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第2話 襲撃

 第三次世界大戦は、あらゆるものを破壊し変革させた。

 中でも日本の変容は突出している。極東の最前線となったことで自衛隊は軍として再編されたし、戦後には震災に遭って経済力を大きく落とした。

 そして人的資源を欲した日本は、かつての満州国がかざした五族協和のように、無差別的に移民を受け入れた。多くは中国、朝鮮、台湾から。それからタイ、ベトナム、インドネシアといった東南アジア諸国。そしてロシアや困窮した東欧、中央アジアの国々だ。

 移民の中には、犯罪組織も多く紛れ込んでいた。有体に言えばマフィアやギャングたち。

 彼らが地域に根付き始めると、すぐに抗争が始まった。地元のヤクザ、各国の犯罪組織、そして国による抗争は凄惨と混沌を極め、都市部はあらゆる暴力が蔓延する内戦状態に陥った。

 街を歩けばどこかに血の跡があり、裏路地を覗けば何者かの死体が転がり、ランドマークには見せしめの無残な死体が飾られている――当時の東京や川崎、横浜といった都市は、アジアで最も危険な地域とまで呼ばれていた。

 やがて警察が恐怖と金欲に負け腐敗すると、歪んだ秩序が整っていき――腐敗は政府の深くまで浸食し、その癒着によりインフラと復興事業までもマフィアが関わった。

 さらにはショービジネスや飲食店もマフィアの傘下に入り、自治体とはもはやマフィア組織のことを指す言葉になっていった。

 そして今、襲撃者の女――殺し屋の竜胆柑奈(りんどうかんな)が歩いているのは、そんな有様となった国の繁華街。

 手にあるのは弓ではなく、長方形の楽器ケース。その中に可変式の折り畳まれた弓と矢、それからクイーバーという肩や腰に提げるための矢筒が収納されている。

 柑奈はこうして、どこへ赴く時も堂々と仕事道具を持ち歩いていた。

「……」

 都市部特有の悪臭が鼻腔を刺激し、柑奈は反射的に顔をしかめた。

 夜の帳が下り、ネオンに彩られた街はけばけばしく、そして人間臭い。比喩ではなく臭いのだ。下水やら生ゴミの異臭がどこからともなく漂い、人混みに呑まれれば、汗や化粧品のきつい臭いに包まれる。

 柑奈は、この人間を感じる繁華街が嫌いだ。泥や埃にまみれるよりも、ずっと気持ちが悪い。できることなら、治安が悪くとも人の少ない通りを歩きたいと思っている。

 それでも今ここにいるのは、尾行に気付いたからだった。

 コンビニエンストアでサンドウィッチと水を買った後のこと――店を出ると、通りの向かいで暇そうにしていた女が、待ってましたと言わんばかりに後をついてきた。

 女はジャージのファスナーを口が隠れるまで上げ、キャップを目深に被っている。履いている細身のジーンズもダークグレーで、目立たないようにしていることが窺えた。

 しかし、キャップから伸びるシルバーブロンドの髪と、背中にある登山用らしきバックパックは、多種多様な人間がいるこの街でも悪目立ちしていた。

 あまりにもお粗末な尾行だったため、柑奈は女に害意はないのかもしれないと考え、あえて信号で止まって話しかけるチャンスを与えてみた。しかし、女は距離を置いたまま接触しようとしてこない。

 なら、さっさと撒いて帰ろう――と、それから何度も道の角を曲がり、歩調を変え、信号で止まると見せかけて渡り、さらに飲食店に入って裏口から出る……などということまでしたが、女はどこまでもついて来た。

 そうして辿り着いたのが、昼も夜も賑わいを見せるこの繁華街だった。

(嫌な感じだ……)

 女のバックパックに重量があるのは、歩き方やそれが肩に食い込んでいることから一目で分かった。

 夜の街を女一人で出歩くなど、余程の馬鹿か腕に自信があるかだ。

 この女は後者だろう。隠れることは素人でも、追跡する技術がある。つまり、バックパックの中には武器が入っていると考えるべきだ。

 しかし、これまで裏路地に入って襲撃を誘ってみても、まるで反応がなかった。いったい何のつもりだろうか――と、考えながら周囲を警戒する。

(どうするか)

 自分を監視しているような者はいない。

 どうにかして撒くか、それとも殺すか――思案していると、内ポケットの携帯端末が震えた。

『今どこにいる?』

 電話に出るなり、男が不躾に聞いてきた。

 男の名はオデル・パシニン。柑奈が専属で依頼を受けているマフィアの幹部で、今回の仕事を回してきた人物でもある。

「横浜の中華街。仕事ならもう終わってる」

『終わってるだと? 中の物はどうした?』

「指示通り殺ししかやってない。車にも近づいてないから知らない」

『本当か?」

「仕事でやってるんだ、死体漁りなんてするか。そういうのはそっちの役目でしょう」

 オデルは言葉の代わりに舌打ちを返す。

『なら、お前以外に他には誰もいなかったか?』

「少なくとも、私は気付かなかった。隠れていたなら浮浪者じゃないね。プロだ。……そもそもすぐにバイクが来たし。あれはあんたの小間使いじゃないの?」

『バイク……違うな。どんな奴だ?』

「知らない。ライトの明かりしか見てないからね」

『くそ。……分かった。帰っていいぞ」

 柑奈は何も言わずに通話を終了した。

(なるほどね)

 殺し屋などという仕事をしているが、追われる理由も襲われる謂われはない。何しろ自分をそう(、、)だと知っている人間は限られている。

 それらの人物が敵対する理由がない以上、考えられるのはバイクの何者かしかいないだろう。

 どのようにして嗅ぎ付けたのかは不明だ。しかし、その可能性が高いからには、今取るべき行動は決まっている。

(さて――)

 柑奈は一瞬女の死角に入ると、すぐさま人混みの中を縫うように素早く移動し始めた。

 女は着いてくるだろう。もしかしたら、勝手に見失ってくれるかもしれない。どちらにしても、殺し屋として顔を知られ、ちょっかいを出してきているからには殺す。

 それ以外の選択肢はない。


 マフィアによって再生された中華街は様変わりした。しかし、ネオンが光る看板の漢字の多さと、頭上に揺れる提灯だけは変わっていない。

 そうした通りを走り抜け、やがて喧騒が遠くなり人気も失せたところで、柑奈は適当な廃ビルに忍び込んだ。

 すぐに楽器ケースから折り畳まれた弓を取り出し、素早く元の形に戻す。続けてサイトなどを取り付け、十秒とかからずチューニングを終わらせた。最後に矢が納められたクイーバーを腰に固定させると、それで殺し屋の装いは整った。

 しかし、狩り場はここではない。

 空になった楽器ケースを部屋の隅に押しやって、暗がりから割れた窓の外を窺う――女はまだ追い付いていない。

 廃ビルを出て、薄暗く静かな路地を独り走る。

 目的地は公園――だった場所。戦前は人々の憩いの場と親しまれ、野球スタジアムもあったことから活気と穏やかさがあった場所だ。

 そうして愛された場所も、戦時中の空爆で野球スタジアムは跡形もなく破壊された。その後は一切手が付けられず、五〇年もしたら誰も寄りつかない深い森が完成したのだった。

 柑奈は、その奥深くに臨時の隠れ家とキルゾーンを作り上げた。未だ実際に使ったことはないが、柑奈だけが把握している絶対的な領域だ。

 前方に黒々とした森のシルエットが見えてきた。あと一〇〇メートル――。

 道の角に差しかかった、その時――柑奈の耳が、頭上から聞こえてくる衣擦れの音を拾った。

 仰ぎ見れば、二階建ての屋上から今まさに空中へ身を投げた人影が。

 柑奈は反射的に飛び退く――直後、激しい轟音が鼓膜を打った。

「へへっ。あたしのカンって当たるんだよねぇ!」

 数瞬前に自分がいた場所は、小隕石でも落ちたかのようにアスファルトが破壊されている。

 そしてそこに、口の端を釣り上げ実に愉快そうに笑う女――ずっと尾行してきた女が佇んでいた。

 女の右手には、破壊をもたらした武器が握られている。一見、長大な鉈に見えるそれには刃が付いていない。端的に言えば、重厚な鈍器だった。

 柑奈と女の視線が交錯し、同時に武器を構える――間を置かず、女が弾かれるように襲い掛かり、柑奈は矢を放った。

 女は頭を傾けて回避――女の左頬に鋭い痛み。血が噴き出し、白い頬が朱色に染まる。しかし女は構わず突進し、柑奈は建物の陰に退いた。

(人のいないところに行くのを待ってたのか? にしても――)

 その思考は、再びの轟音によって建物の壁と共に吹き飛ばされた。

 柑奈は舌打ちをして、降りかかる破片を振り払い走り出す――その背中に、女が愉快そうに声を浴びせる。

「はは! あんた、ロストフファミリーの串刺し公(ツェペシュ)だろ!」

 それは、界隈で有名な正体不明の殺し屋の名だ。由来は、殺されたターゲットの姿からだと言われている。

 柑奈は女の顔面に一射放ち、死が待つ暗闇の森へ向かった。

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