第30話 特別な狩り
日本バイオマテリアルのセキュリティーは、オデルが吐いた通りに厳重だった。
敷地を高さ五メートルのコンクリート塀で囲い、その上には有刺鉄線の電気柵が敷設されている。南側にある格子状の正面ゲートは、まだ乗り越えられる高さ。しかし、それも電動式の重く頑丈なものだった。
さらに壁の内側には監視カメラに加え、スパイ映画さながらにレーザーセンサーが張られていることも判明した。
いち研究施設としては行き過ぎた警備体制。侵入はもちろん、脱出も難しい――その物々しい外観は、もはや収容所のように思えた。
また、周囲の環境も狙撃に適していなかった。住宅地でありながら幅の広い道を挟んだ向かい側の民家は、どれも二階建てか平屋で背が低い。例え屋根に上っても、車で入り口に乗り付け、警護に守られながら降りるターゲットを射るのは難しいと判断できた。
どの道を通ってくるのかを知れれば、オリガとシュリを加えた三人がかりで襲撃を成功させられる。
しかし、クーデター前で緊張が高まっているであろう軍内部に探りを入れるのは大きなリスクが伴うし、やはり時間もなかった。
そうした情報をオリガに伝え、作戦を立て、限りある時間を使ってあらゆる準備を行った。
そして現在、午後九時三〇分――。
柑奈は施設の南側――五〇メートル離れた場所にあるアパートの一室から、部屋の明かりを消して双眼鏡で正面ゲートを窺っていた。
正面ゲート周辺は、街灯とゲート脇にある照明のおかげでよく見える。
ゲートの前には、民間の警備会社の格好をした男が二人。本当に民間の人間かは不明だ。ただ、チカを襲撃した男たちのように、小火器を装備していないことは確認できた。
予定時刻まで残り三〇分。
退院したばかりのシュリは、い草の香り漂う真新しい畳の上で横になっている。未だ安静を言いつけられている状態だが、撤退時のサポート役を担ってもらった。
自分の腿も、まだ多少の痛みはあるが問題はない。後は遂行するだけ。
二〇分後――閑静な住宅地に、車のエンジン音が密やかに響いた。
「来ましたね」
施設の東からシルバーのセダン。内部はスモークフィルムで見えない。
警備員が横に捌け、ゆっくりとゲートが開いていく――セダンは低いエンジンを響かせゲートを通過し、施設の入り口に横に着けて止まった。
柑奈はスコープ越しに覗く――。
柑奈と目標の間には民家の屋根が連なり、施設の壁がそびえている。車から玄関までの距離は二メートルほどで、車は雨避けの屋根の下。
角度と距離のせいで隙間も時間もほとんど無い。予想通り難易度の高い狙撃だ。それでも技術的には問題はないが、ここで殺すわけにはいかない。
ミヤマには聞き出すことがある。
(あいつがチカを――)
その雑念を隅に追い払い、目標を確認することだけに意識を集中させた。
入り口とは反対側のドアから、兵士二人が先に降りた。二人は肩にアサルトライフルを提げ、手には棒状のものを持っている。
それが何か理解した瞬間に、柑奈は舌打ちをした。
二人が入口の方に回り、棒状のもの――傘を同時に開いた。防御力は皆無だが、狙撃の一撃を防ぐには有効な手段。それを準備していた。
ドアが開くと、すぐさま二本の傘が射線を塞ぎ、続いて何者かが車から降りた。目標は確認できなかったが仕方がない。これは予想した展開だ。いると仮定してやるしかない。
柑奈はスコープを下ろすと、代わりに携帯端末を取り出して予定通りオリガに掛けた。
三度目のコールの後に切り、もう一度電話を掛けて繰り返す。
それから愛用の弓を手にし、今一度装備を確認していく――すると、シュリがスコープから目を離して言った。
「やっぱり、オデルから情報が洩れてる可能性は考えていたみたいですね」
「うん。ただ、配備している人員に大きな変化はないはず」
この数日間、ロストフファミリーは軍と政府を念入りに調査したが、施設の関係者は見つかっても裏の顔を知る者までは辿り着けなかった。
つまりそれは、ミヤマはこの施設の実態を、クーデター派や自分の派閥の者にも可能な限り秘匿していたことを示していた。
「なんにせよ、罠はあると思ってくださいよ。自分が死んだらお終いだってこと、お忘れなく」
「分かってる」
いつも通りの狩りの時間が始まる。
ただ一つ違うのは、誰かのためという理由があるということ。
「……分かってる」
もう一度呟いて、真っ暗な部屋で長く息を吐いた。




