第22話 橋に舞う
窓の外に街の光が流れていく――。
タクシーは狙い通りにすぐ捕まえることができた。
シュリからのメッセージの返信はない。さらに何度か電話を掛けたが出なかった。
(何をしているんだ……)
焦りは積もる一方だが、渋滞に巻き込まれたりしなければ、あと二〇分も掛からずアパートに到着する。ただ、用心のために、別のアパートの近くで降ろしてもらう予定でいた。
柑奈は乗る前からフードを目深に被っていた。それでも運転手の男は、走り出した後しばらくして、乗せた女が誰であるか気付いたようだった。
落ち着きなくバックミラー越しに柑奈の顔を覗いたり、何度も生唾を飲み込んでいるのを見て、この男もオデルの息が掛かった人間ではないかと疑った。
もしそうであるなら、連絡を取ろうとするか、余計な道順を走るだろう――そう考えしばらく注視していたが、男はリムジンの運転手のように丁寧な運転を心掛けるだけで、まったくの無関係だと判断できた。
柑奈は窓から少し離れて座り、街の様子を注意深く窺う。
(変わりなし……か)
チカと出会った日の時のように、武装した男たちがそこかしこにいる――などという光景は見られない。人の流れも不自然なところはなく、街はいつもの夜に思えた。
しかし、それらが柑奈を安心させる理由にはなり得なかった。
このタクシーをホテルの前で拾った以上、既に追跡が始まっていると考えなければいけない。そして敵が迫ってくるのは、決して背後からだけではないことも頭には入っていた。
五分後、前方に橋が見えてきた。
片側一車線で全長一一〇メートル、検問を敷くならここだろう――と一層警戒を強める。
そして橋に差し掛かった時、三〇メートルほど前を走っていた乗用車が、突然ブレーキランプを点けて止まった。
辺りの様子からして、事故が起きたようではない。
「――止まれ! ここでいいっ」
「はぇ?」
唐突な柑奈の大声に、運転手は狼狽して声を裏返す。そして、そのまま橋の半ばまで進み、前の車にぴたりと着けて止まった。
柑奈はナップサックからクロスボウを取り出し、周囲を睨みながら矢を装填する。
背後に乗用車が迫ってきた――一般人のようだったが、それでタクシーは動けなくなった。
「くそっ」
吐き捨てた言葉と凶悪な武器に運転手が震える。
「すみません! すみません!」
「何もしなくていい。伏せてろ」
恐ろしいことが起きるのだと察した運転手は、慌ててダッシュボードの下に潜り込む。
柑奈は窓を開け、慎重に前方を窺う――小型のクロスボウで武装した二人の男が、白いミニバンから若い男たちを乱暴に降ろしているのが見えた。
考えるまでもない。自分を探しているのだ。
それから武装した男の一人がミニバンを調べ始め、もう一人が若い男たちを欄干に手をつかせ恫喝し始めた。
柑奈はこれを好機と見た。
橋を封鎖したのは二人ではないだろう。しかし、こちらに気付いていないうえに距離がある今が、戦闘を開始するには最良の状況だった。
ドアを僅かに開け、その時を待つ――恫喝していた男が怯える男を蹴飛ばし、柑奈に背中を向ける。
柑奈は冷気が漏れ出すように静かに車から降り、ドア越しに立射で構え、そっと絞るようにトリガーを引いた。
放たれた矢は瞬きする間に男の後頭部に届き、そして頭蓋を貫いて眼球を抉り出した。すると、異変に気付いた男がミニバンから降りてきた。
柑奈は既にリロードを終えている――男が骸に駆け寄り立ち止まった瞬間、今度は男の側頭部を矢が貫いた。
タクシーの前方に移動したところで、数人の男の怒号が橋上に響いた。
柑奈は攻撃の手を緩めない。目の前の乗用車のルーフに飛び乗り、伏せたままクロスボウを構える。
敵は三人。全員が同様の小型のクロスボウを装備している。殺し屋ではなく、単なる粗暴なマフィアの下っ端構成員だろう。
その三人が、無用心にも道路の真ん中を走って向かってくる。
都市伝説めいた殺し屋を打ち倒さんとする自分に酔っているのか、それとも何の情報も与えられていないのか――どちらにせよ、愚かな的であることに変わりなかった。
柑奈は矢に一切の感情を乗せず、ただトリガーを引いていく。
先頭を行く男の額に矢が突き刺さり、力を失い前のめりに倒れる。続く二人目の男が車の陰に逃げ込もうとしたが、足を止めた瞬間に矢が心臓を穿った。
射線から逃れていく三人目の男を、装填された矢の先が追う――それを、背後から迫るバイクのエンジン音が邪魔をした。
柑奈の頭に一瞬オリガの顔が過ぎる。しかし、記憶にある音よりも軽く安っぽい音だと感じた。
柑奈は後方に向きを変え、ボンネットに足を置く――。
橋の手前、柑奈から三〇メートル地点に光りが三つ。オフロードタイプのバイクと後ろにピックアップトラック。バイクは二人乗りで、後ろの男はクロスボウを持っている。
バイクはそのまま橋に侵入し、ピックアップトラックは橋の入り口で横向きに止まり、荷台から四人の男を降ろした。
ピックアップトラックの運転手を合わせて七人が追加されたことになる。
(これで八人か……)
矢の残りは一七本。この場を切り抜けるには十分。だが、橋を切り抜けた後もある――無駄のできない状況に舌打ちしつつ、バイクの後ろに乗った男に狙いを付ける。
運転手が気付き、バイクに抱き着くように姿勢を低くした。さらに、後ろの男が運転手の背中を台にして構える。
柑奈と後ろの男は、ほぼ同時にトリガーを引いた――二人の矢が超高速ですれ違う――柑奈の矢は男の左目に命中して後頭部まで貫き、男の矢は柑奈の二〇センチ上を通り過ぎ、後ろの街灯に当たって甲高い音を立てた。
絶命した男の腕が運転手に絡みつく――バイクはバランスを崩して転倒し、アスファルトに痕をつけながら滑っていった。
柑奈はボンネットから降りながら、バイクの運転手が動かないことを確認。続けて急いでリロードした。
始めの残った一人は、恐怖しているのか隠れたまま動きがない。直近の脅威は後方から迫る五人。しかし、位置関係は修正する必要があった。
クロスボウを構えながら車の左側から顔を出して左右を確認――すると、左手側からタイミング悪く一人の男が躍り出てきた。
柑奈はそれを仕留め、初めの残った一人を処理すべく、低い姿勢で素早く前方の車の前に回り込む。
車内から聞こえる女の悲鳴を無視し、車の下から前を覗くと二台先にライトに照らされた尻が見えた。
怪我をしている訳でもないのに戦場で座り込む――怯え切って動けない様が、ありありと想像できた。
それに対してつい先ほど倒した男。あちらは武器の持ち方も移動の仕方も、訓練されたもののようだった。
柑奈は即座に計画を変更し、残り二本となったマガジンを新しいマガジンに交換した。
(一気に片を付ける――)
リスクを負う覚悟を決めると、大胆にも前方の乗用車のルーフに駆け上がった。さらに、勢いそのままに街灯に向かって跳躍――空中で右脚の腿に灼けるような痛みが走る――敵の放った矢が肉を抉るように通過した結果だったが、柑奈は気にも留めなかった。
そして、くの字に曲がっている街灯を両手で掴み、勢いを利用してぐるんと上に乗った。
休むことなくクロスボウを構えつつ、上半身を捻り反転。橋の半分を一望する――右端に一人、中央に二人、左端に一人。ピックアップトラックの運転手は降りてきていない。
四人の男たちは、街灯の光に目を眩ませている――柑奈は冷静に狙いを定め、道路の中央、車の間でクロスボウを構えようとしている男に一射。
(一人――)
リロード――柑奈は街灯のポールに膝を引っ掛けて逆さ吊りになった。直後、数本の矢が街灯の上を飛んでいく。
逆さのまま、車の陰に飛び退こうとする男にまた一射――腿から垂れた血が頬に滴る。
(二人――)
ポールから脚を外し、道路に着地。
腿からぼたぼたと滴った血が、灰色のアスファルトに鮮やかな模様をつけた。
(問題ない。痛いだけだ)
さらにリロード。
柑奈はバンパーの左から右膝を着いて半身を晒す――間髪入れずに矢を放ち、五メートルまで近づいていた男の口から後頭部を貫いた。
(三……あと二人)
窓越しに窺うと、反対側の車列の奥に人影。橋の入り口方向へ移動している。
運転手と合流するつもりなのだろう――と判断し、頭が出ないよう低い姿勢を維持しつつ、車と欄干の間を進み始める。
口に矢が刺さった男の横を通り過ぎようかという時、前方からタイヤがアスファルトを掻き鳴らす不快な音が聞こえてきた。
エンジン音はあっという間に遠ざかり、すぐに聞こえなくなった。意識を張り巡らせるが、それ以外の異常は感じられない。
(逃げた? いや、損害を鑑みて実利を取ったか……)
柑奈はそう予想しつつも、緊張を緩めず進む。
車列の最後尾まで来て慎重に覗くと、やはりピックアップトラックの姿は消えていた。
柑奈は思考する――もし、別の理由があって撤退したのだとしたら?
焦燥感がぶり返し、柑奈の胸を強く炙る。
数秒後――ピックアップトラックに塞き止められていた車が恐る恐る動き始めた。それと同時に柑奈も行動を再開する。
まずは残る敵の処理。
踵を返し、ミニバンの鼻先でクロスボウを抱えながら震える男に背後から忍び寄る。
男は息遣いの聞こえる距離まで来ても気付かない。柑奈は男の頭を両手で抱えるようにして掴み、そのまま無慈悲に捻じって頸椎を砕いた。
用のない死体を捨て置き、車列の間から橋の前後をそれぞれ数秒睨む――橋の出口には、後から来たピックアップトラックと似たような車が横付けされているだけ。
新たな動きはなく、橋上の惨状を除けば変わらぬ夜が広がっている。
それから柑奈はバイクの側で昏倒としている男の元へ移動し、近くに転がっていたクロスボウで頭を射抜いた。
次に取るべき行動は、一刻も早く橋から立ち去ること。
(タクシー……は駄目だ。バレてる。使えるのはないか……?)
未だ動けずにいる五台の車を見てから、背後のバイクに視線をやった。
ボディは傷だらけで、右のミラーは見当たらない。ただ、周囲を見た限りではオイル漏れはなく、致命的な破損もしていないように見えた。なら、沈黙しているエンジンも転倒センサーが働いただけかもしれない。
(動けよ……)
フロントブレーキを握りながらバイクを起こす。ギアが入っていないことを確認すると、左手でクラッチレバーを握り、そしてスタータースイッチを押す――キュルル、と短く異形の鳥を思わせる声をあげ、エンジンは振動を開始した。
「よし」
柑奈は安堵を声に出し、フードを被り直す。そしてシートに跨り、すぐにバイクを発進させた。
ギアを上げて加速させると、風にあおられすぐにフードが取れた。
髪が暴れ、晩秋の夜風は火照った身体を冷やしていく――。
しかし、柑奈にはそれさえも不快な障害に感じた。




