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パンと香水の匂い

 ルウェーシャン王国。

 この国はなだらかな山と大きな湖、それに丘に建てられた、古き良き石造りの王城が特徴的な国だ。

 小国だが自給自足で賄っている部分が多く、鉱石も採れる。

 城下町である王都は、貴族や町人、上京してきた者たちの他にも、行商人やら観光客やらで賑わっていて、そこそこ活気があるらしい。

 らしい、というのは行ったことがないからだ。

 母を早くに亡くし、父も放蕩の旅へと出ていってしまったフィリアにとっては、精々隣町へ出かけるのが関の山で、とてもじゃないが王都だなんて行こうとは思わない。

 そう――今日までは。

 ご近所のホーントさんの辻馬車よりも、ずっと乗り心地のいい馬車に揺られて三時間。

 フィリアは生まれて初めて――都会という場所に来ていた。


「わぁ……」


 窓の外から見る景色は目まぐるしく変化して、目が回りそうだった。

 開け放した窓を通して、賑やかな声が途切れることなく聞こえてくる。

 パンと香水の匂い。

 路地裏の荒んだ様子すら、都会な雰囲気を醸し出している。

 どぎまぎするフィリアに、青年が背を優しく撫でた。

 ここが俗に言う『貴族街』と『庶民街』の境目のようだから、余計に感じるのだろう。

 華やかで眩しく、しかし混沌とした場所に特有の空気だ。


「まずは、僕の所有する屋敷に行くよ」

「え?」

「すぐに王城に連れて行ってあげたいけどね。あそこには面倒くさいドレスコードがあるんだ」


 勝手に話を進める青年に、待ったをかける。


「私をどうする気ですか――っていうか、そもそも貴方、何者なんですかっ?」


 そうなのだ。

 この旅の最中、青年は一度だって状況を説明することはなかった。

 フィリアが聞かなかったのも悪かったが……あわや人身売買の人攫いかと警戒していたのである。

 しかたないと思いたい。


「ああ、言ってなかったっけ。僕はアーノルド。君は?」

「……フィリア」

「フィリアにぴったりの可愛いドレスを贈るよ。素敵なネックレスに、指輪も用意しよう」


 礼儀とはいえ、知っていたはずの名前を聞き返したアーノルドは、楽しげに言葉を並べていく。


(アーノルド……。聞いたことがあるような)


 アーノルドは貴族のようだから、フィリアがどこかで耳にしていてもおかしくない。

 けれどどこか胸騒ぎがして、無意識に喉を押さえる。


「うん、決めた。ガーネットの石を嵌めようか」


 くすりと浮かぶ笑みが、捕食者の舌舐めずりに見えて、どうにも落ち着かない。

 アーノルドは、フィリアを手籠にして、妻か妾にでもしようとしているのではないか。

 なんの取り柄のなく、美人でもないフィリアにそんな魅力があるはずがないのに、疑惑が脳をよぎる。

 けれど、次の一言でフィリアは混乱に陥った。


「君には、僕の奥さんたちを紹介したいな」

「えっ、奥さん……()()? ――結婚して、いらっしゃるのですか?」

「うん、綺麗な奥さんと、楽しい奥さんがいるよ。フィリアともすぐに仲良くなれる」

「えっ、えっ――。仲良く……? それは、えっと、もしかして、私は――」

「ああ、君は三番目の奥さんになるよ。ずっと愛してたし――そういう()()だろう?」

「えっ、約束――?」


 もしかして、知り合ったという『昔』のことだろうか。

 えっ、でもそんな子供の言うことを……。

 いや、それ以前に三番目って――。

 情報量が多すぎて脳がショートしそうだ。


『ずっと、すきだから』


 記憶の中の幼い子供の声が、どこか寂しそうに虚空に響いた気がした。

 馬車が一度がたんと揺れて、止まる。

 扉が開けられ、レッドカーペットが敷かれているのが見えた。


「よ、よく分からないですが」


 フィリアは混乱したまま、立ち上がる。

 馬車は狭く、屈まないと立っていることなんてできなかった。


「私、貴方のお嫁さんになるつもりはありません!」


 思いのほか大きな声が出て、自分で驚いた。

 けれど、負けないようにと睨みつける。

 アーノルドは驚いたように目を見開いていた。


「私、三股平気でかける人なんて、嫌いです」


 家に帰してください、と訴えると、アーノルドが頬を染める。


「僕を独り占めしたいってこと?」

「は?」

「照れるなぁ。嬉しい。でも、お嫁には来てもらわないと」

「えっ、ちょ――」


 抱き上げられ、馬車を降りていく。

 そこには、見たことないほど大きな豪邸と、左右に別れて並ぶ使用人たちがいた。

 状況を忘れて溜息をつく。

 まるで物語のお城のようだ。


「フィリア、今日から」

「お帰りなさいませ、旦那さま」


 どこからか現れた黒髪の美人が、抱きついた。

 アーノルドは慌てるでもなく、彼女の額にキスをする。

 この方が例の()()()だろうか。

 黒髪美人さんは嬉しそうに笑ったあと、ようやくフィリアのほうを見た。

 

「旦那さま、彼女は……」

「ああ、例の子だ。フィリアって言う」

「あ、フィリアです……」


 黒髪美人さんの目が鋭く光った。

 それはそうだ。

 自分の旦那が女を抱きかかえてきたら、嫌に決まっている。

 気まずく思いながら挨拶をすると、黒髪美人さんはじっと見つめてきた後に、そっぽを向いた。


「わたくしのほうが可愛いですわ」


 そりゃあそうだろう。

 彼女は可愛いというより美人だけど、平々凡々とした顔の私と比べたら何倍も可愛いに決まっている。

 健気に出迎えて、嫉妬まで焼いてみせるなんて、むしろ可愛いがすぎるのではないか?


「そうだ、この子を着飾ってくれないかい?」

「なぜわたくしが」

「君はセンスが良いからね。頼むよ」


 フィリアが地味に混乱している間にも、話は進む。


「……しょうがないですわね。いらっしゃい、泥棒猫ちゃん」

「えっ、いや、遠慮し」


 メイドが両脇に立つ。

 抵抗しようとジリジリと距離を図っていたのに、背後を取られた。


「連れてきなさい」


 メイドがこんなにも力が強いなんて、予想外だ。

 ズルズルと引き摺られ、連れて行かれる。

 恋敵(と思われている)に身を任せるだなんて、これほどに恐ろしいことはない。

 けれど、もうどうしようもなかった。

 フィリアは諦めて、だらりと身体の力を抜いた。



「まあまあまあ! なんて可愛らしいんでしょう」


 甲高い喜びの声を上げたのは、この屋敷の侍女長だ。

 黒髪美人さん――クレールという名前らしい――はフィリアを上から下までじっとりと見て、一つ頷いた。


「こんなものね」

「クレール奥様、流石でございます」

「あの……」


 フィリアはげっそりとしていた。

 正直自分の身に何が起こったのか、まだよく分かっていない。

 クレールに回収されたフィリアは、まず一時間か二時間か掛けてピカピカに磨かれた。

 それから数十着にも及ぶドレスを着ては脱ぎ、着ては脱ぎして、ようやくお許しが出たと思ったら、次はお化粧である。

 フィリアに合うメイクは、肌の調子は、など丹念に見られ試され、気づいたときには日は暮れていた。

 途中で虐めではないかとさえ思ったが――仕上がりを見るに、そんなことは考えられない。

 普通、恋敵(仮)をこんなに丁寧に磨き上げるだろうか?

 よほどの真面目さんなのか、優しいのか、純粋なのか――少なくともフィリアよりは性格が良さそうである。

 正直勝てる気がしない。

 いや、勝たなくていいのだけれど。

 それはそうと、


「今から、何かご予定が……?」


 こんなに豪奢な服を着て、出かけでもするのだろうか?


「晩餐があるでしょう」

「晩餐……夕ご飯のことですよね。えっと、月に一度しかないとか?」

「……言っておくけれど、この家では毎日ドレスを着て生活するのよ。舞踏会では、この三倍ふりふりした格好で行くわ」

「さ、三倍……」


 想像がつかない。


「ほら、髪飾りもして。……ああ、これならまだ見られるわね」

「奥様方、そろそろお時間でございます」

「ええ。フィリアさん、行くわよ」

「は、はい……」


 さっきから流されてばかりだ。

 はっきりと主張しなくては、あれよあれよと言う間に結納を済ませてこの家の人になっていそうな気さえする。

 気を引き締め、この結婚話を断らなければいけない。

 フィリアは母の形見である家も、牛舎も置いてきてしまった。

 長いこと離れてはいられない。


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