第19話 逢瀬
スムースジャズの感傷的なメロディが流れる喫茶店で、若い殺し屋が二人――鋭い視線がテーブルを挟んでぶつかり合う。
二度目に遭った時と同じ店、同じ席。時間だけが違う。外は陽がほとんど沈んでいて、街は街灯や店の明かり、そしてデジタルサイネージの妖しげな光によって照らされている。
それに合わせてか、喫茶店も暖色の照明でバーのような雰囲気を醸していた。
「お、来た来た」
注文をテーブルに並び終えた店員が足早に去っていく。
テーブルの上には柑奈の紅茶と、オリガのミルクとカツサンド。
そして、柑奈の膝の上にはナイフが一振り――警戒は怠っていないが、荒事にはならないだろうと判断し、シュリには状況を伝えたうえで来なくていいと言いつけた。
「あの子……チカだっけ? どこで見つけたんだ?」
「川崎の廃棄モール。仕事帰りに遭遇した」
ジャージは一言「へえ」と言って考える素振りをする。
オリガはチカがそうかとは今さら聞かなかったし、柑奈も言わなかった。
「よく手懐けたな。あれ、獣かってくらい狂暴そうだったのに……あの子のこと、どこまで知ってるんだ?」
「何も。チカっていう名前も私が付けた。記憶がないらしい」
身体のこと、施設のこと、そして軍との繋がり――いくらかは知っていたが、裏社会に生きる人間に、何から何まで真正直に話す気はなかった。
ましてや敵かもしれない相手、命取りになるかもしれない情報を与えるなどありえない。
「そっちはよく知っているみたいだね。それなりに情報をもらって依頼を受けたんでしょう?」
オリガは首を横に振る。
「依頼主のことを簡単に話すわけないだろ」
「もういいでしょう。あのマフィアは壊滅したんだから」
眉がピクリと動いたのを、柑奈は見逃さなかった。
「知らない? あれを。なら、誰に雇われてチカを狙った?」
「あたしは契約を終えたら関わらない主義なんだよ」
「住宅地にあるマフィアの屋敷に築かれた死体の山と血の池。全てのメディアで扱われていたし、ネットでも話題になってた。あれを知らないなんて、職業のわりに随分とのん気だ。それともユダヤのハシディズムかぶれ? 世俗から離れているようには、まったくと言って見えないけど」
柑奈は食べかけのカツサンドを見ながら言った。
するとオリガは押し黙り、その間に柑奈は思考する――あのセダンを狙っていたのはロストフファミリーとターレファミリーだけのはずだった。現に他の組織に動きはない。
はっきり関係していると言えるのは軍だけ――彼らがオリガを雇ったというのなら、チカの存在は自らが動くことで関係を知られたくない、よほど後ろめたい案件ということになる。
(チカに何があるっていうんだ?)
オリガは嘘を付いていた。軍も秘密を抱えている。オデルは知っていて隠しているのがありありとしていたし、ヴィクトルも同様かもしれない。
欺瞞だらけの状況に「くそ」と喉の奥で吐き捨て、紅茶に口をつける。
少し意識がオリガから逸れると、窓の外――通りの向かい側に、携帯端末を見ながら賑やかそうにしている二人の若い女がいるのに気が付く。
パンキッシュな服装をした女たちは、それぞれエメラルドグリーンと薄いピンクの頭で不必要に派手――この辺りは、そのような女たちが遊ぶにはいささか地味だ。
柑奈は内臓が浮くような胸騒ぎを覚え、答えを急いだ。
「――軍は何をしようとしてる?」
「やっぱ知ってんじゃねーか」
柑奈が睨むとオリガは肩を竦め、レポートを読み上げるように語り始める。
「半年ほど前、軍相手に人身売買をしてるマフィアの情報が入った。調べてみると、買ったのは主に十歳前後の子供で、とある施設に送られていることが判明した」
「施設……」
「そう。だが施設の特定までには至ってない。それでも関係者を拷問にかけて、施設で何が行なわれてるかは分かった。……簡単に言っちまえば、殺戮マシーンの製造だ。身体と脳みそ弄って、聞き分けのいいサイボーグを作ってるんだとさ。ゆくゆくは兵士たちも機械化するとかなんとか」
「……」
柑奈は努めて冷静な態度で聞いていたが、テーブルの下でナイフを握る手には、手が白くなるほど力が入っていた。
オリガはその反応を見てから続ける。
「あの子は試作品の一つってわけだな。完成品かもしれないけどな。ともかくだ。研究者の一人が裏切って、商品を持ってアメリカに亡命しようとした。その男は途中までは上手くやったが、あと少しってところで情報が漏れて襲撃を受けた。それがあの日のあらましだ」
「人身売買のマフィアについては?」
「あんたがさっき言ってた、一夜で壊滅したベサール・ターレだよ。あたしが驚いたのは、あたしがベサールに雇われてたって思われてたってこと。誰から聞いた?」
「それは……」
ヴィクトルだ――いや、ベサール殺害の依頼を提示してきた時、彼は「らしい」と言っていた。つまり、あの依頼はヴィクトルからかもしれないが、誰かの情報がもとになっていると考えられる。
セダン襲撃からの続きであるなら、その誰かは確信をもって言える。
「ロストフファミリーの幹部でオデル・パシニンっていう奴がいる。そいつがセダンの襲撃とベサールの殺害を依頼してきた。ターレファミリーはもともとロストフファミリーの邪魔だったらしいけど、セダン襲撃に横槍を入れてきたって話が決め手みたいだった」
「だからあたしが、か。なるほどね」
そう言うとオリガはまた沈黙し、何事か考え始めた。
その暇に、柑奈も状況の整理を試みる。
ベサールが横槍を入れてきたというのは筋が通っている。蜜月の関係だった軍が依頼を出すのは、妥当で分かりやすい構図だ。
しかし、オリガはベサールと関係がない。だとすると、あの場にはターレファミリーと軍、そのどちらもが存在していないことになる――いたのはロストフファミリーの殺し屋、研究者と亡命先の組織、そして正体不明のオリガだけだ。
何かがおかしい。誰が嘘を付いている? 全員か? 関わった人間全員を殺せばいいのか?
柑奈の中で熱く黒々とした憎悪が冷たい殺意に変わり始めた頃、オリガが一つ質問をした。
「なあ、あんたはあの子をどうするつもりだ?」
「……普通の生活に、平穏な世界に戻す」
「簡単なことじゃないだろ」
「知ったことじゃない」
「そうかい」
オリガは呆れるように言うと、キャップを被り直してから席を立った。
「で、外の奴らはお友達か?」
「あんな下品な奴らなんて知らない」
「マフィアの娘がよく言うぜ。ま、あんたに用があるみたいだけどな……それじゃ、あたしは用事があるからお先に失礼するわ」
去ろうとするオリガに柑奈がぽつりと声を掛ける。
「邪魔者は全て殺す」
「いいんじゃないか?」
オリガは背を向けたまま他人事のように言って、あっさりと店を出ていく。
柑奈は閉まった扉を睨みながら、少しの間オリガの態度について考えた。
しかし、あれが「やってみろ」という自信の現われなのか、それとも敵ではないという意思表明なのか、結局は判断が付かなかった。
視線をオリガの残影からテーブルに戻す――そこには食い逃げされた空のコップと食べかけのカツサンド、そして皿の下に一枚の紙切れ。
またか――と舌打ちしつつ引き抜く。ノートの切れ端のような紙には、電話番号とメールアドレス、その脇には犬だか猫だか分からない謎の動物の絵があった。
(何のつもりだ?)
素性不明、目的不明。分かっているのは、食に汚く、絵が下手で、高い戦闘能力を持っているということくらい。
柑奈は紙切れを乱暴に内ポケットに突っ込み、目を瞑って一度だけ深く呼吸をする。
そして、適当に現金を置いて席を立った。




