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第20話 ロストフの娘

 柑奈は店を出ると、迷わず道路を横切った。

 向かう先にいる女二人は、変わらず賑やかにしている。しかし、柑奈が近づくにつれ、薄暗くても分かるくらいに表情が硬くなっていった。

 あと三歩、というところで、携帯端末を持つエメラルドグリーンの女が画面に触れて何か操作した。

 柑奈は一息に詰め寄り、同時に端末を取り上げる――画面は真っ暗で、自分の顔をぼんやり映すだけだった。

「ここで何をしていた?」

「いや、何も、してな、してませ――」

 しどろもどろに言う薄いピンクの女の顔を殴る。鼻血が吹き出て前屈みになった女の髪を掴み、そのまま街灯のポールに顔面を無慈悲に叩きつけた。

 聞きなれない鈍い音に、エメラルドグリーンの女が小さく悲鳴を上げる。

「――な、何すんだよ!」

 柑奈は構わず二度三度叩きつけて、さらにもう一度叩きつけてから言った。薄いピンクの女は、辛うじて自分の力で立っている。

「ほら、早く答えないと友だちの顔が()くなるよ」

「やめ、お願いっ、やめて!」

 友人よりも、自分の未来を見て女は叫ぶ。

 そしてまた鈍い音――ポールに血が滴る。

「言うから!」

「なら、命令した奴のところに案内して」

 エメラルドグリーンの女は目にいっぱいの涙を浮かべながら、馬鹿みたいに繰り返し頭を縦に振る。

 柑奈は恐慌状態ぎりぎりの女を冷たく見据え、それから薄いピンクの女を地面に寝かせた。女の顔面は鮮血に染まり、鼻も歯も折れている。呼吸はあるが、ピクリとも動かない。

 エメラルドグリーンの女が、震える声で名を呼ぶ。

「ケイ……」

「死んじゃいない。でも、お前の対応次第じゃ分からない」

 通行人は見て見ぬふりをして通り過ぎて行く――別段珍しくない光景だったが、彼らはよく知っていた。

 その女が、この街で最も関わってはいけない人間のひとりだと。

「行け」

 エメラルドグリーンの女は、震えながら目を合わさず一度だけ頷く。

 状況が動いた。

 ただし、好ましくない形で。


 柑奈は道すがらエメラルドグリーンの女――チヒロから二人を雇った人間の情報を聞き出した。

 曰く、四〇代の細身の白人の男で身長は一八〇ほど。利き腕は右。名をデニスと語る自称殺し屋で、大型のコンパウンドクロスボウを所持している。スイートルームに泊まっており、そこでこの一週間毎晩三人でセックスに耽っていた。

 デニスは誰からどのような依頼をされていたかを話すことはなかったが、会う度に楽な割の良い仕事だと前金を見せびらかせていたらしい。

 そして二人の女への指示は「発見したら報告。移動するまで見張っていろ」で、女たちはまさにその通りにしていたところだった。

「行き違いになるんじゃないの?」

「大丈夫、だと思います……あの、返信ないし、この時間は寝てる、ので」

 信用はできないが、いる可能性はいくらか高くなった。

 柑奈は頭の中で状況を整理する――手持ちの武器はナイフ一本。相手はプロ。長身でクロスボウを所持している。他にもあるだろう。しかし、男は柑奈が来ることを知らない。仮に起きているとしても、爛れた生活をしている上にターゲットの技量を把握していないのであれば、奇襲の成功率は高いはず。

 大通りを避け、裏路地を進むこと三〇分――ホテルの隣の区画まで来た。

 柑奈は薄暗い裏路地から通りに注意を払いつつ、怯えるチヒロに穏やかに声を掛ける。

「チヒロ、いつも通りにして。いいね? そうすれば、あなたも、あなたの友だちももう傷つかない」

 チヒロは病人のように震え、目はカビの生えたコンクリートの壁から離れない。

「これが終わったら、あの友だちとどこか安全なリゾートにでも遊びに行けばいい。そう手配してあげるし、もちろん質の良いドラッグも用意する」

 ドラッグという言葉にチヒロは目の色を変える――予想通りの反応だった。遊ぶ金欲しさに受ける仕事としては、この街で自分を監視するなどというのはリスクが勝ち過ぎている。デニスという殺し屋は、この愚かなジャンキーをドラッグで釣ったに違いない。

 チヒロは口角を歪に上げて言う。

「……本当に?」

「ああ」

 嘘だったが、今の時点では事を終えた後でも殺すつもりはなかった――もちろん、知っている(、、、、、)なら別だが。

 チヒロはなおも怯えていたが、ホテルの煌びやかな入り口に立つ頃までには、その固さも歩く姿からは消えていた。

 入口の脇に立つガードマンが柑奈を一瞥すると、一瞬目を見開き柑奈たちを素通りさせた。

「フロントでキーを貰う。あなたは黙ってて。表情も作らなくていい」

 そう言いつけてフロントに歩きながら、柑奈は内心で嘆息した。

 今日、この瞬間から悪い噂が広まるだろう。隣には高級ホテルに似つかわしくない下品な女。向かう先に待つはクズ――面白おかしく語られるに違いない。

 だが、今はそんなことよりずっと大切な――心を突き動かすものがあった。

「七〇二のキーを。それと、泊まってる男は部屋にいる?」

 ガードマン同様、心得ているフロントスタッフの女は時計を見て答える。

「はい。二時間ほど前に戻られてから見ておりません」

 それから何の確認もなしに出されたキーを受け取り、装飾の豪奢なエレベーターに乗った。

「部屋の間取りは覚えてる?」

「あ、はい。えっと――」

 全身に掛かる少しの重みを感じながら、柑奈は静かに集中力を高めていった。

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