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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

Deadly Tag

作者: 久蔵伊織


 

 奥深い森の中を、癖毛頭が遠退いていく。明るいキャメル色の髪が夕焼けに輝いていた。綺麗だな、と思う一方で、血に塗れたその髪を見たい。

 彼は子どもで、当然小柄だ。掻き分けていく雑草よりも背丈が低い。

 ……想定以上に足が速いし、小さい故に的も狙い難い。

 

 僕はボーガンを構え……しかしまだだ、と自制する。


 ちら、と彼が背後の様子を窺った。

 にっこりと笑んでみせる。


「Hide and Seek!!」

 

 僕は叫ぶ。吠える。威嚇する。怖がる獲物は見ていて飽きない。

 しかし彼はただ前を向き、走ることに専念した。存外肝が座っているのか、それとも恐怖のあまり、か。分からない。

 明確なのは、僕が鬼で、彼が獲物だということだ。




『Deadly Tag』



 森の匂いは死の匂いだ。

 生きものが死に、芽吹くところ。

 森林浴、などという巫山戯た概念が蔓延る世はどうかしている。


 此処は僕の狩り場。知り尽くしている。地の利は当然僕にある──のだが。


 ──見失った。


 何ということだろう。

 身体能力に優れた子どもだとは知っていた。狙う獲物の調査は事前に済ませておくのが、狩人の務めだ。そう習った。だからそうした。「──テディ。そう呼ばれてたっけね、名前」

 テディ。嫌でも世界一幸せな熊──テディベアを連想させる名だ。

 熊。熊か。

 この森にはグリズリーが出る。しかも子どもが産まれた後の頃合いだ。母熊の気は立っている。もしかしたら僕よりも熊の牙──爪かもしれないが、そちらに掛かって死ぬという可能性もあった。それはそれで自然の摂理だ。弱肉強食。狩るもの、狩られるもの。

 人は生態系ピラミッドの頂点にいる。そう信じ込んでいる。自身が狩られる立場になるというものをまるで想像していない。──想像外の出来事が降りかかった時、人間は凄まじい顔をする。或いは間抜けで、滑稽極まる顔を。命乞いをして、逃げ出して、そして僕に狩られて、お終い。

 初めは娼婦を拉致して、逃がした。直ぐに狩れた。あっさりと終わってしまったので、こんなものかと拍子抜けしたし、落胆した。次はホームレスにしてみた。結果は大して変わらなかった。僕の腕が勝ちすぎている。ならばステップアップしなければならない。女から男に変えてみたり、身体を鍛えているのを選んでみたり。

 そして僕はある日見つけた。

 TVの中で、拳を掲げる男を。

 それは人類最強と謳われるファイターにして、実業家という異色の人物だった。

 最高の、最強の獲物だ。これを逃す手は無かった。流石にこれまでのように拉致するのは難しい。ならば──僕はその息子に目を付けた。息子は幼く、まだ4,5歳で、獲物にするには少々面白みに欠けるが……釣り餌には十分過ぎる。息子を囮に、最強の獲物を狩り場に誘う。 

 良い計画だ。折角なので息子も狩って、生きたままに細切れにしてばらまき、本命の獲物を踊らせるのも楽しい。息子を捕まえて片耳を切り落とし、贈りつけてやろう。

 ──という計画に早々と狂いが見え始めた。

 子どもに容易く逃げ切られた。

 彼が駆け抜ける際に折れた枝、踏みつけた草。そうした痕跡を追い続け──着いたのは湖だった。足跡は、湖に向かっている。幼児の体力で、泳ぎ切れる程小さい水場ではない。時々釣り人が転落して溺れて死ぬこともある。 双眼鏡を取り出し、周囲を確認する。湖には浮かぶ死体もない。

 では何処に?

 もう日が暮れる。僕も野営の準備をしなければならない。森のそこかしこに簡易テントを備えたポイントがある。そこに移動し、食事と睡眠を摂り、英気を養わなければ。

 子どもが何処に逃げたのかは分からない。それは懸念事項だが、まだ焦る時ではない。

 僕は獅子王の気分で最も近場の野営場所に向かい、火を起こした。そしてテントを組み立てようとして、見つけた。

 広げたテントにはでかでかと、ペンキでこう殴り書かれていた。


『Hide and Seek』


 ──かくれんぼ。

 子どもでも分かる単語。子どもだからこそ慣れ親しんだ単語。拙い文字。おそらく、ペンキ缶に手を突っ込んで書いたのだろう。冗談のように、子どもの悪戯のように、ぺたりと手の跡が一つ、付けられている。

 僕は初めて──興奮した。恐怖した。

 一体僕は何を狩り場に連れ出したのか。

「はは、ははははは!」

 笑いが止まらない。こんなに楽しい狩りは生まれて初めてだ。何という愉悦だろう。

 あの子どもは──小さな化け物だったらしい。怪物退治というのも乙なものだ。何だか自分が正義の味方のような気さえしてくる。

 僕はそのまま落書きのテントを組み立て、

寝袋を広げて、わくわくとした気持ちのままに寝入った。



 *****



 テディは知っている。

 風の読み方、天気の読み方。人の居るところ。獣の居るところ。食べられるもの、飲める水。全てこの目と鼻と耳が教えてくれる。

 あのおとこのひと、とテディは思う。

 変な匂いをしていたから、何かな、と思っていたら、口を塞がれた。そしたら眠くなった。多分、何かのお薬。

 そして車で連れてこられて、放されて。

 テディは、むふーと息を吐く。

 これは狩りだ、とテディは知っている。

 ライオンが鹿を狩るように、あの男の人もテディを狩ろうとしている。食べるのかは知らない。でも食べられてやらない。テディは跳ねて逃げるばかりの鹿ではない。

 だからテディは、



 *****



 僕は飛び起きた。

 焦げ臭い。そして──熱い。

 目の前が真っ赤に燃え上がっている。

 ──何が起きた!?

 混乱の極みの中、這々の体でテントから逃げだす。

 夜目の中で勢い良く燃え上がる、テント。

 呆然とした。

 火は消しておいたはずだ。延焼するわけがない。

 どうして、と呟いた瞬間、僕の頭に何かが当たり、地面に転がる。


 それはジッポライターと燃焼促進剤の空き缶。

 僕が火を起こす際に使用した物。

 それを獲物の方が使うなんて──!!

 怒りが沸いた。

 たかが獲物如きが僕の物を掠め取り、使った。

 分かっている。自覚している。

 僕は、してやられた、のだ。 

 相手を軽んじていた。逃げ隠れが上手い、子どもだと。

 僕は唸りながら、直ぐさまボーガンを構えようとして──そちらも無くなっていることに気が付いた。

 咆哮する。

 腹が立って、腹が立って、仕方がない。

 先を行かれている。読まれている。

 何てことだ。


 そして、


 ひゅん、と馴染みきった音が空気を切り裂いて、


「え」


 僕は腹部の激痛に膝をついた。

 痛い。

 焼けるように痛い。痛い。痛い。何故こんなに痛いんだこんなことなら死んだ方がマシだ嫌だ死にたくない。

 

 ざ、と草を掻き分け現れたのは、キャメル色の癖毛頭。

 子ども。テディ。顔も手も足も、服も、土や泥で汚れていたが、その表情は決して暗くない。そして何より、片手に下げたボーガンに目を奪われた。

 ボーガンで、撃たれた。

 僕は漸く事態を飲み込んだ。血の塊と共に。

 彼は子どもらしい瞳のまま、僕をじっと見つめている。翅を毟った蝶を見つめる子どもの目で。

 不意に彼は視線をあらぬ方向へ向け、そして、しぃ、と立てた指を唇に。その唇が裂けるように笑みを形作る。

「Hide and Seek」

 囁き、身を翻して闇夜へ消えた。


 代わりに聞こえるのは、獣の唸り声。



 ──グリズリー……!

 


 僕は地面に転がったまま、一つの獣としての、当然の帰結を迎えた。



*****



 テディは知っている。


 おねえちゃんが、そこにいる。

 シッターをしてくれたお姉ちゃん。突然いなくなってしまったお姉ちゃん。いなくなる前に、偶に違う匂いをさせていたお姉ちゃん。違う匂いは、誰かの匂い。それが、あの男の人の匂いだった。だから、テディは。

 走る。走る。

 森は、生きている匂い。

 森は、死んでいる匂い。

 知っていたはずの匂いの下へ、走って、走って。

 



*****


 地元警察が行方不明の少年を見つけた際、彼は泣いていた。

 怖がって泣いているというよりも、悲しんでいた。

 彼が掘り起こしたらしい土の間から、女性の腐乱死体が見つかった。

 少年の話では、『サラおねえちゃん』だという。サラ、という女性は、サラ・ジョーンズ。少年のシッターであり、現在行方不明者とされていた女性だった。

 彼の掘り起こした場所、その周辺からも同様に幾つもの死体が発見された。


*****


 地元警察は一頭のグリズリーを射殺したという。

 その巨体を解剖した結果、人間のものと思われる未消化の内臓や骨の一部が見つかった。 

 DNA鑑定の結果、男性の身元は判明したが、彼の家を捜索したところ、多くの殺人の証拠が発見された。先日の複数の遺体との関連を調べているという。



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