第25話 交錯
突然の闖入者にオリガは目を丸くした。
オリガが今いるのは、ホテルやアパートの一室ではない。部屋の照明は薄く、壁際のケースには、過剰な殺傷能力のある武器の数々が飾られている――いかにも裏社会であることを主張しているその空間は、ヴンダーカンマー正しくその場所だった。
武骨な入り口のドアを、蹴破るように入ってきたのは二人――脚から血を流している串刺し公と彼女に背負われた女。
よく見れば、俯いている女の顔からは血の気が失せている。柑奈の纏う空気も尋常ではない。衣服は血で汚れ、いかにも一戦終えてきたといった様子。
今夜戦闘があるだろうことは、喫茶店の外に不審な女たちを見た時から予想していた。オデルの網に引っ掛かったに違いないと。
とは言え、チンピラが群れても少女の相手にならないのは分かり切っていたし、殺し屋が雇われていても、結果は変わらないだろうと考えていた。
しかし、彼女たちのこの姿は――それに、少女はどこにいるのか。
「ダニールは?」
「ルール違反じゃないのかぁ?」
オリガはとぼけるように答えたが、柑奈は相手にせず事情を口にする。
「シュリが撃たれた。今すぐ治療が必要だ」
「へぇ」
なるほど、奴らが動いたか――とオリガは納得する。
予想より早かったが、驚きはしなかった。任務に想定外の事態は付きもの。何かが早い遅い、多い少ないということはよくある。
それでも、ヴンダーカンマーで柑奈と遭遇するとは微塵も思いもしなかったので、オリガは静かに動揺していた。
ルール違反そのものが問題なのではない。
ここはマーダーインク直轄というある種の聖域。騒ぎを起こすことは絶対に許されない。そうした場所に、もし件の少女が匿われたら?
それは、オリガに与えられた任務――少女を確保するうえで、重大な状況の変化となる。
生死は問わない、という条件の緩さはある。しかしここに預けられてしまえば、もう手も足も出せない。
焦れた柑奈が一歩近づく。
「おい――」
「なんだ、騒がしいな」
奥からのそのそと現れた男は、いつものように使い古したワークエプロン姿のダニールだった。
ダニールは柑奈と背中のシュリを見て眉を顰める。
「どうしたってんだ。そいつは」
「脇腹と脚を撃たれてる。治療をして欲しい」
柑奈は端的に答えたが、ダニールはじっと黙ってすぐに答えない。
ダニールが治療するわけではない。ヴンダーカンマーには高度な医療設備もあり、確かな技術を持つ闇医者が常駐しているのだ。
「撃たれたって、銃創かよ。確かに他には行けねぇわな」
「二〇分ほど前になる。……交換条件が欲しいなら、殺して欲しいやつを言ってくれればいい」
柑奈の声に殺気が滲む。
「おいおい、引き篭もりの俺が殺したい奴なんかいるかよ。クレーマーだってゼロだぜ」
「どうしたらいい? 空いてるなら早くしてくれ」
ダニールは腕を組み、数秒シュリを眺めた後、あくび混じりに顎を掻いた。
その態度に、柑奈の視線が一段と鋭くなる。
(メンドクさ……)
オリガは二人のやり取りを見ながら考える――少女がここに匿われなかった場合、今度はどこへ身を隠すだろうか。
力に頼るとしたら、それはロストフファミリーしかありえない。
そうなると、また随分とややこしいことになる。よく訓練された精鋭どもの警護が付いても面倒だし、オデルとかいう奴に横取りされるかもしれない。そもそもファミリー全体としての関わりが不明で、まるで展開が読めなくなる。
それなら手も足も出なくなりはするが、動かないこちらの方が今はマシだ。
オリガはより好ましい状況に誘導するために、二人に割って入った。
「なあ、あの子はどうしたんだ?」
「攫われた」
思わぬ回答にオリガは舌打ちをする。
チンピラ女が撃たれ、少女が攫われた――軍部に渡ったと考えていいだろう。
(最悪だ)
ほとんど失敗と言っていい。
打てる手はオデルだけか。そのためには柑奈と協力体制を得る必要がある――まずは時間を作らなければいけない。
「ダニール、治療してやってやれ。あたしは構わない」
「いや、お前さんにそんな権限ないけどな。……まあいいけどよ」
今までの応酬はなんだったのか、ダニールはカウンターの古くさい電話機でどこかに連絡すると、柑奈たちを連れて奥へと消えていく。
横を通り過ぎる時、柑奈と目が合った。感謝ではない。疑っているぞ、という敵意を含んだ棘のある目。
足音が完全に聞こえなくなった頃、オリガは上着の内ポケットから携帯端末を取り出した。
掛けた相手は、二度目のコールで電話に出た。
『――タポールだ。何があった?』
いけ好かない男はコードネームで応答し、オリガが一言も発する前に問い質すように言った。
それは悪い知らせを察したからだった。何しろ、火急の用件がない限りオリガからは連絡を取らない、という取り決めがある。
そしてオリガから電話を掛けたのは、任務に就いて以来初めてのことだった。
「対象Aが攫われた。竜胆柑奈の証言だ。おそらく軍に渡った」
『何てことだ……』
頭を抱える様子が目に浮かんだが、残念ながら笑える状況ではなかった。
『軍の動きが早まる可能性が出てきた。撤退ルートを確認しておけ』
「あんたらが支援よこさねーから」
『馬鹿を言え。アジア人が中心の日本では、我々は目立ち過ぎる。大都市と言えど、ぞろぞろと送れるわけがない。それより、お前は今どこにいるんだ?』
「ヴンダーカンマー。メンテナンスで来てたら、串刺し公がシュリっていう右腕みたいな奴を担いで来たんだよ」
端末の向こうから、何かをトントントン――と叩く音。
数秒の沈黙の後、タポールが一つ質問をした。
『串刺し公の動向は?』
「これから直接聞いてみる。おそらく奪還に動くぞ。ロストフファミリーのオデルって奴が軍とつるんでるらしい」
そう言ってから、オリガは今日の一連の流れを詳細に伝えた。
スーパーマーケットで接触してから喫茶店での会話、それから馬鹿な女二人。
『オデルを捕獲して施設の場所を吐かせろ。ロストフファミリーと軍の関連もだ。オデルを生かしておく必要はない』
「で、その情報を掴み次第、伝えればいいのか?」
『そうだ。後処理は我々がやる』
「串刺し公と協力体制を築こうと考えてるんだけど、それで構わないか?」
『上手く利用しろ。お前の立場も明かしていい』
「りょーかい。閣下」
オリガが嫌味っぽく言って、二人は同時に通話を切った。
流血の予感が胸にせり上がり、オリガは静かに精神を戦闘態勢へと切り替えていく。
そして十数分後――殺し屋がひとり、暗い影を纏って現れた。




