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01.祖父の死

 ナースセンターに程近い個室。


 急変があった時は看護師さんがすぐに対応できる場所だ。


 室内は1人部屋とは思えない程広い。


 セミダブルほどの大きめのベッド。


 50インチの液晶テレビに、部屋専用のトイレも付いている。


 病室というと息が詰まりそうな部屋を想像していたが、ここは素敵なホテルかよ!

 とツッコミたくなるくらい快適で過ごしやすそうだ。

 

 おそらくお爺ちゃんの残り僅かな時間を少しでも穏やかに過ごせるようにと、父が奮発して値の張る病室を手配したのだろう。


 そう思うと、ミコトは父の気遣いが嬉しかった。


 そんな感傷に浸り、ふとぼんやりとしていたミコトにマツリが唐突に声を掛けた。


「じゃあ私はスーパーでお母さんに頼まれた買い物してくるから、ミコ姉はもう暫くお爺ちゃんとゆっくりしててね!」


「最終バスの時間は18時よ。遅れたらお父さんの仕事が終わるまで帰れなくなるわよ」


 ミコトの祖父が入院するこの病院から、二人の自宅がある花見野(かみの)村までバスで小一時間。


 ちなみにバスを逃すと徒歩で4時間。


 乗り遅れた場合は、この街のホテルで料理人として働くミコトの父親の仕事が終わるまで自動的に待つこととなる。


 しかしミコトの父親は料理人として働きながら、祖父から代替わりで神社の宮司も務める多忙ゆえ、なるべく負担を掛けたくはなかった。


「分かってるよぉ! じゃあお爺ちゃん! また来るねぇ!」


「今日はありがとう。気を付けて帰るんだよ」


「はぁい! じゃあミコ姉! あとでねぇ」


 声高に挨拶を済ませると、エレベーターでも来てたのか、マツリは慌てて廊下を走り出した。


「病院ではもっと静かに! こらっ! 走らない!」


 いつものように病室のそばにあるナースセンターの看護師さんに叱られる。


「はぁい! ゴメンなさぁい!」


 元気のいい返事で謝り、看護師さんをげんなりさせる。


 ミコトの祖父――真理(まこと)が余命半年と言われて入院してから1カ月が経つ。


 そろそろこのやりとりが毎週日曜日の病院の恒例行事と化してきた。


 今年の春、高校生になったミコトが通う高校は病院と同じ、この街にある。


 しかし、帰りのバスの都合で平日はお見舞いに来られず、こうして日曜日にだけ訪れている。


 そして学年が一つ下で隣家に暮らし、ミコト同様実の孫のように可愛がられてきたマツリも、実の祖父を見舞うようにいつもミコトが見舞いに来るときは同伴する。


 幼い頃から常に傍で過ごし、姉妹同様に育ってきた二人。


 ――いつまでこうして一緒にいられるのだろうか――


 そんな思いに(はせ)られながらミコトは病室からマツリの背中を見送っていた。


「ミコちゃんはマツリちゃんのことを好いてるのかい?」


 不意に発せられた祖父の言葉に、思わずミコトは()せ返る。

「なっ!ななっ! お爺ちゃんなに言ってるの。私もマツリも女よ。バカなこと言わないで!」


 明らかに動揺を隠せていないミコトに祖父は優しく微笑んだ。


「僕等の頃と違って今の時代、そんなに恥ずかしがることではないだろう。後悔しないよう自分に正直に生きた方がいいと思うけどなぁ」


「しょ、正直も何も全然そんなんじゃないわよ。マツリはただの幼馴染。ただそれだけ……」


 ミコトは波立つ感情を無理やり抑え込み、必死に否定する。


 だが生まれた時からずっと傍でミコトを見てきた祖父にとって、今更否定されたところでだ。


「ミコちゃんは分かりやすいなぁ。そんな明け透けに動揺してたらすぐにバレてしまうよ。隠すならもっと上手に――それこそ墓場まで持っていくつもりで隠さないと」


「そ、そんな大袈裟な。それにホントにそんなんじゃないから」


 両手を振って否定するミコトに、祖父はベッドから上半身を起こして向き合う。


 暫しミコトのことを見据えると、祖父は意を決したかのように語り出した。


「僕はね、ミコちゃんに悪いことをしたと思ってるんだ。ミコちゃんがマツリちゃん――つまり同性を好きなのは僕からの遺伝かもしれないと思ってねぇ」


「お爺ちゃん? 何を言ってるの……かしら? ちょっとよく分からないんだけど」


「血は争えないと言ってるんだよ。僕はね、本当は男の人が好きだったんだ」


 突然の祖父のカミングアウトにミコトは呆然として言葉を失う。


 最近まで何百年と続く由緒ある神社の宮司を務め、身内だけでなく村民からの信頼も厚い。


 それでいて孫に甘く、よく魔法少女アニメを一緒に見ては、ごっこ遊びに付き合ってくれた。


 そんな祖父が自らをゲイだと孫娘に告白する。


 冗談や酔狂でできることではない。


 先程まで狼狽していたミコトも真剣な面持ちに変わり、背筋がすっと伸びていた。


「ただ、僕の時代は今と違ってそういったことへの白眼視が酷い時代でね……」


 確かにそうであろう……今でこそLGBTQという言葉も社会で認知され、ネットや施設などで性的マイノリティ同士が出会ったり、相談し合える場も増えた。


 ただそれもここ最近の話――今の時代ですらマシになったというだけ。


 同性愛者に対する偏見は根強い。


 まして昭和生まれの祖父の世代が受けてきた差別は、今とは比較にならないだろう。


「しかもこんな田舎だ。僕は自分が同性愛者だと誰にも言えず、隠したままお婆ちゃんと結婚してね……夜は健さんやシュワちゃんを想いながらお婆ちゃんの相手をしたもんだ」


(お爺ちゃん……流石にそれはカミングアウトしすぎよ。それこそ墓場まで持って行って)


 思わず声にしそうになったが、祖父の真剣な眼差しにミコトは言葉を噤んだ。


「僕は今でもお婆ちゃんには悪いことをしたと思ってるんだ。だからね……今はいい時代だよ。ミコちゃんにはちゃんとありのままに生きて、できれば想いを遂げて欲しくてね」


 己がしてきた辛い経験を孫娘にはさせたくない。


 その一心で、ずっと隠してきた……


 そしてこのまま隠しておきたかったであろう秘密を打ち明けてまで助言してくれている。


 祖父の優しさに涙が溢れそうになる。


「それに万が一玉砕しても、今ならまだお爺ちゃんが骨を拾ってあげられるかなと思ってね。でも考えてみたら骨を拾ってもらうのはお爺ちゃんの方だったなぁ」


(お爺ちゃん、いくらなんでもそれは洒落になってないから……)


「お爺ちゃんの言ってることはよく分かるわ。確かにお爺ちゃんの時代に比べたら私は恵まれてると思う。でも、私はまだ本当にマツリが好きなのかも分からない。それに私は高一でマツリは中三。流石に若すぎるわ。もう暫くはこのままで。そう……このままでいいわ」


 マツリのことが好き……それも恋愛の対象として。


 本当はミコト自身とっくに分かってる。


 でも今の関係が壊れるのが怖い。


 街まで車で一時間も掛かる小さな農村。


 そんな農村でミコトの家は古くから代々神社を営んでいる。


 神社がある山から半径1キロ圏内にあるのは、ミコトの家とマツリの家の2軒だけ。


 ミコトが想いを封印すれば、この居心地のいい――姉妹のような関係はずっと続いていく。


 もしなんらかのアクションをミコトが起こした場合、女の子二人で今以上の関係に発展する可能性は殆んどないことは想像に容易い。


 そもそもミコト自身、今以上の関係を求めてるのかも分かっていない。


 ただマツリが他の男子といる姿を想像しただけで、負の感情が沸き上がるのは確かだ。


 ミコトの望みはただ今のまま、ずっとマツリのそばで一緒に過ごしていければそれでいい。


 このまま何も変わらないこと……ミコトにとってはそれで十分幸せだった。


 村から通える高校は一校。


 来年は二人で同じ高校に通うことになるだろう。


 変わらなくていい……二人のこれからのためにも。


「このままでいい……今のまま、ずっとマツリのそばにいれるなら……それ以上は望まない」


 堪え切れず、ミコトの目から涙が零れ落ちた。


 その涙を見た祖父は慌てて言った。


「ゴメンゴメン。ほらっ……お爺ちゃん、もうすぐいなくなっちゃうから、ついつい余計なことまで言ってしまって……年寄りの戯言だと思って気にしないでおくれ」


 慌てる祖父の言葉に、ミコトは首を横に振りながら静かに答えた。


「お爺ちゃん……ありがとう」


 ミコトは祖父の肩にそっと額を押し付けた。


「そう言えば昨日受けた検査の数値が良くてね。少しだけならと外出許可が下りたんだ。明日はお婆ちゃんの墓参りに行ってくるよ。その時、ミコちゃんのこともよく頼んでおくからね」


 そう言って祖父は嬉しそうにミコトの頭を優しく撫でた。


 次の日、祖父は墓参りの帰り道、トラックに轢かれそうになった猫を助けようと道路へ飛び出し、帰らぬ人となった。


 祖父は自分の死を予感して、最期にあんなことを言ったのではないだろうか。


 ミコトはそう思わずにはいられなかった。


 ――そして祖父の死から1年後――


 ミコトは再び祖父と出会うことになる。


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