女神の天秤
世界を変える第一歩は、自分の行動を変える事である。
しかし、自分の行動を変える第一歩は、自分の意志だけではなく、周囲の環境にある。
その環境を変えるきっかけは、案外、身近にある何気ない物なのかもしれない。
沙菜が学校から帰ると、祖父がこの世の終わりのような顔をしていた。
原因は、コレクションしていた洋酒を、うっかり落として割ってしまった事らしい。
それを見た祖母は
「趣味なんか持つから、そうなるんですよ」
と嫌味をたっぷり言っていたが、そんな祖母だって和服や、ドラマの録画をどうこうされれば、そんな事言っていられないだろう。
幼少期の体験から趣味らしい趣味を持っていない沙菜にとってみれば、趣味を持つというのは羨ましくもあり、また、煩わしいとも思えてしまう。
すると、祖父が
「すまんが、爺ちゃんはしばらく何をする気力もないから、車葬を頼むぞ……」
と言うと、力なく部屋へと帰って行ってしまったので、沙菜は引き受けざるを得なくなった。
工場のいつもの場所には、薄い水色メタリックのクーペが存在感なく置かれていた。
「影が薄いルキノだねぇ……それじゃぁ、はじめるよ」
沙菜は言うと、車葬を開始した。
日産・ルキノ。
1966年に日本のマイカーブームを牽引した片翼の雄である日産・サニーは、2ドアセダンとライトバン、トラックでスタートした後、もう片翼の雄であるトヨタ・カローラの登場によって4ドアセダンや4速フロアシフト、クラス初の3速AT車(カローラは2速AT)などバリエーションを矢継ぎ早に増やしていく。
その際に、若年層のユーザーから要望が多かったのが、スタイリッシュなクーペボディである。
カローラからも同時期に流麗なファストバッククーペのカローラ・スプリンターが登場しており、サニーからも、大胆なファストバックスタイルのサニークーペが登場した。
後部座席が前倒しできてトランクスルーに出来、当時のカタログ写真ではスキューバの道具を積んでいる事からも分かる通り、ターゲットは若者で、多彩なアウトドアライフをエンジョイするツールを演出していた。
このクーペは好評を博して2代目以降も登場し、サニーシリーズの1つの顔となっていった。
しかし、4代目頃になると国内販売が鈍化していく。
原因は、車種の増加と若者のニーズの変化である。
'72年にホンダが発売したシビック、'74年にフォルクスワーゲンが発売したゴルフによって、日本でもにわかにハッチバック乗用車に人気が出始める。
そして、'80年にマツダの渾身の一作であるFFファミリアが若者を中心に空前の大ヒットを記録、コンパクトクラスのクーペの顧客を奪い始めたのだ。
また、従来のセダンベースで、後ろ周りだけがクーペ……というスタイルを若者が好まなくなっている事にメーカーは気付き始めた。
セダンでは徐々に年齢層が上がりつつユーザー層と、クーペを求める層には乖離が生じ始めたのだ。
そこで、5代目のマイナーチェンジでハッチバックと代わってクーペは姿を消した後、6代目ではサニーRZ-1、7代目ではNXクーペとセダンシリーズとデザインを異にするシリーズを展開したが、海外は別としても日本では不人気のままだった。
'94年1月に登場した8代目になる頃には、クーペを取り巻く環境は大きく異なっていた。
この頃、日本のクーペに大きな旋風を巻き起こしたのは、'93年に三菱が登場させたミラージュアスティだった。
アメリカ向けの安価な2ドアセダン的なクーペを日本に持ち込み、1300cで95万円というプライスを実現し『欲しい車と、買える車が1つになりました』のキャッチコピーでバブル崩壊後の日本でヒットを飛ばし、日本のクーペ市場に旋風を巻き起こす。
カローラもサニーも過去には日本向けの2ドアセダンはあったが、不人気で海外専用にしており、サニーも7代目までは海外向けの2ドアセダンを生産していた。
8代目の2ドアに関して、既にアメリカでもクーペの市場の縮小により、NXクーペの廃止が決定しており、7代目までの流れを汲む2ドアセダンのラインと、クーペのラインが合流するような形になって開発が行われた。
セダンに遅れる事4ヶ月の'94年5月に登場した8代目サニーのクーペ版は、直前まで『サニークーペの名が復活する』と、専門誌等を賑わせていたが、当時のサニーはユーザーの高齢化が課題となっていたため、年配者のイメージのついたサニーでなく、ルキノという、あくまで違うラインの車として登場した。
特徴は、セダン譲りの実用性の高さと価格の安さを併せ持つミラージュアスティ的な2ドアセダンの側面のモデルと、1800ccエンジンを搭載し、8代目サニーシリーズの足回りの良さを武器としたスポーティなシリーズの2種類のラインナップを持った点だった。
乗っているボディは別としても、シャーシはセダンと共通で、セダンで旧型比105ミリ伸びたホイールベース(前輪と後輪の間の長さ)や広いトランクはセダン同様の美点で、5人の大人とその荷物を積める実用性を兼ね備えたクーペだった。
そして、1500ccの廉価グレードで88万円というプライスも衝撃だった。ただ、エアコンをつけると105万円弱になってしまうというカラクリはあったが、パワーウインドーやリモコンミラーは標準なので、当時の軽自動車の中心グレードに少々足せば買える車としては充分魅力的なものだった。
江口洋介扮する今時の若者が、なんとなく赤いクーペに憧れて手頃なルキノを買い、ガレージに集まる友人達やルキノとのドタバタ劇……という車のCMとは思えないシリーズもので、キャチコピーは『ルキノって、いいかも。』といういかにも当時の軽い感じの若者のノリのようなプロモーションで登場したサニークーペの起死回生を賭けた新シリーズだったが、二番煎じの割りに価格が高めに映ってしまった事がネックで、売れてないわけではないが、アスティほどのヒットは飛ばせずにいた。
そこで、'95年1月にはテコ入れ策として、3ドアハッチバックのルキノ・ハッチを追加した。
このルキノ・ハッチは同月モデルチェンジした5代目パルサーのグリルとテールレンズを変えただけの姉妹車であるが、クーペが4グレードなのに対し、ハッチは8グレード構成、更には4WDの設定があるなど、明らかに販売の主力がハッチに置かれているのを感じさせるものだった。
ちなみにこのハッチのCMは、クーペで江口洋介の友人役だった大塚寧々が主役で、江口洋介以下は脇役になるという構成に変わっていく。
その後、クーペも再生を賭けてエアバッグの標準化や、バージョン・ブラック、バージョン・ブルーなどの特別仕様車を登場させるが、'96年5月に、ルキノ・ハッチのラインから5ドアボディに、当時流行のRV風の装飾をしたミニワゴンのルキノ・S-RVが登場。
S-RVは当時人気絶頂の安室奈美恵と永井豪の描いた男性キャラクターの合体で『俺の彼女は超アムロ、俺の車はS-RV』というキャッチコピーのCMで登場すると、ルキノの稼ぎ頭となってしまう。
クーペとハッチはマイナーチェンジをしてCMキャラを交代し、浅野忠信と水野美紀のカップルがちょっとエロスを感じさせる大人の構成となり『あいつって、ルキノ。』というキャッチコピーで売り出したが、S-RVのキャラの強さにかき消されてしまった。
その後も、'97年のマイナーチェンジで、クーペ、ハッチ共に1600ccの可変バルブタイミングエンジン搭載車であるハイパワーなVZ-Rが追加され、従来のハイパワー版であった1800cc車はATのみとなる。
この際、ハッチのCMは無くなってクーペ単独のCMとなり、キャラクターも金城武に変更、カラフルな黄色のツートンカラーとVZ-Rの登場をメインに謳った。
しかし、この1600ccエンジンも、パルサーがシビックにレースで勝つために開発されたエンジンのため、ルキノクーペへの搭載はあくまでついでであった。
このエンジンの更なるエボリューションバージョンの限定車が二度登場するが、パルサーとルキノハッチだけで、クーペとS-RVは対象外とされてしまった。
ワゴン風外観のS-RVは無くても影響は少ないが、クーペに積まれないのは非常に痛手で、以降クーペの1600cc版の売り上げは激減する。
'98年10月にサニーはモデルチェンジを行い、ルキノは継続生産されたが、注目度は低く'99年4月に生産中止され、サニーのクーペの系譜も終わりを迎える。ちなみにハッチとS-RVは2000年8月まで販売されており、最後の最後まで亜流に実権を握られた悲運の車だった。
次に持ち主の情報が流れ込んでくる。
新車ワンオーナーで当時40代の女性。夫の単身赴任によって買ったばかりの郊外の家に娘と住む事となり、夫が赴任先にパジェロを持って行ってしまったため、初めて車が必要となって免許を取り、当時CMで流れていた価格に魅かれて購入する。
カタログを見ているうちに、メーカーの思惑通り廉価なMMではなく、エアロパーツ付きのSSタイプSが欲しくなって予算オーバーとなったが、値引きと、今までのへそくりが助けになってカバーできた。
既に息子は独立し、高校生の娘の駅への送り迎えや買い物、パート先への通勤などにルキノは活躍する。
息子の結婚、海外への赴任、夫の単身赴任の終了、娘が大学に入って免許を取るとちょくちょく娘の足としての役割も持つようになって、やがて、娘が結婚すると、再び彼女の元へと戻って来る。
その後の暮らしは穏やかなものだった。
2人の子供も独立し、夫が戻ってきた事により、遠出は夫のハリアーに任せるようになって、ルキノの役割は近所の移動のみとなっていく。
息子の離婚はあったが、その間にも娘夫婦に孫が生まれるなど、笑顔の絶えない家庭は続いていった。
しかし、その時間にはあっさりと終止符が打たれる。
日本に帰って来る途中の息子の乗った飛行機が墜落して、息子は帰らぬ人となる。
そして、直後に孫が海の事故で亡くなってしまい、その事で諍いの絶えなくなった娘夫婦は離婚し、娘が家へと戻って来て、引きこもる生活を送るようになってしまう。
彼女の手に入れた穏やかで幸せな生活は、僅かなきっかけからあっという間に全てが音を立てて崩れ去っていったのだった。
彼女は、人生の折り返しを過ぎてからこんな仕打ちが待っている理不尽さに、全てが嫌になってしまって心身ともに疲れ果て、全てを清算しようと身の周りの物から処分を始めて、このルキノもここにやって来たという経緯が。
沙菜は、彼女の心の叫びに寄り添うようにルキノの思念を読み取った。
この車が過ごしてきた長い年月には、色々な彼女の穏やかならぬ思いが籠っており、それらを余すことなく読み出すと、ボンネットに静かに手を触れて
「良き旅を……」
と言うと車葬を終了した。
◇◆◇◆◇
2日後、事務所に沙菜とオーナーの女性の姿があった。
すっかり人生に疲れたようで、やつれてしまっていた。
今では定年を迎えた夫と娘が家にいて、息をつく間もないそうだ。
近所に友人や知り合いもいない事から、全く外に出る機会もなくなったそうだ。
「人生の最後にきて、なんでこんな不幸な目に遭わなければならないのかと思うと……」
と言葉を詰まらせる彼女に、沙菜は封筒を渡した。
「これは?」
「ルキノのグローブボックスの中から、カーペットの隙間に落ちたと思われます。貴幸さんの持っていた物です」
彼女の問いかけに、沙菜は答えた。
彼女の息子は、長期の海外赴任を終えて、帰国する内示を貰っていて、その準備を進めていたそうだ。
彼女が封筒を開けると、契約書類と鍵が2本出てきた。
鍵の1つは、GTRとヘッドに打刻されたもので、もう1つは倉庫の物と思われた。
書類はガレージの賃貸契約書で、既に1年分が前払いされていた。
どうやら、息子は、日本に帰国後に封印していた車の趣味を再開させようと、帰省した際にR32型のGT-Rを購入してガレージも借りたようだ。
その準備を終えて、赴任先へ戻るべく空港に送って貰っている際に、これらを落としてしまい、更には日本に帰る飛行機が墜落してしまったそうだ。
受け取った彼女は、黙り込んでしまった。
沙菜がいたのと、この場所だからという事があって踏み止まっていたのだろうが、本心はこの場で泣き叫びたいところだったのだろう。
沙菜は、何も言わずに彼女を見守り、そして見送った。
◇◆◇◆◇
1ヶ月が経過した。
あの後、彼女がルキノを引き取った事を祖父から聞かされた。
元々今回の依頼は、断捨離的なもので彼女が免許を返納するための処分という事だったため、彼女の中で何かが変わり始めていたのかもしれない。
そして、沙菜は学校で燈華やあさみから、最近人気急上昇の動画チャンネルがあると見せられた。
どうも車に関する動画もあるようで、そこの知識のある沙菜に解説して欲しいというものだった。
見てみると、性別不明ながら女性ではないかと思える内容で、料理の動画だったり、生活の知恵的な家事等の裏技の動画だったり、編み物や古着のアレンジ等だったが、その中に
『1500ccのルキノでおばちゃんが〇▲サーキットを本気で攻める編、86に勝ったよ!』
『女の子でも、おばちゃんでもできる、初めての整備編、プラグチェックと交換』
『おばちゃんが、息子の形見のR32GT-Rをレストアしてみる編』
等の動画もあったのだ。
見てみると、顔や姿は映らないように自分の目線で撮られているが、明らかに彼女が主であることは明白だった。
そして、最近のいくつかの動画の中には、恐らく娘だと思われる投稿の回もあって、明らかに違う、彼女より若い女性が撮っているものもあり、どうやら、彼女が動いた事で、周囲の世界も変わってきたのだという事が伝わってきた。
ギリシャ神話の誕生の女神の名を持つクーペは、安さと見た目に魅かれた女性の足となり、そして、20年を経て、彼女と家庭を襲った悲劇をみて、長年のお礼に少しだけ微笑んで見せてくれたのだ。
その女神の微笑みが、1つの傷ついた家族を立ち直らせてくれるかもしれない。きっと全てを俯瞰する神なら、その数奇な事実を知っているだろう。
お読み頂きありがとうございます。
ストックを使い切りましたため、次話より不定期更新となります。
他に連載が複数あるため、時間がかかりますことをご承知おきください。




