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第9話 始末

 ベサールはオフィスチェアに座るなり、部屋の明かりを消してデスクスタンドだけを点けた。

 それから暖房をつけ、グラスに注いだウォッカを二口あおり、机に叩きつけるようにして置く。そしてノートパソコンを起動させ、事業(、、)の収支や金の流れをチェックし始めた。

 それは生き残るためのライフワークであり、裏切りの気配を探るためでもある。危険を察知したら逃げ、怪しい動きがあれば処刑する――それで、どうにか上手くやってきた。

 こうして不機嫌そうに酒を吞みながら薄暗い部屋で没頭し、そのうち眠りに落ちるのがベサールの一日の終わりだった。

 しかし、今夜は格別に苛ついていて眠気は訪れそうもなかった。

 この街に来て以来、既存の勢力の隙間に入り込み、時に長い物に巻かれ、それで命を繋いできた。

 力を付けるために、街をうろつく不良を取り込んだりもした。彼らは金とドラッグを与えてやれば、大抵は言うことを聞く。しかし、自分に対して忠誠心などない。奴らは快楽の奴隷だ。好きに暴力を振るい、女を買い――そうして問題を起こす。

(マフィアに怯えながら生きていたくせに思い上がるな!)

 また一口ウォッカをあおると、グラスは空になった。

 舌打ちして新たに注ぐ――澄んだ液体が溢れそうになったグラスを見て、これが今の自分だとベサールは顔を顰める。

 下手を打った。

 詫びを入れなければいけない。正式に傘下に入り、死体処理でも何でもやる。それで命を乞おう。

「くそっ」

 不安と苛立ちを吐き、一気に半分呑んだ。

 それから仕事に戻ってしばらくすると、ようやく眠気が襲ってきた。

 目頭を揉む――すると、微かに空気の流れを感じた。酔って火照った肌を、心地いい冷気が撫でたのだ。

 それは、誰かがドアを開いたということ。しかし、廊下から差し込んでくるはずの光がなく、ドアの先は書斎よりも闇が濃かった。

「誰だ。勝手に上がって来るなと言っただろうが」

 ベサールは強い語気で言った。

 だが、手下の誰かだとは思っていない。ベサールはそんな呑気な男ではなかった。

 常に猜疑心に満たされている頭の中では、瞬時に巷で話題の人物――ピクシーというワードが呼び起こされていた。

 ベサールは右手で机下のクロスボウを取りながら、左手でゆっくりとデスクスタンドを正面に向ける――。

 その時、傍らに佇む影に、ベサールは気付かなかった。


 ベサールがいる部屋はすぐに分かった。

 パソコンのキーボードを叩くカタカタという音が、微かだが漏れていたからだ。三階にはベサールしかいないのだから間違いない。

 部屋の明かりは点けていないようだった。問題はない。パソコンを使っているのなら、闇の中で的を浮かび上がらせていることだろう。

 そして数センチだけドアを開け、その隙間から射殺す――それは容易だったが、柑奈はその選択肢を捨てた。倒れた拍子の音で、階下に異変を察知されたくなかったからだ。

 柑奈はドアを開けるとすぐにターゲットと光源を確認した。

 するりと侵入し、デスクスタンドが照らしている方向とは逆の右側に回り込む――闇の中のさらに濃い影に入り、一気に接近した。

「誰だ。勝手に上がって来るなと言っただろうが」

 ベサールがデスクスタンドをドアに向けた――と同時に、ナイフが脳天に振り下ろされた。

 ベサールは一瞬ビクンと痙攣し、ぐにゃりと倒れてゆく――柑奈はそれを受け止め、静かに床に寝かせた。

(……よし、あとは脱出するだけ)

 血濡れたナイフを拭って立ち去ろうとしたが、ノートパソコンの画面に目がとまった。

 何かのアプリが起動している。ファイル名は『ALERTS CALL』――。

「やられた」

 思わずぽつりと声に出た。

 アプリの仕組みはともかく、緊急事態を手下共に知らせたのは考えるまでもなかった。

 急いで部屋を出る。すると、右手の方から騒々しく階段を駆け上ってくる音が聞こえてきた。

 屋上の脱出ルートはもう使えない。ケーブルロープを戻っている間、マヌケないい的になってしまう。

 柑奈は瞬時にもう一つの脱出プランに切り替えた。

 廊下の左手へと走り出す――その先、邸宅の西端にも階段がある。しかし、その階段は屋上には続いておらず、下りる以外の選択はない。

 柑奈は途中で足を止め、弓に矢を番えながら振り返った。

 非常灯の淡い光によって、微かに照らされた男が三人――続けざまに三連射。全ての矢が頭蓋を貫いた。

 三人が倒れると、別の男たちの怒号が廊下に響いた。

 柑奈はそれを無視して階段へと急ぐ。その途中、二つの部屋のドアを雑に開いた。陽動と遮蔽物にするためだ。

 急ごしらえだったが功を奏し、木製のドアは無暗に放たれた複数の矢を受け止めた――音は五つ。最低でも五人が迫っている。

(やっぱり、ここじゃ厳しいか)

 三階から明るい二階へ、そして二階と一階の間の踊り場まで来た。すると、また階下から聞こえる話し声――階段を上ってくる足音から三人だと分かった。

 柑奈は弓を階段の途中に置き、再び黒いナイフを腰から抜いて息を殺す。

「かったりぃな」

「どうせ寝ぼけたかなんかだろ」

「寂しくなったんじゃねぇか」

「なら、お前がまたケツ貸してやれよ。ユルくなっちゃいましたがどうぞって」

「いつもしてるみたいに言うんじゃねぇ!」

「ハハハ――」

 踊り場の角から現れた下品な笑顔――その喉二つを、柑奈は刹那の間の二振りで切り裂いた。

 二人の顔が苦痛に歪み、すぐ後ろにいた三人目がクロスボウを構える。

 柑奈は身を屈めて射線から逃れつつ、喉から血を噴き出す男に向けて体当たり――そのまま背後の三人目を巻き込み壁に叩きつけ、ナイフを三人目の左の脇腹に深々と突き刺した。

 挟まれた男が崩れると、三人目が自分に刺さったナイフに左手を伸ばす。

 柑奈はあえてナイフを手放すと、男のクロスボウを持つ右手を捻り上げ、容赦なく腕を折ってそれを奪う。そして男の背中に、そのクロスボウの短い矢を放った――心臓を射止められた男はビクリとして静止し、力を失い膝から倒れていく。

 喉を裂かれた男たちは血溜まりを作り、既に事切れていた。

 柑奈はナイフを抜くとその男のシャツで拭い、腰の鞘に納めて短く息を吐く。

(急がないと)

 十秒も掛かっていないが、それでも足止めを食らってしまった。

 しかし、幸いにも三階の男たちはまだ来る気配がない。ボスの死を知って判断に迷っているのか、部屋を見て回っているのか。どちらにせよ好都合だった。

 弓を拾って一階へと下りていき、ダンスミュージックがうるさく漏れる広い部屋に意識を傾ける――馬鹿騒ぎはまだ続いているらしい。

 左手にある玄関の方を窺っていると、三人の男が慌ただしく階段を上っていった。

 今ので上階にいる敵は最低八人。そうすると、残りは上階の敵を除いて十人ほどか。

 玄関は通れない。殺気立った男たちと鉢合わせ、最悪挟み撃ちにされる恐れがある。なら、目の前の部屋を突破していく他はない。

 柑奈はフードを目深に被り直し、矢を三本抜いて静かにドアを開けた――その瞬間、重低音が耳を打ち、酒とドラッグの異臭が鼻腔を突いた。

 顔を顰めつつ、瞬時に敵の位置と部屋の間取りを把握する。

 かつて園児たちの教室だった部屋は横に広い。一五メートルはある。

 しかし今は薄暗く、全体が品のない紫色の照明で染まっている。それから庭へ出入りできるガラス戸が中央に一つ。

 手前には横に並べられたビリヤード台が二台あり、奥の台で男が二人、それに興じている。

 さらに奥には、酒瓶を持った男二人と半裸の女二人が、リズムに合わせ身体を揺らしていた。

 素早く手前の男二人を射殺してすぐ、異変に気付いた女たちが叫ぶ――残りの片方の男が、壁に立て掛けてあったクロスボウを取ろうとしゃがんだ。その後頭部に、柑奈の三本目の矢が突き刺さった。

 半狂乱になった女二人が半裸のままガラス戸から出ていき、最後の男がナイフ片手に襲い掛かってくる――柑奈は手近なビリヤードのキューを掴み、男の眼窩を深々と貫いた。

 柑奈は弾帯からラケタを五本抜き、矢の状態にしてクイーバーに補充した。

 矢を番えながらカーテンの隙間から庭を覗く――門番の二人が女たちとすれ違い、こちらに向かって走ってきているのが見えた。

(不用意――)

 暗い部屋から顔面目がけて飛来する矢は、もはや黒い点でしかなく、門番二人はそれと気付かないまま死んだ。

 倒れた門番二人の後方には、門から去っていく女たちの姿。

 彼女らは買われた娼婦だろう。男たちに降りかかった災禍とは関わろうとせず、忘れようと努めるはず――そう判断して、その女二人は見逃すことにした。

 上も騒がしくなっている。早く状況を整えなければ、数で押されてしまうかもしれない。

 柑奈は右手の西へと向きを変え、高い壁に向かって走り出した。壁は三メートルあり、ここも上にはカミソリ付きの鉄条網が設置されている。

「いたぞ! 西にいる! ……墓地の方だ、馬鹿野郎!」

 上から殺意を孕んだ男の怒鳴り声――顔だけ振り返って後ろを確認すると、アパートから出てきた三人の男が追って来ていた。

 全員が小型か中型のクロスボウを装備している。しかし、柑奈は既に建物の角を曲がって暗がりに入っていた。

「……」

 時間はない。しかし、柑奈は落ち着き払った動作でもって、弓の端の方を持って槍のように構える。

「こっちだ! 弓を持ってるぞ!」

 男の声を合図とし、壁に向かって猛然と走り出す――壁まであと二メートル。その時、男たちが建物の角から現れ、柑奈に向けクロスボウを構えた。

 柑奈の意識はただ一点。弓を壁と地面の境に当て、棒高跳びの要領で跳ね上がった――男たちの放った矢はコンクリートの壁に当たり、ばらばらと虚しく落ちていく。

 壁を越えて雑草が生い茂った墓地の端に着地すると、また男たちの声が聞こえてきた。

「墓地に逃げたぞ!」

「回り込め、絶対に逃がすな!」

 しかし、柑奈には逃げる気など毛頭なかった。

 暗がりの中、背の高い墓石の上に立つ。そして、門に向かう男たちの一人に狙いを定めた。

 来てみろ。一人残らず殺してやる――第二ラウンド開始前に、一人が脱落した。

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