第21話 散華
デニスは機嫌が良かった。
ようやく、小間使いに雇った女どもから串刺し公の情報を得たのだ。
時間は掛かったが、彼女らに発見できるとも思っていなかった。だから、すこぶる順調と言える。
既に依頼人に情報を流し、報酬金の半分を得た。残りは成功した時に全額を得られる。
その依頼内容は、生死を問わず身柄を押さえろ――冗談じゃない。ターゲットが本当に、あの噂に名高い串刺し公だというのなら、こちらも命を懸けなければいけない。
デニスには、成功報酬がいくら大きくても実行する気はなかった。受け取ったこの半分で十分に過ぎる。
とは言え、それも単独ならの話。街の中を追いかけ回される串刺し公を仕留めるのなら、リスクは低いし自分の腕なら問題はない。
狙撃の機会は一射か二射だろう。外したらさっさと逃げる。それでいい。
楽な仕事だ。
女たちには、もし見つけても三〇メートル以上離れて人混みに紛れろと命じてある。馬鹿なガキでジャンキーだが、それだけを守れば金とドラッグが手に入るのだ。この程度のお使いはこなせるだろう――。
こうしてデニスが若い女を使うのは、何も快楽目的だけではなかった。ジャンキーにとって金とドラッグは最高の餌で、それを与えてやれば簡単に言うことを聞く。
加えて裏社会に片足を突っ込んでいるから、欲をかいて恐れ知らずな無理もしない。そして仕事の後は殺して完了だ。
デニスは仕事道具を整えると、エフェドリン系の薬物を自身に注射した。
神経を研ぎ澄ませ、肉体の機能を向上させる。思考も明瞭になり判断能力も上昇する――いわゆるバイオハッキングの類だ。
「ふう……」
成分が身体に巡っていくのを感じながら、細く長い息を吐いた。
効果が出るまで少し時間がある。
デニスは時刻を確認し、女たちのいない冷えたベッドに入った。
柑奈は扉に耳を当ててみたが、わずかな音も聞こえなかった。
右手にナイフを持ち、音を立てないよう慎重に鍵を開ける――五感で気配を探り、それからチヒロに前を歩かせて部屋に侵入した。
明かりは全て点けっ放しだが、動くものはなく静寂そのもの。タバコや薬物の匂いもしない。
契約中でも愚かしい生活を送っているようだが、少なくともプロとして肉体の管理は怠っていないようだった。
健康に悪いということではない。染みついた異臭は他者に存在を知らせてしまうし、ニコチンも薬物も精神を汚染する。まともな殺し屋であるなら、快楽目的で手を出すことはないのだ。
だからこそ警戒を強める――もしかしたら、微かな音に目を覚ましているかもしれない。
入って数歩のところでチヒロが振り向いた。どうすればいいのか、という顔だ。
柑奈は顎で「進め」と促す。
入り口からすぐ近く、右側の開け放されたドアを覗く――トイレと洗面台、その先にバスルーム。
誰もいなかったが黒い天然石の床は濡れていて、少し前まで使用していたことを確認できた。
短い廊下の先には広々としたリビング。高級感のある布張りのL字型のソファには、グレーのトレンチコートが乱暴に掛けてある。
ここまで部屋の間取りは、チヒロから聞き出した通り。全てあっているなら、この隣が寝室のはずだ。
リビングに入ると、壁に沿って酒瓶やコンドームの空き箱やらが装飾品のように置かれているのが目に入る。
それらに足を引っ掛けないように進み、やがて扉の前に辿り着いた。
壁に張り付き、十秒ほど耳を澄ましてから扉を指差し、チヒロに開けろと促す。
チヒロは派手な髪を揺らして頷く。そして生唾を呑み、金色の取っ手に手を伸ばした。
蝶番が微かに音をたて、ゆっくりと扉が開いていく。
チヒロが一歩踏み込む――とそこで固まった。
「何故ここにいる。監視はどうした?」
「ちが、違うの!」
やはり起きていた――柑奈は息を殺し、壁一枚向こうにいる男へ死の一撃を入れるタイミングを計る。
「ドラッグ欲しさに盗みに来たか?」
「違う! 助けてっ」
男の大きなため息。
「呆れる薄汚さだ……出ていけ。仕事に戻れ」
「殺さないで、お願いだから!」
「黙れ」
扉の先から男の腕が伸び、チヒロを突き飛ばす――左手だ。つまり、利き腕の右には何かを持っている可能性が高い。
チヒロがよろめきながら二歩三歩戻って来る――入れ違いで柑奈は飛び出した。
「――!」
デニスが驚きの表情を見せる。
だらりと下げられている右手には、一メートルほどの重量感のあるコンパウンドクロスボウ。
柑奈はデニスが構えるよりも早く踏み込み、細い首筋へナイフを一閃させた。
しかし、デニスは上体を逸らして皮一枚で避ける。
喉仏の上に赤い線が滲む――デニスは後退して距離を取ろうとするが、柑奈は逃さない。
ナイフの間合いに張り付き、鋭い攻撃を次々と繰り出していく。それでもデニスは冷静に回避に専念し、全てを避けてみせる。
(そこっ――)
デニスが半身を逸らして避け、前に残った右腿に柑奈がナイフを振るう。
デニスはそれを敢えて避けなかった。肉を切り裂かれる痛みに耐えながら、右手のクロスボウを手放し、フック気味のパンチを繰り出した。
顎を狙った打撃――柑奈はどうにか左腕で防ぐ。しかし、続けて放たれた右の前蹴りを受け、リビングまで飛ばされてしまう。
素早く起き上がると、デニスが膝立ちの姿勢でクロスボウを構えているのが目に入った。
三メートルという近距離で放たれた矢を、今度は柑奈が半身で避ける。胸の前を矢がかすめ、柑奈は同時にナイフを投擲する――背後で女の短い呻き声。
ナイフはデニスの右腕の付け根あたりに突き刺さった。
デニスがごとりとクロスボウを落とす。柑奈は再び一気に間合いを詰め、刺さったナイフを打ち込むように蹴った。
「ぐっ」
屈んだまま痛みに声をあげるデニスに、首を刈り取るような蹴りを出す――柑奈はそれを止め、急所を守るために上げた左腕を掴み、捻り上げ、叩きつけるようにしてデニスを床に押し倒した。
「くそっ!」
「ああ、クソ野郎、私が誰だか分かるな?」
言いながら、さらに強く捻る。
「っ、串刺し公」
「……そうだ。誰に依頼された?」
「イエス・キリストに。いや、ローマ法王だったかな」
デニスはへらへらと笑う。
ナイフを抜き、今度は脇腹に刺す。
「言え」
さらにナイフを捻る――男の顔面に、あっという間に大粒の汗が生まれた。
「質問を変えよう。答えたら楽に殺してやる」
「そいつはありがたい」
「他にもお前と同じように雇われてる奴はいるか?」
「……よっぽど恨まれてるらしいな?」
ナイフを引き抜き、命乞いの言葉を待たず喉を切り裂いた。
「知ってるよ」
男のシャツでナイフの血を拭い、足元のコンパウンドクロスボウに視線を落とす。
クロスボウには、スコープと前部分に二脚が装着されている。狙撃のためだ。依頼は拉致ではなく殺害だったのだろう。
「串刺し公、か」
デニスが言った、最も重要な情報を呟く。
その正体を知っている人物は限られている――ヴィクトル、そして幹部連中の何人か。
絞るのは簡単だ。この男はロストフファミリー傘下のホテルに泊まっていた。まともな殺し屋が、ターゲットに友好的なホテルに泊まるわけがない。
しかも、ジャンキーの女二人を呼び込み派手に利用していたという。それでロストフファミリーの諜報部に情報が回らないのは、あまりに不自然が過ぎる。
そして、このホテルを管理しているのは、記憶が正しければオデルのはずだ。
オデルが雇い、自分を狙った――柑奈は一つの答えを出し、すぐに首を横に振った。
(狙いはチカだ)
シュリに電話を掛けたが出なかった。メッセージも送ったが、気付いてくれる保証はない。
すぐにでも走り出したかったが、柑奈は慌てふためく無様は見せなかった。
オデルは串刺し公の実力をよく知っている。他にも刺客なりを雇っていると考えるべきで、それらが既に動いているとしたら、このナイフ一本で対応するのは難しい――そう、武器が必要だ。
しかし、予備の弓を隠してあるポイントは遠い。柑奈は仕方なくデニスのコンパウンドクロスボウを手に取った。
見た目通りに重い。四キロ近くはある。
(フェンリス社のカスタムか)
多くの武器を習熟している柑奈は、市販されているモデルのそれだとすぐに把握できた。
特徴的なのは、下部にある脱着式の長細い箱型のマガジン。それには矢が装填されており、本体左側にあるハンドルを前後することで、ボルトアクションのライフルのように矢を装填、引くところまで素早く行える。
柑奈は部屋を見渡す――欲しいものはすぐに見つかった。キングサイズのベッドに同型のマガジンが二本。これで、ある程度は対応できるだろう。
その傍らには、クロスボウを肩から提げるためのショルダーベルトと、革製の大きなナップサックがある。ナップサックはクロスボウを運ぶためのものだろうと思われた。
それから装着されているマガジンに七本残っているのを確認すると、柑奈はハンドルを操作して矢を装填――五メートル先の寝室とリビングを隔たる壁に向かってクロスボウを構えた。
「……」
トリガーを引いて一射。すぐさまクロスボウを上に向けハンドルを引き、また押し戻す。そして構えてもう一射――二本の矢は、木製の壁に矢羽根まで深々と刺さった。
威力は十分。しかし、使い勝手が好みではない。もう少し慣れたいところだが、これ以上、無駄撃ちできる余裕はなかった。
未使用のマガジンに交換し、他二つのマガジンをナップサックに入れる。そしてクロスボウにショルダーベルトを取り付け、まとめてナップサックに突っ込んだ。
(急がないと……足が必要だ)
手段は限られている。駅は遠いし、盗むのも奪うのも目立ってしまう――柑奈は逡巡した後、エントランスに停まっているであろうタクシーを使うことにした。
実を言えば正面から出るのは避けたかったが、それが最も早く確実な方法だった。それに、目から逃れられないのなら早い方がいい。このホテルと周辺は、敵のテリトリーなのだ。
ナップサックを肩に掛け、寝室からリビングへ移動――すると、廊下の前でチヒロがうつ伏せに倒れていた。
背中には矢が刺さり、ベージュの絨毯に紅の版図を広げている。
(こんな世界に安易に関わるから――)
チカにはこんな最期を迎えさせたくないし、見せたくもない。
焦燥を振り払い、花瓶から抜いた百合の花をチヒロの上にそっと置く。
柑奈が去った後、白い花弁がゆっくりと血を吸っていった。




