第9話 帰り道
僕は家へと向かう道を、ゆっくりと歩んでいる。
右手には年期の入った家が並んでいる、新しめの家もちらほらと。
左手には少しの畑や田んぼが広がっていて、夏の夕暮れに青々とした草木が生きている。
そんなどこか懐かしい風景も忘れるほど、僕の頭の中は先輩のことでいっぱいだった。
とりあえず今まで知っていた先輩のこと。
美人。元気いっぱい。笑顔。
そして今日知った先輩の事。
転校経験豊富。自分の笑顔を知らない……?
理想のような女性に思っていた。
でも現実はそうじゃないのかもしれない。
よく考えると最初の出会いの時の先輩はとても寂しそうな表情していた。
その絵を描いた僕。
本当は先輩はそっちの絵を描いてほしかったのかも……。今になって考える。
……。
あぁ、もう考えれば考えるほどよくわからなくなってくる。
そりゃ誰だって人に言えないことや、話す人によって表情を変えることもあるだろ。
別に普通のことだ。
でもやっぱりあの一言が気にかかる僕。
先輩の考えが全然読めてこない。
……。
考えれば考えるほど海に潜るような感覚。果てがない。
とにかく僕は、先輩のことをもっと知りたい。
うまく話せるかどうか、聞き出せるかどうかは分からないけど……。
できる限り頑張ろう……。
「おいヒカゲ!」
背後から突然、不快な声が僕の思考を遮って耳に入ってくる。
僕の頭の中が、黒い靄のようなものであふれる。最悪の気分。
とっさに入った肩の力と共に、その声の方へ首を振り向ける。
「やっと気づいたのかよ」
そこには飯崎がいた。
飯崎は乗っていた自転車を乗り下りて、僕へと近づいてくる。
「乗ってけよ」
飯崎大助……。嫌な奴。
本物のクズ。こいつだけは許せない。
そんな敵意を顔に表す。
「なんだよその顔。……こえーよ」
「別に。そっちこそ何」
「何って……。帰り道に友達がいたら普通話かけるだろー」
教室では浦塚と山口の腰巾着で僕のことイジメてくるくせに、二人きりの時は馴れ馴れしく話しかけてくる。マジどんな思考回路してるんだ。
「これいい自転車なんだぜ。速いし。漕ぐのもかなり楽。マジ必死に金貯めて買ったからな〜! 乗らないと損だぞ?」
どうでもいいし、普通のママチャリにしか見えない。
とにかく変に関わりたくない。今日は早く家に帰りたい。
「おい無視すんなよ~。そんなだからヒカゲとか言われるんだぞ」
ヒカゲはお前が中学の時言い出したんだろ。死ねよ。
「もっと愛想よくしたら? そうすりゃ扱いもマシになんだろ」
「イジメてる側が言うことかよ」
ボソッとつぶやく。
「あのなぁ……」
でた。飯崎の得意技。知った風に口を利き出すぞ。
「イジメとかいうけどな……。元々はお前が覗きなんてするからだろ。それに対する罰みたいなもんだよ。お前に真人間になってほしいんだよ」
何が罰だよ。偉そうに。
中学の時からだ。お前が僕を変にイジり出すから、その流れができてしまって、めんどくさい絡みを受け続ける羽目になったんだ。
その時のことは絶対忘れない。恩知らずのクズ野郎。
「覗いてねーし」
「じゃあなんだよ」
「……別に」
「反省してんのか?」
「反省とか……意味不明」
めんどくさい。もう無視しようと思い少し歩む速度を速めようとした。
「……まあでも。こっちも……ちょっとやりすぎたかもな」
……。
なんだよこいつ。
無視しようとしてるのに。
「その……。絵、破いて悪かったな」
なに言い出してんだよ。
「今更謝るなよ」
ほんと……。めんどくさいやつ。
「まあでもさ、もう蒼井さんとは関わらない方がいいぞ。これに懲りたら」
「……なんでだよ」
「よくねーって。蒼井さん、島さんと付き合ってんだってよ。マジやべーぞ」
「誰だよそれ」
「島さんしらねーのかよ。3年の先輩。ここらで知らねー人いねーくらい凄い先輩だぞ?」
マジどうでもいい。
よく教室でバカ共が誰がどうとか、どの先輩がすごいとか自分のことのように騒いでるけどマジで全く興味ない。
ほんとくだらない話題。それぐらいにしか感じていなかった。
でも……その中でも一番の有名人らしいやつと先輩が付き合ってる?
その話がショックだった。
「まあ島さんだったらしょうがないよなー。運動もできるし、頭良いし。マジやべーよ。そりゃ蒼井さんみたいな美人も彼女にできるよなー。あ~羨ましいわ~」
聞いてもいないことをペラペラと得意げに話し始める飯崎。
「島さんの彼女が覗きにあったなんてなったら示しつかないじゃん? だからちょっと周りも熱くなっちゃったんだよ。ほんとごめんって」
示すとか示さないとか、意味不明すぎる。それに流されるこいつも死ねばいいし、島ってやつはどうでもいい。それよりも先輩のことで頭がいっぱいだ。
先輩ほど綺麗な人だ。恋人ぐらい簡単にできるだろうとは思っていた。
それでもこんな僕に付き合ってくれていることにとても感謝している。
そんな先輩が実際付き合っているって知るとやっぱり……。
「あれ? まさかショック? 好きだったとか?」
異性としての感情はないといえばウソかもしれないけど……。
付き合いたいという気持ちとはまた違う。
そんな直接的な表現じゃなくって……。
なんとも言えない複雑な気持ち。うまく表現できない。
「まあ元からお前には届かない花だったってことだよ。なんていうんだっけ? こういうの。お前には高い花! だな!」
嫌味ったらしく飯崎。
まあでも情報源はこのバカな男だ。
完全に信用できるわけじゃない。
けど……。
先輩に直接聞いてみるか? いやいや……聞けるわけない。
なんだこのもやもやした感じ。一気に心苦しい。
「とにかく忠告はしたからな。もう覗き見はやめろよ。」
「……やってねーし」
覗き見も何も、本人公認で書いてます。
とてもじゃないけどこいつには言えない情報。
余計めんどくさいことになるのは目に見えている。
これ以上変なこと突っ込まれたくない。無理やり話題を変える。
「そういや何で一人で帰ってんの」
「ん? 別に、何でも」
こいつ、相変わらず人のことはべらべら話す癖に自分のことはあまり話そうとしない。
どうせ浦塚は飯崎を置いて山口とでも遊びにでも行ったんだろう。
所詮その程度の存在ってところ。飯崎はそれを知られてないとでも思って隠してるんだろう。
まあ僕にとってもこいつのことなんてどうでもいいんだけど。
しばらくの沈黙。
別に気にならない。気まずくもない。
僕は早くこの時間を終わらせたい気持ちから早足になっていく。
その歩幅に合わせて飯崎も早足になっていく。
「なんかさあ……。二人で帰るのも久しぶりじゃね?」
「……そうだっけ。覚えてない」
覚えてるよ。昔は仲良くて、いつも遊んでたから。
そんな関係を崩したのもお前だろ。
でも今はめんどくさい。忘れたふり。
「いつからだろうな。一緒に帰らなくなったの」
「……小学校の時だよ。覚えてないのかよ」
飯崎のその発言に冷静さを少し失う僕。せっかく忘れたふりしてたのに、言わなくていい余計な一言。
「……あんまり」
僕の一言に、飯崎の表情が少しだけ曇る。そんな顔を隠すように明るい口調で話しを変える。
「小学校の時ってさ、楽しかったよな~毎日。何でだろうな」
「さあ。……それ、今は楽しくないってこと?」
少し眉を顰める飯崎。
「いや、楽しいよ。そういうお前はどうなんだよヒカゲ」
「さあ……」
「なんだよ。まあ、根暗のお前には楽しいことなんて無いのかもな」
知った風に。むかつく。
「あるよ。楽しいことぐらい」
「じゃあ何?」
「……。絵描いたり」
「暗いな~。やっぱり」
「うるさい。いいだろ別に」
飯崎に憎たらしい笑顔が少し戻る。
「あっ! この道」
飯崎が狭い路地を指さす。
「なに?」
「覚えてねーのかよ」
「覚えてない」
二人で探検した道だろ。どんどん奥に行って……。
「一緒に探検しよーって奥まで行ったら山まで行っちゃって、夜まで帰れなくなって、親に死ぬほど怒られたやつだよ。なつかしー。真守、途中で帰りたいって泣いてたっけ?」
「泣いてねーし。てか泣いたのお前の方だろ」
「やっぱ覚えてるじゃん」
飯崎の笑みに自然と顔が緩んでいってしまう。
それを隠すために、顔をうつむける。
「……僕が泣いたのは家に帰ってからだよ」
「怒られたからだろ? 二人とも大泣きだったよな」
「違う。家に帰れた安心感から」
「そうなの? そうだったか~」
「変なこと思い出させるなよ」
「たまにはいいじゃん。あ~、そういや最近泣いてないな。大人ってさ、泣かないよな。なんで?」
「さあ」
そんな昔話に花を咲かせていると、すぐに各々の家への分かれ道にたどり着いてしまう。
ふと、昔の癖からなのかそこで足を止めてしまった。
昔はここで別れの一言を交わしてから帰っていたのを思い出したからなのか。
すぐに自分の家へと向かうこともできたが、それを思い出し足を止めたのは自分一人ではなかった。
飯崎は少しぎこちない感じで言った。
「じゃあ、また」
「……うん」
僕は小声でそれに答えた。
飯崎は自転車にのって、もう一方の道へと進んでいった。
いつもなら飯崎に絡まれると、すぐにでも去りたい気持ちでいっぱいになるのだが、今日は不思議とそんな感じも薄れていた。
飯崎を背に家の方へ向かっていると
「真守!」
背中越しに僕の名前を呼ぶ声が聞こえ、僕は振り返った。
「その……。なんていうか……。恭二にも、もうやめるよう言っとくよ。悪かったな。」
そう言って飯崎は、自分の帰り道の方へ去っていった。
あいつも昔を思い出して、なにか思うところがあったのかもしれない。
救いようのないバカだと思っていたが、すこし見直そう。
まあなんにせよこれでイジメもマシにはなるだろう。
すこし気分も晴れてきた感じ。
いつの間にか赤く染まっていた日差しが、飯崎の影を伸ばしていた。
伸びた影は少しずつ、僕の視界から離れていく。
ヒグラシの声が、別れる二人を見送るように響いている。