【君去りし後Ⅰ】
「はぁ・・・」
サアラが公都を去ってから既に2週間が経過した。
クリストファーはこの日10回目となる溜め息をついたが、本人にその意識は無い。
サアラを失った喪失感は彼の予想を遥かに超えていた。
実際のところ彼女が公都に滞在していたのは2か月に満たない。
その意味では元の状態に戻っただけとも言えるのだが、そのような理屈は今の彼にとって、何の慰めにもならなかった。
そんなクリストファーの様子を見ていたビショップ宰相は、うんざりした表情で声をかける。
「何度溜め息をつかれましても、ミス・アムロードが不在という状況は変わりませんよ。」
「・・・そんな事は分かっている。」
「左様ですか・・・それにしてもミス・アムロード攻略作戦が本当に成功するとは今更ながら驚きました。」
クリストファーは驚いたようにビショップの顔を見る。
「ちょっと待て、お前はまさかダメもとで話を進めていたのか?」
「もちろん私とて最初は失敗しない様、慎重に事を進めるつもりでした。しかし途中から殿下が暴走されたせいで無茶苦茶になった事をもうお忘れですか?」
クリストファーはウッと言葉に詰まってしまう。
それについては、さすがに彼自身にも自覚があった。
「大体、ミス・アムロードに対してあれだけ奇行を連発した殿下を嫌いになるどころか、気に入ってしまわれるなんて、あの方くらいのものです。本当に世の中とは分からないものですよ。」
「さっきから微妙にけなされている気がするのだが、気のせいか?」
「気のせいです。それよりも殿下の求婚については、既にアムロード卿の耳に入っていると思って間違いないかと存じます。」
「別に口止めもしなかったし、そうだろうな。」
「きっと今頃アムロード卿はミス・アムロードの縁談を急いで進めているでしょうなぁ。大事な跡取り娘を隣国の人間にかっさらわれたりしたら、それこそ一大事。」
ビショップはわざとらしくうんうんと頷いて見せる。
一方ビショップの予想を聞いたクリストファーはハッとした表情になり、次いで顔色が青くなった。
もちろんビショップの予想は一つの可能性であり、決定した未来でないのだが、今のクリストファーには、それを単なる可能性として笑い飛ばす余裕は無かった。
「ビショップ・・・お前は私の味方ではないのか?」
「もちろん味方です。ですからそうやって毎日暗い顔で溜め息をつかれているくらいなら、ダメもとでも動いた方が余程ましだと申しているのです。」
ビショップの期待に反して、彼の「挑発」にクリストファーが乗る事は無かった。
「そうは言ってもサアラが王都に戻ったばかりの状況で、こちらから打てる手などほとんど無いのだ。それに個人の問題で摂政の仕事をおろそかにする事はできないしな・・・」
「それは大変立派なお心掛けです。実際殿下はミス・アムロードが去られた後もデール公国摂政としての責務をきっちり果たしておいでです。」
「・・・・・・」
「しかし周りの人間の事もお考え下さい。例え公務をこなされていても、殿下が毎日そのようなご様子では、こちらの方まで気が滅入ってしまいます。」
「そんなにひどいのか?」
「ええ、それはもうミス・アムロードが去ってからの殿下は、まるで生ける屍のようです。」
その時、執務室のドアがノックされ、若い男の書記官が部屋に入って来た。
書記官の目的は摂政宛の書類を届ける事であり、毎日のように行われる定例行事だ。
彼は摂政の承認が必要な事務方からの稟議書や外国からの公式書簡を手慣れた様子ですらすらと説明していく。
クリストファーは退屈そうな表情で書記官の報告を聞いている。
しかし退屈なはずのその報告には、最後に爆弾が仕掛けられていた。
「それから最後のこれは殿下宛の私信ですね・・・差出人の名前は『サアラ・アムロード』となっています。」
「なに!?」
それまで死んだ魚のような目をしていたクリストファーは、一瞬で生気を取り戻した。
次回「君去りし後Ⅱ」は、12月27日(水)20時頃に公開予定です。




