時間の狭間
人には、言葉にしなくても伝わる思いというものが存在する。
反面、どんなに近しい間柄でも、言葉にしなければ伝わらない思いというものも存在する。
人間とは、複雑な生き物なのである。
「はぁ……」
帰りの電車でシートに腰かけた沙菜は、思わず口にしてしまった。
この数日、大雨で川が氾濫してしまった地区からやって来た車葬依頼の多さに、沙菜は正直参ってしまったからだ。
車葬は、1台頭の時間もかかるし、沙菜の身体への負担も相当大きいのだ。それを考えると、この手の多量に出た場合は、半年以上かかるとか、そういう事に納得して欲しいのだ。
家に戻ると、ほぼ昨日で片付いたはずなのに、祖父がニコニコしながら
「申し訳ないが、急遽1台追加で出たんだ。当然、感謝の心は報酬に上乗せするからな」
と言うと、自分も他の車葬にかかっていった。
仕方なく工場に入った沙菜の目には、全体が泥に汚れて、あちこちがベコベコにへこんだ赤とグレーのツートンカラーのクロスオーバーが佇んでいた。
川に流されたのであろうことは想像に難くなかった。
「ヴォルツかぁ……それじゃぁ、はじめるよ」
と言うと車葬にかかっていった。
トヨタ・ヴォルツ。
'80年~90年代、日米貿易摩擦で必ず槍玉にあげられるのが自動車であった。
オイルショックの影響で燃費が良く、故障し辛い日本車がアメリカで大きくシェアを伸ばすのに比例するように、日本では大きく華美ではあるが、使い辛くて燃費が悪く、故障しやすいアメリカ車からドイツ車に代表される欧州車へとステイタスシンボルとなる輸入車が取って代わった事によって、アメリカ車の売り上げが激減したのだ。
毎年のように交渉団がやって来ては、折衷案で妥結するものの、効果が無くて再び交渉……を繰り返すうちに、日米のトップメーカー同士が共同開発をしてアメリカで作って国内外に売る車を作る……という案が出てトヨタとGMが手掛ける事となったこのプロジェクトの第一弾は、'96年に登場したキャバリエであった。
このキャバリエは日本にも輸入されてトヨタが販売をし、終盤はアメ車好きで知られる所ジョージをCMに使うなどして必死の販売攻勢をかけたものの、既にGM単独で9割5分仕上がったキャバリエをトヨタがどう手直ししても、コテコテのアメ車にしかならず、そのクオリティは、日本車のそれには遠く及ばないものだった。
更に、クオリティはコテコテのアメ車なのに、外観などは日本車やドイツ車を意識したので、外観にも華が無いため、日本でのキャバリエの販売は散々なものとなり、終盤はスズキ・キザシの如く捜査用覆面パトカーご用達……といった結果に終わった。
その結果を見たアメリカ側から「真面目に売る気が無い」と謂れの無い抗議を受けて憤慨したトヨタは、開発段階から深層に関わらせるよう主張して、第二弾の開発がスタートした。
開発をスタートさせるにあたり、サイズは小さく内外は豪華なものを求める日本と、そこそこのサイズ感は必要で、内外はあっさりしたものを求めるアメリカという趣好の違いから、セダンでの成功はあり得ないという事を悟ったトヨタは、全く違った趣の車を開発したのだった。
2002年8月にGMからはポンティアック・ヴァイブ、アメリカのトヨタからはマトリックスとしてデビューした車は、1ヶ月遅れで日本ではヴォルツと名乗って発売され、現在のクロスオーバーSUVのはしりで、現在のスバルXVなどがこの流れを汲んでいる。
当時の日米では、クロスカントリーからRAV4やCR-Vなどのライトクロカンと呼ばれたSUVへと流行が移行し、よりライトなものが求められている時期であったため、これならばイケるという読みでの登場であった。
内外装、メカニズムとも、キャバリエの時とは違い、完全にトヨタ主導で開発されており、若々しいながらも奇抜なところのない外観と、若い層を狙ったためにメーター周りが凝った感じなものの、その他はキッチリと常識的な日本車ナイズされたインテリアは、野暮ったいキャバリエの面影など微塵も感じさせない出来だった。
シャーシはカローラの物がベースになっており、エンジンは、一般グレードに1800cc、スポーティ版にはセリカと同じ2000ccのハイパワーエンジンが搭載され、1800ccに4WD車が設定される以外は前輪駆動である。
このエンジンのおかげで5速と6速のMTが存在し、4速ATとの3本立てという、AT全盛の日本では珍しいラインナップとなった。
日本では、カリブの実質的後継車として、CMではCG合成されたストリート系の若者のアニメに、CG合成されたヴォルツが、往年の名曲「世界は二人のために」をロック調にリメイクした曲が流れる中を走り抜け「ストリート、アソビート」と謳って登場したが、当初から全くと言っていいほど売れなかった。
理由は、当時はまだクロスオーバーSUVは日本では流行っておらず、ミニバンとも、SUVとも取れない中途半端なスタイルが受け入れられなかったのと、トヨタ車としては異様に低い質感がユーザーを遠ざけてしまったためである。
トヨタが、CMで描いたようなストリート系の若者は、オデッセイのようなミニバンか、エクストレイルのようなSUVを指名買いしており、その折衷案のヴォルツには見向きもしなかったのである。
その後、ヴォルツは2003年にメーター照明の色をオレンジから白に変更するなどの変更を受けたのち、2004年4月に国内では販売不振と販売店再編の煽りを受けて生産終了となり、消滅する。
海外版はその後、2009年にモデルチェンジを行うが、ヴォルツに関しては1年9ヶ月の販売期間と、1万台弱という、平成のトヨタ車の中でワースト6位に入る販売台数を叩き出してしまった。
その他の顔触れはメガクルーザー、4代目ソアラ、オリジン等で、特殊な車か、高価すぎて用途が限られる車、サイズが大きすぎる車などの訳ありばかりなので、ヴォルツの不人気ぶりは際立っていた。
次に、オーナの情報が流れ込んでくる。
この車は2人のオーナーの元を渡り歩いてきたようだ。
1人目は当時20代中盤の女性。
会社勤めの傍らで、親の営むパン屋の配達を手伝う事もあり、ちょっとお洒落なライトバンのノリで購入。
娘の結婚後、実家に置いていかれたヴォルツは使い道が無かったため、店のアクティを処分してパン屋のライトバンとして過ごす事になる。
それから10数年が過ぎて、高齢となった経営者がパン屋を閉店する事となり、それに伴いヴォルツも妻がデイズを買った中古車業者に引き取られる。
次に時間が動き出すのは2ヶ月後、格安中古車専門店に流れたヴォルツを若い女性が購入する。
年齢は、20代前半に見えるこの女性を見た沙菜は、次の瞬間
「あっち側の人だね」
と自然に言っていた。
また、やって来たあっち側の人間、一体今回はどんな人なんだろう?
もう宇宙人、エルフ、戦国武士にくノ一、異世界の勇者と魔法使いに魔王まで出てきてしまったのだから他に何が出てくるんだろうと思いながら、沙菜は1つの事に引っかかっていた。
以前に異世界勇者パーティの2人が魔王の件でやって来た際に、神官の娘がこっちの世界にいると言っていたのを。
なので、沙菜はもっと深層を探る事とした。この作業には物凄く体力がいるため、沙菜はなろう事なら使わずに済むように車葬を済ませているのだが、今回のようなあっち側の人間の場合には行使も致し方ないのだ。
すると、やはり沙菜が何度も見た魔王城での戦いや、そこに至るまでの旅の日々が、今までの2人とは違うビジョンから見えてきた。
しかし、その後の世界が他の2人とは違っていた。
彼女が爆発後に飛ばされたのは、魔王を含めた3人が飛ばされるより1年前の世界だったのだ。
その頃は、異世界からの漂流者が非常に珍しい時期であったため、彼女は、観察対象とされてしまい、数ヶ月間、施設で監視付きの暮らしを余儀なくされた。
市民権を付与された後も、まるで刑務所帰りの人間のように、決められた日時に担当者への報告を行い、現代社会への同化を強要されたのである。
しかし、すっかり能力を失ってしまっていた彼女には、これを受け入れる以外に道は無く、異世界の人間であることを隠して、目立たない人間として生きていく事しかできなかった。
ところが、そんな生活を続けている最中、大量の異世界や時空を超えた漂流者が現れるようになると、対応しきれなくなったという事、彼女を含めた初期の漂流者でのデータがある事から、その対応が大幅に簡略化された。
沙菜は知らなかったが、この世界にはそこそこあっち側の人間が流れてきたようなのだ。
彼女は後から流れてきた漂流者たちが、簡単な聞き取りと講習だけで社会に進出して社会に順応したり、成功したりしている姿を理不尽な思いを抱えながら見ていた。
向こうの世界では神職ではあったものの、ごく普通の村の娘として過ごし、学校に通いたいと思っていたところを魔族に両親と兄弟を殺された事から、魔王討伐のパーティに志願し、あと一歩で悲願を達成して王都で王立学校への入学が約束されていたのに、待っていたのは見知らぬ世界で実験動物か犯罪人のような扱いを受ける生活だった。
後からやって来た同胞たちは、簡単に社会に迎え入れられて、学校に通ったり、都会に住んだりしているのを見ると、封印した自分の負の感情が溢れてきてしまいそうになるのだ。
郊外の山間部の小さな町で、地元で一番大きなスーパーで働くことが精一杯だった彼女は、ある日、魔王城で生き別れになっていた魔法使いのフィーネに再会した。
隣の町に住んでいて、昼は働き、夜は二部大学に通っているフィーネと会っていると、こっちに来てからずっと感じていたモヤモヤした感情や思いがその時だけは綺麗に晴れ、彼女はフィーネと一緒にヴォルツに乗って色々な所へと出かけた。
最初の頃は近隣の大きな街で満足していたが、そのうちに渋谷やお台場、横浜などにも繰り出すようになり、フィーネと現代をエンジョイする事を覚えて、ようやく彼女の胸の中にあったわだかまりのようなものが溶けかかっていた。
しかし、最近、フィーネが勇者と共に魔王と再会して、自分抜きで魔王を赦してしまった事、更にはフィーネが大学の転部試験に合格して、都心のキャンパスに行くために引っ越す事を知り、彼女の中に抑えきれないドロドロとした感情が芽生えてきてしまったのだ。
最も魔王を憎んでいた自分には何も告げずに、勇者と一緒に会ってきて、過去の事を水に流した事、更に勇者との再会に関して何も知らせてくれなかった事を裏切りと捉えたのだ。
そして、そんなモヤモヤを抱えていたある夜、職場の帰り道で運転を誤って川へ転落して彼女は入院し、数日後に発見されたヴォルツはここにやって来た経緯が。
沙菜は、前半だけでかなり体力を消耗したために、休憩をしてコーラを一杯飲むと、汗を拭ってから車からの思念の抽出にかかった。
あまりにも持ち主の負の感情を一手に受けた車なので、その思念の量と整理に相当の労力を割くことが予想されたため、沙菜は覚悟してかかった。
予想通り、かなりの思念量との闘いに完全に消耗してしまった沙菜は、最後の力を振り絞って思念をすくい上げると
「良き旅を……」
と、そこだけはいつもと同じ勢いで言うと、車葬を終えた。
◇◆◇◆◇
翌日、入院中の彼女の元へ沙菜がやって来た。
本来であれば、退院後に訪ねてきて貰うところだが、読み取った情報から、沙菜なりの考えがあってそうしたのだ。
沙菜は、現在のヴォルツの画像を見せると言った。
「この状態では、使える部品は何も無いので解体されます」
「分かりました」
彼女は画像をまじまじと見て、消えそうな小さな声で言うと、再び天井を見つめた。
沙菜は、その様子を予測していたかのように席を外し、彼女を1人にさせた。
しばらくして、彼女の枕元にやって来た人影に、彼女は顔も見ずに言った。
「ゴメンなさい。車の事なら、そのまま解体で結構ですから……」
ところが、相手から何のリアクションも無かった事から、彼女は相手の方へと顔を向けて固まった。
そこには、勇者とフィーネが立っていたからだ。
「……!」
驚きと、怒りと、不条理感がごちゃ混ぜになって、言葉にならない彼女に、すっかりに日に焼けて体型もガッチリとし、茶髪になった勇者が頭を深々と下げると
「すまないで済まないのは分かっているが、俺の力不足のせいでリッカルに、この世界で辛い思いをさせた事、そして、奴とのケリを勝手につけた事を謝らせて欲しい!」
と、絞り出すような声で言った。
しかし、それで彼女の表情が晴れる事も無く、彼女は横を向いたままだった。
それだけ彼女の胸の中に溜まった澱は、根深いものなのだ。
向こうの世界で一瞬にして身寄りを失い、命懸けの魔王討伐が叶う直前での異世界漂流、更には一人ぼっちの異世界で実験動物や罪人のように扱われた不条理さ、向こうの世界で一緒だった仲間と漂着時間のズレから、天と地ほどの扱いの差別を受けた事、そして、フィーネが自分を置いて自分の願った未来を手に入れた事……。
彼女にだって、運が悪かった事、どうにもならない事、更にはフィーネの件に関しては逆恨みだという事だって、頭の中では分かっているのだ。
しかし、この一人ぼっちの少女が、今まで世界を渡ってまで受けてきた不条理は、あまりにも過酷で救いもなく、この小さな体と心では受け止めきれなくなってしまったのだ。
今更、同じ被害者である勇者が来て謝罪されても、彼女にとっては惨めなだけなのだ。
そっぽを向いている彼女の背後から、勇者とは別の人影が近づいてきて、彼女の目の前に立った。
それを見た彼女は、驚くと同時に、次の瞬間、憎悪の表情で相手を睨みつけた。
彼女の前に立っていたのは、彼女の運命の全てを狂わせた張本人である魔王その人だったからだ。
姿形は、ちょっと幸の薄そうな30代男性であるが、内面のその更に奥にある魂から僅かに発せられているオーラで、彼女には全てが分かったのだ。
その姿を見た途端、彼女は源さんに飛び掛かって、近くにあったタオルで首を力一杯締め上げた。
源さんには抵抗するつもりは元よりなく、彼女のされるがままにされ、さすがに身体には逆らえずに苦悶の表情を浮かべていた。
その状態がしばらく続いたが、誰も身じろぎ一つしなかった。
これが彼女のやるせない気持ちをどうにかできる唯一の行動であるなら、それを遂げさせてやりたいという気持ちだったからだ。
しばらくの静寂の後、彼女の手がタオルから離れ、彼女はベッドに崩れ落ちると、堰を切ったように泣き始めた。
それは、向こうの世界で家族を亡くし、一人ぼっちになった日からずっと封印していたものだった。
今、目の前にいるのは、過去の記憶を引き継ぎ、その記憶に苦しめられている1人の頼りない人間なのだ。
どうにもならない事であるが、今、この世界に倒さねばならない魔王などいないという事、そして、この状態を知っていたからこそ、2人は自分に告げずに会いに行ったのだという事も、ハッキリと分かった。
もう、どうしようもない運命は、ここで断ち切らなければならないのだ。
過去に囚われていては、誰も幸せにはなれない。
それは、人生を狂わされた自分達も、思いを遂げられずに世界を渡り、過去の自分に苦しんで命を断とうとした魔王も、それらの周囲にいて、支えてくれた現代の人達もだ……。
彼女の行き場のない嗚咽だけが、広い病室に響いていた。
◇◆◇◆◇
1ヶ月後、元・魔法使いのフィーネが沙菜の元にやって来た。
リッカルが先週退院し、週明けに引っ越したことを知らされた。
本人がバタバタしていて来られないため、廃車等の書類を渡しに来たのだ。
元・魔王の源さんが、あの後動いてくれ、事態は動いたそうだ。
旅館の主人の友人に新聞記者がおり、初期の異世界漂流者に対する人権弾圧行為があった事を告発する記事を書いて貰った。すると、マスコミを通じて世論が動き、彼女にも、賠償金と教育機会が付与され、結果、彼女は大学に入学する事ができた。
フィーネも知らずに驚いていたが、初期の漂流者には学力試験も行われず、学校に行く権利すらも発生していなかったそうだ。
成績優秀者である彼女は、奨学金の対象になって、これから、ようやく念願であった研究への道が開けてくるだろうと、フィーネは喜んでいた。
2人は学年は違うが同じ大学に通う事ができたため、再び一緒にの時間を過ごす事ができたのだ。
向こうの世界にいる頃に、2人で夢見た同じ学校に通うという夢を、今ようやく果たす事ができるようになったと、フィーネは喜んでいた。
沙菜は、フィーネに、リッカルから足代わりに探してくれと頼まれていた、ウイングロードのキーと一緒に、ヴォルツから預かった物を手渡した。
それは、結構使い古されたGショックだった。
リッカルが、こちらに漂流してきて困っていた時、近くでスケボーをしていた集団に食べ物を貰ったりした事があり、その際に貰った物らしい。
時計などという物を持った事の無い彼女にしてみれば、この世界の文明の進化に触れ、驚いた最初の体験であり、現代の人間の温かさに触れた最初でもあったのだ。
フィーネは、それを見るとニッコリして頷くと、ウイングロードに乗って帰って行った。
運命の悪戯で、時空を超えた先で数々の不条理を味わってボロボロになった少女は、歴史の施策に翻弄されて、見捨てられた車をパートナーに選んだ。
その車の一生が終わりを迎えた時、彼女の運命は大きく変わり、遂に光の当たる場所へと送り出す事ができた。
消えゆくヴォルツからは、そんなやり切ったような満足感が溢れ出ていた。




