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119.冷遇令嬢はウキウキと待っている

新年の祝賀を終え、王都を発つ。


作業場に火を放った犯人は、まだ見付からない。警戒していた陰働きの騎士たちの目をくぐり抜けた犯行。



「相当な手練れだろう」



というのがビルテさんの見立て。


犯行経路の特定を急ぎ、まずは再発の防止を優先している。


メッテさんからは、



「……余所から流れてきた人夫が数人、姿を消している」



という報告が入っているけれど、もともと荷役人夫は出入りが激しい。


取り急ぎ、王都以外の港湾で行方を追う。


ただ、新年の祝いが盛り上がったこともあり、街には動揺も混乱も見られない。


王政が盤石であると示すため、わたしは予定通りカルマジンに戻る。


わたしがカルマジンに詰めることは、不正に対し、断固たる姿勢を示す意味がある。


同時に、いつまでも本拠を僻地であるカルマジンに置くことは、不正追及の行き詰まりを象徴することにもなっている。


ゆるゆると、景色を楽しむようにして、支流沿いを進むのは、



――女王は、不正追及に飽き始めた。



との噂を呼ぶだろう。


作業場、そして水没文書の焼失によって、テンゲルに滞在する意味を失くさせてしまったレーエン子爵を労いながら、ゆっくりと隊列を進ませた。



「ほう。……小舟の河川運送。テンゲルならではの風景ですな」


「彼らが得るのは、運送の手間賃のみ。けれど、僻地の生活を支えております」



港町の船乗り、ラヨシュの漕ぐ小舟が見えた。精悍な身体つき。なかなかの重労働で、厳しさを増す寒さの中でも薄着だ。


知識に貪欲な点において、レーエン子爵ほど気の合う相手はいない。



「……バーテルランドにおいても、山間部では僅かに残る風習です」


「あ、そうなのですね!」


「産業に乏しく、水揚げの少ない漁師たちの収入源になっていると……、たしかボレン博士の遺作に記述が」


「ボレン博士! ……お母様が僅かな王立学院時代に教えを受けたと聞いています」


「そうでしたか。僻地調査に精通され、人文地理学、とりわけ経済地理学の分野において功績を遺された偉大な博士です」



遺作ということは、きっとお母様が目にすることはできなかった。わたしも教えを受けていない。


お母様のありし日を偲びながら、ラヨシュの逞しい背中に、バーテルランドの山間部を想像して、思い描く。



「……いつか、この目で見てみたい場所ばかりが増えていきますわ」



エイナル様の馬の前に乗せていただき、背中を預けて、まだ見ぬ地に思いを馳せる。


こうして目を輝かせていると、エイナル様がピクリとされることはない。一緒に目を輝かせ、楽しげに馬を進めてくださる。


やきもちを焼いてくださるのは可愛らしくてたまらなくなるのだけど、不快に思ってほしい訳ではない。


エイナル様と同じものを見て、一緒に楽しめる時間こそ、わたしにとっての至福だ。



「……大河伯として豪雨災害を乗り越えた後は、様々な学問の最新の研究に触れるつもりでおりましたのに……」


「ふふっ。テンゲルが治まれば、そんな時間も取れるようになるよ」


「そうですわね。……春にはすべてに区切りをつけて、ブロムの創建祭に出席、そして大河院に入って雨期に備えなくてはいけませんし」


「逆に時間が取れるんじゃない? リレダルに戻れば」


「ほんとですわね! ……春が来るまでに出来る限りのことをやって、それでダメなら、一旦は終わりにして次に進まないと」



新年の祝賀に火を放つという、わたしの治世に対する明確な挑戦と脅迫を示してきた、まだ正体の見えない闇の勢力。


わたしは春で不正追及を打ち切るつもりだと、ほのかに噂になっていけばいい。


王宮の水没文書が失われた今、噂は真実味をもって広まるだろうし、活気づく王国全体の経済のなかで過去の不正は忘れられていくと、皆が思うだろう。


その間、わたしはカルマジンで息を潜めて、王国全体の動きを見詰める。


僻地にありながら、華々しいデビュタントの準備に夢中な女王を演じる。


もちろん、デビュタントはデビュタントで楽しみで仕方ない。



「えっ? ……私もですか?」


「もちろんよ。だって、まだだったでしょう? ナタリアのデビュタント」


「それは、そうですが……」


「ふふっ、楽しみね。ああ……、ナタリアにはどんなドレスが似合うかなぁ~」



と、ナタリアもデビュタントに参加させることにした。


フェルド伯爵のご令嬢でもあるし、色っぽいナタリアは、きっと注目の的だ。



「えええっ!? ……私も?」


「当たり前じゃない、カリス」


「でも……、私、歳が歳だし……」


「なに言ってるのよ。カリスはわたしとおない年だし、それは不敬というものよ?」


「ネ、ネルは結婚してるじゃない……」


「だから、カリスは独身でしょ?」



と、カリスも参加させる。


デビュタントを迎えたご令嬢は、貴族社会で恋愛の対象になったことを意味する。



「カリスは仕事も出来るし、宮中伯もわたしの侍女長も、大河委員会の事務局総長も務めてくれてるし、こんな機会でもないと、……縁談が来ないわ!」


「そんな……、行き遅れの令嬢にやきもきする母君みたいなことを……」


「なんだ、分かってるじゃない」


「……ネル、本気なの?」


「もちろん、本気よ」


「……、え~っ。いまさら~?」


「ふふっ。カリスにはお世話してもらってばかり。わたしもたまには、カリスのお世話をさせてよ。……お友だちでしょ?」


「もう……、仕方ないわねぇ」



と、苦笑いして頷いた、カリスの参加も決めた。


カリスは、バーテルランドの男爵家の遠い分家の生まれだ。元々は貴族の遠戚というだけで、ほぼ平民といっていい出自。


自分のデビュタントなど考えたこともなかったようで、心なしかウキウキ、ソワソワとしてくれてるのが、すこし嬉しい。



「カリス!!」


「な、なによ……。急に大きな声で……」


「……念のために言っておくけど、わたしの治政に役立つ縁談を……、なんて政略結婚みたいなこと考えたら、絶対ダメよ?」


「う……」


「う……、って、やっぱり考えてたんじゃない」


「そりゃ……、いまの私があるのは、全部、ネルのお陰なんだもの。そのくらいのことは……」


「ダメ。絶対ダメ。……カリスには、本当に好きになった人と結婚してほしい」


「……ネルだって、政略結婚だったくせに」


「最初の最初のいちばん最初に、グレンスボーで、カリスがわたしに言ってくれたでしょ? エイナル様は〈あたり〉だって」


「言ったけど……。懐かしいわね」


「だから、わたしはいいの。だけど、カリスは自分の結婚を道具にするようなことしたら、絶対ダメ! ……わたし、心からお祝いできなくなっちゃうわ……」


「もう……」



と、カリスが、わたしの頭を撫でてくれた。



「分かったわ」


「……お願いね、カリス」


「いい人に巡り会えなくて、一生独身だったらネルのせいだからね?」


「あ、なんかズルい」


「ふふっ。どこかの物好きに巡り会えるように、ネルも祈っててね」


「分かった! ……分かったも失礼か」


「失礼よ」



と、笑い合った。


カルマジンに到着しても、どこか浮ついた空気を漂わせながら、行宮に入る。


瓦礫の山が積んであるのは申し訳ないけれど、レーエン子爵と作業員の皆さまの宿舎に行宮をあてがうことにした。


大半がハリボテでも、カルマジンでいちばん上等な建物であることに違いはない。



「……前庭の景色はともかく、中の設えはそれなりです。バーテルランドに帰国される前に羽根を伸ばしていただければ」


「お気遣い、痛み入ります」



ニヒルにも見える笑みを浮かべたレーエン子爵と作業員たちを、行宮内の謁見の間へと、わたし自らが案内していく。


もっとも奥にあり、警備のしやすい場所。


内装はともかく、構造は堅牢につくられていると確認済みだ。


火攻への備えも新たに施した。


ガラス玉混じりのシャンデリアの下。瓦礫と一緒に密かに運び込んだ、水没文書が厳重に保管してある。



「……申し訳ありません。こんな僻地に押し込めての作業になってしまい」


「なに。目移りするものもなく、作業が捗りますよ」



作業員たちが手早く着替え、さっそく復元作業を再開してくれる。


レーエン子爵が口の端をあげた。



「……しかし、コルネリア陛下のご慧眼。感服するばかりにございます」


「恐れ入ります。なにとぞ、よしなに」



狙われるなら水没文書だろうと気が付いた時点で、秘密裏に移送を始めていた。


知恵比べは続いている。


港湾記録を復元してもらい、おなじく行宮で作業を再開させたナタリアが探り当てた、不審な商会のリストと突き合わせる。


闇の輪郭が、浮かび上がってくるはずだ。


わたしはデビュタントの準備にウキウキとしながら、それを静かに待つ。

本日の更新は以上になります。

お読みくださりありがとうございました!


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