117.冷遇令嬢の前に姿を現す
王宮に入り、目立たない服装に着替えさせてもらった。エイナル様と王都の市街にお忍びで、ウキウキと出かける。
民も貴族も新年の祝いを尊ぶのが、テンゲル王国の風習だ。
復興の途上にある王都の街も、新しい年を迎える準備で賑わっている。
行き交う皆の表情が活き活きとしているのが、なにより嬉しい。
お忍びといってもルイーセさんも護衛の騎士もついてるし、公式の視察ではないというだけ。皆が温かい言葉をかけてくれる。
「おっ……、これは陛下。わざわざのお運び……」
「今日はお忍びです。そのまま、そのまま……」
と、わたしが微笑みかけたのは、肉の串焼き屋の主人だ。
かつては、洪水被害で親を失った孤児のエマたちによくしてくれた。
店舗が再建されたと聞いていたので、足を運び、お祝いの品を渡して、店内でエイナル様と肉の串焼きを頬張る。
「ん~! この味ですわね」
「うん、やっぱり美味しいね」
「あっ! こちらは新しい……、食べたことのない味がします! 複雑で……」
わたしが目を輝かせると、店主が嬉しそうに頭を掻いた。
「……パプリカをふんだんに使ったマリネ液に漬け込んであるんです」
「へぇ~! とても美味しいです!」
「へへっ。……テンゲル伝統の味付けが女王陛下のお口に合ってなによりです」
添えられたキュウリのピクルスも爽やかな酸味がして、串焼きの肉によく合う。
露店でシンプルに焼いただけの串焼きとは違う、テンゲル伝統の郷土料理を供する店になっていて、確かな復興の息づかいが感じられた。
エイナル様とふたりで微笑み合い、店主が嬉しそうに頭をさげた。
店主が気にかけてくれていたエマは、ハウスメイドとしての働きぶりが王宮官僚の目にとまり、幼い弟ともども、養子としてもらわれることが決まった。
もともと育ちのいい姉弟だ。
養母や親類にも気に入られたようで、新年は新しい家で迎える。
そして、ほかの孤児たちにも里親が見付かり始めた。
カリスに懐いていたアロンも、熱血漢ペーチ男爵の養子になった。
「元々、子に恵まれにくい家系で、血筋にうるさい親類もおりません。……あの動乱の中、カリス殿の下で働いたのなら大いに見込みがあります!」
と、すこし斜に構えたところもあるアロンを可愛がってくれているそうだ。
いまは枢密院顧問官を務める養父ペーチ男爵に従い、ポトビニス王国への特命使節団に随行している。
旧王政の苛政が招いた洪水被害。
奪われた家族の温もりを取り戻せるなら、それは良いことだろうと思う。
串焼き屋の中から通りを眺めた。
「はぁ~。みんな、楽しそうで、こちらもなんだか、ウキウキした気持ちにさせてもらいますわね」
「うん。なかなか、いいものだね」
「……王国再建の前向きな仕事だけに集中したくなりますわ」
「ふふっ。それも、いいかもしれないね」
新品のテーブルに頬杖を突いて微笑む、エイナル様の横顔を眺めた。
わたしが庶民の店に入っても嫌な顔ひとつされないし、どこにいても華がある。ステキな旦那様だ。惚れ惚れする。
店を出て、エイナル様の腕に手をかけ、レーエン子爵のもとを訪ねた。
水没文書の復元作業も、今年は仕事じまいで、作業員の皆で掃除をしていた。
レーエン子爵が、ニヒルにも見える微笑みで出迎えてくれる。
「ご要望いただいておりました、港湾関係の文書修復を先行させております」
「無理を言います」
「いえいえ。年が明けて、しばらくしたら良い報せをお届けできるかと」
と、レーエン子爵が長く伸ばした黒髪をかき上げた。
ニヒルと陰気の、ちょうど中間より、すこしだけニヒル。大人の年上男性の包容力は感じられて、エイナル様はそれがちょっとだけ気に入らない。
口には出されないけど、わたしが楽しげに話していると、たまにピクリとされる。
デビュタントの頃は、わたしが誰と話していても微かにピクリとされていた。
結婚式を挙げ、すっかりそんなことはなくなったのに、なぜかレーエン子爵にだけは、今でもピクリとされる。
それが、可愛らしくてたまらなくて、レーエン子爵とはほどほどに話し込む。
「レーエン子爵が博識であられることに、大いに助けられておりますわ」
「なんの。元はしがない図書館司書。目録に精通しているというだけで、中身を理解している訳ではございませんよ」
「広くあまねく、知識の存在を知っている。大変な才でございますわ。……新年祝賀の儀にはご出席くださいますのでしょう?」
「ええ、喜んで。テンゲルの新年祝賀。ぜひ、この目に収めたく存じます」
エイナル様の、わたしを独り占めしたいお気持ちを充分に堪能させてもらい、レーエン子爵の作業場を後にする。
エイナル様と腕を組んで、港に向かう。
着岸している大型の帆船から荷卸しする、人夫の列が見えた。
心なしか、荷役人夫たちの身なりが小ざっぱりしてきたように思える。メッテさんたちの気配りが行き届き始めたのだろう。
「……みんな、ちゃんとお風呂に入って、洗濯もしてるようだね」
「ふふっ。……荷役人夫さんたちにしても、美貌の女親分にはいいところを見せたいですわよね?」
「そりゃそうだね」
エイナル様が気持ち良さそうに笑われた。
岸壁に並んで立ち、活気に満ちた港の風景を眺める。
やがて、白っぽい銀髪を河風にたなびかせるメッテさんが姿を見せた。
寒さが厳しくなったせいか、かるく上着を羽織っているけど、鮮やかな刺青が映える二の腕はむき出しだ。
「よう、女王陛下。それに、王配殿下も」
と、わたしの隣に並ぶ。
「登録所の方はどうですか?」
「まあ、順調だな。……ただ、一部の荷役人夫が余所に流出するのはやむを得ない」
「ええ」
「船主の中にも、登録所の仲介を嫌って、荷を陸揚げせずに王都を離れる連中がいるな」
「正規の報酬を払いたくないのでしょうね……」
「まあ、エルヴェンでも最初は起きたことだ。いまに落ち着くし、健全な港には、健全な船主だけが寄港する。いいことだ」
王都の港近くには、無宿の荷役人夫たちのために共同宿泊所を建てた。
食堂のほか、公衆浴場も備えている。
日雇い仕事を目当てに身体ひとつで王都に流れて来ても、犯罪に手を染めずに済むよう、メッテさんたちに保護してもらう。
落ち着いた仕事に就きたい者がいれば、各種ギルドへの紹介も行う。
王都の治安が向上してきていると、クラウスからの報告も届いていた。
「……いずれ、親分にドレスを贈らないといけない日がくるかもしれませんぜ」
「へへっ。よせよ。柄じゃない」
「メッテさんの周辺は……?」
「……いまのところ、怪しい動きはない。警戒を厳重にしてもらってるせいもあるだろうけどな」
「危険なことを頼んでおいてアレなんですが、くれぐれも気を付けてください」
「はははっ。返り討ちにしたとき、罪を軽くしてくれる算段をしといてくれよな」
「襲われて返り討ちにしたという罪はありませんよ」
メッテさんと別れ、日の落ちた王宮に戻った。
明日の新年祝賀に備えて、あつらえていたドレスを試着する。
「……やっぱり、派手ねぇ……」
「女王陛下は、テンゲルの伝統を大切にされるんでしょ?」
と、カリスがはにかんだ。
カリスも宮中伯として、なかなかにカッコいい装束を身に着けなくてはいけない。
「似合ってるよ?」
エイナル様のお言葉に、カリスと照れ笑いを交し合って、ドレスを脱がせてもらう。
重たいドレスから解放され、ばあやの淹れてくれたお茶でひと息入れる。
カリスが、カップを置いた。
「……戴冠式は水没した王都の船上だったし、即位宣明も郊外の岩場。明日の新年祝賀がネルの実質的な即位式ね」
「そうねぇ……」
「年が明けたら、次の雨期対策で大河院にも手をとられるわね」
「……時が流れるのが速いわね」
クスクスと苦笑いを交わし合い、わたしがカップを置いたときだ。
エイナル様のお顔が、サッと真っ赤に染まった。赤く黄色い光。
バッとふり向く。
大きな火柱が窓の外、遠くで上がっていた。
慌ててバルコニーに出て、火の粉の舞い上がる市街地に目をやった。
炎に煌々と照らし出されるカリスの瞳が、険しく細められる。
「レーエン子爵の作業場ね……」
「突然のあの出火。……屋根にも相当な量の油が撒かれてるわね」
わたしの言葉に、カリスとエイナル様が堅い表情でうなずく。
王宮から衛士団、さらには騎士団も駆け出しているのが見えた。
王宮に残されていた水没文書。
復元させず、闇に葬りたい者たちが火を放ったのに違いなかった。
「……ネルの権威を損なわせる、新年を迎える前日の犯行。計画的ね」
「良くはないけど……、良かったわ」
「え?」
「……テンゲルを覆う闇が、わたしの妄想なんかじゃなくて、実在するんだって、やっと確証を持てた」
クラウス配下の王宮文官から急報が届く。
レーエン子爵ほか、作業員たちは宿舎に戻っており、全員無事。そのほか、民への被害も確認されていない。
ただし、作業場内の文物はすべて焼失するだろうという報告だった。
「いいわ……。不正を追及するための証拠は、あそこにだけある訳じゃない」
執務室に入り、消火作業の進展を見守りつつ、必要な指示を出していく。
いまだ正体不明の闇の勢力。
ようやくわたしの前に姿を現した。
民心を騒がせる大火と作業場の焼失は痛手だけど、わたしの追及の手が確実に彼らに迫っていることの証左でもある。
追い詰められているのは、闇の方だ。
口元をキュッと引き締めた。
未明。鎮火の報を受け、わたしはただちに今年最初の勅令を発した。
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