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第34話 選択

 柑奈が階段を上っていると、上階から短い銃声の後に爆発音があった。

(派手にやってるな)

 痛みを堪えながら上りきり、廊下に出て端の部屋に入ろうとしたその時、今度は小気味よく階段を駆け下りてくる音が響いた。

 弓を構えたその先に現れたのは、左手にサブマシンガン、右手には鈍器を持った女――やはりオリガだった。

 柑奈が部屋に入ってすぐに、オリガも息を切らして入ってきた。

「無事だったか!」

 やや上気している顔で言ったオリガに、柑奈は淡々と答える。

「ミヤマは殺したがチカはいなかった。上は?」

「そうか……上には六人もいやがった。ここじゃさすがに分が悪い」

「足止めされて挟撃か……」

 今いるのは北東――おそらく敵は二手に別れ、三人が南から、もう三人がオリガの侵入ルートを塞ぐように北西からやってくるだろう。

「そういうこった。さっさと撤退――って、その足」

 腿に巻かれた血の滲む包帯にようやく気が付き、オリガが忌々しそうに顔をしかめる。

「走れないね」

 と、柑奈は軽く言う。

 最低限の止血はしたが、通常通りに走ることは叶わない。それでも弓を引けるならまだ戦えると考えていが、状況はより難しくなってしまった。

 すると、オリガが数秒考えて言った。

「――よし、そこら辺の窓から出ろ。あたしは足を持ってくる」

「何?」

 言うが早いか、オリガは颯爽と部屋を出て北西へと消えて行く。

 頼りにすべき相手が行動を開始してしまった以上、それに合わせるしかない。自分ひとりでは、この状況を打破するのは困難だった。

 柑奈は動き出す前に、まずシュリに電話を掛けた。

『――状況は?』

「チカはいなかった。これから撤退するけど脚をちょっと負傷しちゃってね。それでオリガに撤退の策があるらしいから委ねることにした。シュリはアパートで待機していて」

『分かりました。こっちも準備しておきます』

 柑奈は携帯端末をしまうと、早速行動に取り掛かった。

 窓は四〇センチ四方ほどで、二メートルの高さにある――作業台を壁に寄せ、それを手早く取り外すと面格子があった。

 面格子は金属製で、サッシ枠にブラケットで取り付けられている。

 柑奈は安堵した。このタイプは外側からは外しにくいが、内側からはブラケットが丸見えで脆弱なものだった。

 ナイフを使って強引に四隅のブラケットを破壊し、面格子をそのまま外に落とす。外を確認してから弓とクイーバーを外に放り、窓枠に手を掛ける――すると背後の廊下の奥、階段の方から微かに物音がした。

 時間がない――柑奈は這うように出て、三メートル下の地面に着地した。

 しかし上手くいかなかった。傷口を抉るような痛みに顔が歪み、体勢を崩して無様に地面に手を突いた。

 施設の屋外の照明は点いていない。だが、高い壁の向こうにある街灯の光が、物の輪郭が分かる程度に薄明るくさせていた。

 ゆったり落ち着いてはいられない。こちらの音も聞こえていたはずだ。

 移動すべきは北か南か。ここからだと、正面ゲートよりもオリガが侵入した北西の壁が近い。ならば北か――と弓とクイーバーを拾いながら考えたが、屋内に気配を感じ、窓下に寄りかかるようにして息を潜めた。

 すると、内からコツっと石でも蹴ったかのような音――瞬間、頭上の窓から激しい閃光と鋭い爆発音が。スタングレネードだ。

 強張った身体を起こし、窓に向けて弓を構える。

 少しして、男の声がすぐ近くから聞こえてきた。

「――クリア。逃げられた。外だ。そのまま追い込め」

 足音が遠ざかっていく――敵はひょっこり顔を出すなどという愚行は犯さなかった。

 しかし、このままでは男の言葉の通りに追い込まれる。やはり北西を目指すべきか。建物の角まで行けば、ここよりはマシな攻防ができるだろう。

 柑奈がのろのろと歩き始めたところで、北西の方角から連続した銃声が響いた。その中に軽快なエンジン音――近づいて来る。

 矢を番え、弓を引く――その数秒後、角から大型バイクが躍り出た。

「待て待て待て! あたしだ! やめろ!」

 オリガの必死の声――分かってはいたが安心した。

 そして弓を下ろしてから少しして、真新しい朱色のバイクが柑奈の横に着けた。

「用意が良いね。穴も開いてない」

「盗んだんだよ。銃声はあたしんだ。反対側に駐車スペースがあって……いや、今はいいだろ。さっさと乗れ」

 柑奈が後ろに跨ると、オリガはすぐに発進させた。

 方向は南、正面ゲート。

「ゲートは閉まってるぞ!」

 柑奈はオリガに聞こえるよう声を張り上げる。

「いいんだよ! それより背後と右に気を付けろ!」

 肩越しに後ろを窺うと、遠くに三つの人影。北西から追ってきた敵だろう。

 身体を左へ捻り、強引な姿勢で弓を引き絞る。

 当たればいい――と、中央の男を狙って放った矢はどうにか肩に命中した。さらに、仰け反ったところに二射目が腹部に突き刺さる。しかし、ボディアーマーに守られていたため浅かった。

 一人の男が負傷した男を建物の陰に運んでいき、もう一人が銃撃を開始した。

 忌々しい銃声が木霊する――。

 柑奈は牽制しようとしたが、突然バイクが右に傾いて体勢を崩された。

 咄嗟にオリガのジャージを掴む――すると、後ろに引っ張られたオリガが悪態をつく。

「あっぶねぇな!」

「そっちこそ」

 バイクは建物の正面に移動し、北からの追手の死角に入っていた。

 しかし――玄関には、また三つの人影があった。

「伏せろ!」

 オリガが叫ぶ――直後、嵐のような弾丸の雨に見舞われた。

 テールランプが飛散し、シートから叩くような振動が伝わる。右肩に衝撃。クイーバーのベルトが千切れて暗闇に落ちてゆく。脇腹を刺された――いや、銃弾だ。

 柑奈は目の前の背中にしがみ付くようにもたれ掛かる。

「もう少しだ!」

「盾か私は……」

 ゲートまで二〇メートルほど。衝突まであと僅か――柑奈は肩越しに前を覗く。

(……?)

 視線の先には、洞窟の如く闇があるだけ。ゲートが開いているのだ。

 上手くやったのか? それともシュリが? そう思ったが、開いたゲートの左右に人影があった。

「待ち伏せ――――」

 後輪が破裂し、車体が跳ねるように大きく揺れる。そしてバイクは横倒しになり、けたたましい音をたてて滑っていく――二人はアスファルトに投げ出され、五メートルほど転がった。

 それでも柑奈は気を失っていなかった。そして左手にも弓がある。

 まだ戦える。

 這いつくばりながらラケタを一本抜き、震える手で弓に番える――すると精神は研ぎ澄まされ、震えは止まった。

 三人の兵士は勝利を確信したのか、横並びに立って構えている。柑奈は、その中央の男に向けて一射――矢は正確に額を射抜いた。

 しかし状況は悪化する。

「くそ……」

 東側から二人の兵士が現れた。

 近くで転がるオリガは、打ちどころか悪かったのかピクリともしない。ゲートは遠く、まだ一〇メートル先。辿り着けたとしても、待ち伏せがいる。

 柑奈は苦し紛れにラケタを抜き、施設とそして兵士たちを獣のような目で睨んだ。

 四人の兵士が銃を構え、慎重に距離を詰めて来ている――まだ自分にはやるべきことがある。ここで野垂れ死ぬわけにはいかない。しかし、目の前には絶望的な光景があった。

 弓を持つ手に力を入れると、乾いた銃声が響いた。

 柑奈は思わず目を閉じる――銃撃は、突風のように僅かな間で終わった。

(……生きている?)

 目を開けて前を見ると、四人の兵士は全員が倒れていた。

 いったい何が――と体を起こそうとしたところで、複数人の足音が背後から近づいて来た。

「敵ではない」

 若くはない、年齢を感じる男の声。

 次にオリガのロシア語による声が耳に届いた。

「んぁ……なんだよ、死ぬかと思ったわ」

「戦闘狂にはちょうどいいだろう――おい、お嬢様を手当てしてやれ」

 指示に応じて武装した男が寄って来た。

 のそりと現れたのは、ヴィクトルと同じ東スラヴ系の顔。日本の軍人に白人はいない。それに、オリガが親しげに会話していたことを考えれば、彼らは間違いなくPPの部隊なのだろう。

「どこを撃たれた?」

 部下の男が傍らにしゃがみ、流暢な日本語で言った。

「右の脇腹と右肩。それと左の太腿も」

 あらためて言って意識したせいか、忘れられていた痛みが爆ぜるように主張する。

 顔を歪ませる柑奈を気にせず、男はまず左脚を圧迫し、それから脇腹を探り始めた。

「――端の方を貫通している。運が良い」

「それはどうも」

 シュリにした処置と同じように傷口に薬品を注入されると、冷たい感覚が腹部の内に広がった。

「左脚は出血はあるが抉られているだけだ。が、残念ながら右肩のほうは専門外だ。弾は残っていないようだが」

「ならいい」

 男が頷き脚の処置を開始する。

 肩に走った衝撃は、人工骨格が銃弾を受けたものだった。その箇所を自分で触れてみると、露出した人工骨格が凹んでいるのが分かる。ただ、先ほどの一射からして大きな問題はなさそうだった。

「――よし、終わったぞ。まったく、機械の四肢というのは便利なものだな。金は掛かるのだろうが」

「そうだぜ。お前らの薄給じゃ、ブサイクを見れる程度に弄るのがせいぜいだろ」

 いつのまに横に立っていたオリガが軽口を叩き、男は唾を吐いて去っていく。

 止血を終えた柑奈は、どっと噴き出た冷たい汗を拭う。それから手を突いて身を起こした。

「くっ……一般に流通するのも時間の問題だと思うけどね」

 言いながら、周囲を見渡した。

 武装した男たちが五人、各々が周囲を警戒中だ。軍の連中は、やはり全員が死んでいるようだった。

 助けられたのは事実。彼らには敵意もない。しかし、今どう対応すべきか――。

「リンドウ・カンナ、串刺し公だな。私はタポール。パクス・ポテスターテムの特務部隊の者だ」

 男が見下ろしながら名乗った。そこに威圧的な印象はない。

「全て聞いている。ミヤマ・ナガヒサも既に殺害したらしいな。まんまと出し抜かれた。まあ、我々に害はないわけだが」

 タポールはオリガをちらりと見る。

「こっちこそ出し抜かれたぜ。どうやって来たんだよ」

「独自のルートだ。説明してやる義理はない」

 それは、横浜港広域を支配下に置くロストフファミリーの手引きによるものだった。

 二日前、オリガら現地からもたらされた情報――つまり、オデルの死亡と軍の動向から急ぐ必要があると感じたタポールは、ロシア軍時代の旧知の間柄であるヴィクトルに、強引に連絡を取り付けた。

 その際にオリガが伝えなかった襲撃作戦を知り、失敗されたら堪ったものではないと一気呵成に侵入したのだった。

「ミヤマ・ナガヒサの遺体はどこだ?」

「地下の奥の部屋。一人だけ軍服を着てるから、行けばすぐに分かる。それと負傷した兵士が一人、まだどこかにいるはず」

 タポールは部下に証拠品回収の指示を出し、柑奈に向き直して話を続ける。

「少女はいなかったようだな。仮にここで十分な証拠が得られなかった場合、その少女に協力してもらうことになる。こちらとしては、強引な手はなるべく使いたくない」

「……」

 次の言葉に、柑奈は衝撃を受ける。

「先刻、パクス・ポテスターテムの支部局の建物が爆破され、職員数人と高官が死亡した」

「なっ――」

「犯人は既に捕まっている。あの少女ではない。日本の発表によれば、中国籍の男とのことだ」

 タポールは一拍おいて指摘する。

「お前は今、あの少女による犯行だと思ったな」

「……ミヤマは明言しなかったけど、あの子を動かしていることを臭わせていた」

「諜報部もそれを想定し、標的になる候補を探している。だが、日本における我々の諜報員の活動は厳しく、殺害して益になる人物の特定には至っていない」

「現政権の中心人物とか、関係する企業でも犯罪組織でもない?」

「そうだ。そのあたりは生かされ、利用すると見られている」

 これは、チカに手が届く大きなチャンス――柑奈は思考を巡らせたが、クーデターの邪魔になるような人物に心当たりはなかった。

 ミヤマの言葉から考えるなら、有力なのはPPとそれから――。

「マーダーインクは?」

 タポールは首を横に振る。

「あれは実体の掴めない巨大な組織だ。誰を殺し、どうすれば潰れるかを把握している者などいないだろう。仮に潰せたとしても、政権を掌握さえしていない状態で突くのは悪手だ。裏社会のバランスを失えば、この国は最も混沌とした時代に戻ってしまう。彼らの目的を考えれば、今ではないはずだ」

 柑奈は自らの浅慮に舌打ちをする。

 冷静さを欠いている。一般人でも少し考えれば分かることだった。

(手掛かりはないのか?)

 三人が黙考し始めたところで、バイクの特殊なエンジン音が聞こえてきた。それは、ヴンダーカンマーから購入したものだった。

「待って。あれは味方」

 柑奈が銃口を向けるタポールを制すると、バイクに乗ったシュリが闇の中から現れた。

 楽器ケースを背負っているシュリはそのままゲートから侵入し、柑奈たちの横に乗り付けるといつもの調子で言う。

「お嬢、まったく心配しましたよ」

「実際危なかった。……彼はPPの人間で、チカの行方について話しているところ」

「さっきボスから連絡があったんで知ってます。接触するなと言われたんですけどね――」

 シュリの鋭い視線がオリガ、タポールと流れ、最後にタポールの持つアサルトライフルに留まった。

「何だ?」

 タポールがにわかに警戒の色を出す。

 柑奈もつられて銃を見る――それは、見覚えのあるものだった。

「あの研究者が持っていた設計図と同じもの、か」

「まあ、今となってはどうでもいいですね」

 柑奈もそう思ったが、オリガが反応した。

「研究者って、例の亡命しようとしてた奴か?」

「そいつ。オデルの話だと、中国の協力を受けて装備の更新をしていたらしい。その一つがアサルトライフルだと言っていた」

 するとタポールが考える仕草を取り、少しして呟いた。

「……悪い情報だな」

「はあ? 何がだよ」

「PP高官暗殺の件と合わせて考えろ。これと同じ銃、同じ銃弾で中国外相を狙撃させ、我々による報復だと発表するつもりなのかもしれん。それによって、強引ではあるが中国は大義名分を得られる。外相は生贄だな」

 三人が固まり、タポールがさらに言った。

「第一次世界大戦のきっけかとなった、サラエヴォ事件の再現といったところか」

「……戦争が始まる?」

 チカの手で――あの小さい手で戦争が引き起こされるというのか。

 タポールは柑奈の反応を窺いつつ携帯端末を取り出し、すこし距離を取って何者かに電話を掛ける――しばらくして用件を終えると、今度はインカムで部下に指示を出し、そして沈黙する柑奈たちに向き直して言った。

「我々は撤退する」

「おいおい。暗殺はスルーかよ」

「我々が日本にいる事実が問題になる。もはや一刻を争う事態だ。お前もだぞ、ロトキナ」

「あたしもかよ。マジで阻止しないのか?」

 オリガを無視して再び携帯端末を操作しようとするタポールを、柑奈が強い口調で引き留めた。

「待て。その中国の外相はどこにいるんだ?」

「……情報が正しく、そして移動していなければ、二三時頃から日本の外相と非公式の会談が行われる。場所は港区にある宿泊先のホテル『八仙花(はっせんか)』。部屋は二〇階の二〇三五室だ」

 柑奈の次の言葉を予感し、タポールの目が鋭くなる。

「取引だ。私が暗殺を阻止する。成功した場合、あの子の身柄はPPに引き渡す。その代わり約束しろ。あの子の身の安全を……ただ平穏に、普通の女の子として生活を送ることができるよう約束しろ」

「――いいだろう。だが、一つ条件を付けさせてもらう」

 そう言って、タポールは矢が突き刺さった兵士に顔を向けた。

「串刺し公――噂通りの大した腕だ。小さなマフィアを一人で壊滅させ、それに英語やロシア語、他にも使えると聞いている。ロトキナから逃れ続けた隠密技術も大したものだ」

 すぐに話の筋が読めたが、柑奈は黙って続きを聞く。

「この通り人手不足でな。まともな人材が欲しい」

「犯罪組織から偽善団体に鞍替えしろって?」

「悪くない条件だと思うが。少女が心配なら、しばらくはこの地区を担当するようにしよう。お互い都合が良いだろう。もちろん、全ては暗殺を阻止し、身柄を引き渡したうえでの話だが」

 分かりやすい――柑奈は端的にそう思った。

 彼らにとって、今回の件で深く関わった手負いの殺し屋を始末するのはそう難しくない。そしてその後に、欲するものを奪えばいいだけのこと。しかし、どうせなら手綱を握り、都合の良い駒として利用しようというのだろう。

 確かに悪くない条件だ。しかし、特に良いわけでもない。

 殺しの対象がより政治的に偏る程度の変化。そこに価値を見出せるものはない――とは言え、死に急いでいるわけでもなかった。

 長く生きたいという願いもない。

 しかし、もうしばらく見守りたいという思いがある。

「雇われてあげる。せいぜい上手く使えばいい」

「良い答えだ。ロトキナ、準備しておけ」

 タポールは口元に微かに笑みを浮かべて言った。そしてオリガの罵声を背に浴びながら、施設の外へと消えてゆく。

「結局それですか」

「話は後。シュリ、狙撃ポイントを探し出して。方角と高さから狙撃可能な建物は絞れるはず」

「分かりましたよ。まったく……」

 シュリは首を横に振りながら懐から小型の端末を取り出し、早速調査を開始した。

 すると、暇になったオリガが薄く笑って言葉をかけてきた。

「ようこそ闇から闇へってところか」

 オリガはよく知っている――。

 この世界、どれだけ足掻いても光には届かない。ドアを開けても闇が続いているだけだし、頭上から垂れて来た糸は腐っている。階段を上った先は決まって絞首台だ。

「案内はいらない」

「だろうよ――つっても、阻止して連れて帰ってからの話だけどな」

「言われるまでもない……ところで、本当に撤退するつもり? 弾避けになってやったんだから、もうひと働きして欲しいところだけど」

 柑奈は弓を楽器ケースに仕舞い、出発の準備をしながら皮肉を投げつける。

「仕方ねーだろ。さすがに直接の命令違反は殺されてもおかしくないんだ。ま、あんたらにとってはやり易くなったろ」

「ああ。煩いアホがいないと助かるわ」

 と、シュリが横槍を入れてオリガが睨むが、シュリは無視して柑奈に顔を向ける。

「お嬢、見つけましたよ。ホテルから一二〇メートルの距離にある、建設中の三〇階建ての大型複合施設」

「複合施設?」

「基本は遊ぶところですよ。一階から一二階がショッピングモールで、そのうち一階から四階までの一部をぶち抜いてテーマパークも入るみたいですね。一三階から上は映画館やら宿泊施設になるんだとか。で、現在は二〇階まで進んでいると。高さ的には一八階が合致。そして射線を考えると、条件に該当するのはここだけです」

「……なるほど、人気がなくておあつらえ向きだ」

「目的地までは四〇分くらい。予定時刻まであと五〇分ほど……ギリギリってとこですかね。それと場内マップもあったんで、そのデータ送っときました」

「分かった――よし、急ごう」

 ヘルメットを被ったシュリがシートに跨り、柑奈も楽器ケースを背負って同様に続く――その拍子に、撃たれた脇腹から鈍痛が、脚からは切られたような痛みが走った。

 耐えられないほどではない。出血も止まっている。ただ、戦闘を行えば確実に悪化し、数日は病院で過ごすことになりそうだった。

(今夜にすべてを掛けろ――)

 柑奈は自分に言い聞かす。

 たとえ残る片方の腕を失おうとも、チカの小さな手をこれ以上汚させてはいけない。

「油断してヒーローになり損ねんなよ」

「さっさと尻尾巻いてシベリアに帰んな」

「お前のボスもロシア人だろうが!」

 シュリが中指を立て、柑奈はかるく手を振る。

 そして、バイクは静かに走り出した。

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