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第29話 クソったれな仕事

 長い夜が明けた早朝、柑奈はマーダーインクの窓口にもなっているバーに赴いた。

 目的は、オリガへの正式なミヤマ・ナガヒサ殺害依頼。一時間後に受理され、すぐさまオリガが契約を受諾した――それは、ミヤマという将校の殺害の正当性が認められたことであり、それこそが目的だった。

 稀にみる大きな殺し。通常であれば相手にされないし、場合によってはペナルティを受ける。だが上手くいった。日本の現体制の維持は、裏社会にとっても都合が良かったのだ。

 柑奈は手続きを終えた後、次にヴンダーカンマーへ向かった。

「調子、良さそうだね」

「おかげさまで。脚のほうも、ほら」

 シュリが掛け布団とシャツを捲り、艶めかしい下着姿を見せつける。

 腹には包帯が巻かれ、腿にはガーゼが貼られているが顔色は良い。

「ちっさい弾だったみたいで、ダメージもそれなりで済みました」

「ほんと、悪運が強い」

「ははっ。ま、チカを可能な限り殺さないようにするための装備だったんでしょう――それで、あの後はどうしたんです?」

 柑奈は頷き、一夜の間に起きた出来事を全て話した。

 オデルが殺し屋と部下を使って自分を襲わせたこと、ミジャルから聞き出した過去の真相、その二人を殺したこと、そして施設とミヤマ・ナガヒサのこと――さらにオリガとPPのことも。

「――なるほど。オデルたちがね。上手く隠していたもんだ。……となると、ミヤマ・ナガヒサも復讐の相手と言えなくもないですね?」

「そこに拘るつもりはない。チカさえ救えるなら他のことは後回しにする」

「カンナ」

 半端な敬語ではない真面目な調子に、柑奈はどきりとする。

「まだ終わっていないのはお前もだ。自分の命も粗末にするな」

「分かってる」

「そうは見えないな。それに仮にチカを救い出せたとして、その後はどうするつもりだ? だらだらと殺し屋稼業を続けるのか? チカは誰が見るんだ」

「チカにはこっちの世界との関係を完全に断ってもらう。全部上手くいったら、後はまともな人に面倒を見てもらえばいい」

 シュリは鼻で笑って言葉を返す。

「カンナもそうすればいい。殺し屋なんてやめようと思えばいつでもやめられる。マフィアの娘なんてのも大したしがらみじゃない」

「無理だ」

「汚い世界が許せないって? いくら殺したって終わらないぞ。人類が滅亡するまでな」

「……だからって、目に映るものを無視なんてできない」

 自分の力では、街ひとつ綺麗にすることだってできないのは分かっている。だからと言って、こうしてやれる力を持っているのに、弓を置いて呑気に暮らすことなどできるわけがない。

 それこそ、そんな自分が許せないのだ。

「まったく頑固だな」

 シュリは肩竦め、大げさにため息をつく。

 自分のことなんて今する話じゃない――柑奈は出かかった言葉を抑え、話を用件に戻した。

「……ともかく、まずは大仕事を片付けないといけない。三日後、予定通り施設に襲撃を掛ける。チカがいる可能性は高くないだろうけど、手掛かりくらいは掴めるだろうし、PPも動いて状況も変わってくる」

「手伝うよ。多少の無理はできる」

「そうやって自分は強引にやるんだから」

 柑奈は頭を振って、シュリの「連絡しろよ」という声を背にもらいながら病室を出る。

 それから朝の冷たい空気が残る街を抜けて、いつもの喫茶店へと向かった。


 店は開店直後で閑散としている。そこにいるのは、店のマスターと客が一人。

「よう。詳細、聞かせてもらおうか」

 いつもの席で待っていたのはオリガ。今回は動きを捉えられていたわけではなく、柑奈から呼び出した。

 オリガに早朝の眠気は感じられない。しかし朝食はまだだったようで、テーブルには食べかけのエッグマフィンとコーヒーがある。

 柑奈も紅茶を注文し、それが運ばれてきてから始めた。

「黒幕は陸軍中将ミヤマ・ナガヒサ。オデルは死んだ。オデルの部下とかはロストフが処理してるか、既に終わったか。オデルはチカの心当たりは施設しかないと言っていたから、昨日言った通り私たちで先に襲撃する」

 PPは信用できない。介入の口実にチカを欲しているというのなら、死体でも手に入ればいいと考えている可能性もある。そうだとしたら、施設を攻撃する際にチカの安全を考慮しないだろう。

 そしてそれを回避するには、チカの身柄を先に確保しなければいけない。そのために、この女を戦力として上手く利用する必要があった。

「陸軍中将か。大物だな。クーデター派の中心人物だ。政治力があって財界に強い。こいつを失えばクーデターの延期は確実で、もしかしたら頓挫するかもしれない」

 オリガはコーヒーを一口飲んで間を開けた。

「――で、施設はどこにあるんだ?」

「青葉区にある日本バイオマテリアル。もう確認済み」

 するとオリガは視線を下げ、反芻するように「日本マテリアル……」と呟く。

「そこ、行ったことあるぞ。軍の関与なんて、まったく臭わせてなかったんだけどなぁ」

「兵士が二〇人くらい常駐してるって聞いたけど」

「いや、マヌケそうな警備員がいただけだった。偽装した軍人かもしれないけど、あれは精鋭って感じじゃない」

「潜入しようとは思わなかったの?」

「まあ、そっちは専門じゃないし。それに、もし当たりでガチガチにセキュリティーが整備されてたら、そこで作戦が失敗に終わるかもしれなかった。ってことで、カメラ設置したりして十日間監視したんだけど、怪しい動きが無かったから除外したんだ。まったく……」

 だから人員を寄こせと言ったんだ――と、オリガはため息をつく。

「何?」

「別に。こっちの話。それで作戦は?」

「三日後にミヤマが視察の予定らしい。それに合わせて襲撃する。施設のマップはオデルに描かせたけど、まだ下見にも行ってない。これから詳細を調べて、どうやるかはそれから」

「現れるのは確かなのかよ。オデルって奴は、死ぬ間際でも相手を騙して喜ぶタイプだったりしないのか?」

 柑奈は首を横に振って答える。

「あいつは命乞いのためにミヤマを裏切って、ヴィクトルに媚びを売ろうとして失敗した。誰かの失敗を楽しむより、自分の成功と保身だけを考える奴。だから情報そのものは本物のはず。ただ、その通りになるかは分からないし、チカがどこにいるかも……」

「ふむ……ま、そこはあんたを信じるよ。あとは……ミヤマの警護体制とかの情報はないのか? そういう後ろめたいことだらけの奴ってのは、警戒も相当強いだろ」

「武装した兵士が四人、常に警護に付いてるらしい。それからさっき言った陸軍の兵士が二〇人。ヴィクトルはオデル周りの処理を軍にバレないように進めてるみたいだけど、どちらにしろ警戒態勢は上がってるだろうし、罠を張ってる可能性も考えないといけない」

「オーケー。こっちでも情報を集めてみる。抜け駆けはしないし、させないから安心しな」

 順調に進んでいたが、そこで柑奈の目が鋭くなった。

「それを信じろって? PPの部隊であれば、基地でもない施設なんて簡単に制圧できるはず。そっちに待つメリットがない」

 その追及に、オリガは肩を竦めて返す。

「だからこそさ。PPにとって重要なのは、施設の実態を掴むことだからな。昨日も言ったろ? ここまで分かってるなら、あたしらが成功しようが失敗しようが結果は変わらない。部隊を送り込んで終わりだ。ただし――」

「クーデターまでに間に合えば?」

「そう。諜報部の予想だと、軍が動くのは一週間以内らしい。中国の外相がわざわざ来日して密談するんだとか。PPの高官も来日して交渉している最中だけど、意味はないだろうってさ。で、その期限に対して問題になるのが、PPの即応部隊が待機してる場所。どこだと思う?」

「さっさと言え」

「はいはい。なんと呑気に太平洋にいるせいで、すぐには来れないんだよ。今から監視の厳しい東京湾を避けて上陸して、こっそり横浜に入るまでに四日は掛かる――なら、ミヤマを抑えるチャンスがあるあたしらが先に仕掛けるのは、PPにとってはむしろ願ったりかなったり……っていうのはあたしの判断なんだけどな」

「……分かってるだろうからはっきり言うけど、私の狙いはチカを先に確保すること。あの子の未来は誰にも譲る気はない」

「それについてもさっき言った通りだ。施設を抑えられるなら、あの子はもう最優先事項じゃない。けど、万が一施設の方が上手くいかなかったら、PPはまたあの子を目標にする。その時は『生死を問わず』だ。つまり、あんた次第ってこと」

 柑奈はしばし考える。

 オリガの言葉がすべて事実であるなら、PPの動向についてはもう憂いはない。自分という存在はPPにとって都合が良く、どのように動いても問題ないと考えられているのだろう。

 自分はやるべきことをやればいい。あとは――。

「残る不安はあたしってところか?」

「そうじゃないって証明できるとでも?」

 オリガはチカを救うために必要な戦力。だが、フリーの殺し屋だ。点数稼ぎに得物を横取りするかもしれない。

「安心しな。もしあの子を狙うことになっても、そん時はあんたに譲ってやるよ」

「理由は?」

「私情だよ。この歳でこんなクソったれな仕事してんだから、あたしだってロクな人生歩んでない。そんな道の途中で、あたし次第で一人の女の子を救えるかもっていうなら、当然そうするさ。雇い主が多少メンドーな目にあってもな」

 ま、証明できるもんなんてないけど――とオリガは付け足す。

 その声音に、柑奈は今までにない素の感情を感じた。しかし、すぐに頭の隅へと追いやった。

 この程度の言葉で信用するなどあり得ないし、そもそも信用する必要がない。戦力として機能しさえすればよく、最後に寝首を掻かかれないように注意するだけだ。

「――分かった。とりあえずは信じる」

「ま、キッチリ働いてやるよ」

 探り合いは終わり、と言わんばかりにオリガは席を立つ。

 背を向け去っていくかと思ったが、オリガは「あ」と言って振り向いた。

「そうだ。一応言っておくぞ。あの子をPPが確保した時の話だ。その場合、身の安全は保障される。でも、重要な証拠品として過ごすことになる。数ヵ月か数年か……それとも一生か。最悪のパターンは、悲劇の演出に使われることだ」

「……それも想定してる」

「そうかよ。んじゃ、あたしも準備を進めるとするわ」

 今度こそ店を出ていくオリガの背を見ながら、柑奈は舌打ちをする。

 PPに対し抱いていた疑念は、今日のオリガの言葉で形となって締め付けた。

 上手くチカを救えたとしても、彼らにとって良い条件を提示できなければ、おそらくは力ずくで奪われるだろう。

 それとも殺すか? ミヤマ、PPの部隊、オリガ――邪魔になるその全てを。

「集中しろ……」

 柑奈は小さく呟くと、紅茶を一気に飲み干して席を立つ。

 熱い紅茶が舌と喉をひりつかせたが、ささくれ立った心を引き締めるにはちょうど良かった。

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