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第11話 喧騒

 二時間後。

 墓地には血の池が生まれ、あたりは死臭で満たされた。

 地獄を作り出した張本人である柑奈は、楽器ケースとリュックサックを回収し、何事もなかったかのように街を歩いていた。

 その姿も表情も、他人から見れば夜遅くに散歩をしているだけ。とてもではないが、殺戮を遂行した直後とは想像も付きようがない。

 ただ、それを装う柑奈の内面は、依然として強い警戒を維持していた。

 ベサール・ターレの邸宅にいた連中は全て始末した。娼婦らしき女らは見逃したが、それに端を発した追手の心配はないだろう。あの部屋は薄暗かったし、間にはビリヤード台もあって背格好もあやふやなはず。

 ただそれでも、柑奈の頭にはオリガの襲撃が未だ強烈に残っていて、視界に入る人や車、耳に聞こえる様々な音、その全てに注意を払わずにはいられなかった。

 柑奈が住宅地から街中に入ってから、既に一時間以上が経つ。

 面倒が発生したわけではない。駅に最短距離では行かず、監視探知ルート(Surveillance Detection Route 以下SDR)に則って移動していたからだった。

 SDRとは、尾行や監視の目を炙り出して撒くための移動ルートであり、その技術。柑奈は、それらの築き方と使い方を、ロストフファミリーの元軍人連中から訓練で教わった。

 ルートを進みつつ歩調を変え、時に立ち止まり、何度も角を曲がり、建物に入る――時間を掛け、そういったことを繰り返す。忍耐のいる行動だが、柑奈は慎重に遂行していた。

 小さな店が並ぶ通りをゆるゆると進み、やがて十字路に差しかかろうかという時、建物の角の向こうから小走りで近づいてくる気配があった。

 足音は二つ。この街でこんな夜更けに急ぐのは、大概まともな用件ではない。何か問題が起きているのだろう――と、柑奈は察してさらに警戒を強める。

 少しして角から現れたのは、安っぽいシャツにジーンズ姿の男。男は柑奈に気付くと酷く驚き、慌てて小型のクロスボウを向けてきた。

 柑奈はそれに動じず、男の動揺と恐れが混じった瞳を睨み返す。

 そこへ、いかにも同類らしき二人目が遅れてきた。その男は柑奈をじっくりと見て、一人目の男の肩に手を置いてぼそりと言う。

「……おい、行くぞ」

 促された男は、ようやく目の前の女が誰であるかに気付き、舌打ちをして足早に去っていく。

 柑奈は暗がりを確認しつつ、急ぐ二人の背中を見ながら考える――確認するまでもなく、二人は堅気の人間ではなかった。サングレ・イ・カデナスの者だろう。人を探しているようだったが、あの雰囲気は人狩りと言ったほうが正しい。

「…………」

 いくつかの可能性が思い浮かんだが、柑奈はひとまずSDRを終え、街の様子を観察しながら先を行くことにした。

 大通りの様子は、一見すると変わりなかった。

 まばらな交通量は、この時間なら平均的と言える。沿道を行き交う人々が、皆アルコールが入って品がなく陽気なのも、何の変哲もない日常の光景だ。

 少なくとも、抗争のような大それた事態にはなっていないように思えた。

 しばらく進むと、大通りは片側三車線と広くなり、駅に向かう緑や黄色いタクシーが目立つようになった。

 時折夜空に響く苛立ったクラクションや街の喧騒も、やはりいつも通りと言えた。

 柑奈の前方五〇メートル先に、大通りを跨ぐ幅広で長い歩道橋が見えてきた。そこを過ぎれば、もう駅周辺と言っていい区画になる。

 その歩道橋の下はコンビニや居酒屋、古着屋、雑貨店といった店が並んでいる。

 それらの店の間から伸びる路地の奥は淀んでいる。違法風俗店や様々なドラッグが入手できるバーなどがあり、さながら犯罪者の吹き溜まり。

 当然ながら治安が良いとは言えず、少なくとも女性が夜一人で通る道ではない。

 しかし、柑奈は臆せず歩道橋の下へ入っていく――すぐに街の光が遠くなり、深夜の陰鬱な闇に包まれた。光源といえば横を通る車両のライトや、店から漏れ出る光と電光の看板だけ。人の顔などは近づくまで判然としない。

 そうした中の暗がりで、たむろしていた若者グループの一人が柑奈に邪な視線を向けた。

 金になるか、それとも犯して捨てるか、そんな品定めするような目――しかし、すれ違う寸前になって、男は眉をピクリとさせて顔を背けた。

 触れてはいけない存在だと気付いたらしい。柑奈にとってはよくあることで、わずかも気にせず通り過ぎようとする。

「――お嬢さまも賞金稼ぎの真似事か」

 背後から、揶揄する声が耳に届く。

 陰口も学生時代に聞き飽きた。しかし、今のそれは聞き留めるに値する言葉だった。シュリから情報を提供してもらおうかと考えていたが、その必要もなくなった。

 歩道橋の下を抜けると、早速左右に空を覆う高層ビル群が広がり、都会らしさが一気に増した。同時に、漂う空気にも明確な変化があった。

 いろいろな色の肌の、いろいろな背格好の男たちが、クロスボウや鉈、トンファーといった凶器を片手にうろついている――まるで抗争真っただ中の最前線だった。

(何があった?)

 川崎も横浜も、マフィアの関与によって復興と発展を遂げた街。一見して清楚で洗練された街並みも、道を少し外れて奥に進めば混沌とした世界が広がっている。

 今夜の雰囲気は、その混沌が滲み出てきたかのようだった。

(悪目立ちは避けたほうがいいか)

 柑奈は騒ぐ酔っ払いたちに紛れて路地に入り、さらに奥へと足を踏み入れていった。


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