セリクラ
課題 マルクス経済学の資本主義観を述べ、それが危機の中にある現代資本主義を理解する上で持つ意義について論じなさい。
資本論の冒頭で述べている「労働はあらゆる富の源泉である、と経済学者たちは言っている。労働は__自然とともに、そうであって、自然は労働に素材を与え、労働がそれを富に転化するわけである。しかし労働はなおそれ以上のものである。」という一節のとおり、極論すれば富とは資源と資源を富に転化する労働から成り立っているのであり、人類史における富の偏りというものは資源と労働の偏在が原因であると言える。ではなぜ富の偏在が生まれるのか。
資本主義経済の仕組みを分析したカール・マルクスは、歴史はその発展段階における経済の生産力により一定の生産関係に入り、生産力と生産関係の矛盾により進歩するという考えに基づいて、唯物史観の概念を発展させた。生産関係とは、共同狩猟と食料の採集であり、封建領主と農奴の関係であり、資本主義段階における 労働者と資本家の間に結ばれる契約というような概念である。マルクスは、生産様式、搾取、剰余価値、過剰生産、物神崇拝などについて分析することで19世紀当時の資本主義の論理を厳密に考察したのち、資本主義はその内在する矛盾から必然的に社会主義革命を引き起こし、次の段階である共産主義に移行すると考える。
マルクスやマルクス主義者の理論は歴史の発展過程を以下のように説明する
1 社会の発展は、その社会のもつ物質的条件や生産力の発展に応じて引き起こされる。
2 社会は、その生産力により必然的に一定の生産関係(おおまかに言うと経済的な関係)に入る。それは社会にとって最も重要な社会的関係である。
3 生産力が何らかの要因で発展すると、従来の生産関係との間に矛盾が生じ、その矛盾が突き動かす力により生産関係が変化(発展)する。これが階級闘争を生み出し歴史を突き動かす基本的な力であると考える。
4 生産力や生産関係は、個々の人間の意図や意志とは独立して変化する。
5 政治制度や文化、宗教など歴史の非経済的要因は上部構造と規定され、生産関係を中心とする経済のあり方(土台=下部構造)に規定される。(下部構造が上部構造を規定する)
6 国家は、その種類にかかわらず、支配階級のための権力機構(権力組織)である。言い換えれば、国家とは、ある一階級が自らの支配を安泰にし、自らの好ましい生産関係を社会に強いるための手段である。
7 国家権力は、社会的、政治的な革命によってのみ、一つの階級からもう一つの階級へと移行される。
8 今ある生産関係の形態がもはや生産力の発展を助けず、その足かせとなるとき、革命がおきる。
狩猟採集社会は、経済力と政治力が同じ意味を持つ組織であった。封建社会では、王や貴族たちの政治力は、農奴たちの住む村々の経済力と関係していた。農奴は、完全には分離されていない二つの力すなわち政治力と経済力に結びつけられており、自由ではなかった。マルクスは、資本主義では経済力と政治力が完全に分離され、政府を通して限定的な関係をもつようになる、と述べた。彼は、国家をこの分離の表われであると受け取った。すなわち、国家はその社会の本質的関係に基づいて起こる階級間の大きな利害の衝突をうまく抑えるために存在する、ということである。
また、とりわけ資本主義に関しては以下のように説明している。
社会に貨幣を投下し、投下された貨幣が社会を運動してより大きな貨幣となって回収される場合、この貨幣が「資本」とよばれる。資本が利潤や剰余価値を生む社会システムのことを「資本主義」という。マルクスは『資本論』の中で「生産手段が少数の資本家に集中し、一方で自分の労働力を売るしか生活手段がない多数の労働者が存在する生産様式」として「資本主義」と定義した。
また、唯物論的な社会、歴史認識としては以下のようにも書いている。
「人間は、その生活の社会的生産において、一定の、必然的な、かれらの意思から独立した諸関係を、つまりかれらの物質的生産諸力の一定の発生段階に対応す る生産諸関係を、とりむすぶ。この生産諸関係の総体は社会の経済的機構を形づくっており、これが現実の土台となって、そのうえに、法律的、政治的上部構造 がそびえたち、また、一定の社会的意識諸形態は、この現実の土台に対応している。物質的生活の生産様式は、社会的、政治的、精神的生活諸過程一般を制約す る。人間の意識がその存在を規定するのではなくて、逆に、人間の社会的存在がその意識を規定するのである」(『経済学批判 序言』)
「これまでのすべての社会の歴史は、階級闘争の歴史である」(『共産党宣言』)
「宗教的悲惨は現実的悲惨の表現でもあれば現実的悲惨にたいする抗議でもある。宗教は追いつめられた生きもの溜息であり、非情な世界の情であるとともに、霊なき状態の霊でもある。それは人民の阿片である。人民の幻想的幸福としての宗教を廃棄することは人民の現実的幸福を要求することである。彼らの状態にかんするもろもろの幻想の廃棄を要求することは、それらの幻想を必要とするような状態の廃棄を要求することである。かくて宗教の批判は、宗教を後光にもつ憂き世の批判の萌しである」(『ヘーゲル法哲学批判序説』)
つまり、原始共産社会においては富は公平に分配されるしかなく、階級の分化も起こらなかった。
それぞれの時代で技術革新が起こり、生産力が上がり、余剰資本が蓄えられると、次第に資本力を背景とした支配階級と労働を強制的に提供させられる被支配階級に分化していったのである。支配階級はそれぞれの時代で自分たちの特権的立場を肯定するために様々な観念論的支配手段を用いた。特に宗教は人類史においても一貫して使われてきた支配手段であり現代でも使われている。マルクスは唯物論を用いこれらの支配手段を科学的に否定していったのである。
1848年の共産党宣言の発表から今日まで160年以上マルクスの理論を本質的に覆す考えが現れていないのは社会科学という分野において実に驚異的なことと言えよう。
資本主義=自由競争社会を人類が突き詰めてきた結果、まず19世紀後半から帝国主義と呼ばれる領土、それに連なる資源と人的資源の自由獲得競争が起こり、その結果2度の凄惨な世界戦争を人類は体験した。軍事力による自由競争が結局は全人類の破滅に帰結するという教訓を得た人類は経済の自由競争、経済戦争へと軸足を移していく。
強大な余剰資本を背景に米国を中心とした資本主義諸国は経済を中心とした世界支配を推し進めた。先進国を名乗る一部資本主義諸国は一時期確かに繁栄を謳歌した。だがそれは旧植民地或いは実質的支配権を持つ資源提供国=発展途上国からの資源、労働の搾取の結果の繁栄であり、要するに富の偏在こそが先進国の繁栄の正体であった。
21世紀に入り、これまで被搾取の対象であった後進国に先進国の余剰資本が入り込み目覚しい経済発展を遂げるにつれて、政治的発言力も増し、新興国として発展、相対的に貧しかった人々の生活水準も上がってきた。これまで相対的に裕福だった先進資本主義諸国の生活水準が下がっていくのは、それはつまり、富の総量というのはそう極端に増えるものではなく、相対的に貧しかった人々が裕福になっていけば相対的に裕福であった人々の生活水準が下がるのは必然と考えられる。
しかしこの場合生活水準が下がるのは相対的に裕福であった国の中で相対的に貧しかった層、すなわち労働者階級である。先進国だった国の労働者は新興国の労働者に富を奪われたと考えるが、支配階級というものは先進国でも新興国でも常に支配する側であり続けるのである。こういった労働者階級同士での富の分配を巡るいがみ合いというのは起こりやすいが支配階級に怒りの矛先が向けられることは少ない。それは巧妙な情報操作、教育段階における印象操作、宗教或いはもっと複雑な社会システムそのものに原因があったりする。支配階級は巧妙であるからこそ支配階級であり続けるのである。
またこれまで先進国であった国の労働者階級は国内では相対的に貧しいが世界全体で見れば相対的にまだまだ裕福であるかもしれない。国内では既得権を奪われている立場だが世界全体で言えばまだ既得権を持っている立場かもしれない。このときこの労働者たちは変革によって自分たちの生活水準が上がるよりもむしろ下がる危険性を感じているかもしれない。この場合唯物論的に自らの階級の利益を代弁するならばむしろ変革は望まない、このままでいいと言うかもしれない。
「・・貧困の問題というのは、昔から椅子取りゲームの比喩で語られます。10人に対して8つの椅子がある場合、全員が椅子に座ろうとしても8人しか座れない。座れなかった2人に注目すればいえる事はあるんですよ。「ちょっとボーッとしてたね」とか、「パッと動くには太りすぎてたね」とか・・
落ちてしまった原因をその人の中に探そうとすれば何かはあるわけです。怠けていた時期とか、ちょっと不注意だった時というのは、人間必ずありますから。「だから、あんたは落ちたんだ」と言えば間違ってない。しかし、椅子の数に注目すると別の問題が見えてくる。つまり、どんな人であろうと、「10人のうち2人は落ちる」。そうすると「これは椅子の数の問題だ!」ということになります。
で、このどっちを見るか。貧困の問題と言うのは昔からずっとこの綱引きです。」(湯浅誠が語る「現代の貧困」)
共産主義、マルクスというと日本人は大抵身構えます。ロシアや中国は崩壊したじゃないかとか、北朝鮮のような厳しい統制社会になるんじゃないかとか。でもよくよく聞くと資本論をちゃんと読んで唯物論も理解していて、という人は意外と少ない。つまり自分は不勉強なのにマスコミや政府の印象操作を真に受けて何となく怖がっている。勉強する気も無い。現在の生活でいいんだ、と。
日本の場合は資本主義自体よりもそこに一番の問題がある気がします。モノを判断するのに正確な情報を見てからとか、そういう発想にならない。学校が教えることだけ勉強すれば、支配者が決めたルールだけ守っていれば、大過なく生きていける。それはその通りなのでしょうけど、グローバル化といわれる世界的規模での富の再分配、大きな変革が迫ってきている中で、自分で調べない考えない、支配者が決めたルールだけ守っていれば現在の生活水準が将来にわたっても保証されると。そんなことはありえないという人もまた多数派なのですけれども。戦後、世界で最も成功した社会主義国の例えで語られてきた日本は、しかし当人たちは資本主義国だと言い張ってきた。富の分配が偏り、経済的格差が広がり、貧困者が増え、つまり本物の資本主義社会となった日本がこれからどういう社会システムを選択するのか、見守りつつ自分も積極的に参加していきたい。
「C」。マルクス経済学のレポートにつけられた評価。D以下は落第点だから最低ランクの合格点だ。
30歳で都内にある大学の経済学部に通っていた。
高校卒業後、19歳で浪人中に不眠になり21歳で自殺未遂。そこから内科から精神科に移り強い睡眠薬を貰うようになって闘病生活が始まった。30を過ぎてやっと人前に出られるくらいの体力は出てきたがまだ労働できるほどじゃない。どうするか、というところでとりあえず大学に入った。
三流私大だったが長い間身分保障がなかった自分にとって大学生の肩書きはかなり有難かった。
父親は東大法学部卒の強烈なエリートの自負を持った弁護士だった。生活のためのカネは出した。自分の名誉のために。だが実際に息子に浴びせかける言葉は辛辣だった。
「貴様のようなダニでも入れるバカ大に通うカネは出してやる。俺が恥を掻くからな。だが貴様とは早く縁を切りたいのだ。死ぬならさっさと死ね」
ある程度年齢を重ねてから学校に入るというのは良く聞く話だが、さすがに30代、世間的には働き盛りの中年男性が大学に通うというのはかなりの図太い神経を持っている「フリ」をしなければ到底やっていけない話だった。だが西には選択肢はそう多くはない。「開き直って生きろ」とか「誰もお前の人生に関心持ってないよ、自意識過剰」だとかありふれたおためごかしやあしらいは散々聞かされたが、そんなもので現実が誤魔化せるわけでもなく、
「厳しい人生になっちまったな」と10数年繰り返した呻きを吐く。それでも目の前の現実は容赦なく続いていく。
西精次。D大学で人生をやり直すつもりだった。
大学に入って初めて講義に出席したのは5月も半ばを過ぎてからだ。英語コミュニケーション。5限だから16時位からだったと思う。当時はまだ、起きるのは昼過ぎで都心まで出掛けるのも体力的にツラかったのだ。教室に入った最初の反応は「何だ、このオヤジは」という感じ。警備員を呼ばれるほどではなかったが、先生も「何か、教室をお間違えじゃ?」というリアクションだった。ただ、若い学生たちの一部は興味津々という感じでもあった。まだ20歳前の若者は純粋さや優しさが残ってるように思えた。
英語コミュニケーションは毎回一人ずつ教壇に立って与えられたテーマで英語でスピーチするというものだった。口からでまかせは西の得意技。すぐに話をこじつけて若い学生が思いつかないような話題を広げていった。先生は、
「素晴らしい!」といって初めは手放しで褒めてくれていた。だが最後の講義で自由テーマに対して英語で「唯物論的視点からの資本主義批判」を展開すると先生の顔が曇った。「情報が古い!陳腐!」といって見たことのない険しい顔つきになった。講義が終わると西だけ残るように命じられた。内容は要するに技術的には問題なく「A」を付けられるが単位はやらんというものだった。そして最後に少しだけ柔和な表情を見せると、
「もっと上の学校に行った方がいいんじゃない?ビジネス英語とか」と言って席を立った。
サークルにも入ったし2年生で金融工学のゼミにも入った。徹底的に資本主義を研究してやろうと考える一方、資本主義社会で成功しなければ資本主義を否定しても誰も耳を傾けてはくれないだろうなとは思っていた。
仲間はたくさんできた。皆、年齢の隔たりを気にして多少の距離を置いてる感はあったが、こういう人間を面白がってくれる若者もたくさんいた。
高田という男がいた。彼も西ほどのトシではなかったが、高校卒業後すぐに実家を出て千葉の新聞配達店で住み込みで働き独学でPC技術を取得。その過程でITバブルに遭遇し少ない元手から当時まだ珍しかったネット取引を駆使して株で結構な額を稼いでいた。そのカネで20代半ばでD大に入り新卒の肩書きを得て大手企業に就職し直すつもりだったらしい。
ウマが合うというほどではなかったが西の方から積極的に声を掛けて仲良くなっていった。
だがこの年2008年にサブプライムローンショックが起こり世界金融危機となり日本もモロに影響を受けた。殆どの大学で就職が決まっていた学生に内定を取り消す騒ぎがありD大学も例外ではなかった。4年生だった高田は中小の証券会社に内定が出ていたが取り消しとなり卒業に必要な単位を確保していたが志願して留年し就職浪人をした。
西もこの年実家を出た。警備員のアルバイトを始め、そのサラリーと父親からの仕送りと相場からいくらかの儲けを出して生活するつもりだった。だが父親は家を出る条件にある男との同居を要求した。
手塚昌弘。元ラグビートップリーガーで現役時代はフットロッカーでならした。182cm、110kg。ベンチプレスは現役時代170kg上げてたらしい。引退した今でも一目で分かる厚い胸板と太い腕と首周り。味方にしてる間は何とも思わなかったが敵に回すと厄介だ。実家は兄の金融詐欺で破産状態。本人もラグビーで入社した大企業に勤めていたが月給20万で生活も苦しかった。手塚は西精次のことを「セイさん」、西の父親を「西先生」と呼んでいた。父親と山田先生はこの男を信用し自堕落になるであろう西のお目付け役に指名した。ただ山田先生には別の狙いもあったが西も父親もこの時は気付かなかった。
2007年暮れから2008年半ばにかけてが円安バブルのピークだった。ドル円124円ユーロ円169円ポンド円250円その他豪ドル円カナダドル円ニュージーランドドル円など所謂高金利通貨が円に対して軒並み史上最高値をつけていた。国際金融論の世界では為替というのは全て金利差で説明できるとされている。金利の低い国の通貨から高い国の通貨へ資金が流れ結果的に為替も高くなるというもの。アメリカが5.75%ユーロが4.50%ポンドが5.75%オーストラリアが7%カナダが6%ニュージーランドが7%といった具合に、俗に言う「政策金利」を世界的な金融バブルを背景にどんどん引き上げていった。通常の為替市場で自由な売り買いができるほどの流動性が確保されている通貨は米ドル、ユーロ、ポンド、円、豪ドル、加ドル、NZドル、スイスフランそれに南アフリカランドの9種類くらいで他の国は為替市場を形成できるほど十分な流動性がなかったりそもそも変動相場制ではなかったりするのである。ただ普通の高金利通貨を買うだけではもの足らず当時17.00%もあったトルコリラやアイスランドクローナといった通貨がスワップ派(日払いの金利をスワップ金利と呼ぶことから金利目当ての投資家をこう呼んでいた)に支持され後発の中小FX業者がそれらを取り扱い人気を博した。
2008年春に上海相場の下落をきっかけに一時崩れた円安相場だったが夏にかけて再び最高値を更新していた。そして8月頃からアメリカ合衆国を震源とするいわゆる「サブプライムローン問題」が本格化し数年にわたり世界を潤してきた金融バブルがはじけサブプライムローンを組み込んだデリバティブ商品の暴落とともにニューヨーク、ロンドン、東京、そして世界中の株、金融商品が暴落を始め為替で円に対して買われていた高金利通貨もその高金利国がこぞって大幅利下げに踏み切る中で円に対して暴落していった。
いま為替を中心にしてる投資家で何億何十億持ってる人たちはこの相場で資産を築いたものが多い。特殊なデリバティブなどは個人では市場に参加できないし株の売りは、できないことはないが難しい。日経やダウなどの指数先物ならともかく普通の単位株の空売りは限月があったり逆日歩を払ったり何かと制限が多いので余程の確信がないとできない。指数を売るならCFDが一番向いてるだろうがCFDが本格的に日本に入ってきたのは暴落相場も終わりに近い11月頃だったと思う。
西自身は暴落相場が始まる前に資産の大半を溶かしていて下落が始まってもあまり参加意欲は湧かなかった。ただ9月に入りFRBが0.5%の利下げに踏み切り為替が一気にドル売りに傾くと徐々にまた参加し始めた。ただやはり初めは巧く行かなかったように記憶してる。10月に入りベアスターンズ、リーマンブラザーズという大手ヘッジファンドが相次いで破綻するいわゆる「リーマン・ショック」に及ぶと株売り債権買いその他あらゆる金融商品が売られた。為替も次第にドル売りから資産逃避による円買いドル買いそしてスイスフランが買われた。特に買われたのが円で円以外の通貨に対してはドル全面高なのだがドル円ではドル売り円買い。つまり全ての通貨に対して円が全面高となった。こういう極端な相場では始まりを取りにいくよりもある程度トレンドができてからの方が分かりやすく大きく動きやすいのだ。西もようやく株との連動、海外の株価指数のリアルタイムチャートの手に入れ方などを必死で勉強して勝てるようになった。今思えば本当に100年に一度の相場で勿体無いことをしたと後悔するのだが当時はまだ体調も悪く眠れない日もまだあって上手に取ることはできなかった。それでもMAXで2千万くらいはいったと思う。大学にもろくに行かず11月の暮れまで毎日パソコンの画面に向かっていた。
当時ふらりと学校に寄った際部室を訪れて高田と会話したのを覚えてる。彼は以前から「株は勉強すれば勝てる。でもFXは・・」というのが持論だった。だがこのときばかりは、
「いまは株は勝てませんよ。FXはどうですか?」と言っていた。西はまあまあだと答えた。本当に勝っているときは人間はあまり話したくなくなるらしい。あとはCFDの話を少しした。「あれは面白い」「今後主流になるのでは」と。実際試しのつもりで始めたCFDで30万がすぐ100万になっていた。考えてみれば株の下げにあわせてクロス円を売っていたのだから、株指数自体を売るほうが簡単で理に適っていたのだ。
FXというのはとにかく疲れる。株と違って24時間マーケットが開いてるわけだから放っておいたら24時間パソコンに向かっていることができる。まあ西は30過ぎで持病持ちだから最初からそんな体力はないのだが。本当にネットスラングに出てくるように
「相場はあなたのお金と人生を奪っていきました」というのは云い得て妙で24時間365日張り付いていられるわけだから気がつくとあっという間に年を重ねてしまう。一度相場に恋をした人はほぼ例外なく人生の大部分を捧げることになる、恐ろしい、中毒に近い感覚だろう。稼ぐことが目的の筈なのに誤解してお金のやり取り自体を楽しむようになるとずるずると深みにはまる。実際そういう人間は大勢いるはずだ。
11月も終わりに差し掛かると暴落相場も次第にリバウンドが大きくなり下げ渋るようになった。当時は知らなかったがマーケットにはカレンダーがあり、12月はクリスマスまで、勝っているトレーダーは特に冬のバカンスに入る。当然儲かっている売りポジションを手仕舞って休みを楽しむのが普通。こうした季節的要因の他に「日経平均7000円の壁というのがあって、ここまで売られてきた日経平均が7000円を割り込むと大手生保などの大口投資家の巨額の損切りが6000円台に並んでいるのだ。当然売り方はストップ・ロス(損切り)オーダーを付けに行くし大口は7000円を守るため必死で防戦買いをする。結局は7000円割れは付けなかった。噂では当時の竹中平蔵大臣の下、年金の資金を元手にした一種の公的介入が行われたといわれていた。また2008年に米大統領に就任したバラック・オバマの新しい経済対策で苦境を脱するのでは、という「オバマ期待」なるものもあった。要するにこれ以上売るのは難しくなったファンド勢が売りポジションを引き上げる口実が欲しかった、理由は何でも良かったのかもしれない。
西にも小金ができると色々鬱陶しいことが起こった。
手塚に最初にカネを貸したのは彼のお母さんがやっている裁縫店の家賃が払えないから8万円貸してくれという話だった。手塚のお母さんには西も会ったことがあった。真面目で子供想いでそんなに簡単に息子にカネの無心をしてくるような人ではなかった。その人が手塚に言ってくるというのは余程の状況だろうと、8万の他に、
「ロクに食べる物も食べてないだろうから食料と生活費も持って行ってやれ」ともう数万円渡した。手塚は涙ぐんで感謝していた。手塚の家は兄貴が金融詐欺師で一家で彼を庇って全財産を失い家族全員が信用ブラックに載った。そのため携帯電話ひとつ作れずに苦労している話は聞いていた。
手塚と暮らすことが決まり西の名義で手塚とお母さんの携帯電話を作ってやることになった。手塚もお母さんも大喜びでお礼の電話までしてきた。その頃は西は手塚に何の不満も無かった。明るい未来が約束されてると思っていた。ただ西とお母さんのスマホが無料機種だったのに対して手塚はアイフォンを欲しがった。一応はIT業界で飯を食ってる男だからと思ったが後で調べてアイフォンの本体代が10万近いのを知ってちょっと引っ掛かった。そしてパソコンとワイマックスも買ってやった。
「俺がキミの面倒を見るのも限界があるから今後はそれを使って自分のカネは自分で稼ぐんだ。これは投資だ。パソコンとワイマックスの使用料2年分20万位。自力で稼いで返すんだ」
「セイさんの投資は大正解ですよ。絶対成功してみせます」
最初は稼ぎ方も分からないだろうからと証券口座を開設してキャッシュバックをもらう方法も教えてやった。
「1社5千円でも40社コツコツやれば20万になる。その間ネットでいくら遊んだっていい。今まで抑圧され過ぎてたんだ。ただ遊んだ以上に稼ぐんだ」
手塚は頷いた。だが調子がいいのもこの辺りまでだった。
電話代は最初の月からずっと踏み倒していて一回も払わなかった。名義も西でクレジットカードも西のものなので請求は全部西に来る。払わないわけにはいかなかった。手塚は信用情報機関のブラックリストに載っているためクレジットカードが作れなかった。だが、職場ではカードがあることを前提に出張費や宴会の幹事としての支払いなどを先払いしなくてはいけない。聞いていて余りにも可哀相な境遇に西は自分のカードを貸してやった。年齢も近いしサインを間違わなければ特に問題は無いからだ。だが結局手塚はクレジットカードで使用した分を殆ど返さなかった。「会社から出張費などは後払いされてる筈だろう」といってものらりくらりかわし最後まで返済しなかった。カード会社からの督促は当然西に来るので結局は西が負担した。PCやアイフォンでカネを稼ぐこともとうとう無かった。稼ぎ方まで教えてできないというのが西には理解できなかった。やはり稼ぐということもひとつの才能なのかもしれない。手塚にはそれが丸っきり無かった。
カネができると街に出て遊ぶようになった。知り合った女の一人がアミだった。アミは小笠原諸島から出てきた21歳だった。若い女の子が何のコネもなく見知らぬ土地で生計を立てるにはやはり夜の街しかないのだろう。小笠原諸島は父島、母島、硫黄島、軍艦島からなり民間人が住めるのは父島、母島だけだそうだ。住所は東京都であるが遥か離れた離島。それでも小笠原出身の人間たちでそれなりのコミュニティが東京を中心にあって、アミも千葉の柏に住むトシの近い同郷者と連絡を取ったりしていたそうだ。高校を出て暫らくは小笠原に住む男の実家に同棲していて結婚もするつもりだったが、何となく折り合いが悪くなり東京に出てきたらしい。若い女の子にしては無口でボソボソとした喋り方だったが、前田敦子似の黒髪と大きな瞳が愛らしく、身長164cmで脱ぐとDカップで綺麗なお椀型をした美乳だった。滑らかな白い肌に脚も長くくびれも美しく、今思うとこれほどの美しい体躯を持った女性はなかなかお目にかかれない、そんなレベルだった。このコには今でももう一度会いたいと本気で思っていた。
何度か身体を重ねるうちにアミとも次第に打ち解けてきた。
「本当に綺麗な身体だな。モデルもできるよ」
「そうかな」
「まあ、モデルって日当は5千円くらいらしいけどね」
「安っ。 それだったらあたしあれがいいな、えーびー?」
「AVだろ」
「うん。あん、ああん、ってやつ」
「俺のときもそういう声出せよ・・」
「そしたら演技になっちゃうよ?」帰り際に接吻を迫ると軽くかわして西のメガネを取り上げてかけ、
「いじわる女教師」西が身を引くと唇を当て、
「つんでれ」こういう馬鹿げたカップルごっこも当時の西にしてみたら楽しかった。
もっと上の大学に行きたかった。だが毎日カネを追い掛けるバカげた仕事、D大に通って大学のルーチンワークもこなさなければいけない。経済学、政治、法律、数学、金融英語の勉強も欠かせなかった。言い訳になるが西の知能ではこれに加えてもっと上のレベルの大学受験の勉強などできなかった。手塚が言っていた。
「セイさん、東大行きたいの?」
「・・・行きたい」
「でも新卒ならともかくいまから大学入って卒業して社会に出ても全然役に立たないよ」
分かってる。目の前の仕事をこなすだけなら学歴など無意味だろう。小難しい理屈を語るよりバカキャラを演じて取引先に可愛がられた方が会社の一時的な利益には寄与するだろう。だがそんな人生では我慢できない。インテレクチャルとして社会で認知されなければ言いたいことも言えやしない。そもそも賃金労働者をやるとしても目の前の利益だけを追い掛けるやり方で長続きするとは思えない。哲学的思考、論理的思考力で長期的な戦略を立てられなければその会社も長続きしないし、自分の人生も良いものにはならない。少なくとも西はそう考えていた。
ささやかな幸せとかそういうものには興味が無かった。生きている以上リスクを負ってデカイ手を狙いに行く。相場でも何でもそう。結果敗れたとしてもやるだけやった人生なら後悔は少ないと思っていた。
「学校に行けば身に付くの?それが」
「身に付くんじゃない。既に持っていることを証明するために必要なんだ」
「ただの学歴コンプだね」
「・・・一言でいうとな」
「ところで3万ほど貸してもらえませんか?色々入り用で・・」黙って3万円を渡した。
ショウコは21歳の読モだった。読者モデルと言うのは女子大生などの間ではステータスは高いが賃金は安く1日拘束されて五千円とかそんなものらしい。ショウコは161cm、細身で小顔。肌はどちらかと言うと黒い方だったが顔立ちは鼻が小さくおでこが出っ張っていて横顔がちょっとしたお人形さんのようだった。それでもモデルでは食べていけずコンビニのバイトなどをしていたらしい。ホストの彼氏がいてその紹介でスカウトの男に紹介されて夜の店にやってきたらしい。一体何重に上前を跳ねられてるのか。可哀そうなどと言える立場ではなかったが、それでもまだ彼氏を信じてるショウコには複雑な愛情を抱いた。ホスト彼氏が言うには、
「俺もお前も接客業だ。俺は自分のお店でお客さんをもてなすときは全力でもてなす。だからお前も全力でもてなせ」と。またショウコは在日韓国系でもあった。生まれは日本だが韓国にいた時期もあったらしい。実家住まいで兄と妹弟それに母親と暮らしていた。父親は最近病死したと言っていた。ショウコの僅かな稼ぎから実家にお金を入れているらしい。気は強いがあまりウソが上手なタイプではないと思った。だから彼女の身の上話もだいたい本当だと思う。高校生のときはバレーボールでインターハイにも出たという。よく締まったウェストからBカップの小さな乳房まで愛らしく細く長い脚は西の腰に絡みつくのだった。ショウコとはけっこう長かったと思う。SEXも十回はした。あまり感じるタイプではなかったが、イきそうになると小さな鼻と細いあごを仰け反らせてシーツを硬く握り締めるのだった。
アリサという女がいた。お父さんが観月ありさのファンで付けたらしい。確かに長身小
顔で似てるといえば似ていた。だがその骨格と若さに似合わず腹はたるんで出っ張っていた。背中も黒班のようなものがあちこちにあった。恐らくマクドナルドや牛丼のようなものばかり食べているのだろう。幸せな家庭に恵まれてる筈が無い。このコを食い物にしてる西が言えることではないが。この日も群馬の実家から家出同然に東京まで来ていた。アルバイトなどもしているようだが稼ぐ端から親に取り上げられてると言っていた。一度だけ抱いた。
数週間後アリサから突然メールが来た。
「いまいい?」
「何だよ」
「言ったら嫌われちゃう」
「だから何だよ」
「じゃあ電話番号教えて」用件は分かっていた。カネだ。だがプラスアルファに期待していた。アリサが西と暮らすつもりなら受け入れる。代わりに手塚とも別れられる。
「300万貸して・・・」
「さんびゃく?」
「・・・ううん。40万円でいい。私のウチの話したでしょ。東京にアパート借りようと思って契約したの。でも用意してたお金また親に取られちゃって・・・。一緒に住むコがね、まだ19歳なの。だから私の名前で契約したんだけど、今週中に払わないと違約金とか取られちゃう」ガッカリした。19歳は本当だろう。だが間違いなく男。なぜ女が他の男と暮らすカネを西が払うのか。
「俺は会社経営者だ。月末は色んな支払いが集中するから前もって言ってくれないとこっちもキャッシュで用意なんかできないよ」半分は本当だが半分はウソだった。結局アリサとはそれっきりだった。ツイているようでツイてない。西の人生そのものだった。
D大ももう殆ど通わなくなっていた。出席が厳しすぎて全体の3分の1を欠席するともうアウト。テストでどんなに高得点をとっても単位はもらえない。サークルやゼミのイベントだけは相変わらず顔を出していたが。別に下心があって学校に来た訳じゃないが女子大生というのは好奇心旺盛でそれでいて意外とスレてない純粋なコが多かった。部室で話をしたり飲み会で打ち解けたりするとちょっと怪しい雰囲気になることもしばしばだった。2年生の頃サークルに入ってきた1年生の女の子をあれやこれや面倒見たことがあったが入ってきたばかりの頃はすっぴんメガネでいかにも処女というコだったが4年生になる頃にはミスD大になるのだから女は分からない。ただ手は出さなかった。それは西の最低限線を引いているモラルだった。
別に女の子ばかりと付き合ってたわけじゃない。男の子も積極的に話しかけてくれるコがたくさんいた。出来る限り彼らの期待に応えたかったし、飲み会やカラオケ、部室に差し入れを持っていくなど一生懸命馴染もうとしていた。高田、加藤、中野、池田、宮下、後藤、菊池、和田、中嶋、杉岡、藤田、金子、北村・・・何十人も仲間はできた。
中国人留学生も多くて彼らとも積極的に関わった。サークルに23歳の中国人の男の子がいたが、初めは向こうも老年学生などに興味は無い様子だったが熱心に話しかけていると次第に打ち解けた。西が通ってたのはD大の経済学部だったので上海出身者ばかりだった。中国は国策として政治は北京、経済は上海とハッキリ色分けしてるようだった。その男はテイといったが仲良くなった西に「四川大地震復興支援団」というのに参加しないかと誘ってきた。各大学1名しか参加できないという。名簿を見ると参加者には高村正彦、山崎拓、菅直人など名だたる要人が並んでいた。魅力的な話だったが年増の病気持ちが参加するのは気が引けて断った。
話は前後するが金融工学のゼミで新人が自己紹介をするとき同級生に中国人の女の子が二人いた。将来の希望就職先などを訊ねられるのだが、面白いのは二人とも、
「夢は○○ですが、現実的には○○です」と答えたところだ。他のメンバーは教授も含めて気付かなかったようだが、西は願望と現実を自然と区別するところに共産主義国の教育の素晴らしさを感じていた。同世代の日本人は唯物論も良く分かってないだろうに。
知子と出会ったのは弁護士の山田先生が老後の趣味として立ち上げた茨城の農業法人、山田農場に手伝いに行ったときだった。知子は山田先生の長男が以前バイトしていた会社に勤めているという縁で参加していたらしい。最初に会ったときはちょっとビックリする位キレイなコだと思った。色白長身スレンダー系で顔立ちも整ったハッキリ美人といえる外見だった。歳は当時は25になったばかりだったろうか。原宿や表参道に行けば結構いるようなモデル系のコだったが、茨城までわざわざ農作業に来ているというのがまず驚いたところだった。そして少し障害を持ったお兄ちゃんといつも一緒に来ていた。西も精神病院に入院していたしいまも精神科に通っているので分かるのだが、特に若く美しい女の子などは身内の病歴を隠したり自分から疎遠になっていくのが普通だ。でも知子は大抵お兄ちゃんと一緒に来ていて常に傍にいて、まるで「私がお兄ちゃんを守るんだ」というような必死さというか一生懸命さが伝わってきて、それが周囲を和ませるのだった。
当然こんなコを男たちが放って置くはずもなく山田先生の次男のヒデハルや元ラグビートップリーガーの手塚などもあの手この手で気を引こうとしているのに鈍い西もようやく気が付いた。ヒデなどは既婚で嫁さんも子供もいるのに。あわよくば浮気でもしようと考えてたのだろうか。ほどなくして西も色々と口説き始めるのだが最初は複数人で地方の穴場の焼肉屋などにいってメールアドレスを聞き出し徐々に距離を縮めていった。ただ西が口説き始めた頃は、
「いついつに食事でもどう?」
「いえ、その日はあいにく都合が悪くて・・」
「じゃあこの日は?」
「そちらも先約が・・」というのらりくらりとしたパターンだったので、これは性格が優しくて強い押しに弱いタイプだなと確信し、あるとき、
「じゃあ、この日のこの時間帯は?さっき空いてるって言ったよね?」と逃げ道を完全に塞いで、さあどう出るか、と思っていたら案の定というか、
「実は私彼氏がいまして、やっぱり裏切れないんで・・、申し訳ありません」と。「なるほどね。分かりました。彼氏のことは誰にも言わないから大丈夫ですよ」と返信して、「あーあ、やっぱりな」といった具合だった。
知子と再び縁ができたのは数ヶ月経った11月に入った頃だった。ネットのやり取りを見てどうやら彼氏と別れたらしく、また徐々に口説き始めるとあれほど頑なだった彼女が少しずつ誘いに乗るようになってきた。最初は山田農場の仲間と一緒に遊びに行き、クリスマスには渋る彼女を説き伏せて何とか二人で食事するところまで漕ぎ着けた。
当日会うなり彼女が言ったのは、
「本当は西さんのことなんかどうでもいいんですよ」
食べているときも、
「西さんはお仕事どうされてるんですか。お金はお父様に頼ってるんじゃないのですか?」
「何か西さんって放っとけないんですよね。どうでもいい人なら奢ってもらって、ハイごちそうさまでしたってさっさと帰りますよ!」
何か期待していた雰囲気と全然違うなあ、カネならいくらでも作る方法はあるんだけどそうとも言えないし。
ちょっと戸惑っていた。知子は派手な外見にも関わらず恐ろしく真面目なコだった。大学を出てすぐ埼玉の福祉関連の中規模企業に勤めて事務職をしていた。いくらも稼いでいる筈はないのだが実家に生活費を入れ両親とお兄ちゃんと暮らしていた。経済学的には効用が最大になる生き方として大家族制を選択している。科学的に理に適っている。だがこういう言い方をすれば知子が立腹するであろうことは分かっていた。真面目で正義感の強い、でも中身はごく普通の女の子だった。
「千円の有難み」「勤労の尊さ」こういうことを滔滔と説教された。ハローワークの話まで出て、行くことを約束させられた。ファミレスでコーヒーを飲んだ帰り道、
「まさかこんな話になるとはなあ」というと、
「残念でしたー!」とこの日一番の可愛い顔をしてみせたのがまた憎たらしかった。
2009年の終わり頃から囁かれ始めたユーロの債務危機は2010年に本格化し6月
7日にユーロドルで1.187の安値をつけた。しかしアメリカFRBのバーナンキ議長がニューヨークジャクソンホールの講演で大規模金融緩和第2弾(QE2)に言及すると一気に全ての通貨に対してドル売りが進みユーロドルも11月4日に1.428まで買い戻された。その後QE2が実施されるに及んでSELL ON FACT(事実で売り、つまり材料出尽くし)で再びユーロ売りドル買いとなった。
この頃はユーロドルかユーロ円の売り、株価指数先物の売り、個別株の空売りととにかく「売り」から入るスタンスだった。マーケットも2008年の暴落の記憶を引きずってるようでネガティブなベア相場が続いていた。いずれにしろトレンドが出来てる相場は稼げる。西もまた徐々に資産を増やしていった。
ギリシャの経済規模というのは日本の神奈川県と同程度でなぜこの国が破綻しただけでユーロ圏全体を揺るがすようなショックが起きるのか。ユーロというのはEUに加盟する国のうち更に通貨も中央銀行も統一してしまおうという考えを持つ国の集まりだった。要するに財政政策はバラバラのまま金融政策だけ一元化してしまった。これでは経済が悪いときに思い切った金融政策が取れないのだ。
D大の若者と飲んで話して打ち解けてくると段々とこの世代の考え方がおぼろげながら掴めてきた。例えばアルバイトなどをしていない少し実家が裕福なコはそれを恥じているようなところがあった。
「いまはニートです。仕事はしてません」少しはにかんだように笑った。
「ニートって何?言葉の意味が分からない」
「・・・ですから無職です」
「無職だとニートなの?」
「・・・・・」
「not currrently engaged in employment , educasion or training の頭文字をとってエヌ、イー、イー、ティー、「NEET」だ。現在、職に就かず学校にも通わず職業訓練も受けてない18歳から34歳までの若者のことだ。概念の起源は1990年代のイギリスでそれまでの失業者の概念に当てはまらない新しいタイプの失業者が出てきたことであくまで「労働統計上」「便宜的に」作られた言葉で差別的な意味合いなどそもそもなかった。ところが2000年代の日本に「輸入」されるとテレビに出てるような文化人を中心におかしな使い方をされ始めた。当時の日本は、現在でもそうだが、バブル崩壊後の金融危機の収束に失敗し宮沢政権、小渕政権で無謀な財政出動でおよそ返せるはずもない額の借金をし、それでも不況から脱せず小泉竹中政権で徹底した金持ち優遇弱者切捨ての政策で失業率は悪化、不安定雇用、低賃金労働者が増大し社会不安が増すと、普通は政治が悪いから、引いては自由民主党と官僚の失政が原因だと貧乏人は既得権益層に不満を持つものだが言葉のすり替えによって問題のすり替えも図られた。これは自民党官僚政財界が意図的に行ったプロパガンダだと思ってる。つまり「失業者」や「不安定雇用労働者」が低賃金とセーフティネットの破壊により生活が困窮してるというと政治が悪いとなる。だが「ニート」が貧乏なのは「自己責任」でむしろ「パラサイトシングル」となって経済の足を引っ張ってる。悪いのは貧乏人自身だと。「パラサイトシングル」を提唱した山田ナントカという社会学者は本が売れて大学教授としても出世して支配者階級にも気に入られて大儲けしたそうだが良く考えればデタラメな話だと気づく。要するに大家族制が悪で核家族がマストだとする意見だが、日本の歴史を見ても核家族が普通になったのは戦後の高度経済成長期から始まる数十年の話。それまでは大家族制が当たり前だった。なぜか。ひとつの家に複数の世帯が生活する方がコストが安い。むしろ核家族というのは戦後の異常に裕福だった一時期に現れた特殊な現象だと考える方が自然だ。経済学では「効用」という考え方がある。費用と満足度を計りに掛けて一番合理的な行動を必ず人間は取るということ。それを効用最大化という。核家族を形成できるほどカネがない若者が親と暮らす大家族制に回帰するのは経済が悪くなっていく一方の社会では効用最大化で説明できる。ちなみに山田ナントカは社会学者らしいがあんなものは学問でも何でもない。あんないい加減な連中はいない。目の前の現象を都合よく切り取って解釈して見せてるだけで何の科学性もない、学者でも何でもない、ただのノンフィクションライターだ」
こういうことはゼミの教授などと話をして次第に確信していった。どういう仕組みで日本の階級は維持されているのか。支配者階級がそう考えていても貧乏人に同じ考えを刷り込ませる必要があったからだ。それにはマスコミだけでなく教育の過程や学者の論説も利用していたのだと。
「アラブの春」と欧米諸国が「勝手に呼んだ」革命がエジプト、リビア、イエメン、サウジアラビアまで広がっていた。実態はツイッターやフェイスブックといったアメリカが持ち込んだ新しいネットメディア、SNSを通じたデマゴーグに大衆が扇動される形で反米政権が打倒された。アメリカのCIAのような秘密諜報機関が現地人に成りすましスパイ工作活動を行った結果だとのちに明らかになった。
だがほぼ同時期にアメリカで「オキュパイ・ウォールストリート」運動「ウィーアー99%」運動というのが起こった。これはサブプライムローンの焦げ付きに端を発する世界恐慌で壊滅的な被害を被った実物経済に生きる民衆が「問題はウォールストリートのカネ儲けにある」としてウォールストリートの一区画を占拠した運動だ。この「ウィーアー99%」というのはアメリカの富の4割を1%の富裕層が占めて残りの6割を99%の貧乏人が分け合ってる酷いシステムだという意味の抗議活動だった。
これは非常に的を射た政治活動だと思った。アメリカは教育の課程で社会主義は悪、結果の平等を要求するのは負け犬のすることと刷り込まれている。哲学もレベルの低い不毛な素地しかない。だからなのかこれらのデモ活動も次第に収束し廃れていった。これは勿体無い話で、ウォールストリートを占拠した民衆がそのままワシントンになだれ込んでオバマを殺せばプロレタリア革命の完成。アメリカの春と呼べる。アラブの春がどうのこうのと敵対国には民主主義の勝利のような宣伝をしておいて、いざ自国で同じような革命が起きそうになるとメディアを総動員して黙殺を図る。こういう矛盾を多くの人が気付いていてもなかなか情報発信できないさせないのが西側諸国のエスタブリッシュメント階級なのだろう。
西もカネを増やしたり減らしたりを繰り返しなかなか生活が安定しなかった。理想は西にもあったが現実は警備員のアルバイトだった。そんなこんなで2012年を迎えた。
1990年代初頭に金融バブルが崩壊して日本は金融恐慌に陥った。あれから20数年経つがいまだ経済は立ち直っていない。日本の官僚は優秀だ。彼らは教科書に載っていることは全て分かっている。にも拘らずこの20年何一つ良くなっていないのは、つまり、経済学の教科書に載っている処方箋が現実の経済に通用してないということだろう。経済学の教科書ではリセッション(不景気)に陥った場合は金融政策では政策金利を下げ、足りなければ金融緩和をし、マネーサプライを増やす。財政政策は国債を発行して借金をしてでも公共事業なり何らかの政府支出を行い行政が主導して消費を喚起しGDPを増やし景気を刺激する、と。その副作用で景気は過熱しインフレが起こり、財政は悪化して長期金利が上昇し財政のやりくりは苦しくなる。景気浮揚を確認した時点で政策金利を上げ金融を引き締め景気の過熱を抑え、財政は積極出動を抑え場合によっては増税をし財政緊縮を図る、と。だが現実の経済はどうだ。90年代にゼロ金利政策に突入し小渕宮沢政権などが大量の借金でバラ撒きをし、市場にマネーが溢れてる筈なのに実際は国民の経済は窮乏しインフレどころかデフレが20年も続き、株価は低迷、長期金利は過去最低を更新し続ける。なぜこんなことが起こるのか。全てを説明できた経済学者は世界中探しても一人もいない。答えは誰にも分からない。これはいまや世界的な、大袈裟に言えば人類の存亡をかけた問題になっている。アメリカでは2008年のサブプライムローンショック以来、ヨーロッパでは2009年辺りからギリシャなどに端を発する債務危機問題以来、景気後退→金融緩和を繰り返し、アメリカはQE(Quontative easing 量的緩和)、EUはLTRO、OMTと呼ばれるオープンエンド(無制限)の大規模金融緩和を行っている。そして日本も2013年に黒田東彦が日銀総裁に就任すると既に充分過ぎるほどの金融緩和を行っているにも関らず日本国債の7割を日銀が買い占めるという異常な緩和策を行っている。これだけカネをバラ撒けば当然株価は上がり続け、国債も同時に買われるというゴルディロックスという極めて不自然な相場状態になっている。そしてアメリカもヨーロッパもまた同じくゼロ金利政策プラス大規模金融緩和を行っているイギリス、スイス、カナダなどでも市場にジャブジャブにマネーが溢れているにも拘らずデフレもしくはディスインフレ(極めて低いインフレ率)が起こっている。最早人類が初めて経験する現象であり世界中誰一人この現象をキチンと説明できていない。
だが確かに20世紀初頭に人類は似たような経験をしている。1929年のニューヨーク株式市場暴落に端を発する世界恐慌だ。あのときは全世界的な金融恐慌に対し帝国主義の流れから世界中に植民地を持っていたイギリス、フランスなどはそれぞれブロック経済圏を形成し他国を締め出した。植民地を殆ど持たず市場から弾き出されたドイツ、日本、イタリアなどは国内の経済低迷による右翼軍部ファシズムの台頭、そして対外侵略に活路を求め世界中を巻き込む凄惨な世界大戦へと突入していく。
経済学で言うと世界恐慌が起こった後、それまで需要と供給のバランスで市場で価格と生産量が決まっていくという従来の新古典派経済学の考え方から、どれだけ価格を下げても需要が一定数以上伸びない需要飽和という人類が体験したことのない状況が生まれて、そこで市場に任せるだけでなく政府の積極的な介入によって市場をコントロールしようというケインズ経済学が台頭し、ニューディール政策と呼ばれる財政政策がセオドア・ルーズベルトの下アメリカ合衆国で始められ、経済学も新しい時代に突入していく。現在もアメリカFRB議長のベン・バーナンキは学生時代ハーバードとMITで世界恐慌を専攻し、実際の中央銀行としての仕事でも大規模な金融緩和で不況を打開しようとするケインズ的な考え方だ。
また、大規模な金融緩和はリフレーション(リフレ)とも考え方が通じるところがあって、2013年現在の安倍自民党内閣、彼らが選んだ黒田東彦日銀総裁、岩田規久夫副総裁はなんと市中に出回る国債の7割を日銀が買い占めるという暴挙に出た。なぜ国債かというとそれ以外に日銀の膨大な資金供給を引き受けられるほどのマーケットなど存在しないからだ。外国の国債を買うという手もあるがそれは「為替介入と同義だ」という黒田総裁の考えの下行われていない。
リフレ論者が勢いをつけてるのはアメリカやユーロ圏がやっているというエクスキューズだけでなく戦前の大恐慌時代に日本の金融当局も高橋是清大蔵大臣、石橋湛山などの下でリフレとも取れる金融政策を行っていたことも挙げられる。もっとも当時は金輸出を他国に遅れて禁止し事実上の通貨切り下げを行ったという現在のリフレ政策とは外部の状況も中身も違う。全くインフレが起こらないのだからいくらカネをバラ撒いても構わないだろう、それで通貨安株高が進みいいこと尽くめじゃないか、という理屈だろうがそもそもただの紙切れに過ぎない日銀券を無限にばら撒くというのは道義的におかしいと誰でも気づく。そして一般に「出口」と呼ばれる着地点はどうするのか。金融緩和というのは麻薬のようなもので効いている間は株価が上がり一時的な幸福感に浸れる。だがもう大丈夫だろうと緩和を止めた途端株価は下がり経済の逆回転が始まる。そこで慌てて次の緩和策を打ち出す。全く麻薬中毒者と同じ。麻薬が効いている間は幸せだが切れてくると麻薬を打つ前よりももっと酷い現実が待っている。現実の苦しさから逃れるためにはもう一度もっと多量の麻薬を打つしかない。現実の肉体(実体経済)はボロボロなのに一度味を占めると自力では止められないのだ。リフレ論者たちはインフレ率が上がってきたら金融緩和を止めればいいと言う。現実に麻薬に依存した中毒患者に対して「身体が悲鳴を上げてきたら麻薬を止めればいい」と、そんなことが言えるのかできるのか?
2013年夏に入りFRBが量的緩和の縮小を市場にアナウンスし出した。誰が考えてもこのまま無制限にマネーをばら撒き続けるわけにはいかない。だがQE縮小が現実味を帯びるとマーケットは大混乱に陥った。為替は一気にドル高に。それも円やユーロなどのメジャー通貨ではなくブラジルレアル、インドルピー、トルコリラなどの新興国と呼ばれる通貨が対ドルで極端に安くなっていった。アメリカの量的緩和が始まってから大量に市場に供給された米ドルが他の国、特に成長著しい新興国に流れ通貨と株や不動産価格などを押し上げた。それが米ドルの市場供給量が少なくなるという理由で株価や通貨は逆回転を始めた。実際にはQEのペースを少し落とした位では大した影響は無いはずなのだが、マーケットというのは常に先を先をと織り込みたがる。大口のファンドはそうやって儲けるのである。文句を言っても始まらない。ただ、この一件だけを見ても出口戦略というのが如何に難しいかよく分かると思う。極端な金融政策は必ず副作用を伴う。今回は世界唯一の超大国アメリカの金融政策なのだから尚更世界に与える影響は強い。さて、とてつもない金融緩和をやってドヤ顔していた我らが日銀の黒田総裁は日本の出口をどうやって見つけ出すつもりなのだろう。
日銀の岩田副総裁は中央大学の講演で「我々金融緩和論者は長い間少数派だった。それが安倍晋三という稀代の名総理が現れて漸く日の目を見た」というようなことを言っていた。それはそうだろう。稀代のバカ総理でなければこんなデタラメな金融緩和は容認できない。
玄関を乱暴に開ける音がすると手塚が仕事から帰ってきた。
「ウィーッス。何聴いてんの?」
「COCCOの「強く儚い者たち」。これは要するに恋人を沖縄に置いて東京で一旗上げた男が、やっと島に置いてきた女を呼べると思ったらその女はとっくに別の男と出来ていたという話。で、その女というのが多分COCCO自身なんだよ」ふーんという顔をすると手塚は、
「セイさんすんません、あと5万貸してください。母ちゃんの入院費がかかって」真面目に話して損した。ウンザリしながら財布から5万円を取り出して手塚に渡した。
手塚はラグビートップリーガーの繋がりでゆずの北川ナントカと親しいんだというのを盛んにアピールしてたが西は全く興味が無かった。ただサッカーの名波浩と親交があるというのはちょっと引っ掛かった。
「俺は他人から信用されるタチだからどんなウソついても信用されるんだ」この頃から手塚の本音が剥き出しになっていった。「山田先生が死ねば山田一族は全員俺の味方だから。セイさんに勝ち目ないよ」いやな目をして嗤う。「山田先生の奥さん、西先生の遺産狙ってるよ」「西先生が死んだら西先生の遺産、俺にも頂戴ね」こいつは一体何を言っているのか。
朝起きてくるといつものように録画したモーニングサテライトを観る。名前は忘れたがナントカいうコメンテーターが面白いことを言っていた。「少し前までは経済学者はみんな財政再建論者だったのに、いまはほぼ全員が金融緩和論者になっている」。学問とは真理の探究が本義であり、真理とはそう簡単には変わらないもの。いまの経済学者はまるでファストファッションのように最新の流行にあわせてくるくる言説を変えている。これでは学者どころか新聞記者以下の節操のなさだ。その新聞記者も新聞が全く売れずテレビの収入も低迷する中でかつてないほどの酷いモラルハザードに陥ってる。小沢一郎の裁判などは連日「政治とカネ」「黒い疑惑」など意味不明なキャッチフレーズで検察が記者クラブに流す情報を裏も取らずそのまま垂れ流してる。大新聞に比べたら記者クラブに入れない週刊誌の方がまだマシで新聞は「小沢の秘書が紙袋に六千万円の札束を詰めて賄賂を運んだ」と言っている。実際に六千万円の現金を見たことのある人間なら分かるはずなのだがとてもじゃないが紙袋などに入れて持ち運べるような代物じゃない。大新聞全てが同じようなデタラメを書いているということは検察の発表をそのまま書いているだけだという証拠だ、と。
実際、検察はウソの証拠まででっち上げて検察審査会まで開いて改めて小沢を裁判にかけたら結局は無罪だった。更に検察は判決を不服として控訴した。無罪判決が出た上に新しい証拠など何も出てないにも関らず控訴するなどというのは子供でも分かるイヤガラセだ。当然棄却されたのだが小沢一郎を巡って党内が滅茶苦茶にされた民主党。その期間くだらない理由で政治的経済的混迷に苦しめられた日本の貧乏人たち。そのことに対して検察もマスコミも一切責任を取らず謝罪もせず何事も無かったかのように受け流そうとしている。事の顛末をキチンと追ってきた貧乏人からすれば「ふざけるな!コノヤロー!」という話だが実際大して貧乏人が怒っているという話はあまり聞かないのでやはり貧乏人はバカで騙されやすいと少なくとも権力者たちは再確認したはずだ。
カネを稼ぐために仕方なく日経新聞やテレビは見る。だが書いてること言ってることは相変わらずデタラメだ。WBSという経済ニュース番組を見る。日本では一番有名な経済番組、キャスターの小谷真生子は名物キャスターとして海外でも有名らしい。小谷は英語は堪能だ。だが恐らく経済学の教科書すら読んだことがないのではないか。経済学の初歩的な説明にいまだに始めて知ったような顔で感心した相槌を打つ。わざとらしいほど自民党、財界人、その他権力者に媚び、テレビの中で露骨に身贔屓。そのうち自民党から参院選にでも出るのだろう。適当な相槌を打つ横に並んでるアシスタントたちも経済が分かってるとは思えない。結局、解説者が肝心な話は一人で進めることになるのだが、解説者の経済学者、アナリストたちのレベルもイデオロギーもバラバラ。小谷が気に入る解説者とそうでない者に対する扱いも露骨だ。能力がある者ではなく権力者に都合の良いことを言う経済学者だけが生き残り耳の痛いことを言う者は干されて行く。木内登英などこの番組で権力者に気に入られ日銀審議員にまで出世した奴までいる。
加藤たちとの会話でもマスコミの話題が出た。
「安倍首相がNY証券取引所で、オリバー・ストーン監督の『ウォール街』に登場するゴードン・ゲッコーに日本をなぞらえる発言を繰り返した。企業を買収したゲッコーは最終的にインサイダー取引などの罪で刑務所に送られたのに」
「安倍首相の「完全にブロックされている」と繰り返したブエノスアイレスでの演説、麻生財務相のナチス発言につぐ安倍首相の国際的失言は、彼らが実はとっても内向きで、メディアも同じだということ。孤立していく恥ずかしい日本。日本のメディアは、米中軍事外交協力の進展について報道せず、安倍首相がオバマに無視されたことも報道しない。そしてNY証券取引所で金融犯罪者の言葉を引用した演説を手放しで褒める。どうしようもないレベルの低さ」
「安倍首相は、訪米中にオバマ大統領との会談もなく米政府首脳とも会えなかった。これが日本の国家元首?代わりに、タカ派の巣窟のハドソン研究所やNY証券取引所で、自分は「右翼だ」とか「バイ・マイ・アベノミクス」といった「変な」演説をしただけ」
日本のメディアの異常性は海外のメディアが発行する主要新聞、たとえばウォールストリートジャーナルとかフィナンシャルタイムズとかCNN、ブルームバーグといった日本語で公開されている情報と比べても際立っている。これは日本のジャーナリズムの世界が閉鎖的で自分の国の出来事しか考えてない。結果ネットに駆逐され新聞もテレビも稼げなくなり経済的にも独立性を保てなくなった大手マスコミはいよいよ政府の大本営発表機関と成り下がっていく。それがいま現実に起きていることではないか。
新橋の駅前で警備員のバイトをしていた頃ヘイトスピーチに出くわしたことがある。若い男女が順番に喋って、男の子は、韓国人が日本の仏像を盗んで返還請求にも応じない、テレビはウソばかり言っている、というようなこと主張してる。「とにかくネットを見てください」を連呼してて聞き苦しいことこの上ない。女の子の番になるとヨン様ツアーで韓国に行った日本人女性のツアーが突然バスガイドに、「お前らは植民地支配で韓国を苦しめたから今この場でカネを払え。払わなければバスから降ろさない」と言われたとか。
「従軍慰安婦はデタラメです。あれは全部売春婦なんですよう」とまた聞き苦しい喋り。最後は主催者らしき男が適当な挨拶で締めた。私が彼らに遭遇したのはこれが初めてであったがネット右翼と呼ばれる若者の知能程度というのはたぶんこのコたちと然程変わらないレベルなのだろう。言ってることは間違ってない部分もあるが見苦しいしいかにも洗練されてない。そしてこういった若者が出現するのも日本経済の閉塞感が原因でそれは韓国や中国の反日右翼であったりヨーロッパやアメリカで広がる移民排斥運動であったり、根っこはみんな同じなんだろうなと思う。社会への不満、生活の苦しさ、閉塞感といったものが弱い立場の者への憎しみとなって現れる。不思議なのは古今東西こういった怒りは弱者にはぶつけられるが政府や体制への不満として出現するのは割合が少ないことだ。だがこの日のスピーチを見ていて少し謎が解けた気がした。若者を扇動していた大人たち。あれは恐らくかなり上からの命令や資金援助を受けたプロの右翼活動家たちで大衆の不満を逸らすために意図的に仕組まれたことなのだろう。これが日本だけでなく世界中の大衆の不満を逸らす必要のある支配者階級が日常的に行っている活動なのではないかと思う。
日経新聞を中心として「アベノミクス」なる奇妙な造語が流行り始めた。英語として考えてもおかしな言葉なのだが、80年代後半にアメリカの経済を立て直したとされるロナルド・レーガンのレーガノミクスになぞらえているらしい。ちなみにレーガンの経済政策というのは別に大してうまくいった訳ではない。確かにレーガン政権の後期に米国経済は上向いたが、それは別に経済政策が成功したからという理由ではなくベルリンの壁が崩れソビエト共和国連邦がペレストロイカを経て共産主義から資本主義への移行を宣言し東西冷戦が終わった、いわゆる「平和の配当」が主要因だ。むしろレーガンやサッチャーは軍拡競争を推し進め人類を破滅の一歩手前まで追い込んだ張本人だろう。またこの時代にアメリカに留学し米英流の薫陶を受けたのが竹中平蔵であり、彼が帰国して始めたのがこのレーガノミクスやサッチャリズムの猿真似だろう。90年代半ばには既に本家のイギリスでは金融ビッグバンであるとか無謀な行政改革、規制改革でかえって国の経済が悪くなりサッチャリズムは失敗だったとされてきていた。まさにその時期に「これが最新の経済理論です。これがグローバルスタンダードで、これをやれば間違いない」と竹中や中谷巌などが日本でやったのだ。笑い話では済まないのだが90年代からの失われた20数年の間に自民党のバックアップを得た竹中たちの言ったことやったことは殆どデタラメだ。
2012年11月に民主党の野田佳彦首相が衆議院の解散を明言してから日本株の株価は上がり始め為替では円売りが本格化した。アメリカのヘッジファンドは独自の情報網で次の衆院選はかなりの確率で自民党が大勝すると読んでいた。自民党は解散を明言する前からマニフェストを掲げ、大規模な金融緩和、財政出動、成長戦略をやると書いていた。後に安倍晋三が総裁選に勝ち次期首相になることが確実になってからマスコミ、特に日経新聞主導で「アベノミクス」「三本の矢」などと大々的にプロパガンダがなされ安倍自身もその気になって自分で考えた政策であるかのように振舞い始めたが、元を正せばただの自民党の選挙公約だった。だが12月に衆院選に圧勝し、翌2013年4月4日新日銀総裁の黒田東彦が次元の違う質的・量的緩和(いわゆる黒田ショック)を行った。これは毎月国債を7.5兆円日銀が買い入れ新規国債発行額の7割を日銀が買うというものだ。しかもインフレ率が2%を上回るまで原則無制限にやるという。ムチャクチャな話だがマーケットには関係がない。日経平均は9000円割れだったものが最高値16000円を僅か半年余りで付け、ドル円は底値75円台から104円まで急騰した。株でも為替でも「億る」「億りびと」という言葉が流行した。つまり資産が1億円を越えるということだ。実際この時期にマーケットに参加していた者で相場慣れしていれば100万を1億にするのも珍しくなかった。西の資産も結局は殺したいほど憎んでいた安倍と黒田の暴挙で一気に増えたのだった。日経平均は押したところで買えばザラ場では必ず上がった。一日で100円200円上がることも珍しくなかったから、寄り付きで日経オプションをハイレバレッジで上がる度に含み益で買い増していくとすぐに2倍3倍になった。為替ではクロス円を株の上下に合わせて売り買いするだけで1日で100PIPS以上動くので法人口座で或いは海外口座を使ってレバレッジを高くすれば一日で何倍にもなった。個別株も例えば「パズルアンドドラゴン」というゲームがヒットしたガンホーなどは2週間で10倍。信用取引で買えば更に3倍のレバレッジがかけられた。
土日は新橋で警備員のアルバイトを続けていたが、深夜の山手線でロバート・キヨサキの「金持ち父さん貧乏父さん」などを一生懸命読んでるOLを見ると、誰かに投資の勉強のアドバイスを受けたのだろう、入り口としては間違っちゃいない、だがそれは大学受験一ヶ月前に小学校の算数のドリルで分数の割り算から始めるようなもので間違ってはいないけど間に合わない。勉強が実践レベルに到達する頃にはとっくにバブルは終わってるよ、と。別に気取ってた訳じゃない。逃げ切りをとうに果たしている世の中の特権階級は同じような視線で俺たちを憐れむのだろう。そう考えると怒りと憎悪が先に来る。この社会の仕組みを作ってる連中を。その階級に生まれながらにのさばってる支配者階級の連中を。安倍晋三を。天皇明仁を。ジョージ・ブッシュを。ロスチャイルドを、ロックフェラーを、エリザベス2世を、ローマ法王を。全ての特権階級を。
安倍政権が誕生し狂乱相場が訪れると西は資本主義社会への復讐を考えていた。既存の資本家以上の資本を得ることが復讐だと考えた。だが既に西のカードは限度いっぱいまで使っておりこれ以上の借金は無理だった。そこで一計を案じていた。
サークルとゼミを回って加藤、中野、池田に声を掛けた。この仕事に選んだ条件は、野心的であること、少々グレーゾーンの仕事でもやってのける気概があること、大金を欲しがってること、そしてトシが近く信用のある職場に勤める兄弟や親戚がいること、だった。3人を別々に呼び出して説明した。
「仕組みはこうだ。まずキミはお兄さんの免許証を借りてきてそれを持って消費者金融に行き、お兄さんの名前を名乗って限度額いっぱい借りてくる。1社200万として3社回れば600万になる。それを他の二人にもやってもらう」
「それって犯罪じゃないんですか?」
「免許証も本物。借りたカネは期日内に全額返済する。当然お兄さんにも知られることもない。信用情報に傷が付くわけでもない。金融会社も利息を付けて期日内に返してもらって儲かる。全員がハッピーになるシステムなんだ」
「犯罪とは何だ?法律に違反することだ。法律とは誰が決めた?為政者が自分たちに都合のいいように勝手に決めたルールだ。盗むのは悪なのか?盗まれて困るのは盗まれるほど富を持っている人間だ。貧乏人は盗まれる物など最初から持っていない。むしろ盗まないと今日食べる米も無い。それが労働者階級だ」
「・・・でも、利息を付けて本当に返せるんですか?」
「俺のデイトレの腕前は知っているだろう?いまは地合いもいい。年利18%としても半年で返せば利息はたった160万だ。1800万の元手に対してだ。キミの取り分は返済額660万プラスもう600万あげる。どうだ?ある程度のリスクは背負うがリターンも大きいだろう。大学生が元手なしで半年で600万も稼げる仕事なんて滅多にあるもんじゃあない」
「これは俺たちに課せられた正義の使命だ。既得権益を盾にのさばってる連中はたいしたリスクも取らず暴利を貪っている。全て貧乏人から搾取したカネで。俺たちはそのいくばくかを取り返してやるんだ。手に入れた600万をどういう正義に生かすかはキミの自由だ。資本を盾に貧しい学生の若い貴重な労働力を買い叩く支配者階級。カネのためにバイト先や学校で大人たちに理不尽な扱いを受けたこともあるだろう。どんな高邁な理想を持っていても資本主義社会で正義を貫くためには資本が必要なことも多い。これは復讐でもあるんだよ。社会からいいように食い物にされてきたキミたち貧乏学生の。引っ繰り返してやるんだ。この世界の硬直したヒエラルキーをな。決心がついたら連絡をくれ」1週間で3人共やるという返事が来た。
西はいよいよ本格的にこの計画にのめり込んで行った。全ては正義のためだと。
突然手塚からメールが来た。
「いまから10万仮にいくから」
「急に言われたって現金なんかそんなすぐに用意できるわけないだろう。常識で考えてくれよ」
「ふたりで常識を壊していきましょう!」
「ふざけんな!」スマホを叩き付けた。
「母親が入院して入院費が払えないと病院を追い出されるかもしれないんです。50万円貸してください」
「狼と羊飼いの少年という童話を知ってるか?」
「それがどうしたの?」最低限の知性がないと皮肉も通じない。
「今週登山に行ってくるよ。西先生や山田先生と。あとヒデとトモちゃんも行く」
「でも全然カネ無いんだ。3万貸して」3万円渡すと、
「すいません。やっぱあともう1万」
この頃から物やカネが頻繁に無くなるようになっていった。冬用の靴下を買い置きしておいた。だがあとから数えるとどうしても数枚足りない。
「手塚君。俺が買って置いた靴下が見当たらないんだけど」少し間をおくと、
「すいません、俺がやりました」奥の部屋から無くなった靴下を持ってきた。
「俺はキミが欲しがるものは出来るだけあげるようにしてるでしょ。何で黙って持っていくの?こっちも計算しながら物を揃えてるんだから勘定が合わなくなると困るんだよ。金額の問題じゃなくて季節のものはその季節にしか手に入らないんだから!」
「そうっすよね。セイさんはいつも大抵のものはくれますよね。すいませんっした!」
高田の家に押しかけた。彼は大学の近くの家賃15万のマンションに一人で暮らしてる。全部自分で稼いだカネで。
「新しい経済学を発明した。これは人類を救うかもしれん」
「またか。今度はどんなくだらない話だ?」高田はコーヒーを淹れていた。
「いいか、いまの経済学が何一つ上手く行ってないのは大規模な金融緩和、ゼロ金利政策を行っても、大して景気は上向かないしインフレ率も大して上がらない。経済学の教科書には、金融緩和を行えば景気は過熱しインフレが起こる。それが行き過ぎたら金融引き締めを行って景気を冷やし過剰流動性を抑えインフレも抑制する。教科書に載ってる基本的な処方箋はそれだけだ。それが現代の極端な金融緩和財政出動にも関らず景気は低迷したままインフレも起こらない。だから現代の経済学者政治家官僚は困ってるわけだ。東大法学部を出て国Ⅰでトップクラスの成績で財務省に入った連中が20年以上この問題を解決できなかった。奴らは教科書に載ってることは完璧に理解している優秀な連中だ。そいつらが20年間解決できなかった、と。それは既存の経済学が現実の経済に全然対応できてないからだ。」
「それは毎度聞いてるよ。それでどう違うソリューションがあるんだ?」
「いいか。日銀が大規模な金融緩和をしているといってもばら撒いたカネは銀行に配られて銀行は国債を買うだけだ。本当に現金を必要としている貧乏人には年利16%でしかも年収の3分の1しか貸さない。年収の3分の1で十分な資金を借りられる層はそもそもカネを高利で借りるほどカネに困ってない。本当にカネを必要としていて十分な消費意欲がある貧乏人にはカネが回らないシステムだ。これではいくらマネーサプライを増やしても景気は良くならないカネを遣わない結果インフレ率は上がらないのは当たり前だ。だから日銀が市場に供給したマネーをできるだけ低利で規制も設けず貸し倒れも恐れずジャンジャン貧乏人に貸す」西はコーヒーも口にせず捲くし立てた。
「それじゃあ、貸したカネが際限なく貸し倒れていくだけだ。貧乏人は働かずに際限なくカネをせびるようになるだけだぞ」高田はコーヒーを啜った。
「そこが肝さ。貧乏人に際限なくカネを貸し続けるとどうなると思うね?貧乏人とは資本を持たず自分の労働力以外に売るものがない連中だ。だが簡単にカネを借りられるようになると簡単には働かなくなる。つまり労働力を安売りしなくなるんだ。いまは時給800円とかで売られてる労働力が時給5千円とかになるかもしれない。つまり労働のインフレが起こる。労働力が高く売れるとは当然賃金が上がるということだ。賃金が上がりコストも上がるから当然物価もインフレになる。」高田はグラフを描いていた。
「それだと簡単にハイパーインフレになって経済が破綻するんじゃないか?」
「さて、そこからだ。労働の値段が上がると当然この値段なら働いた方が得だという労働者が現れる。いくら簡単にカネを借りられるといっても借りたカネはいつか返さなければならない。この値段なら働いた方が得だという労働者が増えると今度は賃金が下がりだす。つまり均衡点が生まれるんだ。Y軸に労働価値X軸に(貧乏人向けの)貸し出し利子率を取って求職者数曲線と求人者数曲線が交わるところが均衡点だ」
「・・・・・うーん・・まあ、確かに・・。でもこれだと利子率のほうが先に決まるから利子率をY軸に取った方がいいんじゃないのか」高田はエクセルで計算し始めた。
「そこも悩ましいところでな。確かに貧乏人への貸付を始めないと労働価格は動き出さないんだが、一旦動き出すと今度は労働価格がイニシアチブを取るようになると考えてる」「まあでもこれを学会で発表したところで黙殺されるだろうな。既得権益層には危険過ぎる思想だと受け止められるだろう」高田はPCを閉じてこちらを向いた。
「うむ。これは要するに資本家が持つ金融資本と労働者の持つ労働資本のパワーバランスを根底から覆すって話だからな。労働価格が跳ね上がれば相対的に金融資本は目減りする。資本主義とは金融資本を遣って如何に労働資本を安く買い叩くか。安く買えれば買えるほど投資した金融資本の乗数効果は上がる。いわば労働者が泣くか資本家が泣くかの綱引きのゲーム、それが資本主義だ。そういう意味では日本だけでなく世界中の支配者階級の人間はこの考え方を徹底的に排除しようとするはずだ。だがな、この部分つまり労働価格を積極的に上げていくというタブーを破らなければもう現代の経済の閉塞は破れないと思うんだ。大規模金融緩和で市場に大量にマネーを供給して消費を促しインフレ率を上げ賃金を上げてそれらを達成しようというのだろう?その肝心な賃金の上昇つまり労働価格の上昇を大企業に政府が賃上げ要求をするとかその程度のおためごかしをやっててもダメなんだ。賃金を上げるには資本家の側ではなく労働者の側からかなりの程度労働価格をコントロールできる裁量を与えないと、この世界中の経済学者が誰も解き明かせてない、実際の政治家官僚も解決できてない経済学史上最大の謎は解けないだろう。これは共産主義者に都合の良い話だからではなく真理なんだ。資本家が支配者階級が既得権益を手放すのは嫌だ、認めないといったところで、真理であれば答えは一本道。経済というのはいずれ最も経済効率の良い選択肢を取るしかないんだ。この考え方がその答えにだいぶ近付いたんじゃないかと思ってる。どうだ?」
「うーん・・・。金子勝みたいなこといってるな」
「だって俺の経済学話なんて8割方金子さんの受け売りだからね」
「アンタそうよね」高田は苦笑してる。
「俺はこの考えをもう少し整理して論文にして経済学会に発表したい」
「それには大学で最低でも講師にならないとな」
「そう、それには大学を卒業して大学院も卒業して教授に師事して。気の長い話だよ、まったく・・・」いつも結局はそこに行き着く。
「そういえば西、お前最近サークルの若いの巻き込んでカネ儲けしてるって誰かが言ってたぞ。あんま無茶すんなよ」
ニヤリと笑っただけで西は帰って行った。
電話が鳴った。手塚だった。
「飲み会やるからセイさんも来てよ。若い女揃えて待ってますから」下卑た笑い声。電話を切った。
共産党の集まりにも頻繁に顔を出していた。
「まあテロルをやるとしたら最近では小泉毅が一番良かったかな。マスコミが全く報道しなくなったのが社会の核心をついてる証拠だ。誰かの不幸に無関係な人間などこの世にいない。子供は無関係とか母親がどうだとか言ってる時点で十分な罪人なのだよ。テロルを生むのは絶望だ。満足な仕事も与えず社会から隔絶され地域のコミュニティーは爪弾きにする。そこから絶望が生まれる。身に覚えがあるだろう。いくら幸福で無邪気な小市民家族を演じたところで弱者に対して行ってきた残虐性は隠せない。結局誰かの不幸が回りまわってくるんだ。積極的に助けなかった時点で不幸に加担している。私は何も知らなかったとか理由にならない。知らないこと自体が罪だから」
「レベルが低過ぎる。「悪い」とは何だ?テロルが悪でアベノミクスが正義なのか、どういう根拠でそんなことが言える?「人の役に立つ」とは何だ?貧乏人から盗んだカネで幸せ芝居を演じてるブルジョワジーが「人」で既得権益にありつけなかったプロレタリアートは「人」ではない?原爆は戦争を終わらせたから世界の「人」の役に立った?イラクでアメリカ軍に虫けらのように殺された現地人が絶望からテロルに及ぶのは「悪」か?善悪だのという道徳は時の権力者に都合の良い方向に決められるもの。別に真理を保証するものではない」
「ニートは失業者だよ。失業は政府の責任だよ。だからみんなで革命起こして安倍を殺そうぜ。フランス革命も戊辰戦争も革命は勝てば全てが肯定される」
「グローバル化、少し昔は国際化。表現が変わっても本質は変わらない。人類は徐々に一体化していく。それが最も経済効率がいいからだ。1840年にマルクスが提唱してからも一貫して続いてきた真理だ。ただ人類の一体化はいずれ「国家」の解体につながる。国家がなくなれば国家を運営する既得権益階層の利益、面子のために争う必要が無くなる。経済効率が良くなる。ただ同時に既得権益階層は排除され経済的社会的優越性を生まれながらに持っているような階級はダメージを受ける。だから都合のいい部分、例えば労働力の流動性や個人の金融資産などにはグローバル化を訴えながら、一方では国益や愛国心を強調し自分たちの利権には徹底した保護保守を訴える。いずれは破綻する矛盾だが暫らくは続くだろう」
「自民党本部の前に行って一日中拡声器で「お前らの悪政のせいで俺たちは苦しんでいる」とガナってやればいい。正当な政治活動であり労働者としての当然の権利だから警察が飛んできたらそう主張してやればいい。あいつら民事不介入だしバカばっかりだからグウの音も出ないよ」
「資本主義の本質はイジメなんだよな。大企業は中小企業をいじめて、中では経営者が管理職をいじめて管理職は平社員をいじめて会社でいじめられたお父さんは家でお母さんをいじめてお母さんは子供をいじめて子供は学校でもっと弱い子供をいじめる。強者が弱者を食い物にすることで成立してる社会だから社会のシステム、イデオロギー自体が変わらない限りイジメはなくならない」
「今日、国民年金の免除継続の申請の却下通知が来たんだけど、なんでだろう?今年も所得ゼロで生活環境も全く同じなので理由が分からないわ。とにかく明日年金事務所に問い合わせてみるけど、みんなはこんなことあった?」
「自民党から自治体の窓口に生活保護の申請も含め弱者救済はできるだけ門前払いしろという通達が出てる。不思議なのはこれだけデタラメやられても日本の貧乏人は全然怒らないんだよな。他の国の人とかだったら安倍を殺したり自民党本部に火をつけたりする方が普通の感情なのに」
「日本はデモはあっても暴動とか起こさないからな。正直、今の状況で他の国だったら暴動起きてもおかしくないと思うが」
「ところがどっこい法人減税で元々儲かってる大企業がますます儲かって、大企業経営者だけがますます金持ちになっていくのが自民党政治のシステム。逆に貧乏人は社会保障の切捨てと消費増税、賃上げを伴わない物価上昇でますます生活は苦しくなっていく」
「簡単な話で法人減税とは金持ち減税。消費増税とは貧乏人増税。アベノミクスは小泉構造改革と何も変わらないのだよ」
「マスコミは公共の電波を仲間内だけで勝手に使いまわしてる。電波使用料は試算によると年間3兆円だが日本のテレビ局は全体で70億しか払ってない。このタブーに切り込んだ堀江貴文は粉飾会計で懲役3年の実刑判決を受けた。同じ時期に粉飾会計で起訴されていた日債銀の元経営者、大蔵省OBで国税庁長官を務めた窪田弘には無罪判決が出た。支配者階級既得権益保持者たちは司法も自由にコントロールしている。法律屋の並べる理屈など支配者階級の都合でどうとでも書き換えられるんだ」
「いいか、天皇を殺す」宮下はウチに着くなりそう言った。マルクス経済学のゼミに所属する学内でも数少ない男で共産党の集会などにも積極的に顔を出していた。その縁もあって西とは急速に親しくなっていた。
「唐突だな」西は構わずPCを弄っている。
「日本は「日本国」と名乗っているがどこにも共和国とは書いてない。憲法に天皇は政治的権力を持たないと明記されているが、じゃあ何のためにあんなものが必要なんだ?都心のど真ん中に大豪邸を構えて生まれながらに何不自由ない生活を約束されて。あれは特権身分の象徴なんだ」
「豪邸って皇居だろ」思わず苦笑した。
「憲法では日本の国家元首は内閣総理大臣となっている。だが大抵の外国人は日本で一番偉い人間は天皇だと答える。何のことはないただの立憲君主制国家だ。今後自民党や右派保守勢力が憲法改正を主導すれば、必ず特権身分の復活を目論む。当然天皇も政治的権力を持つようになるだろう。ブルジョワジー打倒といっても小銭を持った資産家を狙っても意味はない。権力の核心に迫ならなければならない。貧乏人はどんなに虐げられても権力者に逆らうという発想になかなか辿り着かない。自民党文部省教育の勝利なのだが、権力に疑いを持たない従順な労働者に仕立て上げるのが自民党文部省教育だ」
「いつやるんだ?」
「皇居勤労奉仕というのがある。民間から希望団体を募って皇居の庭掃除などを無料でやらせようという図々しい企画だ。俺はもうある自民党系の団体に職員として加盟している。そこが今度その勤労奉仕とやらに参加する。天皇の目通りがたまにあるらしい。僅かなチャンスだがそこで必ず仕留める」
「よく応募できたな」
「これが笑えるんだが無償奉仕は希望者が少なくていつも空きだらけなんだ。右翼の連中など口では天皇崇拝を掲げてるくせに実際に庭掃除をするのは嫌だときてる」ククッと嗤った。
今度は一転して言いにくそうな表情で、
「それで・・・悪いんだが俺が天皇を殺す直前のタイミングで日経の売りを仕掛けて利食っておいてほしいんだ。革命が本格化するまでには時間がかかる。俺も一旦は逮捕され内乱罪が適用され裁判を受けるだろう。家族にも迷惑が掛かるしカネも必要になるだろう。あとは香織がどうなるか・・・」同じ学部で付き合ってる女の心配をしていた。
「おいおい正義のための革命じゃないのか」
「正義にもカネは必要だ。少なくともカネが必要でなくなる社会が実現するまでは」西にとっても面白い話だった。カネ儲けばかりで具体的な共産主義活動をあまりしていない、というのは西も痛いところだった。それに日経の暴落を狙うというのも皮肉が利いてて面白いと思った。
「分かった。詳細は詰めてあるのか?」
「来月6月15日に勤労奉仕に参加することが決まっているそこでやる」宮下はナケナシの50万をキャッシュで置いて行こうとしたが
「それは香織ちゃんにでも渡しておけよ。先物の売りは俺の資産から出しておく」
「すまん」目を伏せると宮下はいつものユニクロのTシャツとジーンズで帰って行った。
手塚からまたカネをせびるメールが入っていた。
「もう今後一切キミには貸さない」と返した。
手塚からの返事が来た。
「終わりだね。俺が山田農場でどれだけセイさんを庇ってあげてたか分かってないようだね。もう全部西先生にも山田先生にも話します。大学生に詐欺をやらせて集めたカネで株やって稼いでるってね!何が共産主義だよ、クスリで頭をやられたキチガイが!」あとは意味不明な罵詈雑言が延々と並んでいた。
「手塚君、キミとはもう一緒にやっていく気はない。ウチから出て行ってくれ」
深夜に帰ってくると手塚は大きな物音を立てて乱暴に荷物を車に移し始めた。俺は奥の部屋で寝たフリをしていた。小一時間で手塚は出て行った。あとから調べるとかなりのものを盗んでいった。手塚の手口はブランド物、高額品、新品、デザインがいいものなどとにかく良い物から順番に盗んでいく。およそ遠慮というものを知らない。すぐに手塚の仕業と分かる。そしてゴミだけはウチに放り投げて出て行った。
6月に入り暴騰相場も終わり西はジリジリと資産を減らしていた。一時は含み益で10億を越えた資産も5億を切ったり戻したりのところで止まっていた。15日を前に早く宮下のテロルが起きて欲しかった。正義のために。カネのために。約束の日の早朝、宮下から電話が入った。
「いま公衆電話からかけている。これから皇居に入る。巧く行けば午前中にニュースで流れるはずだ」電話を切るとPCを立ち上げた。まだ午前8時前だった。録画したモーサテを見ながらネットの新聞、ニュースサイト、ツイッターに目を通す。今日は大きなニュースもなし。日経の寄り付きも高い。暴落にはいい条件だと思った。9時半、仲値に向かって先物が上がり始める。仲値10分前位から少しずつ売り始めた。500万、1000万。11時。あと30分で前場が終わる。「まだか」焦りがあった。寄付きが高かったことと高値で丁寧に売っていたこと。ドル円も動かず、まだそれほど損失は出ていなかった。だが後場に入れば上がっていく可能性が高い。「まだか」NHKにもツイッターにも情報サイトにも何も出ない。午後12時半直前に損切った。「宮下・・・」失敗したなら失敗したで、ニュースが流れても良さそうなものだが何も出て来なかった。宮下の携帯に直接掛ける訳にもいかず嫌な予感に包まれていた。
宮下について何の連絡も無いまま夜になっていた。宮下の友達に片っ端から連絡してみたが知らないという。香織からは逆に宮下の安否を訊かれたが「心配ないから」と答えた。
もの凄い衝撃音とともに玄関のドアを蹴破って何人かが入ってきた。小見と手下の右翼団体の連中だった。
「防犯装置も付いてないのか。意外と安普請なところに住んでるな」土足のまま上がりこんで小見は嗤った。
「用件は分かってるな。天皇陛下への不敬の数々、貴様に二百万英霊に代わって天誅を加える」殺しに来たのかと思ったが右翼の連中は手分けして西のPCを調べ始めた。
「宮下祐介は我々の尋問に答えている。お前が金銭面でも思想面でも主導したな」間違ってはいないが状況が飲み込めなかった。宮下は?
「拷問したのか?憲法で明確に禁止されてるはずだ。大体お前らは何だ?警察でもなければ、令状も持っていない。お前らは何者だ?」
「憂国の会、副代表の小見だ。西、貴様には最早警察など着いて来ない。警察を呼んでも構わないぞ。後ろに公安警察の現場のトップがいる」後ろにいた黒いスーツの男が手帳のようなものを見せた。
「俺をどうする気だ?」こいつらの狙いが分からなかった。
「お前が持ってる口座の動きは全部調べてある」小見はダイニングに腰掛けた。
「5億用意しろ。それで勘弁してやる」カネの話か?少し意外だった。だが冷静に考えた。
「無理だ。5億なんて動かしたら国税庁だって黙っちゃいない」警察とは別組織の筈だ。
「いいか。J○○証券を知っているだろう?」過去に顧客の資産を遣い込むなど悪質業者として有名なところだ。西も口座は持っていた。
「J○○証券のFX口座を使って2週間以内に5億円負けるんだ。これならお前が合法的に投資で失敗しただけだ。裏金でもないし税金を払えば後はマネーロンダリングの必要もない」そういう手口か・・、思わず唸った。
「だが2週間で5億負けるというのは大変なことだ」
「大きく勝てそうなところでハイレバで逆に張れ。含み益が15億を超えたり途中で出金をかけたりした場合はお前は死んだも同然だ」黄色い歯を見せて小見は嗤った。
その日から交代で見張りが着いたが、小見もときどき見張りに着いた。「小見」という名をそこで初めてはっきり名乗った。そうしてヒマを持て余すように俺に語りかけた。
「西、惜しかったな。お前は俺の下で金融犯罪の修行をしていれば面白いインテリヤクザになれたのに。いまアウトローは皆稼げなくなってる、新しい金儲けを企める奴は重宝されるんだ。お前もまだアイデアがあるのだろう?」
「だがお前はもう手遅れだ。虎の尾を踏んでしまった。この世界の支配者階級はもうお前を許さないだろう。どのみちお前はカネを置いて新しい土地へ逃げるしかない」
「俺もアウトローになる前は学校を出て政治や経済を勉強していたんだ。だからお前の考えていることは良く分かる。共産主義は理屈は正しいのになぜ競争社会に勝てないのかってな。戦後すぐドイツが東西に、朝鮮半島が南北に分断されて中国では共産党が内戦を制し南米ではカストロやゲバラが、インドではガンジーが、ベトナムではホーチミンが現れて皆理想に燃えていた。世界中で資本主義支配、帝国主義支配への抵抗が起こった。それはそれまで既得権益を建てに世界の貧乏人を支配していたアメリカ、イギリスの特権階級の死を意味する。だから白人至上主義クークラックスクランのメンバーでもあったアメリカ大統領トルーマンは共産主義を徹底的に封じ込める政策を宣言した。日本でもレッドパージから松川事件三鷹事件、そして国鉄の労組弾圧に繋がっていく」
「理屈が正しいから、正義だから勝ち残れるのか?違うだろう?結局は暴力が勝つ。原爆も東京空襲も非戦闘員に対する大量虐殺行為は当時の国際法でも明確に禁じられてた。だがアメリカが戦争に勝ったことで全てが正当化された。イギリスもフランスもアジアやアフリカを散々蹂躙し食い物にしてきた挙句敗戦で丸裸になった日本にアジア侵略の罪を全て擦り付けて逃げた。ラダ・ビノード・パールが予言したとおりだ。戦争に勝った者が、殺し合いに勝った者が全肯定されて殺し合いに負けた奴、死んだ奴が全否定される。歴史を見れば正義など鼻紙にもならないものだと気付くだろう」
「西、お前も正義だけで生き残れるなどと端っから思っていなかっただろう?だから金融犯罪に手を染めて言ってることとやってることの矛盾を正当化してきたんだろう?お前も結局は資本主義に飲み込まれたんだ。弱者を食い物にする快感を否定できなかったんだ、そうだろう?」
「俺たちは組織に入るために皇国史観を叩き込まれる。教育勅語を暗誦させられる。糞みたいな知識を身に染み込ませる。生き残るために。勝ち残るために。俺たちは生き残った。お前は敗れ去った。ただそれだけのことなんだよ、西」
5億円はあっという間に溶けていった。
「じゃあな、西。俺たちの役目は終わりだ。だが他の右翼団体は血眼になってお前を探すだろう。お前は逃げるしかない」小見は嗤っていた。快心の笑顔だった。
しばし茫然とした後、西はこの後の生きる算段をしていた。母親の名義の口座に密かに一部のカネを振り込んでいた。1200万。東南アジアなどに行けば逃げ切れない金額ではない。デスクトップPCのハードディスクは全て破壊し、ノートPCとワイマックス、身の周りの物だけを荷物に詰め、外に誰もいないのを確認して家を出た。それからタクシーで千葉に向かった。腎臓病を患ってる姉の京子の家に同居している母親を訪ねた。
「母さん、ゆうちょ銀行のカードがあっただろう。あれを貸してくれ。俺が振り込んでおいたカネを引き出す。ATMでは全部引き出すのに1週間以上かかる。全部引き出したらカードは郵送する。引き出した最初の日に郵便で100万送るから当面はそのカネで生活してくれ。2週間以内にはカードも必ず返す」母親はよく分からないという顔をしていたが何とかカードを借り受けた。
最初の日に100万円だけ厚い封筒に入れ母親宛に送った。ATMの1日の引き出し限度額は200万。土日を挟んで1200万全て降ろした。2週間泊まったビジネスホテルを出て埼玉に向かった。最後に知子に会っておきたかった。事前にメールで決めた待ち合わせ場所のスターバックスに向かった。知子はもう来ていた。
「用って何ですか?」「俺と逃げてくれ」と言いたかった。だが知子が承知するとは思えない。せめて小見にカネを奪われる前だったら・・・。
「どうせ悪いことしてるんでしょう」
「いや、悪いことはしてないよ。キミこそ俺とはなかなか会ってくれないじゃないか」
「嫌いだから会いたくないとか、そういう子供みたいなこと言ってるんじゃありません。西さんは山田先生や私たちに隠し事をしてますよね?大学生を騙してお金を集めたり、そのお金で株をやって何億円も稼いでみたり」手塚だ。すぐに分かった。あいつは西から金品を毟れるだけ毟って外では悪口を言って回っている。最悪なのと関わった。
「西さんを苦しめてるのはお金です。その元凶は株です。もう株をやめなさい!」
「何億円儲けたってその元手は誰が汗水流して稼いだお金だと思ってるんですか」
「でもまあ私と西さんは所詮他人ですからね。こういう話を聞いて何か感じてくれるといいんですけどね」知子は席を立つと足早に去って行った。何も言えなかった。項垂れて店を出ると突然羽交い絞めにされ車に押し込められた。
「トモちゃんを張ってればいつか出てくると思ってたよ、セイさん」手塚だった。荒川の河川敷だろうか。鉄道の高架橋の下に車が止まった。ホームレスのブルーシートハウスが並ぶ。そのひとつに押し込まれた。
「尊皇会だ。天命により西精次、貴様を成敗する」手塚は西のバッグを開けていた。
「あーあたったこれっぽっちか。1千万位しかねえじゃん。小見さんたちに先を越されちゃったからな」作業着のようなものを着た男が3人と手塚。男の一人が西の脚を撃った。轟音と共に鉄道が通る。焼けた棒を押し込まれたような激痛。苦悶にのたうち回った。
「ざまあないねセイさん。俺たちを散々見下してきたアンタが乞食同然に死んでいくんだからね。インテリ気取りで身分不相応な振る舞いを続けてきた報いだね」
「もう他にカネはないのか?」男の一人が尋ねた。
「それで・・全部だ・・」男たちは無表情だったが手塚だけは嗤っていた。
「何で俺がここにいるのかって?俺は元トップリーガーだよ。全て天皇陛下の為に戦ってきたんだ。陛下に逆らったアンタに天罰を下すのは日本国民として当然のことじゃないですか」再び銃を撃った。胸と腹に2発。今度は苦痛なんてものではなかった。
「笑えるねセイさん。目先のカネのために自滅してわざわざ俺たちに儲けさせてくれるんだからね。西先生も俺のことを信用して京子さんと結婚してくれっていうんだ。まあ京子ももうすぐ死ぬだろうから結局は西先生の遺産も全部俺のものってことだね」
「手塚・・」怒りに打ち震えていたが声が出ない。
「あれ、泣いてんの?散々他人をバカにしてきたセイさんも自分が死ぬのは怖いんだ」手塚は笑いが止まらないようだった。目がかすんで寒気がしていた。震えが止まらず意識も朦朧としてきた。
「ただのホームレスの変死体として処理されるから」手塚は冷めた口調で言い放った。
「もう動けないだろう」男たちはブルーシートの部屋を出た。
高3の受験直前、ダチがバイトしてた駒込のしけたバー。ある日立ち寄ると店長と従業員の中国人の女がSEXしていた。手招かれるままにシャブを打たれた。女の上で夢中で腰を振った。何度果てたか分からない。数回通った後店長は死んだ。心臓麻痺だった。女は店のカネを持って逃げた。二度とその店には行かなかった。受験中も浪人中もシャブが欲しくなるとエフェドリンの入った喘息薬をボリボリかじった。次第に眠れなくなり浪人受験にも失敗して精神病院に入った。なぜ思い出したのか。なぜ思い出せなかったのか。
もう西に意識は無かった。
都心にあるキャンパスの本館と2号館の間のベンチは殆ど一日中日影のままだ。中野と池田はタバコを燻らせながら何と無く本館と2号館の間を行き来する学生たちを眺めていた。中野も池田も加藤も最終的には西に騙された被害者の扱いになり詐欺については不起訴。消費者金融には西が既に完済していた。大学は今後共産主義者とは関わらないことを条件に停学プラス補講の処分になった。3人共中堅商社にSEとして就職は内定していた。
「なあ」池田が切り出した。
「もし西さんの狙いが嵌って俺たちも一緒に革命を起こせてたら今頃どうなってたんだろう。西さんの考えは悪だったんだろうか。少なくとも俺たちは一時でも夢を見られたな」
「考えないことだ」中野は首を振った。
「もう考えるな。俺たちは従順な労働者として死ぬまでこき使われる人生なんだ。多分それが一番長生きできる方法。支配者階級が支配者であり続けてるのは多分理由があるんだ。俺たち貧乏人の全てをコントロールしている。そういうシステムがもう出来上がってる。天皇陛下万歳。自由民主党万歳。資本家から僅かな賃金を頂いてありがとうございます。それが俺たちが生き残れる唯一の道なんじゃないかな」
本館の前には機動隊の護送車が止まってる。まるで何かに向かって威圧しているように。
ときどきこちらの様子を窺ってるガタイのいいスーツ姿の男がいる。公安警察だと聞いた。
「そういえば中野。マルクス経済学取ってたろ。期末のレポート提出したか?」
「書いた。「超大国アメリカの没落と世界経済の多極化と資本主義の限界について」だ」
「ハハ、それを書いてる俺らも採点してる教授も結局、資本家から給料貰って生きていく以外に生きのびる方法を知らない人間なのにな」
「考えるな」また中野は首を振る。
「そうだな」池田はマルボロを根元まで吸っていた。昔は確か200円。これもいずれ500円、1000円となっていくのだろう。今日も搾取され続ける糞ったれな人生よ!




