【怨霊と怪鳥】
「フゥー、なかなか上手くいかないものね・・・」
使用人たちが寝静まった深夜、サアラは今日も寝室で悪役令嬢の必殺技である「高笑い」の練習にいそしんでいる。
ゲーム中のサアラ・アムロードが何度も披露していた見事な高笑い、ところが今の彼女にはそれが再現できない。
プロの声優ではないのだから多少の妥協は許されると思うのだが、本物のサアラ・アムロードのくせに高笑いが出来ないというのは、彼女自身、どうしても納得がいかなかった。
だからサアラは毎晩深夜に喉が枯れるまで秘密特訓を繰り返していたのだ。
だがその特訓の成果が出る前に、思わぬ問題が発生する。
「お嬢様、折り入って相談がございます。」
いつもは明るいマーサが、その日に限って深刻な表情をしている。
「どうしたの、一体」
「はい、お嬢様は最近屋敷内に奇妙な噂が流れている事をご存知でしょうか。」
「噂?」
「それが・・・毎晩深夜に怨霊の叫び声が聞こえるというのです。」
「おっ、怨霊!?」
「はい、あれは怨霊ではなく怪鳥の鳴き声だと断言する者もおります。いずれにしましても複数の者が屋敷内で人間とは思えないおぞましい声を聞いたと証言しています。」
「へぇー、そうなの・・・」
表向きは何とか平静を装ったものの、サアラは怨霊の正体を瞬時に見破った。
『それ、私じゃん・・・』
ここでマーサはグッと身を乗り出し、ここからが本題だと言わんばかりに声をひそめる。
「しかも怨霊の叫び声の出処が、お嬢様のベッドルームがある二階だと申す者がいるのです。」
サアラは名探偵に追い詰められる犯人の気分を味わっていた。
「お嬢様に何か心当たりはございませんでしょうか?」
「さぁ~、私は聞いた事無くてよ・・・」
本当は心当たりがありまくりのサアラは、冷や汗がダラダラ流れる思いである。
「もし犯人が怨霊であるなら、エクソシストが出来る司祭様をお呼びした方が良いのではないかと・・・」
『司祭様呼んじゃダメー!原因知ってるから、無駄足になるから!』
そんなサアラの内心など知らないマーサはさらに畳み掛けてくる。
「最近、ミラン司祭と言う方が凶悪な怨霊をたった一人で打ち払ったと王都中の噂になっております。この際、ミラン司祭にエクソシストをお願いしたらいかがでしょう?幸いにもミラン司祭に伝手をもつ人物を知っております。お嬢様にお許し頂ければ、すぐにも手配いたしましょう。」
『まずい・・このままでは私の秘密特訓のせいでミラン司祭が来てしまう。』
大事にしたくない彼女はマーサを何とかなだめようとする。
「まだ犯人が怨霊と決まったわけではないし、もう少し様子を見た方が良いのではないかしら。まだ実際に被害を受けた人はいないのでしょう?」
「それはそうですが、もしこれが怨霊の仕業となれば一刻を争う事態です。犠牲者が出てからでは手遅れです。」
「でもミラン司祭も本物の怨霊退治でお忙しいでしょうから・・・」
「えっ!?、本物?」
「いやいやそうではなく・・・えーっと、そう! 実は見たのよ、怪鳥」
「えぇっ! 本当でございますか?・・・しかし先程は心当たりなど無いとおっしゃっていたような・・・」
「きっ、急に思い出したのよ!そう、あれは凄かったわ。」
「お嬢様は怪鳥の姿をご覧になったのですか!?」
「ええ、見たわ・・・怪鳥は私の背丈の5倍はあったわね。」
「5倍!?」
マーサはゴクリと唾を飲み込む。
「怪鳥の眼は緑色で羽は金色に光っていたわ。」
「それでお嬢様はご無事だったのですか?」
「ええ、何とかね・・・怪鳥は『オーッホッホッホッ』と甲高い鳴き声を上げた後に、南の空へ飛んで行ったから、もう戻ってこないと思う。とにかく運が良かったわ。」
「まさかそんな事があったなんて・・・お嬢様が怪鳥に食べられなくて本当に良かった・・・」
「まあそういうわけだから、エクソシストは無用よ。」
「分かりました、それでは怪鳥警戒だけにいたします。」
『えっ!?、怪鳥を警戒するの?』
何とか無事に収まったと安心した直後の予想もしなかった展開に、サアラは激しく動揺した。
だがそれを止めようにも、彼女にはこれ以上マーサを説得する材料は残っていない。
「ええ、必要よね・・・怪鳥警戒」
「もちろんでございますとも!」
「・・・ありがとう、心強いわ。」
「万事このマーサにお任せ下さい!」
マーサの動きは素早かった。
彼女はサアラの警備を理由にして完全武装した重装歩兵と弓兵を領地から呼び寄せ、24時間体制で王都屋敷の警備に当たらせたのだ。
さらにアムロード家から怪鳥目撃の報告を受けた王宮も王都全体の警備強化に乗り出した。
『これはとんでもない大事になってしまった・・・』
王都屋敷の庭で繰り広げられる兵士たちの訓練を見下ろしながら、サアラの心は申し訳なさで一杯だった。
こうして彼女の秘密特訓は、周囲に多大な迷惑をかけた末に中止となった。