【サアラの決意】
移動中の馬車というのは、はっきり言ってやる事がほとんどない空間である。
サアラはこの時間を利用して、自分の身に起こった不思議な出来事をじっくりと振り返る事にした。
彼女が初めてそれに気が付いたのは今から1年前、16歳の誕生日を迎えた春の事だった。
数日前から原因不明の体調不良を感じていたサアラは、予定されていた夜会を欠席すると、王都屋敷のバルコニーから夜空をぼんやりと眺めていた。
見慣れたはずの夜空、ところがその日に限って、彼女は目の前に広がる夜空に強烈な違和感を覚える。
『月が二つ?・・・いいえ、月は一つのはずだわ!』
その瞬間、閉ざされていた過去の記憶が奔流の様に流れ込み、サアラは全てを思い出した。
彼女の前世は日本人だった。
乙女ゲームが趣味である前世の彼女は、会社が完全テレワークに切り替わったのをいい事に、ほとんど家にいて仕事以外はゲーム三昧という生活をしていた。
そんな前世の彼女が一番好きだった乙女ゲームが「ラストロマンス」である。
マイナーなゲーム会社から発売されたため、多額の宣伝費がかけられる事も無く、乙女ゲーマー達の話題にものぼらない。
大方の予想通り「ラストロマンス」の売り上げは散々な結果に終わった。
当然、続編が作られる事は無く、「ラストロマンス」は人々の記憶から消えて行った・・・前世の彼女を除いては。
ゲームの全ルートを攻略し、特典画像を全て収集した後も、前世の彼女は新作ゲームそっちのけで「ラストロマンス」を飽きることなくプレイしていた。
既にストーリーは完全に頭に入っている。
それでも悪事を尽くしたサアラが最後に断罪され、王都から追放されるシーンになると、大いにスッキリしたものだ。
前世の記憶を取り戻したサアラは、今まで当たり前に過ごしてきたこの世界が「ラストロマンス」に酷似している事に驚愕した。
そもそも今の彼女の外見からして、ゲーム中の悪役令嬢キャラであるサアラ・アムロードそのものだ。
『うーん、これはもう疑う余地は無いわね・・・ここは「ラストロマンス」が現実化した世界だ。』
現実を受け止めたサアラにとって、まだ重要な問題が残っていた。
『それにしても、よりにもよってサアラ・アムロードかぁ・・・』
そう、今の彼女の配役は悪役令嬢であるサアラ・アムロードなのだ。
前世の彼女にとって、サアラの印象は決して良いものではなかった。
それ以上に問題となるのは、サアラを待ち受ける運命である。
ゲームの全ルートを攻略した彼女は、このゲームにサアラが追放されないルートが存在しない事を知っている。
『つまり私の追放自体は逃れられない運命という事よね・・・いや、待てよ?』
ここクロスリート王国では、貴族の追放とは王都からの追放を意味する。
つまり追放といっても領地を持つ貴族にとっては自領に戻るだけで処分が済んでしまう。
『あれ、これってランドンに帰れるって事じゃない!?』
そもそもサアラは王都暮らしに息が詰まるような窮屈さを感じていた。
とは言えアムロード家の令嬢がそんな理由で貴族の責務を放棄する事は許されない。
サアラは将来結婚した後も、窮屈な王都暮らしが続く事を半ば覚悟していた。
だがここがゲーム通りの世界であるなら、話は全く違ってくる。
今の彼女がゲームのシナリオ通りに行動すれば、必ず追放ルートに入るはずだ。
追放されたら二度と王都には戻れないが、サアラにとってはむしろ好都合である。
『そうよ、私が追放になればヒロインは両想いの王太子と結ばれて、私は故郷に帰る事が出来る。考えてみたら良い事だらけじゃない。』
決められた未来を進む以外に道は無いと諦めていたサアラの人生に、一筋の光明が射し込む。
『よーし決めたわ。私、追放ルートを目指します!』