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第3話 狩り場

 原生林じみた有様のかつての公園は、荒々しい女の追跡を阻んだ。

 街の光が届かない上に草木も生い茂っているものだから、視界はすこぶる悪い。頼りになるのは、木々の間から差す淡い月明りだけ。

 戦前はきれいだった石畳も、空爆と力強い植物たちによって壊滅的に捲れ、殊更に足場を悪くさせている。

 それでも、その女は柑奈を見失わなかった。

 草木を払いながら追っていると、二〇メートルほど先から木々の間を縫って矢が飛来した。女はそれを、事も無げに分厚い鈍器で弾く――秒速二〇〇メートルで迫る矢は、暗闇の中では視認すら能わない。しかし、女は弦の音に対する超人的反応と、持ち前の戦闘センスによって回避していた。

 森に入ってからは、ずっとその繰り返し。今弾いた矢で一八本目になる。

(あいつ、そんなに持ってたか?)

 疑念を抱きながら草木を払い、暗い森を駆ける――突然現れた倒木に足を止めると同時に、今度は続けざまに二本の矢が飛来した。それを横っ飛びで回避し、そのまま湿った地べたを転がる。

 起き上がろうとしたその刹那、悪寒を感じて再び大げさに転がると、いた場所に深々と矢が突き刺さった。

 恐ろしく正確で早い。都市伝説じみた噂に違わぬ凄まじい腕だ――女はそのように思ったが、同時に手際の良さも気になった。

(……メンドクサイな)

 さらに意識を集中し、女は離された距離を詰めようと加速する。

 倒木を飛び越え、矢を避け、瓦礫を迂回し、また矢を防ぐ。直感で回避していた串刺し公の攻撃を、頭の中で整理し論理的に捉えると俄然動きは良くなった。

 しかし、それが仇となった。

 それから何度目かの攻撃を避けた後、串刺し公が木から木へ跳躍する気配を感じ取った。

 接近のチャンス――一直線に駆け出すと、不意に開けた場所に出た。

 テニスコート半面程度の草むらに、色とりどりのチューリップが群生している。それが、月明りに照らされよく映えた。

 闇に慣れた目が、ゆっくりとその場に順応していく――マズい――気付いた時には遅かった。

 背後の森に戻ろうと後退る――瞬間、左側から弦の音が響き、反射的に上半身を捻ると死が脇の下を通過した。

「くそっ」

 罠だった。ここに誘い込まれたのだ。串刺し公はこの森を熟知していた。

 いや――知っているどころか、ここは奴の庭なのかもしれない。そうであれば、不自然に多い矢にも説明がつく。きっと森の中を移動しながら補充していたに違いない。

 女は闇の中を睨みつける。すると、今度は右側で弦の音――防いだ鈍器が甲高い音を鳴らし、持つ手をわずかに痺れさせる。

「……いいね」

 口元が歪む。

 女がこれほど死を近くに感じたのは、武器を手にして以来初めてのことだった。


 チューリップが月明りに浮かぶこの場所が、柑奈が選んだ処刑場だった。

 今夜は満月。その明かりに慣れた目では、もはや暗闇に潜む自分を目で追うことは難しい。

 それでもなお、闇から二度の攻撃は回避されたが、柑奈の顔に驚きはなかった。

 ここ至るまで放った矢は、誘導であると同時に必殺のものだった。だと言うのに、ジャージ女には最初に付けた顔以外に傷ひとつないのだ。隙を狙っただけでは射殺せる相手ではない。

 だが、それももう終わり。ジャージ女が、弦の音に反応しているのはもう分かっている。その異常な反応速度、それが命取りになるだろう。

 クイーバーから三本の矢を抜き、二本を指の間に挟み、残りの一本を弓に番えた。

 森のざわめきとともに引き絞る――矢尻の先は、ジャージ女よりずっと左。木に固定された黒いプレートに向けられている。

(チャンスは一度きり……)

 柑奈は矢を射ってすぐ、右手に向かって走り出した。

 弦の音に反応したジャージ女は、瞬時に音のした方に鈍器を盾にして構える――しかし、放たれた矢はカカカッと三度音をたて、同じ回数だけ方向を変えてジャージ女の横合いから迫った。

 ジャージ女は間一髪身体を捻り、矢はジャージの脇に穴を開けて過ぎていく。

 それを見ながら柑奈がさらに一射。今度はジャージ女に対し向かって右側。

 矢は一度だけカッと音をたて、二本目も横合いから迫った。それをジャージ女は身体を半回転させて避ける。

(猫かこいつは)

 内心で揶揄しながら、手に持つ最後の一射を放つ。

 矢は真っ直ぐに(、、、、、)、小さな可愛らしい頭へと突き進む。

 二度の曲撃ちを囮にした、計算し狙い澄ました一射――柑奈は矢を放った瞬間に「取った」と手応えを感じていた。

 しかし――ジャージ女は鈍器を振るい、超高速の矢を弾いた。折れた矢が宙を舞い、チューリップの間へと落ちていく――。

 それは反応というものではなく、明らかに読み切ったものだった。

 二人の動きが止まり、森を静寂が支配する。

 それを破ったのは、顔半分を血に染めるジャージ女だった。

「おい、串刺し公! 時間の無駄だ。分かるだろ? あんたはあたしを仕留められないし、あたしもあんたを捉えられない……交渉しようじゃないか」

 柑奈は馬鹿げた提案だと、闇の中から女を冷たく見据える。

 持久戦なら望むところ。たとえ体力があろうと、見えない相手からの攻撃を防ぎ続けるのは、精神を酷く摩耗していくはずだ。そのための矢も、一〇〇本以上が森の中に隠してある。

 状況がどちらに有利なのかは明白。これが答えだ――と、矢を放った。しかし、ジャージ女は難なく回避して声を荒らげる。

「クソアマ! あたしが欲しいのは、あのいかつい車にあったはずのブツだ。あんたが運んでったんだろ?」

 こいつも私を疑うのか。いったい何を運んでいたというのか――柑奈は考えを巡らせたが、いかんせん情報が不足していた。

「もし譲ってくれるんなら、あんたの顔は忘れてやる。どうだ?」

 あまりに酷い交換条件。

 そもそも、交換する物がないのだから成り立たない。

「マーダーインクに誓約書を書いたっていいぞ」

「……」

 マーダーインク。その言葉に柑奈は反応した。

 それは、一九三〇年代前半から二〇年ほど活動していたという、アメリカに実在した殺し専門の組織。設立の経緯は、ビジネスを損なうマフィア同士の抗争を律し、殺しにルールを設けるため。

 例えば、ビジネスや政治的な殺しは請け負うが、私的な殺し――ギャンブルに負けたとか女を寝取られた復讐だとかは禁止していた。

 現在の日本に拠点を置くマーダーインクは、勃発した激しい抗争後に、過去のそれに倣って創設された別の組織だ。

 これによって無駄な流血がなくなったマフィアは潤い、都市もまたその恩恵にあやかった。

 そして、ルールを破った殺し屋ややり過ぎた(、、、、、)マフィアを粛正する役割もある。つまり、裏社会における法の番人として君臨しているのだ。

 その名を出され、柑奈はジャージ女の言葉を信じても良いと考えた。

 とはいえ、ないものはない。が、だからこそ良案だった。

 柑奈がゆっくりと歩き出す――気配を感じたジャージ女が緊張を解いた。その隙を狙って、また一射。キャップが吹き飛び、シルバーブロンドの髪が月下に躍る。

「おい――」

「よく避けたね。……あなたが言うブツっていうの、私は知らないんだ」

 暗闇から浮き出るように現れた黒づくめの柑奈に、ジャージ女の口が止まる。

「だから提案には応じられない。悪いね」

「はあ? じゃあ、誰が持ってったって言うんだよ」

「知らないって言った。こっちの依頼人にも聞かれてそう返した」

 ジャージ女は、綺麗な髪をわしゃわしゃとして呻く。

「……どうすりゃいいんだ?」

「ブツは消えて手掛かりなし、って報告すればいい。そうするなら、私はあなたの顔は忘れてあげてもいい」

「なんだよ。そういう流れかよ……分かった。それでいい」

 キャップを拾い、踵を返そうとしたジャージ女を柑奈は引き止める。

「ちょっといいかな」

「ん?」

「ブツってなんなの?」

「さあ? あたしも教えられてない、っていうか欲しがった奴自身も知らないんだよ。すっとボケただけもしれないけどな。ともかくどんな形かも分からないから、車の中とトランク調べて、死体のポケットも全部まさぐって……で、それらしいのが無かったから、襲撃した奴が持っていったんだろうって」

 依頼したのは誰か――柑奈は、そんな無意味なことは聞かなかった。

 フリーの殺し屋にしろ、専属にしろ、プロなら口を割るなどありえない。一度でも裏切れば信用を取り戻すことはできず、必ず死を以って償うことになるからだ。

「もう一つ。なんで私が襲撃者だと分かった?」

「あー、まあいいか。ヒントになったのは、まずはこれだな」

 そう言って、鈍器を地面に突き立てるようにして置くと、長い柄が折り畳まれ、いくらかコンパクトになった。さらに本体部分も可変なら、バックパックに収まるように見えた。

「あたしの得物がこういう仕掛けになってるからな。襲撃した弓使いもまだ持ち歩いてるなら、それっぽいケースなりに入れてるのは予想できたワケ」

「あとは?」

 もし楽器ケースを訓練された男が持ち歩いていたら、逆に中身を疑われる。そういうご時世だ。

 しかし柑奈の顔は精悍ではないし、体つきも屈強に見えない。その姿から殺し屋だと推測するのは、どう飛躍しても行き着かないだろうと思われた。

「まあ、カンだよ」

「カン?」

「時間が時間だから腹減ってんじゃないかって。それで適当なコンビニで張ってたら、それっぽいケース持った女が入っていってね。あたし大勝利。へへっ」

「なるほど」

 変な奴に絡まれた。そういうことだ。と柑奈は処理した。

 大げさにため息をつき、その後ジャージ女が森から出て行くのを確認して、それからようやくシュリが待つ合流ポイントへ向かったのだった。

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