101.王配殿下は夜明けまで語り合う
Ψ Ψ Ψ
大公家の世子に生まれ、物心がついた時には暗殺対策の訓練を受けていた。
どれだけ熟睡していても殺気を感じれば即座に目覚め、剣を抜ける。
左腕でコルネリアを抱き寄せて胸の内に収め、右腕で振った剣の先には王領伯の嫡男、デジェーの姿があった。
咄嗟に、首を刎ねたらコルネリアに返り血を浴びせてしまうと加減したので、斬ったのは頬の皮を一枚だけ。
殺気を読めば、暗殺は本意ではないのだろう。
おおかた、不正が露見したことに勘づいた父親の指図でやむなく、というところか。
いずれにしても、窓辺で短剣を構えたまま動こうとはしない。こちらに向かって動けば、斬るだけのこと。
それより、ルイーセだ。
今晩は、階下の警備にルイーセがあたっていたはず。
――エイナルも、たまにはコルネリア陛下にカッコいいとこ見せとけば?
くらいのノリで、暗殺者を通したに違いない。
まったく。いくらボクがいるからって、億にひとつでも暗殺が成功してたらどうするんだ。
コルネリアも、初めての経験に胸の中で目を輝かせてる場合じゃないんだよ?
「……行け」
ボクの言葉に、デジェーは身を翻して、窓から飛び降りた。
あとは、外の騎士に任せておけばいい。
コルネリアを抱き締めていた腕の力を緩めて、剣を鞘にしまう。
「恐い思いをさせたね」
「……デジェーでしたわよね?」
「うん……」
しばし、考え込んだコルネリアが、ポスッとボクの胸に顔を埋めた。
「バカな人です……」
「そうだね」
ポツリ、ポツリと、コルネリアがデジェーのことを話してくれる。
――牧草地で、デジェーが何か直訴していたのは見えていたけど……。
コルネリアの肩が小さく震えているのは、暗殺の刃が、初めてその身に迫ったことが急に実感されたからだろう。
ボクにも覚えがある。
幼い日、母上がボクにそうしてくれたように、ゆっくりとコルネリアの背中を撫でる。
「……寵臣って言葉を、わたし、勘違いしてしまって……」
「ふふっ。ボクが殴り飛ばしておけばよかったね」
「……え?」
「ダメだよ、そんなの」
「……ふふっ」
と、妙なニヤケ顔をしたコルネリアが、グリグリと額をボクにこすり付けた。
「わたし、エイナル様の〈いい奥さん〉になりますわね?」
「もう、充分に〈いい奥さん〉だよ?」
「もっと、もっとですわ」
「それはすごい。コルネリアが、女神様になっちゃうよ?」
「ふふっ。そんな、ナタリアみたいなことを仰って……」
こういう晩。無理に寝ようとしても、かえって寝付けないものだ。
コルネリアの枕にボクの腕を貸し、ヒソヒソとお喋りを続けた。
「……ルイーセさん、大丈夫でしょうか?」
気付かれちゃったか。隠せるものでもないけど。
とはいえ、ボクがルイーセをかばう義理もない。たまには大目玉を喰らったらいい。
「……たぶん、ルイーセは、ボクにいいところを見させたかったんだと思うよ?」
「……? 誰にですか?」
「え……、っと。コルネリアに?」
「……、まあ」
キョトンとして、しばらく考えてから、思い当たって驚くコルネリア。
「ルイーセは、実はああ見えてかなりの恋愛体質でね。男が切れたところを見た覚えがない」
「まあ……」
「いつも連れてる男が違ってね」
「へ、へぇ~、意外ですわ」
「……話が逸れたけど、ルイーセなりに気を利かせたつもりなんだと思うよ?」
「ふふふっ」
「あれ? ……ボク、結局、かばってる? ルイーセのこと」
「職務怠慢で、雷を落としておかないといけませんわね」
「そうそう。たまにはね」
「エイナル様のいいところ、わたしは毎日見ておりますわっ! ……って、言ってさし上げないと」
「ふふっ。やさしい雷だね」
ルイーセの学生時代を暴露しては、ふたりでクスクスと忍び笑いを漏らし合った。
「とまあ、ずいぶん男をとっかえひっかえしててね」
「おモテになられたんですわね」
「……で、結局『私は守られるより守る方が、性に合っていた』って言って、いまの旦那さんと結婚したんだ」
「ふふっ。ルイーセさんらしいですわね」
「生まれたときから顔を知ってる幼馴染との純愛を貫いて結婚した、一途なビルテとは大違い」
「あら? そうなんですわね」
「まあ、今はルイーセも旦那さんひと筋みたいだけど」
「ふふっ。……たくさん惚気ていただきましたわ。こちらが照れてしまうくらい」
そう言って、ボクの胸の中ではにかむコルネリアは、とても可愛らしい。
ほかの誰にも、きっとカリスにも見せない笑顔で、クスクスと笑う。
新しい出来事や風景に出会う度、コルネリアの目が輝く。
ボクは、コルネリアの瞳に映る世界で楽しませてもらうばかりだ。新しい〈見え方〉をコルネリアに示すことは出来ない。
ただ、馬の前に乗せてあげて、連れて行ってあげることしか出来ない。
『……エイナル殿下の腰にある刃』
と、サウリュスが言った。
『敵を斬る凶刃ともなろうが、大切な人を守る盾ともなろう。……野営をされたら獣を裂く包丁にもなりましょう』
やはり、芸術家は面白いモノの見方をすると、あごに手をやり興味深く耳を傾けた。
『私は、刃そのものを捉えたい。人の意思、使い方で決まる刃の性格に囚われず、刃そのものを描きたい』
コルネリアを描いても描いても、コルネリアそのものに至らないと頭を抱え、また奇妙な踊りを始める。
サウリュスの目に映るコルネリア。
いや、サウリュスがサラリと描き出す風景画がコルネリアの目を輝かせるようには、ボクはコルネリアの目を輝かせられない。
たぶん、ボク自身が、コルネリアの瞳を輝かせたことは一度もない。
「……行幸は中断ですわね」
寂しそうに笑ったコルネリアの頭をポンポンと叩いたとき、窓の外に見える空が、薄ぼんやりと明るくなった。
カルマジンを囲む盆地の稜線を、ビルテ率いる騎士団の兵、3千名が埋め尽くす。
「カルマジンの闇を晴らしたとき、何が見えてくるのか……。楽しみですわ」
コルネリアの目が輝きを取り戻した。
Ψ
カリスに伴われ、コルネリアは正装のドレスに着替えるため寝室を出た。
ボクはルイーセをつかまえて、お小言を授ける。
「コルネリアは笑って済ませちゃったけど、ああいうのは良くないな」
「ラブラブな時間だっただろ?」
「それは、まあ……」
「私も旦那を守って、夜明けまで語らったことがある。……なかなか、いいものだった。旦那の可愛らしい一面が見られて、キュンとしたぞ」
「……ボクたちを、ルイーセとおなじ尺度で測らないでくれる?」
ボクの苦笑いにも、ルイーセに悪びれたところはない。結局、デジェーを取り逃がしているし、困った剣聖様だ。
カルマジン全域の制圧、王領伯以下、役人、衛兵のすべてを捕縛したと、ビルテから報告され、ボクとコルネリアは政庁に入った。
戒厳令を発布し、厳しい取り調べが始まる。
衛兵のひとりが、涙ながらに打ち明けた。
「……不正の露見に錯乱した王領伯様が、女王陛下の暗殺を、私どもに命じたのです……。それを、デジェー様が『お前たちがこれ以上、罪を重ねることはない』と、代わってくださり……」
王領伯は『さすが、我が息子』と、喜び勇んで送り出したそうだ。
コルネリアが苦しそうに眉を寄せた。
「父親の築いた偽りの壁から、デジェーを救い出すことができませんでした……」
「……あの場で短剣を置き、すべてを告白することも出来た。デジェー自身の選択だよ……」
「そうですわね……」
数瞬、寂しげな表情を見せたコルネリアは顔を上げ、カリスに命じた。
「クラウス枢密院議長を王都から呼んでください。緊急対策本部を設置します」
コルネリアの厳正なる裁きが始まった。
本日の更新は以上になります。
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