただちに、父王を侮っていた貴族たちを粛正。逆クーデターともいえる政変劇で宮廷を掌握された。
直情的なイグナス陛下らしい、激しい治世のはじまり方だ。
「……私は、父を愛しておりましたから」
「ええ……」
そして異腹の兄を探し出し、王兄殿下としての待遇をもって迎えると勅使を発し、
「いらん」
と、にべもなく断られた。
母ひとりに大切に育てられたサウリュスは、自分の生まれを知らなかった。
長年のご苦労が出たのか、愛した先代王の後を追うようにして早逝された母君を葬い、ちょうど絵筆を片手に旅に出ようとしていたところだったそうだ。
「いや、何度勅使を送っても返事は変わらないし、旅には出かけてしまうしで……」
「はははっ」
「行く先を探りあてては勅使を発し、その度に、しかめ面をした勅使が帰ってくる」
勅使からすれば『いい話』で『恐れ多い話』を告げに行ったつもりが、わたしの知るあの調子で追い返されては、
――そりゃ、しかめ面にもなりますわよね……。
と、笑いをこらえた。
その場にいなくても腹筋を鍛えさせるとは、やはりサウリュスはただ者ではない。
なんて考えつくものだから、ますます腹筋が鍛えられた。
「……とうとう、近侍の者たちが皆、勅使を嫌がるようになり、私自身で迎えに行って……」
「モデルになられたのですね?」
「その通りです」
即位後であろうと、宮廷を掌握していようと、王とは無条件に盤石な地位ではない。
王政においてライバルともなり得る異腹の兄に、ここまで礼を尽くしたクランタス王の情熱も尋常ではない。
それだけ亡き父王を敬仰し、どうしても遺勅をかなえたかったのだろう。
弟は無言でモデルを務め、兄は無言で絵筆を走らせる。
「……不思議と、分かり合えたのです。お互いの大切にしているものが」
クランタス王は、しみじみと、けれどまだ納得はいってないという表情で笑われた。
サウリュスの描いたクランタス王の肖像画は、画壇でも高く評価され、身分を伏せていても、宮廷画家への登用に異論は出なかったそうだ。
わたしの与えた30分を片時も無駄にしないようにと喰い入るように見詰め、絵筆を走らせ、ときには奇妙な踊りを披露してくれるサウリュスは、やはり偉大な画家だったのだ。
なかなか理解されにくいその生き様を、王位にある異母弟がまず最初に認めた。
これはこれで、幸福な兄弟の形なのではないかと考えさせられる。
人はみな、人から生まれる以上、様々な事情を抱えて生を受ける。
無頼の道を選んだメッテさん、ゲアタさんを例にひくまでもなく『複雑な事情』を持つことは、決して特別なことではない。
共感を覚えるのは、サウリュスだ。
母ひとり、子ひとりで育った境遇には、どうしても自分の生い立ちを重ねてしまう。
いつか、亡き母君への想いを打ち明けてくれることがあるだろうか。
尊敬するのは、イグナス陛下だ。
結果どんな絵が仕上がるのかも分からない時間、無言に耐えて座り続けた。
あのご気性だ。いくらでも語り合いたいことがあっただろう。けれど、サウリュスの意志を尊重し、黙ってモデルを務めた。
言葉なきままに、離れて育ったご兄弟の時間を埋められた。
「時間だ」
ルイーセさんの声に、ハッと我に返る。
サウリュスは物憂げに、難しい顔をしてキャンバスを睨みつけていた。
――そこに描かれてるの……、わたしなのよね?
と、苦笑いしながら席を立つ。
たぶん初めて、サウリュスの前に座っている時間を短く感じてしまった。
気恥ずかしさはどこかに消え、この類稀なる目を持った画家が、わたしをどう描こうとしているのか、純粋な興味が湧く。
「明日も、楽しみにしておりますわ」
「……ん」
と、億劫げに返事するサウリュスを、なぜか微笑ましく思いながら、アトリエを出た。
その晩。わたしは初めて、エイナル様に頭を下げて頼み込んだ。
「決裁作業を手伝ってください」
「ん~、いいけれど……」
「……時間を、つくりたいのです」
翌朝から、エイナル様はわたしの頼みを聞いてくださり、一緒に執務室に籠る。
ばあやとウルスラが助手についてくれて、次々に持ち込まれる書類を片付ける。
ウルスラはまだ緊張気味だし、仕事を覚えるので必死だけど、ばあやの指導をよく聞いて、一生懸命にやってくれている。
おなじく侍女見習いに登用したゲアタさんには、行宮でナタリアを手伝ってもらう。
レーエン子爵による水没文書の復元作業は続いており、港湾記録以外の文書との照合作業も始まった。
チラッと様子を窺ったけれど、普段は飄々とした風情のゲアタさんを、ナタリアも気に入ったようで作業は順調だ。
時折、王都のメッテさんから早馬が届くと、わたしに報告に来てくれる。
クラウスをワンクッション挟まない分、決断を迅速に行える。折り返し、わたしからクラウスとメッテさんに指示を出す。
ただ、無頼のゲアタさんには慣れない書類仕事で肩が凝っているようだったので、ばあやにマッサージをお願いしたら、
「ふおおぉぉぉ! なんじゃこりゃあ!」
と、感激してくれて、みなで微笑んだ。
徐々に的が絞られつつあるとはいえ、ナタリアとゲアタさんにお願いしてるのは、地道で先の見えない作業。
明るい雰囲気を保つことが大切だ。
エイナル様も泰然と微笑まれたまま、次々に決裁作業をこなしてくださる。
わたしやカリスの仕事ぶりは、
――シュシュシュシュシュシュシュッ!
という感じ。
だけどエイナル様は、ゆったりと構えられているのに、いつの間にか終えられてる。
王者の大度とはこのことかと、目を輝かせた。
よく考えたら、同じお部屋で一緒にお仕事させてもらうのは、たぶん初めて。豪雨対応のときはリレダル王国の端と端にいた。
旦那様の仕事ぶりから、見て学ぶ。
そして、手元の決裁案件の処理を、すべて終える。次の便が来るまでしばらく時間をつくることが出来た。
「……いまは、カリスにお願いしてる、秘密協定交渉の結果待ちです」
「うん、そうだね」
と、エイナル様はやさしく微笑んでくださった。
「コショルーに行くつもりだね?」
「はい。……イグナス陛下に学ばせていただきました」
サウリュスの無言を、イグナス陛下はご自身も黙って受け止められた。
直情的で、ともすれば短兵急ともいえるイグナス陛下にとっては苦行にも等しい時間を過ごし、サウリュスと理解し合われた。
わたしは、祖母レナータの罵詈雑言をこの身をもって受け止めるしかない。
それで、一片でも理解し合えるところを見いだせるのなら、とても幸福なことであるし、絶対に無理だと諦めがつくのなら、それもでもいい。
そして、念のため、コショルーに隠棲させた前大公にも面会を求める。
恐らく、闇資金については、何も証言されないだろう。それでも、実際にお会いして一応の結論は得ておきたい。
「……お義祖父様には、エイナル様と遊びに行くとお約束しておりましたし」
「うん、そうだね。きっと喜ばれると思うよ」
エイナル様と祖父前大公の間にも、わたしには理解し切れない『複雑な事情』で、不思議な信頼関係がある。
敵対し合いながら、尊敬し合ってもいる。
水軍基地から軍船を回してもらい、わたしは再び、お母様の祖国、コショルー公国の地に向かう。
本日の更新は以上になります。
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