10.敏腕伯爵は眩しく見詰めた
Ψ Ψ Ψ
馬車から降りたエイナルの婚約者、コルネリア嬢をひと目見て、
――これは、……美し過ぎる。
と、眉を顰めた。
「……政務総監、クラウス・クロイにございます」
「コルネリア・モンフォールです。お世話になります」
所作にぎこちないところはあるものの、笑顔には惹き付けられるものがある。
――バーテルランド王国は、次期ソルダル大公たるエイナルに美姫をあてがい、骨抜きにしてしまおうという策略か?
実際、エイナルはコルネリア嬢を、エルヴェンの総督代理に任じた。
まだ婚約者でしかない他国の者を要職に就けるなど、ソルダル大公の世子という立場でもなければ、到底叶わない話だ。
――エイナル・グリフともあろう者が、すでに籠絡されたか……。
と、憂鬱な気分で、コルネリア嬢を総督府の中へと案内した。
なんの変哲もない城の廊下を、コルネリア嬢は、まじまじと眺めながら歩いた。
間諜の密命でも帯びているのかと怪しんだが、どうにも目付きがあどけない。まるで、城の中を歩くのが初めてであるかのようだった。
港町エルヴェンは、戦争中、バーテルランド王国と何度も奪い合った要衝の地だ。
もとの領主は早くに陣没し、王家直轄として総督職が置かれた。総督府も地方領主の城としては、とりたてて変わったところはなく、侯爵令嬢の興味を惹くような意匠はないはずなのだが、……と、訝しんだ。
早速、視察に出るというので、やる気はあるのだろう。
手早く仕事を済ませ、オレが合流すると、いやに下品な女に絡まれていた。
趣味の悪い紫のドレスは、バッフルスタイルを誤解しているとしか思えない奇怪なシルエット。
間隔の広い小さな目を吊り上げ、なにやらがなり立てている。
隣には貴族とおぼしき、軽薄そうな中年の男。仕立ても生地も悪い服を着て、コルネリア嬢に対し尊大なふる舞い。
――やれやれ、美人は揉め事を呼ぶ。
と、億劫になりながら、人だかりをかき分けて、仲裁に入った。
女がコルネリア嬢の妹で、男が父と聞かされて、目玉が飛び出るかと思った。
学院時代以来だろう。
――マジで!?
と、思ったのは。
ジッとコルネリア嬢を観察するが、どうやら嘘でも間違いでもないらしい。
見れば見るほどに美しいコルネリア嬢に、どうにかふたりの痕跡を探しても、欠片も見あたらない。
――マジで?
2回目。
よほど家族のふる舞いが恥ずかしいのか、ついにコルネリア嬢は目を閉じてしまった。
しかし、モンフォール侯爵の名を戦場で聞いたことはない。和議のための政略結婚のリストで初めて目にした。
大方、軍役を逃れるために、軍役負担金で済ませたのであろう。臆病者だ。
そんな者に、オレが心血注いだ和平を冒涜するような言葉を吐かれ激昂してしまったのは、学生気分が蘇っていたせいかもしれない。
地位にも身分にもそぐわないふる舞いをしてしまった。
そして、コルネリア嬢は下品な妹御の言う通り、学がないのかもしれない。
だけど、機知には富んでいる。
「クラウス殿? 可愛らしいでしょう? わたしの妹は」
と、にこやかに言われ、吹き出すかと思った。
オレの勢いが削がれた隙に、ふたりに退去命令を出して、ことを収めてしまった。
馬鹿馬鹿しい諍いだが、エスカレートすれば戦争再開の火種にもなりかねない。
鮮やかでスマートな裁定に、舌を巻いた。
かと思えば、エルヴェンの復興に遊覧船を、などと、おふざけのようなことを言ってくる。
エイナルからは、コルネリア嬢の言うことは出来るだけ叶えてやってほしいと書簡をもらっていた。
仕方ないので、部下に形ばかりの事業計画書を作成させる。
思った通り、とても今のエルヴェンでは実行できない程の予算が必要だ。
――まあ、これを見れば諦めてくれるだろう……。
と、苦笑いしてから、ハタと気が付いた。
――いや? ……予算を浪費させ、わが国の復興を遅らせ、国力を削ぐ策略か?
いずれにしても、油断は禁物だ。
コルネリア嬢に事業計画書を見せ、慎重に様子を窺う。
「まあ! とっても素敵ですわね!」
と、目を輝かせていた。
――ただの、ワガママ令嬢か……。まあ、あの父親の娘、あの妹の姉だからな。オレの考え過ぎか……。
あとは諦めさせるだけだと、事業計画の詳細を噛んで含めるように説明してゆく。
「ほんとうに、素敵な景色でしたのよ?」
「あ、ええ……」
「私、お食事するのも忘れてしまって、ずっと見惚れていましたの」
「ああ……。食事の提供は最低限にしますか……」
「貴族より、庶民にこそあの風景を見てもらい、復興の息づかいを肌で感じてもらいたいですわね。きっと、みなさんの活力にもなりますわ」
「……華美な装飾は要らないか」
この調子で、いつの間にか予算は半分に圧縮されていた。
初期投資額として、実行しても良いというところまで、あとひと息になっている。
つい、オレも夢中になる。
実現できるのであれば、遊覧船事業は復興の良いシンボルになる。
「……水兵さんたち、とても気のいい人たちばかりで、元気をもらいました」
「ふむ。軍船の退役で解雇する水兵たちを再雇用すれば……」
「あの……」
「はい」
「船も……」
いまや明らかだった。
コルネリア嬢……、いや、コルネリア様の頭の中には、遊覧船事業に対するハッキリとしたビジョンがある。
なぜ、それを隠そうとされているのかは、分からない。
ただ、オレを馬鹿にしている様子もない。
これでは、オレに花を持たせてくれようとしているのも同然だ。
退役する軍船を遊覧船に転用すれば、初期投資は大幅に抑えられ、わずかな改修で、すぐにでも始められる。
庶民向けならそれで充分。
乗船料も抑えられて、ますます庶民向けに出来る。娯楽の少ない今のエルヴェンなら、人気になるだろう。他地域からの観光客も見込める。
しかも、船を遊覧船として活用しておけば、もし戦争が再開しても、すぐに軍船に戻すことが出来る。
水兵を再雇用しているなら、なおさらだ。
国防政策にもなり、失業者対策を兼ね、経済政策として期待できる、復興のシンボル、遊覧船事業の計画書が完成していた。
「うわ~っ! 楽しみですわね~っ!」
と、ウキウキと語られる、コルネリア様。
悪意も邪気も感じられない。ただ、純粋に船遊びを楽しみにされているようにしか見えない。
――これは、エイナルが総督代理を任せてみたくなる訳だ……。
エイナルが到着するまでには、遊覧船事業を開始できているだろう。
実のところ、エイナルの縁組には、それほど力を割けなかった。
この和議の形を推進されたソルダル大公閣下は、ご自身のことより他家に気を配られていたし、エイナルも王国のためなら何でも良いという態度だった。
実務責任者のオレとしても、他に揉めて難色を示す貴族家の縁組に注力せざるを得なかった。
侯爵家の長女ならば次期ソルダル大公夫人にも相応しいだろう、くらいのチェックで通していた。
――それにしては、特大の〈あたり〉を引いたものだな、エイナル。
と、幼馴染で親友の強運を、正直、妬んだ。
学院時代、学生同士でコルネリア様に出会いたかったものだ。それならば、エイナルと競うことも出来たものを。
毎日、いそいそと視察に出かけられるコルネリア様のお背中を、眩しく見詰めた。




