ネイサムを王太子にするには?
ネイサム第二王子は機嫌が良かった。
やっとあの芋臭い娘と婚約破棄できたのだ。
彼の希望を何でも叶えてくれる母上もあの芋娘と婚約を解消したいという願いだけは叶えてくれなかった。何度もあんなダサい女とは結婚したくないと言ったのに……
ゴットフラム大公は約束通り十日目に婚約誓約書を持ってきた。婚約破棄の書類と併せて既に提出済みである。
今度ばかりは母上も認めるしかないだろう。大勢の貴族がいる前で宣言したし、あの芋娘の新しい婚約者は母上でさえ手を出しづらいゴットフラム大公の息子だ。
しなだれかかるルルーチェ・マルロー男爵令嬢の腰を抱きながらネイサム王子はほくそ笑んだ。
今頃ゴットフラム大公の息子は嘆いているのだろう。なぜ自分がこんなダサい女と結婚しなくてはならないのかと。
想像すると酒がより美味く感じられた。
「ネイサム様、わたくしとっても気に入った首飾りがあるのですけど……」
寄り添って上目遣いに見上げるルルーチェの頬を撫で、ネイサム王子は言った。
「可愛いルルーチェ。私は今とっても機嫌がよいのだ。何でも買ってやろう」
ネイサム王子の機嫌は三日続かなかった。
国王様ご一行が隣国から帰ってきたからだ。
帰国後、すぐにネイサム王子は国王の呼び出しを受けた。
国王の私室に近い談話室。そこに呼ばれてネイサム王子が入室すると室内では父母である国王と王妃が待っていた。
「ネイサム、なんで呼ばれたかはわかっているであろうな」
「クリスティナ・アルフォードと婚約破棄したことですか?」
「何故そんな愚かなことをしたのです!」
王妃はいきなり激高したがネイサムは意味が分からなかった。
「母上がそんなに怒ってらっしゃるのは宰相に申し訳ないと思っているからですか?お優しいのですね、母上は。大丈夫ですよ。母上は王妃で宰相は臣下じゃないですか。彼は王族の言うことには逆らえません。
それより聞いてください!私は真実の愛を見つけました。父上と母上のような仲の良い夫婦になるつもりです!」
「それはルルーチェ・マルロー男爵令嬢のことか?」国王が聞くと
「もちろんです!」ネイサム王子は胸を張って答えた。
「教養のかけらもないあばずれ娘を……」
国王と王妃はそろって頭を抱えた。
「ネイサム、クリスティナ嬢との婚約は王家と侯爵家の契約だ。それを勝手に破棄したということは、お前が国王である私の命に逆らったということだ。その覚悟はできているのであろうな」
国王の突然の厳しい言葉にネイサム王子は絶句した。
「陛下!ネイサムはそんなつもりは無かったのです。私が良く言って聞かせますわ。もちろん男爵令嬢となど結婚させません」
「しかし……妃よ。自分の娘が公衆の面前で婚約破棄されたのだ。宰相は怒っているであろう。それに新しい婚約者はゴットフラム大公の息子だと言うではないか」
国王は王妃を気の毒そうに見ながら言った。
「やはり王太子はローレ———」
「お待ちください!お待ちください陛下。新しい婚約も上手くいくかわかりませんわ。この子があんなにクリスティナのことを嫌っていたのです。クリスティナにはきっと王族の妃に相応しくない何かがあるのです。もう少し猶予を下さいませ」
王妃の必死の嘆願に国王は頷くしかなかった。もともと王妃には甘い国王なのである。
「わかった。そなたの願いを聞き入れよう。しかしネイサムは別だ。何にも処罰がなければ国王との契約が軽くみられる。
よって、当分の間ネイサムは離宮で謹慎せよ。離宮から出ることは一切まかりならん。また、外部の者も一切入れてはならん。期間は私が許可を出すまでだ。 連れていけ!」
入ってきた時とは打って変わってネイサム王子はがっくりと肩を落とし退出していった。
彼はまだ理解できなかった。この国で一番偉いのは父で次に偉いのは母だ。二人が決定したことは誰も逆らえないはずだ。臣下たちに気を遣う必要などないのだ。
なぜあんなに怒っていたのだろう?
とりあえずは大人しくしておこう。そうすれば父上の機嫌もよくなるだろう。次の王になるのは二人の子供である自分しかいないのだ。ルルーチェのことは王太子になってからもう一度頼んでみよう。
しかしルルーチェと会えないのは嫌だ。何とかしてルルーチェを離宮に来させよう。
ネイサム王子はそう決心して自身の部屋に戻っていった。
王妃サリアーナは自室に戻るとぐったりとソファーに身を沈み込ませた。
何とか今回は王太子の決定を先延ばしすることができた。
しかし情勢は極めて不利である。今なお人気の高いゴットフラム大公に続いて宰相のアルフォード侯爵家が第一王子の陣営につけばローレンスの立太子は決定的である。
何か巻き返す手はないものか……王妃が必死に考えていると、面会を希望している者がいると告げられた。
「王妃様、ドラム伯爵が王妃様にお会いしたいといらしておりますが」
「いいわ。通してちょうだい。部屋の扉は開けておいて。あなたたちは少し下がっていて」
ドラム伯爵は入ってくると恭しく礼をした。
「王妃様にはご機嫌麗しく……」
「ご機嫌麗しくなんかないわ。挨拶はいいから座ってちょうだい」
いらいらと王妃は扇子を振った。
ドラム伯爵はこの国の数少ない王妃の手駒である。
王妃は隣国の第三妃の娘で、第三妃は隣国の伯爵家の出身だ。このドラム伯爵はその伯爵家と縁続きなのである。
「例の侍女が当家に参りました。庇護を求めておりましたのでとりあえず当家の侍女として雇い入れましたが」
ドラム伯爵は早速本題に入った。
「そうね。しばらくはあなたのところで様子を見てちょうだい。
それで?彼女はうまくやったの?」
ゴットフラム大公の娘シンディがローレンスと結婚したとき、ついてきた侍女の中に明らかに不満げな様子の者がいた。シンディに付き添っていた侍女のなかで結婚後も王宮で侍女として仕えるのは数人である。彼女はゴットフラム家に帰るのだろう。
ゴットフラム家の中に情報を提供してくれる者がいれば役に立つだろう。
そう考え彼女に声をかけた。
隣国滞在中にネイサムの婚約破棄騒動の知らせを最速の便で受け取った王妃はその侍女にゴットフラム家の令息とクリスティナの仲を邪魔しろと指示を出した。上手くやれば王妃付き侍女に取り立てようと。
「クリスティナ侯爵令嬢を部屋に閉じ込め粗末な食事しか与えなかったそうです。
侯爵令嬢はかなり憔悴して泣き暮らしていたとか」
「あら、よくばれなかったわね」
「ゴットフラム大公の息子には令嬢が無理に連れてこられて嘆いている。部屋に閉じこもって誰にも会いたくないと言っていると会わせなかったそうですよ。さすがに六日目ぐらいに令嬢と会わせろと言ってきたので行方をくらましたそうです」
「ふふ……上手くやったわね。これでゴットフラム大公家とアルフォード侯爵家の婚約も上手くいかないでしょう。二度も婚約が解消されればクリスティナの資質が問われるわ。最初の婚約破棄もネイサムではなくクリスティナの方に非があったと誘導することもできる……」
王妃は考え込んだ。ゴットフラム大公家とアルフォード侯爵家の婚約が解消されれば少なくとも宰相が敵に回ることが無くなる。
でもまだ足りない。第一王子ローレンスの評判を落とすような何かがないと愛するネイサムが王太子になる事は出来ない。
「その侍女には私が喜んでいたと伝えてちょうだい。今後の働きによっては私の侍女に取り立てるかもしれないと」
ドラム伯爵が退出した後再び王妃は考え込んだ。
ひとまず最悪の事態は脱した。アルフォード侯爵家が第一王子の陣営にならないだけでも良しとしなくては。本当は切れ者の宰相を味方につけたかったのだ。そのためのネイサムとクリスティナの婚約だったのだ。あの芋臭い令嬢を嫌うネイサムの気持ちもわかるが、我慢していればこの母がネイサムを王位に就けてあげるというのに……
どうしてこうなったのかしら?