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第28話 粛清の夜

 午後九時四〇分、ヴィクトルの屋敷。

 オデルは、裁判の判決を待つ被告の面持ちで庭をうろついていた。

 雇った殺し屋には連絡が付かないし、配下の部隊も壊滅的被害を被った。しかし、それでも時間稼ぎは十分できたはず。

 だと言うのに、彼から未だに連絡が来ないのはどういうことか。もし作戦が失敗に終わったとすれば、今後の身の振り方を決めなければならない。

 生きるか死ぬか――。

 オデルにとって、まさに今が命運を左右する時であった。

 少しして、屋敷の前に黒塗りのセダンが止まった――あれが会合に参加する最後の一人。もう時間がない。

 オデルの焦燥は限界まで高まり、スーツの右の内ポケットから電子タバコを取り出した。

 カートリッジの中身は、医療大麻とハーブを合成したリキッド。ヘロインには遠く及ばないが、これを吸えばいくらか落ち着ける。

 会合前に吸うべきではないが、もう我慢ができなかった。作用が強く出過ぎたら、体調が悪いなどと言って遅れて行けばいい。

 脳内でそんな言い訳をしつつ口に咥えようかという時、左の内ポケットの携帯端末が振動した――ようやく来たか。

「パシニンです。どうなりましたか?」

『……気楽そうだな』

 壮年の男の声に蔑みを感じ、オデルは少し苛立った。

「それで?」

『検体は回収できた。ただし、問題が発生した』

 その言葉で、オデルは頭をハンマーで殴られたような衝撃に襲われた。

『襲撃班十名のうち八名の反応が消え、次に加勢のために二名が向かったが、これも応答しなくなった。入り口を塞いだ二人も同様だ。残った偽装ドローンのパイロット一人と回収した二人には、その時点で撤退させた。問題はこの被害ではない』

 唾を呑む――そして、これから起こり得る事態を考えた。トカゲの尻尾にされるか、串刺し公が復讐しに来るか。どちらにしても終わりだ。

 オデルは、汗ばんだ手から携帯端末を落とさないようにしながら相手の言葉を待つ。

 壮年の男は長いため息をついて話を続ける。

『回収部隊が向かっているところだが、先んじてドローンで確認したところ、部屋には襲撃班八名の死体しか残っていなかった。分かるか? 子守りの女の死体が確認できていないのだ』

「つまり?」

 オデルは平静を装って言った。

『我々の兵士が検体の少女一人と女一人にやられるとは思えない。攻撃直後に加勢があったと考えるのが妥当だ。足止めに失敗したんじゃないのか?』

「私に落ち度があると?」

『それ以外に何かあるのか?』

 無能が。銃器を持って何故仕留められない――と内心で罵倒する。

 その怒りが、逆にオデルを落ち着かせた。

『チャンスを与える。二四時間以内に竜胆柑奈を始末しろ。分かるな? このままでは我々とお前の関係が明るみになる。無論、それだけではない。これまでの研究と計画までもが白日の下に晒されるかもしれん』

「分かりました。こちらで処理致します」

 返事をすると、壮年の男は何も言わず電話を切った。

 馬鹿を言え。串刺し公をそう簡単に仕留められるものか。奴は終わりだ。

 切られる前に切る――慣れた手段で乗り切ればいい。


 遠くに古めかしい屋敷が見えてきた。心地良くはないが、肌に慣れた場所。

 屋敷の前の通りには、十台以上の車が連なって停まっている。人も多いが楽しげな空気はない。会合前の見慣れた光景だ。

 ライトを点けて三〇メートルの距離まで来た――しかし、男たちはまだ気付いていない。

 ホーンを一度だけ鳴らしてようやく全員が振り向き、同時に各々が武器を構えた。

 柑奈はヘルメットのシールドを上げ、徐々にスピードを落としながら近づいていく――すると男たちが来訪者の正体に気付き、波が引くように武器を降ろしていった。

 そのまま門をくぐり玄関横に乗り付けると、軽薄そうな男が話しかけてきた。

「やあ、お嬢。かっけーの乗ってるじゃないですか」

「買ったばかりなんだ。誰にも触らせないようにして」

「うっす」

 男はオデルと仲の悪いキールの部下。そういった意味で一定の信用がある。

 柑奈はヘルメットを外すと、楽器ケースから装備を取り出し準備を整えた。

 右肩にクイーバー、左手に弓、そして右手にはブランド物のバッグという格好。その姿に訝しむ者も多くいたが、柑奈は気にせず屋敷に入る。

 そこでまた、警護の男たちの視線を集めた。

「柑奈さん、お久しぶりです。ボスたちはいつもの部屋にいます」

「全員?」

「はい」

「ありがとう」

 簡単に言って、さっさと言われた部屋へ。

 バロック様式の威圧的な木製扉の前に、また警護の男が二人。男たちは、柑奈を見ると軽くお辞儀をして横に捌けた。

 この向こうに因縁の相手がいる――あの男がいなければ、自分はこんな所に立っていなかったかもしれない。憎悪に彩られ、悲鳴をBGMに血で血を洗う世界。どれほど殺しに慣れても悍ましい。

 死なせてくれと懇願するまで痛めつけ、その苦しみを無限に味わせてやりたい。しかし、それをやっても一時の余韻に浸れるだけだということを、柑奈はよく理解していた。

 優先すべきは自分の過去ではない――気持ちに整理をつけ、バッグを持った手で扉を開けた。

「来たか」

 長いアンティークテーブルの奥で、ヴィクトルが落ち着いた声で言った。

 テーブルには、左右に五名ずつスーツ姿の幹部連中が座っている。誰も彼もが知った顔だ。彼らは柑奈の装いを見て、一様に不穏を感じ取ったようだった。

 その中で、驚愕の表情で腰を浮かした者が一人。ヴィクトルの左手側すぐ隣に座っていたオデルだ。

 そう、その顔だ。痛い失敗をした時はその顔をする。

「どうした?」

「……いえ」

 オデルは何事もなかったように座り直したが、誰の目にも動揺しているのは明らかだった。

 そして、ヴィクトルは一同を見渡してから口を開いた。

「さて、今回も無事、色男共が全員顔を揃えられたわけだが――」

 ありきたりのセリフを冗談めかして言ったが空気は重苦しい。さらに、ヴィクトルの背後にある絵画――荒れる海の中、木片に掴まり漂う男たち――が厳粛な空気を演出する。

「柑奈が何か用があるらしい。始める前に、まずはそちらを済まそうか」

 柑奈はヴィクトルの視線に頷いて返し、ターゲットを見据える目でオデルを見た。

「オデル・パシニン、聞きたいことがある」

 フルネームで呼ばれたオデルの目は、テーブルの上に置かれた自分の痩せた手から離れない。

 不自然に間をおいて、落ち着いた素振りで立ち上がるとこう言った。

「分かった。重要な話だな。部屋を変えようか」

「ここでしろ」

 ヴィクトルの言葉が全てを抑えつける。

「柑奈、話せ」

「……お前のお友だちから全て聞かせてもらった。ほら――」

 ブランド物のバッグを、テーブルの上を滑らせるように投げる――バッグは幹部連中の前を滑り、ぴたりとオデルの前に止まった。

 同時に、慣性によって中身がごとりと音を立てる。

 オデルは苦虫を嚙み潰したような顔をして、バッグのファスナーに手を掛けた。そして赤黒い予想通りの物体を確認して、すぐにバッグを閉じた。

「ペラペラとよく喋ってくれたよ」

 続けて、柑奈はミジャルから聞き出した過去の軍相手の人身売買、三蛇会からロストフファミリーに乗り換えた後は、ベサール・ターレを使って続けていたことを話した。

 さらに、買った子供を使って軍が人間兵器を作る研究をしていること、自分がその子供の一人を保護していたこと、そして今夜の襲撃まで――。

「事実か?」

「……はい。ですが、人身売買はファミリーのためにと続けたことです。事実、私は大きく貢献しました。それに、襲撃の件は軍の将校に脅されてやったことで、本意ではありませんでした。ボス、奴らとの関係はもう切りました。ですから――」

「それで柑奈、聞きたいこととは?」

 ヴィクトルは興味なさげに遮った。

「今話した施設の場所、それと責任者も」

「もちろん、教える。ボス、今日はそのあたりのことを話そうと思っていたのです」

 必死に取り繕うオデルを、ヴィクトルはまるで相手にしない。

 オデルは誤魔化すように柑奈へ向き直す。

「まずは施設だが、名称を『日本バイオマテリアル』といって、横浜市の北西、青葉区にある。表向きは国営の研究所として運営されているが、実際はお前が話した通りだ。地下では人体の改造や洗脳、兵器の開発も行われている」

「兵器の開発だと?」

「はい。戦略兵器の類ではなく、歩兵の装備です。この国は、軍の装備の更新が遅れてますからね。詳しくは知りませんが……例えば、中国の協力を得て、アサルトライフルの開発を進めているらしいです。要するにカラシニコフもどきでしょう」

 饒舌に語ったが、場の流れは変わらない。とくに武闘派の幹部からは、殺意のある視線が送られている。

 その中で、柑奈は一人納得していた。

 アサルトライフル。シュリが拾ったあの設計図だ。どれほどの価値があるのかは分からないが、やはりあの男はチカと紙切れを手土産に亡命を企んだのだろう、と。

 しかし、それは柑奈が求めている情報ではなかった。

「責任者の名は? それからそいつの所在か行動パターンも」

 殺し屋が誰かの所在を聞く――オデルはその意味に息を飲む。

「陸軍中将ミヤマ・ナガヒサ、クーデターを画策する有力者の一人だ。……三日後の午後十時、施設の視察予定だと聞いた。だが、状況も変化していて絶対とは言えない」

「その施設のマップは?」

「部分的にしか分からないが――」

「描け。今すぐ」

 柑奈の言葉に応じ、ヴィクトルが棚の引き出しから何かの紙とペンを取り出し、黙ってオデルの前に置いた。

 オデルは言う通りにする他なく、記憶を頼りに描き始める――そして、その時が迫っていると感じていた。

 このまま持っている情報を全て吐き出したら、その瞬間に自分を生かしておく意味が失われる――規律を破り裏切った者には即座に判決が言い渡され、バッグの中のミジャルと同じ結末が待っているのは確実だ。それまでに弁明するか、利用価値を示さなければならない。

 数分後、オデルは施設のマップを描き終え、紙とペンをヴィクトルの前に差し出した。

 柑奈はそれを見てから、平坦な口調でさらに質問を重ねる。

「日本バイオマテリアル以外でチカがいる場所に心当たりは?」

「……いや、私が知っているのはそこだけだ。他にはないか? 私もこれでようやく奴らから解放される。知っていることであれば、何でも教えるぞ」

 オデルは周囲の反応を窺い、さらに補足するように続けた。

「ああ、そうだ! ミヤマは常に四人の武装した兵士に警護されているぞ。研究所にも陸軍の兵士二〇人前後が常駐していて厄介だ。外からはその大げさな態勢は見えないが、内部はしっかり守れている。当然、セキュリティーシステムも完備されているから、侵入は容易ではない」

 柑奈の表情が僅かに険しくなる。

 武装した兵士二〇人というのは確かに多い。だが、同時に相手をするわけではない。問題は時間が限られているということだ。

 入念な下調べが可能なら、いくらでも策は講じられる。しかし、チカがそこにいる確証はないし、その間にクーデターが起きてしまえば、その後はもうチャンスなど訪れないかもしれない。

 強引な手段が必要か――柑奈が考えていると、オデルの口元に笑みが浮かんだ。

「施設の周りは民家ばかりで狙撃ポイントはない。奴を殺すなら、それなりに近づく必要がある……そうだ、私がついて行こう。上手く油断させることができるし、内部の案内もできる」

 裏の見え透いた提案に、柑奈は蔑みの視線を返す。

「どうやるかは私が決める。それに、信用できない不確定要素は連れて行かない。まあ、爆弾を身体に巻き付けて、豚野郎と一緒にミンチになってくれるなら考えてやってもいい」

 緊張が支配する空間に、くすくすと笑いが広がってく。

 それもヴィクトルの二度目の「さて」という言葉で静まった。

「柑奈、こいつの処遇はお前が決めろ」

「待ってください! 今のファミリーがあるのは、私の貢献あってこそではないですか!」

 オデルは上手く運べていると考えていたが、まるで意味のない一人芝居だった。

「悪足掻きは止めろ。意地汚いネズミが」

 これまで静観していたキールが言い放った。

 オデルは睨み返し、続けて言い訳を試みる。

「十年前のことだって――」

「私のことはもういい。復讐なんて今さらだ」

 柑奈が遮り、一瞬の間だけ静けさが降りた。

「……でもね、お前みたいな奴がいたら、あの子が幸せになれないんだよ」

 オデルがスーツの内に手を入れた――場の全員が動き出す。

 しかし、男たちが立ち上がる前に黒い矢が机上を奔り、オデルの眉間を貫いた。

 オデルの首が後ろに折れ曲がり、膝が力を失いぐにゃりと倒れ込む――床に投げ出された右手には、黒々としたハンドガンが握られていた。

 それは国内でライセンス生産され、陸軍に配備されている代物だった。

「くだらん死に方だ」

 ヴィクトルが一言吐き捨て、オデルの手から銃を拾い上げる。

 それから慣れた手付きでマガジンと装填された弾を抜き、それらをテーブルに置いた。

「……私はもう行くよ」

「そうか。無茶はするなと言いたいところだがな……まあ、用があればまた連絡しろ」

「そうする」

 施設のマップが描かれた紙を受け取ると、それ以上は会話をせずに屋敷を後にした。

 行き先は三人で過ごした部屋ではない。神奈川駅近くにある、ほとんど倉庫として使用しているアパートの隠れ家だ。

 バイクを駆って部屋に着くと、まず軽食に買ったサンドウィッチを食べ始めた。

 中身はハムサラダだったが、その時になってようやく気が付いた。

 ひどく気がそぞろになっている――深呼吸をすると、今度は腿の痛みがぶり返してきた。

 血と汗で汚れた包帯を取り換えながら柑奈は思う――この痛みと引き換えに、いったい何を得たのだろう。

 十年越しの復讐か? いいや、そんなものに価値は無い。

 シュリの命は救えた。しかし、チカは闇に消えていった。

 そうだ。まだ何も成し得てない。この手で救い出し、全てを振り払うまでは決して終わりとは言えないだろう。

 残された時間はそう多くない。

 決行日までに下調べを終えて装備も整える。おそらく十全とはいかないが、今すぐ襲撃して散るよりはいい。

 他にも大きな懸念がある。パクス・ポテスターテム――政治の道具としてチカを求める彼らが、果たして簡単に引き下がるだろうか。

 未知数だ。どうにか状況をコントロールしなければいけない。オリガとの襲撃は、そのための提案でもあった。

 だが、殺し屋一人でできることなど限られている。

 目標を殺す。ただそれだけだ。

 埃っぽい部屋で、柑奈はひとり薄い毛布にくるまった。


 柑奈が部屋を去り、扉は再び閉められた。

 ヴィクトルは、冗談みたいなポーズで血を垂れ流す死体をよそに席に着く。

 それから目の前に置かれた、木製のヒュミドール(葉巻の保存ケース)に手を伸ばした。

 ペンケースサイズのそれには、葉巻が四本とシガーカッターが一つ――ヴィクトルは一本を取ると、シガーカッターで吸い口を切り落とし、懐から出したマッチに火を着ける。そして葉巻をゆっくりと回しながら炙り、その全体が灼熱の色になってから口に咥えた。

 軽く吸って味わい、長い紫煙を吐き出す――。

 儀式めいたそれは、重要なことを告げる前のある種の習慣的所作だった。

「今夜の議題は全て繰り下げだ」

 ヴィクトルはより低い声で切り出した。

 緊張に張っていた空気が鋭く重くなる。

「オデルの配下の者を全員押さえろ。抵抗の姿勢を見せた者には容赦はするな。金の動きも全て洗い出せ」

 粛正の命令に、古参の幹部数人がロシア語で了解の意を示す。それから、キールがオデルを見て伺った。

「それはどう処理しますか?」

「目立たないよう片付けろ。我々の動きを軍に悟らせるな」

 ヴィクトルはグラスにワインを注ぎ、幹部連中を待って告げる。

「迅速かつ徹底的に行え――さあ、クリスマスもまだだが大掃除といこう」

 全員がグラスを掲げ、ワインを一気にあおる。

 そうして、厳かに粛正の夜が始まった。

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