第25話 終業式
チャイムが鳴る。
小さな体育館に詰め込まれた全校生徒たちの雑談が重なり合って、かなりの騒がしさになっている。チャイムの音程度では静めることは出来ない。
ゆっくりと舞台の教卓へと向かう校長先生の姿なんて僕以外誰も見ちゃいなかった。
校長は教卓のマイクに向かって数回の咳払い。
そんなことはお構いなしと、雑談は続いている。
ついにはしかめっ面の教頭先生が手持ちのマイクで静かにしなさい、と注意する。
教頭の言葉に、ボリュームを絞るように段々と小さくなる雑談たち。
教頭は少し呆れたような顔。
しょうがないよ。
皆、今日が来るのを待ちに待ったんだ。
少し騒がしいくらい……。
教頭が、マイクに向かって語り始める。
「それでは、終業式を始めたいと思います。まずは校長先生のご挨拶から」
蒸し暑い体育館に詰められて、校長先生のどうでもいい長い話を聞かされ続けるこのイベント。
まさに地獄のような時間。最悪。
その暑さは容赦ない。
半袖のシャツから出た腕でさえも熱に包まれて汗ばんでいる。
これじゃ長袖と変わらない。
襟元をバタつかせるも、熱気に包まれた体育館では涼しい風など起こるわけなく、余計な運動で暑さが増すだけだった。
校長は教訓めいたことを言っている様だが、全く頭になんて入らない。
教頭を見る。
真剣な面持ちで要所要所で頷いている。
どこまで真剣に聞いてるんだろうか。そんな疑問。
まあでもこんな無駄な集会、だれも望んでないだろ……。早く終わってくれ。
いつもならそう思ってただ耐えていただけだろう。
でも今の僕には、成し遂げたという少しの達成感のようなものがあった。
心の余裕があったんだ。
テスト週間から夏休みまでのこの日々。
本当に長かった。
今まで体験したことのないような試練の日々だった。
初めてのことだらけで。上手くいかないことだらけで。
でも僕はそれを乗り越えることができたんだ。……なんとか。
そもそも先輩と出会わなければこんな不幸には巡り合わなかっただろう。
でも、先輩がいてくれたからこそ立ち向かうことができたんだ。
先輩のお願いからはじまったこの関係……今日で終わる。
いや、一区切りつけるだけだ。
今日こそ書き終わらせて、先輩を喜ばせたいんだ。
……喜ぶかどうかはわからないけど。
先輩の、何か手助けになれれば……。
「え~夏休みはとても長い期間ですので、え~なので遊ぶことも大事ですが、勉学にもしっかりと励み、長い期間を有効に……」
校長の無駄話はまだ終わりそうにない。
このスピーチは自分で考えているのだろうか?
前日までに必死になって?
誰も聞いちゃいないのに……。
というか何回か同じ言葉繰り返してないか?
……別のことを考えよう。
激動の日々だった。
まだまだ整理しきれていないことだらけ。
昨日を思い返す。あれから大変だったなあ……。
家に帰った後だ。
僕のボロボロになった姿を見た家族。
その後の大騒ぎっぷりはもう想像通り……。
母さんは「大丈夫!? どうしたの!?」と泣き叫び。
父さんは「警察! いや、救急車……!」とオロオロ。
茉莉に至っては放心状態。
とりあえず落ち着いてもらわないと……。
「大丈夫だって。本当……終わったから」
「大丈夫って……そんなわけないでしょう!」
「父さんが、父さんがしっかり助けてれば……!」
騒ぎすぎだろ……。
「もう終わったって! ……心配かけたのは悪かったけど」
僕は冷静に話して、家族たちをなだめる。
それでも大騒ぎは止まらない。
まったくどっちが子供なんだよ……。
「あのさ……。大丈夫だから聞いてよ……」
なんか急に照れ臭くなって少し口ごもる。
でも、これだけは伝えとかないと……。少しの勇気。
「今回は僕だけで解決できたから……。でも助けがいるときは……またお願いするから」
ダメだ。やっぱり照れが先行してしまう。
僕は顔を隠して急いで階段を上り、自分の部屋へ駆け込む。
両親にこんな素直に話したのもいつぶりだろうか……。
やはり照れの気持ちがすごい……。
顔が熱い。真っ赤になってるかも。
とりあえず落ち着け……落ち着け……。
「真守!」
落ち着く暇もなく、父さんが蹴破るように勢いよく扉を開いて入ってきた。
「な、なんだよ……!」
「とりあえず病院! 病院行くぞ!」
僕の腕を引っ張り連れ出そうとする。
「い、痛いって!」
「あっ、ごめん……!」
慌てふためく父さん。
「父さん、落ち着いてって……」
「あぁ……悪い。……父さんに今、出来ることをさせてほしいんだ。」
……父さんはあの時、僕のことを信じて何も言わないでくれた。
僕を信じて送り出してくれた。
でも実際にボロボロになった僕を目の当たりにして罪悪感でいっぱいになったんだろう……。
父さんの気持ちも分かる。
本当に心配かけたと思う。
だから今回は父さんに助けてもらおう。
「外で待ってるから……車出してよ」
そして、父さんの運転で病院へ。
顔や体中、湿布やらガーゼやら包帯やらに包まれて帰宅……。情けない姿……。
そこでもう一つの心配事が。
次の日の学校だ。
こんな姿見られたらどんな反応されるのだろうか……。
またイジメられる? からかわれる?
ドキドキのまま学校にたどり着く。
そして3年の教室の前を通る時だ。
「……いやマジでヤバかったよ!」
あの声が聞こえてきた。聞くのも不快なあの声。
島のニヤけ混じりの声だった。
「でさー、その女の子助けようと思ったら逆にやられちゃったよ。やっぱ無理無理!」
「マジ? やばすぎねえ? 絶対それヤクザだって」
「怖いー! 大丈夫なの?」
チラッと島の姿を見る。友人たちに囲まれた島、その顔は痛々しいまでにガーゼや包帯まみれになっている。
僕と同じように……。嫌な共通点。
島もこちらに気づき、目があった。
やばいっ! そう思って目を逸らそうとしたが、僕より素早く島の方が先に目を逸らした。
「まーそんな感じ。もういいだろー。あんま知りすぎるとロクなことなんねーぞ」
島はそのまま友人たちを置いて、教室に入っていった。
「ヤクザきたら俺、全部喋っちゃうかも」
島を追いかけて教室へと入っていく友人たち。その中に先輩の姿はなかった。
とりあえず島のことはもう心配しなくてよさそうだ。
僕の中にあった1つの不安が取り除かれた。
次は、もう1つの不安だ。
階段を上り、自分の教室の前にたどり着く。
いつものごとく、教室の扉に近づくにつれドキドキが増していく。
そして勇気を出して扉を開いた。
全員の視線が僕へと集まる。
うっ……。
激しく動いていた心臓が縮み上がる。
何を言われるんだ? やめてくれ……。
しかし、みんな僕のことを一瞬見るだけで、すぐに目の前の友達との雑談を再開した。
これはあれだ。例のやつ。
誰が入ってきたか確かめるだけにこっちを見るやつ。
そして、なんだこいつか……と、目線を戻す。
この一連の対応が、今の僕には新鮮だった。
絶対にからかわれると思った。
ただでさえイジメられているのに……。
そう考えていた僕だけど、目に入った飯崎の姿を見て納得が付いた。
飯崎も僕と同じように、顔中に湿布ガーゼ包帯が。
「よっ」
こちらに気づいた飯崎は軽く手をあげて挨拶する。
そりゃそうだ、あれだけ殴られ蹴られ、ボコボコにされたんだ。
その姿を見た僕は思わず笑ってしまう。
そして僕の笑顔に気づいた飯崎も、つられて照れ臭そうに笑顔。
きっと先に飯崎が散々質問攻めにあったんだろう。簡単に想像できる。
でも今、飯崎の周りに誰もいないことを考えると、何も話さないし、何も聞くな。そんな感じの対応だったんだろう。誰も深くは突っ込まない。
それは僕に対しても同じだった。
良い意味で相手にされない状況に妙な開放感を覚える。
その開放感の原因はそれだけじゃない。
ざっと教室を見渡すも浦塚の姿はなかった。
山口も不機嫌そうに
「なんか携帯つながらないんだけど……何なのあいつ」
友達に愚痴を漏らしている。
浦塚は自分より格下だと思っていた飯崎にケンカで負けたことで合わせる顔がなかったのか……。
それとも飯崎が何か手を打ってくれたのか……。
真相はわからない。
何にせよ、飯崎にはかなり助けられた。
今までは散々な目にあわされてきた。そして避けてきた。
でも、昨日は真正面からお互いの思いを正直にぶつけ合った。
些細なことで壊れてしまった関係、離れ離れになった僕たち。
そんな状態で衝突してしまったら、修復なんて不可能だって思っていた。
でも、あそこで衝突していなかったら、一生疎遠になったままだっただろう。
僕らの関係、このまま少しずつでも良くなって行ければ……。そう思う。
「~では、終業式を終わりにしたいと思います。全員、礼」
教頭の言葉に、思考は体育館へと引き戻される。
あぁ、やっと終わった……。
蒸し暑い体育館に詰められて参っていたのは僕だけじゃない。
「じゃあ出口に近い人から順に進んでください!」
出口が開かれた瞬間、外の爽やかな風が体育館内に吹き込んでくる。
風は汗ばんだ腕の熱を剥がしていくようだ。半袖の有り難みを感じる。
それが余計に外に出ることへの欲を高めていく。
生徒たちは先生たちの誘導も無意味に、我先にと出口に急ぎ始めた。
その騒ぎの中で色んな人の声が聞こえ始める。
「暑い~マジで!」「話ながすぎ!」「ちょっと寝てたわ~」
その中で人に押し動かされたままの僕。
皆の視線は出口へと集中している。
でも僕は違った。
僕の目線は今、三年生の集団の方へと向いていた。
……今朝から先輩の姿を見ていない。
チラッとでいいんだ。一目でも見たかった。
ちゃんと学校に来ているって安心感を得たかった。
人混みの中。
……でも、先輩の姿を見つけることは出来なかった。
大丈夫だ。この後すぐ美術室で会えるんだ。そう約束したんだ。
自分に言い聞かせる僕。
これも余計な心配かもしれない。でも心配性な僕は少し不安に。
どんなに勇気を出して自分を変えようとしても、この部分は変わらないんだろうな。
もしかしてこの心配性も遺伝なのか……。絶対そうだ……。
もう少しだ、もう少しで会えるんだ。
人ごみの中で、ただ耐えるだけの僕。
「それでさ~今日どうする」「夏休み楽しみ~!」「大丈夫! そんな暑くなかったよ~」
全校生徒の雑音の中。
その中で耳に透き通ったような声を見つけた。
聞きなじみのある、ガラスのような声。
先輩……!
その声の方へと振り向く。
体育館の中は人で溢れている。
先輩の姿を見つけることはできなかった。
でも僕の気持ちはすっかり晴れていた。
先輩の声が聞こえたんだ。
ということは先輩は学校に来ているんだ……!
やっぱり余計な心配だったんだ。
嬉しさだけが、僕の中に残る。
この後、教室で先生のつまらない話を少しだけ聞けばもう下校時間。
それさえ、それさえ終われば。
先輩に会える。
そして、先輩の絵を描き上げるんだ。
僕は今までにないくらいの晴れ晴れとした気持ちで終わりのホームルームを受けることができた。
結構浮ついた様子だったのかもしれない。
でもそれは目の前の夏休みが待ちきれない他のクラスメイトも同じ。
特に僕だけ目立つこともなかった。
その雰囲気を察したのか、先生も話を短く簡潔に終わらせてくれた。
「じゃあ話もこれくらいにして……。夏休み楽しんでこいよお前ら~! 後、宿題忘れたら補修だからな!」
チャイムが鳴る。
学校での夏が終わる音。
でも僕の夏はまだ終わらない。
僕は急いでノートや夏休みについて書かれたプリント類をカバンに詰めて席を立った。
「よう真守―。もう帰るのかよ」
軽く叩かれた肩を振り返る。
飯崎がよっと軽く挨拶するように手を上げていた。
「まだ帰らないよ」
「何、まさか居残り?」
「そんな訳ないだろ。美術室。先輩と」
飯崎は少し気まずそうに
「あぁ、それね。そっか……」
「飯崎は?」
「ん、別になんもないけどよ……」
「そういえば、島のこと……」
「……あぁ、もうあいつは手出してこねーよ。気にしなくて大丈夫だって」
「そっか。悪いな」
「いや……いいよ。元は俺のせいだしよ……」
少し気まずいような沈黙が流れる。
そして、飯崎は少し口ごもるように。
「あのよ……。別に邪魔するわけじゃないんだけどさ」
「うん?」
「後で……俺も行ってもいいかな? えと、美術室。いやっ全然終わってからでいいんだけどさ!」
その質問に、断る理由もない。僕は少しの微笑みで返す。
「うん、いいよ」
そしたら飯崎も少し嬉しそうに
「そっか……じゃあ一緒に帰ろうぜ! 自転車壊れちゃったしさ、歩きで一緒に帰るやついないし……」
飯崎の自転車、島にぶつけて大破したっけ。飯崎も大胆なことをする。
「そういや自転車、あの後どうしたんだよ」
「流石に勿体無いし、押して帰ったよ。で、今朝も乗ってきたんだけどさー。ガタガタなのなんのって。フレーム曲がっちゃっててさ。まともに乗れやしないし!」
そこまでなっても捨てず乗ってくることに相当な未練を感じる。
大切な自転車だったのだろう。すこし罪悪感はあるが、飯崎が楽しそうに話していることに救われる。
「なんか、悪かったよ……」
「気にすんなって! じゃあ後で美術室行くわ! あぁ、マジで邪魔しねーからさ! あのよ、ちょっと時間潰しとくわ!」
照れくさそうな飯崎はそのまま教室の外へと飛び出し消えて行った。
すぐに僕も美術室へ向かおうと廊下に出たときには、飯崎の姿は見当たらなかった。
なんか飯崎とこうして会話するのも変な感じだな……。でも嫌な気はしない。
なんていうか、全部が良い方向に向かって行っている。
そんな気がする。
辛いこともあった、何度も泣いたし痛い思いをした。
きっと今まで逃げ続けてきたツケが回ってきたのだろう。
でも、そんな壁に逃げずに立ち向かい、乗り越えたからこそ今があるんだ。
言葉にならない達成感というか、高揚勘というか。そんな感じ。
それもこれも、全部先輩がいてくれたからこそだ。
先輩も今……同じような気持ちなんだろうか。
まあ、この後すぐに会えるんだし、直接聞けばいい。
美術室へと続く廊下。
変わらず、いつも通り。昼前の強い日差しが校舎を照りつける。
窓の外には楽しそうに話しながら学校を出て行く生徒達が見える。
いつも通りじゃないことも。耳にイヤホンはない。
その夏休みへの期待の声がクリアに聞こえてくる。
校庭の方に目をやれば、部活の練習風景。
部活組は夏休みも練習だ、試合だ、で忙しいんだろうな……。
何かに熱中するって意外と大変。そう思う。
窓から見える光景を眺めながら、ゆっくりと美術室へ向かう。
途中、僕はある声が聞こえてくる。
「夏休みの活動どうするよー」
「先生なんも言ってなくなかった?」
「部長もやる気ないし何でもいいんじゃない~?」
やっぱり他の美術部員たちだ。
なにやら夏休みのことについて話している様子だ。
そういや僕も何も聞かされてないな……。一応部員なんだけど。
というか最近まともに部活にも行ってないし……。先生の顔も全然見ていないし。
まあ僕にとっちゃ別にどうでもいいことだ。
そう思って横を通り過ぎようとした時だ。
「あっ。日向くん……さ。夏休みは部活特にやることないから自由でいいってさ」
突然話しかけられたことの驚きが大きく、少しの返事と頷くことしかできなかった。
それを確認した部員たちは再び歩いていく。
えっと……。まともに話したの初めて……?
今まで話しかけられたこともなかったのに何で……。
あっ。そうか、イヤホン……。
……てか僕の名前知ってたんだ。
なんだかよくわからない変な気持ちになる。何とも言い難い。
でも不思議と嫌な気持ちはしない。
そうして、僕は僕の唯一の居場所へとたどり着く。
美術室。
ここから全部始まったんだ。
色々あって、今となっては僕だけの居場所じゃなくなってしまっている。
いい意味でだけど。そう思えることが嬉しい。
僕は美術室の扉をゆっくりと開いた。
教室の端っこに、椅子に座った後姿。
短い黒髪が揺れている。
こちらに気づいたのか、振り返って見せた表情。
そして聞こえる声。
「あ、真守君。来てくれたんだね!」
その先輩の表情……。
満面の笑顔だった。
急激に締め付けられた心臓。
……何でだよ。何でなんだよ。
先輩の表情。不自然なまでに自然な笑顔を見た僕は、再びモヤモヤした黒い気持ちに覆われてしまっていた。
全部、終わったんじゃなかったのかよ。
心臓の奥で、嫌な疑念が浮かび上がる。
まだ何があるっていうんだよ。
さっきの浮ついた気持ちから、絶望に叩き落された。




