後生ですから、お嬢様にニンニクをあげないでください。
「ひょっとして、よく焼けばまだ食べられるんじゃないの、これ」
かつて紅い刺身だったソレを指して、白い髪の少女はそう言った。
「口に含んで咀嚼するまでは"可能"でしょうが、胃袋に入ってから先は保証しませんよ」
両手に青いビニール手袋をつけて、黒い髪の青年はそう言った。
「この色ならまだ大丈夫よ」
「食べるならお嬢様だけにしてください。ボクは遠慮します」
「あら。じゃあ遠慮なく、お夜食にするわ」
言うが早いか、著しく変色した箇所を素手で取り除き、比較的鮮度の良い部分だけを持って台所へと向かう。
青年はそれを横目に、自分の"作業"を黙々と進めていく。
「ねぇ、コンロもカマドも見当たらないのだけれど、この国は火でお料理しないの?」
「ああ、それは多分IHですね」
「あいえい、ち」
初めて聞いた単語に、お嬢様と呼ばれた少女は目を丸くする。
「電気式なんです。マルに棒を突き刺したようなボタンが近くにあるでしょう」
「あ、あった」
ピッと高く通る音が1DKのアパートに響く。
「フライパンはわかりますか」
「馬鹿にしないで、本来は武器じゃないことくらい知ってるわ」
「そうじゃなくて、IHには専用のフライパンが必要なんです」
腰を上げて青年も台所へと向かい、近くに転がっていたフライパンの裏側を確かめる。
使い込まれて年季が入っているものの、汚れを水で流せば充分使えそうだった。
「大丈夫そうですね、これで」
油を引いて塩でも振って、と言いかけて
「……本当に食べるんですか」
念のため確認をすることにした。
「いのちは無駄にできないでしょう!?」
「健康も無視できないでしょう!?」
少女が素手で掴んで離さないソレは、少なく見積もって数時間、長ければ半日以上は夏の室内で放置されているシロモノだった。
「大丈夫、ちゃんと熱はしっかり通す。
お刺身だからほんとうは生で、大好きなニンニク醤油でおいしくいただきたいけど、わたしはしっかりものだから、ちゃんと熱はしっかり通す」
「気分が悪くなって体調を崩しても、奥様のお屋敷にも病院にも連れていけませんよ」
「大丈夫、そのときは、お水をたらふく飲んでどうにかするから」
青年は深くため息を吐く。
「お嬢様。アナタはこの国に来て日が浅い。ボクも帰国は久しぶりで、知人や親戚も殆ど居ない。ボクとアナタの戸籍は偽造に時間がかかってまだ完成していない。この状況で、ソレを食べるリスクを考えてみてください」
少女はそれでも何かを言おうとするも、握りしめたソレを見つめ、少しだけ眉間にしわを寄せる。
「……わかった、わかったわよ」
「わかればいいんです」
「ミディアムじゃなくてウェルダンにする」
「お嬢様、そこに正座なさい、正座、早く、ナウ、ハリーハリーハリー」
なぜ言葉が通じるのに会話は成立しないのだろう、と青年がやや辟易としたとき、
「――――あれ、お嬢様」
「ん? 何よ」
青年は、ひとつの違和感を口にした。
「お嬢様は吸血鬼なのに、ニンニクは平気なんですか?」