122.冷遇令嬢はたまらず握り締めた
亡き父王が最期の枕元で、涙ながらに遺した密勅により、クランタス王は即位後すぐに、不遇の身にあった兄を探し出した。
兄はすでに画家として生きると志を立てており、王家への復帰を望まなかった。
弟は父王の遺勅を果たすため、また、せめてもの償いとして、兄に宮廷画家の地位を与えた。
クランタス王が、ペチンと顔を打って両目を覆い、口元には大きな笑みを浮かべた。
「いや、しかし……、よもや、あれほどまでに気難しく、面倒くさいとは思いもよらず……」
「ははっ……」
「宮廷画家にしても、こちらから頼みに頼んで、ようやく受けてくれたのです」
「サウリュス殿らしい……」
思い返せば、サウリュスが自らの宮廷画家としての地位を誇ってみせたことは一度もない。
ただ本人が、本人の責任において、なんともいえず〈偉そう〉なのだ。
「……しかも、私がモデルになることを条件に出されて、延々と座らされまして」
「あら、イグナス陛下もですの?」
「コルネリア陛下が1日30分に限定されたとお伺いし、そうか! その手があったか! と……」
「ふふふっ」
クランタス王とふたり、サウリュスの億劫げな顔を思い出しては、ククククッと思い出し笑いを響かせた。
「……アレはまさに美の奴隷。美の前には王権ですら些事雑事。……不遇を憐れんでいたこちらが卑小に思わされます」
「ええ、分かりますわ」
重ねて苦笑いを交わし合う。
「……しかし、目は確かです」
「それも、よく分かります」
父王が最期の床で打ち明けるまで、クランタス王は異腹の兄の存在を知らなかったそうだ。
充分に大人になり、国王の地位に就いてから巡り会った兄。
どのように出会い、どのように関係を築いたのかは分からない。ただ、全幅の信頼を置いていることが伝わる。
「その、わが兄、サウリュスの目を虜にしてやまないコルネリア陛下であられるからこそ、私の想いを伝えたい」
「……はい」
窓辺に立たれていたクランタス王は、わたしの前に座り直し、威儀を正した。
「密貿易とは、まっとうに生きる民が得るべき富を窃取する盗賊の行い。断じて許す訳にはいきません」
「はい。……強く共感できますわ」
「……しかし、旧テンゲル王政下で闇に消えた不正利得の行方を追うためには、兵を挙げるほかなかった」
外交交渉が行き詰まれば、戦争にいたる。
国境の壁、王権の壁を超えるためには、戦争で屈服させるほかない。……と、考えるのが王というものだ。
だけど、クランタス王は踏みとどまった。
「……リレダルとバーテルランドですら30年も戦い、結局は痛み分け。勝敗はつかず、いたずらに民を傷付けたとも言える」
「ええ、お言葉の通りかと」
「その間、むしろ闇資金の流れは強くなったようにさえ思えます」
クランタス王国における、密貿易組織の調査結果を簡潔にお教えくださる。
ふたりで、眉間にシワを寄せ合った。
闇は、テンゲルだけを覆っているのではない。
「……残念ながら、クランタス一国の手には余ります」
「はい」
「必要なのは、王に王たる者」
「……え?」
「ふふっ。……飛躍し過ぎなのは、重々承知しております。ですが、そうでもしなければ、国境をまたいだ資金洗浄の謎は解けないというのが……、私の結論です」
王に王たる者とは、皇帝を指す言葉だ。
ようやく、クランタス王が厳重なる秘密会談を求めてきた意図が読めた。
「大河流域国家の統一。……は、ずいぶん先の話としても、まずは互いに王権を委譲し合い、闇組織に対抗する」
「はい……」
「大河委員会、大河院には、その〈装置〉としての可能性があります」
クランタス王はグッと身を前に乗り出し、麗しいお顔で強くわたしをのぞき込んだ。
「コルネリア陛下が、テンゲルで不正解明に乗り出されているこの機を逃したくないのです」
「お、お考えは、よく理解できます」
加盟各国が大河院に機密情報を提供し、犯罪組織を解明して一網打尽にする。
その秘密協定の締結を、クランタス王国の大河委員会条約加盟の条件とされたのだ。
いまの時点では、加盟国同士が直接に機密情報を共有できるほどの信頼関係はない。そんなことをすれば、各国の宮廷が黙ってはいないだろう。
なので、大河院を挟んで統括させる。
また、闇組織に対抗するなら、協定の存在自体を秘密にした方が良い。
考えは分かる。
ただそれは、大河委員会議長、大河伯であるわたし個人に、絶大な権力が集中するということでもある。
まさに、皇帝にも等しいほどの……。
「テンゲルの女王であり、リレダルの宮廷序列第4位、バーテルランドの王政顧問。まさに奇跡のようなコルネリア陛下の存在があればこそ、私の夢を託したい」
「……大河流域国家の統一、ですか」
「そうです。戦争によらない統一です」
クランタス王の返答は、シンプルで力強かった。罠や駆け引きが潜んでいるようには思えない。
ただ、いくらなんでも重すぎる。
テンゲル一国を率いるだけでも、これだけ苦労しているのだ。
大火の犯人はおろか、逃亡したデジェーの行方さえつかめない。王領伯が供述を拒み続けるのは、わたしより闇組織が恐いからだ。
たとえリレダル王とバーテルランド王が賛同してくれたとしても、果たして、クランタス王の期待に応えきれるのか……。
自分に自信がない。
「……統一は見果てぬ夢としても」
「はい……」
「まずは不正に一致協力して対抗する。わがクランタスにはその用意があるということです」
歓迎晩餐会の時間が迫り、正式なお返事はクランタス王がテンゲルを離れる時とさせてもらった。
この秘密会談は、正史に残らない。
もし残るとするなら『クランタス王が大河流域国家征服の謀議をテンゲル女王にもちかけた』と記されるかもしれない。
それほどに、この話はきな臭くもある。
ただ、不正根絶にかけるクランタス王の並々ならぬ熱意だけは、よく伝わった。
わたしを皇帝――女帝に推し上げ、自分は臣従する王になったとしても、不正の闇を晴らし、民を豊かにしたい。
手段はともかく、その強い想いに共感できない訳ではない。
晩餐会の末席で木炭を走らせるサウリュスの姿を認め、
――麗しい容姿に、直情的な情熱。方向性は違っても、そっくりな兄弟ね。
と、苦笑いした。
Ψ
寝室で、エイナル様とステップを踏む。
明日のデビュタントでは、わたしもダンスを披露しないといけないのだけど、あまり練習の時間がとれていなかった。
手を握り合い、腰に手を回していただき、クランタス王からの提案を聞いてもらう。
「……コルネリアに向けるあの視線は、そういうことだったのか」
「え? ……お気付きでしたの」
「あ、いや……。他人の奥さんを、ずいぶん熱い視線で見る男だなぁ……、って」
「あら……、やきもちを焼いてくださっていましたの?」
「……そういうことになるかな?」
「ふふっ。ごめんなさい。そんな方とふたりきりになったりして」
「いや、それは公務だし……」
たまらずキュッと手を握り締めると、エイナル様のステップが乱れた。
「きゃ」
と、そのままベッドに倒れ込んで、天蓋を眺めてふたりで大笑いした。
エイナル様の手は、わたしの手を握り締めたまま。強くもなく弱くもなく、包み込むように握ってくださる。
「ボクがこの手を放すことはないから……」
「え?」
「ほら、転んでも放さなかったでしょ?」
「ふふっ。ほんとですわね」
「……明日、みんなの顔を見て、よく考えてみたらいいよ」
明日は、各種ギルドで開催される祝祭を回り、最後に王宮でのデビュタントに臨む。
まさに〈みんな〉の顔を見ることになる。
「……そうですわね」
こんなに迷うのは、お母様から授けられていた学問を、世に明らかにするかどうか悩んだとき以来だ。
女王即位ですら、こんなに悩まなかった。
フェルディナン殿下から大河伯への就任内定を告げられたとき。我を見失うほどに動揺し、悩んだ。
あのときもエイナル様は、わたしの手をやさしく握り締めてくださった。
きっとこの手を放さない限り、わたしが道に迷うことはない。
ギュウッと握り返し、そのままエイナル様の胸の中で、眠りに落ちていった。
本日の更新は以上になります。
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