【最終実験】
「きっ、きっ・・・」
不意打ちを受けた指揮官はショックのあまり口をパクパクさせている。
一方のリヴェラーノ伯爵は、一瞬の驚きから歓喜へと急速に表情を変えていく。
「ハハハハハ、これはこれはアムロード侯爵婦人。まさか逃げずに残っておられるとは、私も本当に運が良い。」
「それは偶然ですね、私も同じ気持ちですよ、リヴェラーノ伯爵。」
自分を全く恐れる様子の無い彼女に対して機嫌を損ねたリヴェラーノ伯爵はその本性を現す。
「余裕ぶっているつもりか? あらかじめ言っておくが、命乞いなど無駄だぞ。」
彼の脅しに対しても、ハンナは平然としている。
「思った通りです。自信家の貴方であれば、必ずご自分で首尾を確かめに来られると読んでいましたよ。」
「自分からのこのこ出て来るような間抜けが何を言う!? 読みが当たったところで、状況は何一つ変わらないぞ。」
「いえいえ、大いに変わりました・・・私にとってはね。これで無駄死にせずに済みます。」
「これから死ぬことだけは自覚していると見える。もはや逃げ場は無いぞ! せいぜい覚悟するんだな。」
「逃げ場が無いのはあなたの方です、リヴェラーノ伯爵。」
ここに至っても彼女が余りに落ち着きはらっている事に、伯爵はようやく不安を覚え始める。
「・・・どういう意味だ?」
ハンナはその質問に返答しないまま、無言で手に持った小さなガラス製の薬瓶を傾ける。
中に入っていた緑色の液体がほんの数滴、絨毯に落ちた。
その光景にぞっとする悪寒を覚えた伯爵は思わず叫ぶ。
「きっ貴様! 何をした!?」
狼狽する伯爵を前に、ハンナは引導を渡した。
「人を殺す魔法ですよ。あなたが喉から手が出るほど欲しがっていたものです。」
「バカな! そんな事をすれば貴様だってただでは済まないだろうが!?」
ハンナはその質問にも答えない。
ただ無言で相手を見つめているだけだ。
その表情をしばらく凝視していた伯爵は顔面蒼白となる。
彼はようやく自分が殺そうとした相手の意図を理解した。
「・・・この女、最初から死ぬ気だ!」
彼は隣の指揮官に慌てて命令する。
「おい! すぐに兵士を呼べ、ここに居ては危ない!」
だが呼びかけたはずの指揮官が命令を実行する事は無かった。
彼は既に白目を剝いて昏倒している。
「どけっ!」
リヴェラーノ伯爵はよろけながらもハンナを突き飛ばすようにして部屋の出口に進むと、気力でドアまで辿り着いた。
ハンナは必死で逃げようとする伯爵の背中に追い打ちをかける。
「無駄ですよ! 他の兵士は既に同じ運命を辿っています。残っていたのはあなた達だけ。」
「黙れ!」
だが部屋の外に出た彼を待っていたのは、ハンナが伝えた通りの光景だった。
通路のあちこちに、兵士が倒れている。
彼らは既に息絶えていた。
「クソッ! こんなところで死んでたまるか! こんなところで・・・」
もがきながらも気力で屋敷の出口を目指した伯爵もまたついに倒れ、惨めな最期を遂げた。
全てを終わらせたハンナは満足そうに微笑む。
「これで決着がつきましたね。ただもう私も限界のようです。」
そう言うと彼女はその場に崩れ落ちる。
「仮説通りの結果を得る事が出来ました。私の人生最後の実験は成功です。サアラをお願いしますね、あなた。皆、しあわせに・・・」
目を開けていても視界が暗くなっていく。
屋敷の最後の生存者であったハンナ・アムロードは、満足感と共に人生を終えようとしていた。




