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第33話 突き動かすもの

 ヴィクトルとその部下二〇余名は、見晴らしの良い小高い丘にいた。

 そこは廃れた自然公園の一画。さらに夜間ともなれば、やはり彼ら以外に人気はない。

 遥か遠くの地上では、暗闇の中で光の粒がちらちらと蠢いている。

 人々の群れだ――買収と扇動によって集まった、生活を守ろうとする真摯な愚者たちの群れ。

 何千という人間が声を合わせ、激しく何事かを叫んでいる。しかし、怒号は重なり合って明瞭としない。

 そうした民衆がいるのは、日本陸軍横浜基地の周辺。

 ヴィクトルは双眼鏡を使い、人々の群れではなく、照明が点いたままの基地を注意深く眺めていた。

 レンズを通して見えるのは、ブレードが不自然に傾いた輸送用のヘリコプター。ローター部分には、細長い棒状のものが突き刺さっている。それが二機。

「お嬢は上手くやってますかね」

 隣に佇むキールが双眼鏡を下ろして言った。

 ヴィクトルは少しの沈黙の後、双眼鏡を覗いたまま答える。

「さあな」

 二人の背後には、巨大なコンパウンドクロスボウ――遥か一〇〇〇年以上昔の古代に使われたバリスタに似た兵器三挺が、その役目を終えて鎮座している。

 横幅は三メートルで、同じく三メートルの矢を撃ち出す。最大射程は二〇〇〇メートルを超え、高度な電子制御によって精密射撃が可能となっている。

 ヴィクトルたちは、このまさに軍が驚く代物で軍のヘリを沈黙せしめたのだった。

「まったく、心配してるくせに。あんな一人前の殺し屋になってしまって、ね?」

「そうだな。お前の熱心な訓練のたまものだ」

「そうでしたかね」

 キールは肩を竦め、ヴィクトルは双眼鏡を覗き続ける。

 基地は喧騒に包まれているが、軍のそれに対する反応は穏やかに見えた。

 武器を下ろし説得を試みているようだし、装甲車や迫撃砲といった兵器が待機している格納庫の動きも静か。時間稼ぎは十分にできただろう。

 二日前の夜――ヴィクトルは柑奈から要請を受け、情と利害、三つの一致をもって迅速に準備を開始させた。

 地上は市民を利用することで封じ込め、空は遠距離攻撃で移動手段を潰す――準備は手間だったが、当日の動きは単純だった。

 まずは人員とバリスタの配置。次に、柑奈から携帯端末で合図を受けた後、手筈通りに作戦を発動させた。

 基地周辺は五分と掛からず人で溢れ、さらに格納庫から現れたヘリを破壊――そして現在は、状況を静観しているという状況にある。

 ただ、それもここまで。いつまでも攻撃地点に留まっているわけにはいかない。

 国と軍にとって、反体制派の秘匿されている施設などよりも、基地を攻撃されたという事実の方が重要だからだ。

「さて、おもちゃを片して撤退するぞ。壊しても構わん、三分で終わらせろ」

 部下たちは言いつけ通り三分以内にバリスタを解体し、さっさとトラックに積み込んだ。

 部下たちが各々の車へ乗り込んでいく――それを見届けた後、ヴィクトルとキールが乗った頑丈なセダンが丘を下り始めた。

 ややあって、ヴィクトルが電話を掛けた。

「首尾はどうだ? ――――ああ、それでいい。せいぜい職務を全うすることだ」

 一分にも満たない通話を終えて端末をしまうヴィクトルに、隣のキールが話し掛ける。

「まるでラッキー・ルチアーノですね。犯罪シンジゲートの頂点にして公共の敵ナンバーワン。ほら、第二次世界大戦時にアメリカ軍やらと協力していとかいう……」

「利用できるものは何でも使うのさ」

「そんな気概があれば良かったんですがね」

 過去の失敗を、キールは無遠慮に揶揄する。

 しかしヴィクトルは、自嘲的な笑みを浮かべて「ふん」と鼻を鳴らすだけ――付き合いの長い二人らしいやり取りだった。

 すると、キールが前方の暗闇を眺めながら言った。

「無事終わったとして、お嬢はどうするんですかね。さっきも言いましたが、もうとっくに一人前の殺し屋。完全にこちらの人間ですよ」

 底なしに続く闇は全てを覆い、踏み入れた者に絡み付く。断ち切ろうとする度に血は流れ、やがて重い鎖となって束縛する。

 そうして深く入り込めば、気付けば自らが闇の一部となってしまう。

 それが遥か昔から連綿と続く、暗い世界の理。

「俺たちはクズだ」

 ヴィクトルが落ち着いた声音で言った。

 いくらか珍しい雰囲気にキールが、おや? と顔を向ける。

「マフィアと言えば、暴力、酒、ドラッグ、売春に人身売買。この世の悪そのものだ」

「それからボスの猫も。そこらへんにゲロ吐いて、スーツも毛だらけにしやがる」

 運転手と助手席の男がくすくすと笑う。

「そのゲロでも飲ませてやろうか。そうすれば少しは賢くなるだろう」

「考えておきます」

 ヴィクトルは肩を竦めて話を戻す。

「――どれほどクズで愚か者でも、まともなものが一つ残っていれば、そいつはまだ人間だと俺は思っている。そしてそうであるなら、どんな道に進もうが、ちゃんと生きていけるはずだ」

 強さの奥に憂いを秘めた瞳は、夜の闇とそこに浮かぶ光を見つめていた。


 同時刻――施設の西側の様子は、あたかも廃墟の如くだった。

 床にはガラス片が散乱し、部屋にある机や棚といった備品もどれこれもが破壊されている。さらにはコンクリートの壁にも歪な大穴が開き、その横でドアが虚しく閉まっていた。

 そうした光景が、二部屋三部屋と続いている。

 全ては侵入者が振るった圧倒的な暴力によるものだ。

「……」

 侵入者――オリガがドアの横に開いた大穴から顔を出す。

 静けさを取り戻した廊下には、薄っすらと埃の舞う瓦礫の小山。その下に、二人の兵士が息絶えていた。

 彼らは施設を警護する部隊の隊長と志の高い部下。

 思わぬ襲撃は、その部下にとって待ちに待った初めての実戦だった。しかし、彼の夢は原始的な武器によって、内臓もろとも潰され立ち消えた。

「絶好調」

 満足げにオリガは呟く。

 オリガの身体はもちろん、彼女が持つ武器にも傷ひとつ付いていない。戦闘開始前と違いがあるとすれば、衣服が埃で汚れているだけ。

 袖に付いた埃を軽く払う――その隙を見計らったように、胸の携帯端末が震えた。

 オリガは一瞬考え、部屋に退いてから電話を取った。

「――ああ、祭りの真っ最中だ――――そうさせてもらう」

 小声で言って、乱暴に電話を切る。

 そして、短く鼻から息を吐いて気持ちを切り替えた。

(もう一息……いや二息か?)

 まだ仕事は十分ではない。ここで倒したのはこれで五人。敵はまだ上階にも残っているはずだ。そいつらを串刺し公の元へ行かせるわけにはいかない。

 その後は脱出だ。倒しきれればいいが――。

 オリガは部屋に転がる死体をまさぐり、サブマシンガンとそのマガジン一本、そして手榴弾をもぎ取った。

 それからまた廊下を覗く。

 施設を東西に分ける壁の中頃には、二階へと続く階段がある。また、その階段は踊り場を通じて東西を行き来できる形になっていた。

 そして、二階への階段は一ヶ所のみ。つまり、そこを押さえれば援軍を断つことができる。

「へへっ」

 オリガは不敵に笑うと、意気揚々と階段を駆け上っていった。

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