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第31話 突破

 陸軍軍曹タナベ・アキラは、今日という日にほとほと嫌気がさしていた。

 今日は一ヶ月ぶりにもらった休暇の最終日。箱根にでもツーリングに出掛けて英気を養う予定だった。それが、一日が始まる前という夜中に掛かってきた電話一つで終わったのだ。

 来るはずもない敵に警戒する任務にはうんざりだ。さらには上級将校の視察など面倒極まりない。

 とは言え、軍の仕事が嫌なわけではない。むしろ志しがあって入隊した。この国は政治的、軍事的に揺れ動き、内政も滅茶苦茶で治安も酷い有様。

 それらはアメリカのせいであり、ロシアのせいであり、マフィア共とその犬のせい。誰もが理解している。

 だからこそ、クーデターを心待ちにしている。

 真なる第三帝国を打ち立てる――何て心躍る響きだろう。

 例え端役でも、歴史の分岐点で動かす側にいることに大きな意義を感じるのだ。それに決行の日とその後のことを考えると、つい少年のように興奮してしまう。

「ふー……」

 マグカップに残っていたコーヒーを飲み干し、そのまま膝の上に置く。

 タナベ軍曹がいるのは施設の二階の一角、兵士たちに当てがわれた休憩室。彼の他には隊長を含めて二〇余名がいる。同じようにコーヒーを啜っている者、装備を弄っている者、隅のベッドやソファで寝ている者――いつものように緊張感などない。

 ここにいない残る二名は、暗い玄関で無意味な警戒中だ。

 カップの底を覗いていると、隊長のヒラカワ中尉が近寄って来た。

「装備のチェックくらいはしておけよ。しばらくは――」

 続くヒラカワ中尉の言葉を、ビルの爆破解体を思わせる轟音が遮った。

 施設の北西、隅の辺りだ。さらに警報装置の通知が隊員たちに届く。

「確認しに行く。タナベ、エビノついて来い。ツヅキとヤマギシはゲートへ移動し周囲を警戒。ノゾエ、三人連れて階段上A地点を押さえろ。あとは待機だ」

 最後に、インカムで玄関の二人にゲートへ向かうよう指示を出す。それからすぐに、兵士たちが一斉に動き出した。

 廊下を走りながら、気楽そうにタナベ軍曹が言う。

「事故じゃないんですかね?」

「確認すればいいことだ」

 建物の北西に着き、窓から窺おうとする――その瞬間、今度は直下から轟音が響き、ビリビリと足元を震わせた。

 三人の目に映ったのは、崩壊した塀と自分たちのすぐ下で漂う土煙。

 ヒラカワ中尉はすぐさまインカムを全隊員に繋げた。

「何者かが北西の塀を破壊し、さらに建物の壁も破壊して侵入した可能性が高い。人数、装備は不明だ。ゲート正面は警戒を強めろ」

 タナベ軍曹は興奮を隠しきれず、指示を出す上官の背後で口元に薄い笑みを浮かべていた。


 一度目の轟音が響いた頃――柑奈はアパートを出て、ゲートから四〇メートル先の暗がりに潜んでいた。

 頭上には街灯がある。しかし、前日までに終わらせた破壊工作によって、辺りはゴーストタウンさながらの暗闇に包まれていた。

(出てきた――)

 玄関から兵士が二人。アサルトライフルを肩から前に提げ、小走りでゲートに向かってきている。

 柑奈はクイーバーから矢を三本抜き、一本を弓に番える。

 警備員二人が後ろに振り向き、兵士に敬礼をした――その時、放たれた矢がゲートの格子の間をすり抜け、返礼しようとした兵士の頭蓋を貫いた。

 仰向けに倒れゆく仲間を見て、もう一人の兵士が素早く反応する――しかし、銃口をゲートに向けたと同時に、次の矢が兵士の眉間に到達した。

 警備員の片方が無線機に手を伸ばす――柑奈はその動きを見逃さない。三本目の矢でその警備員を射殺すと、さらに四本目をクイーバーから抜き、呆然と佇む残りの間抜けに放った。

 四人目の後頭部を矢が穿ってすぐ、柑奈は矢のようになって走り出す。そのままの勢いで跳躍し、ゲートに手を掛け侵入――そこで二度目の轟音が北西から響いた。

 酔っ払いかジャンキーが事故を起こしたのでなければ、オリガが順調に事を進めている報せだ。

 柑奈はちらりと北西を見やり、非常灯が薄緑色に染める玄関へと駆け出す。

 ガラスのドアを開けてすぐ、正面の壁に弱々しくライトアップされている「日本バイオマテリアル」というロゴが目に入った。柑奈は冷ややかに睨み、次の行動に移る。

 建物の中央には、ロゴのある壁に隔てられて二本の廊下が平行して南北に延びている。

 柑奈が向かって右手の廊下に進もうとすると、その先から何者かが近づいて来る気配。足音は二人。警備員のように身軽ではなく、何か身に着けている装備が騒がしくしている。兵士で間違いない。

 柑奈は、ガラスドア近くのプランターの陰に身を潜めた。

 すぐに兵士たちは現れた。柑奈は瞬時に狙いを付け、引き絞った弓を解放する――矢は手前の兵士の肩をかすめ、斜め後ろにいた兵士の額を穿ち即死させた。

 手前の兵士が、矢の飛来した方向へ銃口を向ける――だが、やはり遅かった。続けて放たれた矢によって、二人目も同様の死を迎えた。

 柑奈は二人が死んでいることを確認して、戦闘態勢を維持しながらロゴの下に移動した。

 広がっていく血溜まりの横で、耳を澄まして状況を探る――。

 施設内は、空調の機械音が聞こえるほど静か。その中で、どこかで兵士たちの立てる音が微かに聞こえてくる。

 遠ざかっている――こちらで起きた異変は、まだ察知されていないらしい。

(ちゃんと仕事してるな)

 オリガはまだ接敵していないようだが、状況は作戦通りに動いている。

 作戦――それは、オリガが北西から破壊を伴った襲撃で囮になり、柑奈はその隙に正面から侵入するという、大胆に大胆を重ねたものだった。

 侵入という大きな問題はクリアした。残る問題は三つ。チカの奪還とミヤマの殺害、そして自身の生還。

 もし地下にいなければ、三階まである施設を探さなければならない。内部を熟知し武装した兵士がいる中でそれをやるのは、まさに虎穴に突入するという状況になる。

(その時は、死に物狂いだ)

 最悪を想定しつつ、死体を手早く廊下から見えない位置に移動させ、長い廊下を窺う。

 廊下は暗い。非常灯と点々とある照明が薄っすらと冷たい光を放ち、夜の病院を思わせる。

 地下に続く階段は、この先――北東にある。しかし、遮蔽物のない真っすぐな廊下を進むのはリスクが高過ぎるため、柑奈は廊下の右側に点々とある部屋に入ることにした。

 オデルに描かせたマップによれば、隣り合う部屋は中で繋がっている。つまり、部屋から部屋へ移りながら進む算段だ。

 ドアはすんなり開いた。

 さっと入り、後ろ手に閉める。その部屋に窓はなく、まったくの暗闇。ペンライトを取り出そうとしたその間際、部屋の蛍光灯が点いた。

「――!」

 突然白い光に包まれ、柑奈は目を細めながら間近にあった作業台の陰に飛び込んだ。

 自身が入ってきたドアに弓を向けて引き絞る――が、人の気配はなく、その心配は杞憂に終わった。

 よく見ればドアの小窓の向こうも明るい。廊下の明かりも全て点いたということだ。侵入者を炙り出すための対応だろう、と見て柑奈は周囲を見渡す。

 部屋には機器類がない。机と椅子、段ボールがそこかしこにあるだけ。研究所のイメージとは程遠い。むしろ倉庫か、そうでなければ引っ越し前といった感じだ。

 柑奈は矢を番えたまま、身を屈めて次の部屋へ進む――その部屋も同じだった。

 また次の部屋へ移動した直後、遠く西側からガラスが割れる音や、金属が激しくぶつかり合うような音が響いてきた。

 銃声は聞こえない。上手くやっているのだろう――と、さらに次の部屋に進もうとしたところで、僅かに開いたドアの隙間から、濃いコーヒーの香りが微かに鼻腔を撫でた。

(近い――)

 距離を取ろうとしたその刹那、二人の兵士がドアを弾くように入ってきた。

 ほとんど狙いを付けずに、手前の兵士の上半身に放つ――矢はボディアーマーを貫通し、鳩尾に突き刺さった。

 矢を受けた兵士は衝撃に震え、よろめき床に膝を突く。

 背後の兵士が銃を構えた――柑奈は二の矢が間に合わないと瞬時に判断し、低い姿勢で鋭い体当たりを食らわせる。

 そのまま壁に叩きつけ、ナイフをボディアーマーに守られていない太腿に突き刺した。

 兵士は呻き声を漏らしながらも、銃床で柑奈の頭部を殴る。さらに、柑奈の動きが一瞬止まった隙に蹴り飛ばし、再び銃を構えた。

 弓はどうにか落とさなかった。しかし頭がふらつき、身体が言うことを聞かない――兵士がトリガーに指を掛けた。

「くっ」

 柑奈は苦し紛れにナイフを投擲――兵士の左目に突き刺さった直後、連続した銃声が弾け、それが柑奈の頬を鋭くかすめた。

 兵士は左目の痛みと片目を失った衝撃に、ナイフを引き抜くのに戸惑っている。その間に柑奈は気力を絞り、弓を肩に掛けながら、腰の弾帯から右手にラケタを一本取った。そして兵士に再び突進すると、左手で銃を押し退け、掌底のようにしてラケタを喉元に当てた。

(食らえ――)

 義手を発射台に解放されたラケタは、喉を突き破り、脳を掻き分け、そして頭蓋骨にゴツっと当たり、柑奈にそれらの感触を生々しく伝えた――ほぼ同時に、視界の左端に二つの人影を捉えた。

 一つ部屋を挟んでさらに次の部屋の奥に、兵士がまた二人。

 柑奈は兵士たちが状況を確認するより早く、全てを決断した。

 力を失い崩れてゆく兵士の喉から、柑奈は血塗れのラケタをずるりと引き抜く。そのまま素早くラケタを番え、狙いを付けながら一気に引き絞った――。

 放たれた矢は、血を置き去りにして右の兵士へと飛翔――驚きのまま半開きになっていた口腔に侵入し、喉からうなじを突き破った。

 二人目の兵士は固まっている。目の前で動かなくなった味方と血の匂い、それから襲撃者とその足元に転がる二つの死体に混乱しきっていた。

 反して、柑奈の頭は短時間でかなり回復していた。その頭で冷静にクイーバーから引き抜いた矢を番え、呆気なく兵士の眉間を射抜いて終わらせた。

(……落ち着いたか?)

 柑奈は兵士の眼球からナイフを抜き、かるく血を拭ってから鞘に仕舞う。次にクイーバーから二本引き抜き一本を番えると、警戒しつつ後から現れた兵士たちの元へ移動した。

 断続的に西側からの戦闘音は聞こえるが、新たに接近する敵の気配はない。しかし、銃声によって存在と位置を知られたのは確実。

(さて――)

 倒した兵士はこれで八人。

 残りは最低でも十二人。ミヤマの警護も四人いる。

(どうする?)

 考えたのは、当然撤退すべきかどうかではない。

 決行した以上、最低でもチカがいるのかを確認する必要がある。

 チカがいるなら救い出してPPと交渉を。いないのなら生還してまた探さなければいけない。

 その選択を捨ててこんな半端なところで撤退すれば、最悪証拠は隠滅された挙句、クーデターも成功する可能性すらある。オリガは失敗してもいいようなことを言ったが、それはミヤマの殺害が最低条件だろう。

 そしてクーデターが成功すればチカは軍に利用され、PPにも本格的に狙われる――どちらに転んでも、チカに明るい未来は存在しない。

 だから、柑奈が考えたのは作戦を進めるための次の行動であった。

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