私はここに残る!
「こちらのお屋敷でお嬢様は素晴らしいもてなしを受けたようでございますな」
地の底を這うような声が家令モーガンから聞こえた。
「い、いや……それは……」
レオンはしどろもどろだ。庇うようにノアが口を開いた。
「あ、あの、レオンはずっとクリスティナ嬢のことを気にかけていたんです。でもマルゴット、メイド長のマルゴットに『お嬢様は会いたくないと言っている。部屋に閉じこもっている』と聞かされて。
で、でもクリスティナ嬢が不自由ないようにお世話するよう指示を出していました」
「大公家のもてなしとはいない者として扱うことですかな?そういう使用人教育をしておられると」
返す言葉もない。レオンとノアは冷や汗が流れるばかりである。
「とにかく!お嬢様を連れてきてください!話はそのあとです!」
クリスティナ嬢の侍女、アイリスの言葉にもっともだと頷き、レオンは屋敷を捜索させた。
しばらくして二階の奥まった角部屋が施錠されていると報告があり、皆でその部屋に向かった。
いや、レオンとノアで向かおうとしたが、モーガンとアイリスが承知しなかったのだ。
持ってきた鍵でエマが解錠する。恐る恐るドアを開けるも……誰も人はいなかった。
人が居た形跡はある。テーブルには空になった食器が残されていた。
クローゼットに置かれた服は確か初めて会ったとき着ていた少年のような服だ。
吊るされたドレスを見て、アイリスが夜会の時にクリスティナ嬢が着ていたドレスだと証言した。
クリスティナ嬢はどこへいってしまったのだろう?マルゴットは?
恐ろしい想像には目を瞑り、クリスティナ嬢の行方を捜すことにした。
レオンたちはもう一度応接間に戻ってきた。
混乱して訳が分からないが、事態が非常にまずいことだけはわかる。冷や汗はもうタライ一杯分は流れただろう。
クリスティナ嬢の居た部屋には食器が残されていた。と言うことは食事は出されていたということだ。
粗末な食器で皿数も少なかったが。
「……厨房の者を呼んでみましょう。何か知っているかもしれない」
レオンはトマスに命じた。
厨房の者たちがやってきた。
やはり侯爵令嬢に食事を作ったことは無いそうだ。侯爵令嬢に相応しい食事でなくても誰かに食事を届けたことがあるか聞いてみると、一人の料理人見習いが恐る恐る口を開いた。
マルゴットメイド長に頼まれて、日に三度食事の支度をしていたこと。ただその食事は使用人より簡素でとても侯爵令嬢にお出しできるようなものではないこと。
「日に三度、マルゴットが届けていたのか」
レオンの言葉に料理人見習いは首を振った。
「いえ、最初だけマルゴットさんで次から取りに来たのは別の人です」
「何!?」
レオンたちは色めき立った。初めて別の人物が浮上した。マルゴット以外にクリスティナ嬢の存在を知っていた者がいたのだ。
「それは誰だ?」
「あ、あのティナです。この前入ったかわいい娘……あ、いえ」
ティナ!???思いがけない名前にびっくりする。
彼女がマルゴットの企みに加担していたなんてイメージが違い過ぎる。
「ともかくティナを呼んでくれ。彼女はどこにいる?」
「今日はケイトとコニーと共に物置の掃除をしています。至急呼んできます」
レオンの問いにエマが答え、足早に部屋を出て行った。
私は大きく伸びをした。三人で頑張った物置の掃除がやっと終わったのだ。
「きれいになったわね。頑張った甲斐があったわ」私が言うと
「そうね。でもお腹すいちゃったわ」とケイトが答えた。コニーも頷いている。
「もうお昼過ぎてるもの。食堂へ行きましょうよ」
掃除道具を片付けて私が言うとケイトがウリウリと肘で小突きながら言った。
「ティナはレオン様たちと書類仕事の方が良かったんじゃない?」
「そんなことないわ。掃除も好きよ」うん、きれいになるのは気持ちがいい。
三人で歩き出した時にエマさんがやってきた。なんか珍しく怖い顔をしている。
「ティナ、レオン様がお呼びです。応接室に急ぎなさい」
エマさんの固い言葉に首をかしげながら後をついていった。
コンコン。「ティナです」
ノックをして入室した私はそのまま回れ右して部屋から出ようとした。
モーガンの怖い顔が目に入ったからだ。これは幼いころ悪いことをしたときモーガンによく叱られたから……条件反射ってヤツね。
「ティナ!どうしたんだ?」
焦ったようなレオン様の声が聞こえた。
そのすぐ後に
「ティナ様……いいえ、クリスティナお嬢様。その恰好はどういうことでしょう?
どうしてメイドなどなさっているのでしょう?」
モーガンの氷点下の声。そして……
「「クリスティナお嬢様!?」」
レオン様とノア様の叫びが響き渡った。
応接室に落ち着き、私は今までのことを話した。
一気にしゃべって紅茶を一口。ふうっ……やっぱりアイリスが淹れたお茶が一番美味しい。
レオン様とノア様がポカンとした顔で私を見つめている。
「私は悪くないのよ。部屋に閉じ込められてお腹が空けば誰だって逃げ出すと思うの。
メイドだと間違えたのは私じゃないし」
その途端、エマさんが「申し訳ありません!!」とすごい勢いで頭を下げた。
「え?やめて!エマさん。私エマさんに感謝してるの。エマさんが間違えたおかげで今まで食事も寝るところも確保できたんですもの」
「申し訳ない!!」今度はレオン様が凄い勢いで頭を下げた。
「レオン様、私はレオン様も恨んでいません」そりゃあメイドがやったことを何にも気づかないなんてちょっとポンコツだな~とは思うけど。
「最初はレオン様が私との婚約が嫌で意地悪しているのかな~なんて疑ってましたけど——」
「断じてそんなことは無い!」
レオン様は食い気味に否定した。
「ええ。それはもうわかってます。レオン様やノア様とお仕事を一緒にしてお二人の人間性も知ることができましたし、かえって良かったかもしれません」
「いや、しかし……侯爵令嬢にメイド仕事をさせたなどと……
本当に本っ当に申し訳なかった!」
レオン様とノア様はもう一度深々と頭を下げた。
コンコン。そこへトマスが入ってきた。
「レオン様、マルゴットメイド長はこの屋敷を出て行ったようです。門番がマルゴットメイド長が出かけるのを目撃しておりまして、どこに行くのか尋ねたところ用事を頼まれて街に行くと言っていたそうです。現在その後の足取りを追ってもらっています。
彼女の部屋からは身の回りのものが無くなっておりました」
やはり彼女一人の犯行みたいだけど、彼女がなんでこんなことをしたのかはわからなかった。
私に意地悪して長年勤めた職場を棒に振るなんて割に合わなすぎる。
彼女がいなくなってしまったのでその辺の疑問は解決しないままだった。
「ともあれお嬢様が無事で安心しました。それで——―」おもむろにモーガンが口を開いた。
「お嬢様は私たちと共に王都へ帰られますか?」
その言葉にレオン様がはじかれたように顔を上げた。
「いや!それは……」続く言葉が出てこない。
私はレオン様をじっと見つめた。
「レオン様は私は帰った方がいいと思われますか?」
「その……身勝手だとは思うが、私は帰ってほしくない。あなたをもっと知りたいしいろいろな場所に案内したい。この地のいいところを沢山知ってもらいたいんだ」
それを聞いて私はにっこり微笑んだ。
「モーガン、私はここに残るわ。レオン様と向き合ってみたいの」
それを聞いてモーガンはため息をついた。
「まあ、そう仰ると思ってました。アイリスが残ってお嬢様のお世話をいたします。お嬢様の荷物も持ってきてあります。馬車一台に積んでありますので後でお嬢様の部屋に運び入れるように言っておきます。
レオン様、お嬢様のことをくれぐれもよろしくお願いいたします」
「はい。今度こそクリスティナ嬢を大切にします。アルフォード侯爵やダイラスにもよろしくお伝えください」
どうしてこうなった? ではない。私は私の意志でここに残ることを決めたのだ。