第4話 ヴンダーカンマー
ヴンダーカンマー。
殺し屋御用達の何でも屋。様々な武器や殺しの道具を製造、販売、メンテンス、そして闇医者まで行っている。
死の商人ではなく、死の管理人マーダーインクの一部門で、マーダーインクが殺し屋に提供しているサービスの一つ。
成り立ちは偶然だ。
とあるイカれた武器マニアが違法武器を製造販売していたところ、警察にしょっぴかれそうになった。そこをマーダーインクが買収で拾い上げ、さらに投資を行い現在の形に至る。
柑奈が愛用している弓もヴンダーカンマーの職人の特製であり、セダンを仕留めた矢も同様に特製の代物だった。
「おう。遅せぇじゃねえか。バカ女が待ちくたびれてるぞ」
イカれた武器マニアこと、ダニールが紙煙草をふかしながら言った。
ロシア系のこの職人は、職人気質なふうではない。いつもニヤニヤしていて気持ちの悪い男だ。しかし、痩せぎすな体躯と使い古したワークエプロンを聞慣れた姿、それにゴツゴツした手はいかにも職人らしかった。
「いろいろあってね。シュリは?」
「向こうのソファで寝てる。ところで、あれの具合はどうだったよ? ぶっ刺さったか?」
「うまくいった」
柑奈は顔も向けずに答え、ダニールの横を通り過ぎて行く。傲慢な態度だったがダニールは気に留めず、ただニヤついた顔で満足そうに頷いていた。
薄暗い廊下を進む――完全予約制のヴンダーカンマーには、今は柑奈と職人たち以外には誰もおらず、柑奈が鳴らす床の音くらいしか聞こえない。
つまり、ここを利用すれば違法行為の足が付くことはなく、同業者に自身が使用している武器を知られる心配もないということ。それらが、このヴンダーカンマーを殺し屋向けサービスたらしめている所以だ。
柑奈がここに出入りしていることは知られている。だが、横浜の支配者同然であるロストフファミリーの令嬢として有名なため、学生時代からお嬢様の火遊びとしか思われていなかった。
学生時代から――そう、柑奈は五年前から殺し屋として活動している。
初めての仕事は、調子に乗って個人でドラッグを売買し始めたクズ共の掃除。ルールを外れた愚か者を、マフィアは決して許さない。
まず、柑奈はクラブの裏路地で売買している一人を射殺。その足でクラブのVIPルームを襲撃し、ドラッグパーティに興じていた八人を皆殺しにした。
頭を射抜き、ナイフで喉を切り裂く。淡々と行い、五分と掛からなかった。
達成感はなかったが、悪くない仕事だと柑奈は思った。クズを世の中から消し、報酬を貰う。これ以上の仕事はないだろう――血と酒とドラッグの悪臭がする部屋で、無感情に頷いた。
そしてその帰り。悪そうな奴を五人殺し、そのことで養父であるボスに怒られた。それもまた、初めてのことだった。
「つまらん殺しはするな」
たった一言だったが十分だった。
自分こそ浮かれ、調子に乗っていた。恥ずべく行為だった。正義を気取るために弓を取ったわけでなかったというのに。
それに、私的な殺しはルールに反することだった。マーダーインクは、マフィア同士や政治経済に関わる殺し以外を絶対的に禁止している。私的な殺しを容認していれば、やがて無秩序に陥るためだ。
しかし、あの時は道端の石を蹴るように殺しを行った。半ば無差別的とも言える。もしかしたら、面倒な何者かを不用意に殺していたかもしれない。
一時の欲を満たすために、知らず危ない話を渡っていたのだ。
だから――それ以降は、気を付けて殺しを続けている。
薄暗い廊下を、ドアから漏れた光が照らしている。
柑奈がその部屋を覗くと、長いソファを占領するシュリがいた。娼婦の変装は既に解いており、その面影は完全に消え失せている。
ボサボサだった髪はウルフカットに整えられているし、服装も上は白いシャツに黒のクロップジャケットと下はダメージジーンズで、さながらロンドンあたりのギャングのよう。
柑奈はこれが彼女の正装であるのは知っている。それでもその変貌ぶりに、女優にでもなればいいのにと感心した。
「遅かったじゃないですか」
ダニールと同じセリフを言って、無遠慮に欠伸をするシュリ。
柑奈はそのわずかな間だけ逡巡し、全てありのまま伝えることにした。
「――鈍器を振り回す女……聞いたことがないですね。見た目通りロシアの奴か、日本語が堪能ってことは北の方で活動してた奴か……雇い主がちょっと気になりますが、まあ、面倒事にはならないんじゃないですか?」
シュリはロストフファミリーに忠誠を誓う構成員であり、柑奈の幼い頃からの世話役でもある。今の発言は、そうした立場からの回答だった。
「だといいんだけどね。……ところで、その卒業証書の筒みたいなのは何?」
柑奈が指差して言ったのは、シュリの横にある黒い筒状の物体。水筒にしては細長く、新しい武器にも見えない。
「あの最後にヤッたひょろい奴が抱えてたんですよ」
「……手癖が悪い」
「そういう生き方して来たもんで」
ストリートギャングとして十代を過ごしたシュリは、まるで悪びれない。しかし、オデルやジャージ女との会話を鑑みれば、彼ら――マフィア共が欲しがっている代物だとしか考えられなかった。
「それが面倒事なんじゃないの」
「いいんですよ。指示は抹殺だけで、触れるなとは言われてない。大したもんじゃなければ棄てちゃえばいいんです」
「まったく……」
今さらオデルに「やっぱり拾っていた」などとは言えない。
シュリの言う通り、ひとまず確認してみるか。だが、その後はどうする?
思案していると、いつのまに部屋の入り口にダニールが立っていた。
「どこから聞いてた?」
「聞いてねぇよ。聞こえてたとしても、さっさと忘れるわ。お前らの仕事になんぞ関わりたくないからな――それよりこれだ」
ダニールが差し出したのは、黒いチョークのようなもの。
シュリの合流にヴンダーカンマーを指定したのは、これを受け取るためでもあった。
「いいか。向きに気を付けろよ。下手すりゃ自分が串刺しだ」
ダニールが小さな窪みを押すと、一瞬の内に伸びて一本の矢になった。
矢羽根も矢尻もしっかりと付いているし、継ぎ目などは一切ない。初めからそうだったかのようだ。
受け取って曲げるように力を加えても、感触は普通の矢と変わらなかった。
「いいね。よくできてる」
「当然だ。と言いたいところだが、その強度を実現させるのには苦労した。それと、一度そうしたら元に戻せないからな」
「分かった。いくつある?」
「とりあえず五ダース。それと、ショットガンのショットシェルベルトを改造したものも作っといたぞ。四〇収納できる」
「それも貰ってく。あと二〇ダース願い。そっちは後でまとめて送って」
「承った。存分に使ってくれ。……っと、そいつの名前を言うの忘れてたな。ラケタだ。いいだろう?」
ラケタ。ロシア語でロケットの意味だ。
武器作りのセンスはあってもネーミングセンスはないらしい、と柑奈は頭を振る。
「それじゃ、俺はちょっと寝る。ラケタとベルトはカウンターに置いてあるから勝手に持っていけ」
ダニールは一方的に言って、仕事着のまま温もりの残るソファに寝転がった。
不躾な態度だが、柑奈は気に留めない。探り合いの必要ない相手は気が楽なのだ。
「じゃ、帰りますか」
「当然みたいに……。また泊まるつもり?」
「そりゃ、中身くらい見ておきたいですし。それに、人肌恋しいんじゃないかと」
「まったく」
切り捨てるように言って部屋を出る――その背に軽口が重ねられた。
「いいんですかー? 寝つくまで、シュリお姉さんが手繋いであげますよー?」
左手に幼い日の記憶を思い出し、柑奈の足がぴたりと止まってすぐに動き出す。一言二言言い返すことはできる。ただ、背後で邪悪に咲いているだろうニヤけ面には、何を言っても無駄だろうと思えた。
所詮、昔のことだ――と言い聞かせるようにして、柑奈は先を行く。
ラケタが入れられた箱には『TEPES』とあった。
柑奈はその部分をナイフで荒く削り、ヴンダーカンマーを後にした。