【落馬と引越しⅠ】
ニーナ・モントレイが王立乗馬学校に通うようになってから二か月が経過した。
彼女は特待生試験にパスしたため、入学金は免除され、授業料も通常の半額である。
ニーナは馬に乗る事はできたものの、それはあくまで貴族子女のたしなみの範疇を超えていない。
そのため彼女の技量はごく平均的なものであった。
その意味では、特待生試験が学科と実技の選択制だったのは、ニーナにとって本当に幸運だった。
もし実技試験しか選べなければ、ニーナの合格は無かったはずだ。
ともあれサアラのフォローもあり、彼女はここまで順調に学生生活を過ごしている。
その日、ニーナが受ける実技授業の課題は、馬で障害を飛び越えるというものだ。
馬を走らせるのは、街中のような整備された道路ばかりではない。
郊外、とりわけ戦場では足場の悪い、道なき道を駆け回る事になる。
障害を飛び越えるというのは、実用的な乗馬術を習得するための基礎とも言える課題だ。
今日の授業で使われるのは障害と言っても、ごく低い柵を超えさせるだけのものであり、サアラならば目をつぶってでもクリアできる課題だが、ニーナの様に初めてチャレンジする者にとっては、それなりに緊張を強いられる課題である。
サアラの場合、もはや実技について教官に教えてもらう必要はほとんど無いため、実技の授業では生徒として授業を受けるというより、生徒に手本を示すといった、指導教官の補助を務める場合が多かった。
今日もサアラは指導教官の助手として、この授業に参加している。
そもそも馬で障害を越えるのに、走るスピードは大して重要ではない。
進行方向に存在する障害を越えるのだという事さえ馬に理解させれば、後はそれほど馬をコントロールしようとしなくても、馬は自然に障害を飛び越えてくれる。
幼い頃から野山を馬で駆け回っていたサアラは、細かい動きは馬に任せた方が良い結果を生みやすい事を経験則として知っていた。
馬の気持ちを理解し、相手が動きやすいようにコントロールするところに人馬一体の真髄があるのだが、当然ニーナはそのレベルに達していない。
そのため彼女は実技を始めたものの、馬と意思疎通が出来ていないため、ニーナの望む通りに馬は動かず、それを強引に言う事を聞かせようとして、さらに悪循環に陥っていた。
サアラは堪らずニーナに声をかける。
「ミス・モントレイ、そんなに無理しては駄目よ。自信が無いなら戻りなさい。」
「いえ、大丈夫です。行けます。」
ニーナとしてもサアラにいいところを見せたい気持ちがあるため、簡単には引き下がれない。
『大丈夫かしら?』
そして事態はサアラが恐れた通りの展開となった。
障害の直前で止まろうとした馬に対して、ニーナは不用意にも鞭を入れてしまう。
『危ない!』
サアラがそう思った時は既に手遅れだった。
驚いた馬は大きく飛び跳ねて目前の障害を越えた。
「あっ!」
ニーナは突然の馬の動きに対応できずに振り落とされる。
「ミス・モントレイ!」
騎乗したサアラは真っ先に彼女の許に駆け付ける。
指導教官は授業の中断を宣言すると、サアラの後に続いた。
次回「落馬と引越しⅡ」は、9月4日(月)20時頃に公開予定です。
どうぞお楽しみに。




