第2話 ヒカゲ
チャイムが鳴る。
夏の日差しは容赦なく、僕らの教室を蒸していく。
カーテンを開けると風が入り少しは涼しくなる。が、直射日光に全身を晒すことになる。
そんな窓際のジレンマ。
エアコンがあれば一発で解決する問題だ。無いけど。
でも僕には関係なかった。
日も当たらない、風も届かない。教室の真ん中の列の一番前。
高校入学から3ヶ月ちょっと。この1年2組の教室ではそこが僕の唯一の居場所だからだ。
でも、欠点もある。
「明日からテスト一週間前だからなー。ちゃんと勉強しろお前らー」
「先生~、範囲狭めてよ~!」
「ダメだ! 甘くするつもりは一切ないぞ。……高校生になって一発目のテストだが、最初だからこそだ。気を抜くんじゃないぞ! ……聞いてんのか日向!」
……先生の目につきやすい。だからこそ、僕がこの席に選ばれる。
他のやつはこんなとこに座りたがらない。
人気はやっぱり最後列か窓際……特に窓際の最後列。
いつも取り合いになってるが僕には良さは分からない。座ったことないし。
別に興味もない。窓際で外を眺めながら思いに耽る気もない。
僕は先生に少しだけ目をやって、聞いてるフリのために軽くうなずく。
これが案外効果的。
先生の注意が僕から外れたことを確認すると、机に広げたノートをボーっと眺める作業に戻る。
授業内容をノートに写すことなんかせずに、ずっと考え込んでいるからノートは常に新品同様。
でも、何を考えているかなんて授業の内容と同じくらい覚えていない。
覚えてないということは……。どうでもいい内容なんだろう……。多分。
そんな無駄な時間を毎日。
「じゃあ、勉強はするように! 赤点とったら夏休みも補習だからなお前ら~」
先生はそう言い残して教室から出て行った。
それと同時に、暑苦しい授業から解放された生徒たちのしゃべり声が教室のあちこちで沸き始める。
「やっと終わったわ~!」「今日の磯貝、チョーキモかったな」
なんとなく聞き取れる会話。
足音、椅子を引きずる音、机にぶつかる音とか、色んな雑音が鳴り響く中、僕は急いでカバンの中からイヤホンを取り出す。
休み時間にはこれが必須アイテム。
そして誰にも悟られないようにイヤホンを耳にさし、机に顔を伏せる。
音楽は特に流さない、イヤホンだけ。歌とか全然聞かないから知らないし。
でもこうすると、周りの人の無数の声が篭って、微かな音に変わる。
音のないイヤホンで目を閉じているだけで、とても長い10分の休み時間は過ぎていく。
この時も色々考える……。
今日は、何を描こう。人物画……モデルがいない。
じゃあ風景画とか……やってみようか……。
でもうまく出来る気がしないし……。山に、田畑に、町に、空に、描くものが多すぎる。
遠近法とか何とかって……僕には無理だ。自然の色合いも難しすぎる。
ならやらないほうがいい……。
自分のレベルに合ったことをすればいいんだ。
今日も花瓶を描いていればいい……。
……ん?
後頭部に当たった何かが思考の中から僕を引っ張り出す。
別に痛みは無く、軽いものが当たっただけなんだけど……すごく嫌な予感がする。
イヤホン越しに聞こえる微かな音は、次第に鮮明になり、すごく不快なものに変わっていく。
一度意識してしまうと、嫌でも聞こえてしまう。
「恭二すっげえコントロールじゃん!」
腕の隙間から少しだけ見える床に転がる丸まった紙くず。
なるほど。あぁ……めんどくさい。
「ちげーわ! 教壇狙ったんだよ! くそっ!」
再び僕の後頭部にヒット。
恭二……浦塚か。飯崎とふざけてんだな……。
浦塚の席は、たしか僕の3つ後なはず。
そこから教壇狙ってやってるなら、どんだけコントロールないんだよ。まじうざい。
「っていいながらヒカゲに当ててんじゃんか~!」
今度は山口の笑い混じりの高い声。女の声はイヤホン越しでも通るから嫌いだ。
後、ヒカゲはやめろ。くそうざい。最悪のあだ名。
苗字が日向なのに暗いからヒカゲって……。
でも日陰者。そこは……否定できない。
「当ててねーって言ってんだろ! あーまじ磯貝もうざいし暑いしイラつくわ」
当たってんだろ。イラつくのはこっちだクズ。死ねまじで。
「だよなー礒貝うざすぎ!」
「お前、あいつ今度ボコってこいよ」
「いやいや。俺、恭二みたいに強くねーし。逆にボコられるって!」
飯崎のキモイ薄ら笑い交じりの声。
何でこういうときは時間が長く感じるんだろう。10分の休み時間が永遠にも思えてくる。
「ねーねー私。今日さ、服買いに行きたいんだけど~」
「いいね~! じゃーイオンいこう!」
「またかよ~……。まあ、暇だし行くか。おらっ!」
僕の頭に紙くずが当たった。3回目。
ノーコンすぎだろ……。ほんと迷惑。いちいち僕を巻き込むな。
「ちょっと、まじやめなよ~! いじめだよ~! ヒカゲかわいそうじゃん~!」
「あいつチビなのによく当てるわ~。やっぱ恭二いい腕してるって」
「だから狙ってないって言ってんだろ! 悪いなヒカゲ~」
山口も絶対僕のことをかわいそうなんて思ってないし、浦塚も悪いとは絶対思ってない。
そんなことは分かりきってる。
「お〜い。ヒカゲ〜聞こえてますか〜? 無視すんなって〜」
飯崎の一言が僕を更にイラつかせる。
「もっかいだけ……。おらっ! くっそ~あたんねえな~」
でも僕の頭にはしっかりと当たった。
「恭二マジ鬼だな~! ヒカゲ怒ったんじゃないの?」
「違うんだよ。もうちょい右なんだよ」
「はいはい。もーどうでもいいし早くいこー」
3人の席を立つ音が聞こえてくる。そして、教室の出口に向かおうと僕の席を横切る時、飯崎がまたしても絡んでくる。
「なぁヒカゲ、怒ってるよな?」
耳元で声がした。全身に鳥肌が。
僕を覗き込むように顔を近づけたに違いない。やめてくれ。
「おい、もういいって。流石にしつこすぎ」
浦塚の一言が、飯崎を僕から遠ざける。
でも助かったなんて思わない。最初に紙ぶつけてきたのはお前だろ。
その後謝罪の言葉なんて当然無く、彼らの楽しそうにはしゃぐ声はだんだんと遠くなっていった。でもこれでいいんだ。
仕方ない。
見る人が見たらイジメとか、なにか問題になるのかも知れないけど……。
そんな騒ぐレベルじゃないし。中学からずっと……変わらないんだ。
僕にすればいつものことだから、今更どこに行っても僕はこういう扱いなんだろう。
まじでうざい時もあるけど。それでもこの間、少しも動かずにずっと俯いたままの僕。
これでいいんだ。僕の居場所はこれだ。
ちょっと我慢してるだけで全て丸く収まる。何も問題なんてない。
そんなトラブルに巻き込まれた後も、休み時間の終わりを告げるチャイムは予定通り鳴り始める……のに、やけに静かだ。
走ったり椅子に座ったりの振動も感じられないし、先生もなかなか来ない。
不思議に思った僕は、伏せていた顔を上げ、前に向ける
そこには真っ黒な黒板だけが見える。
不思議に思いながらもイヤホンを取る。
しかし、何故か声が全く聞こえない……。
ゆっくりとあたりを見渡して初めて、僕は誰もいない教室に気づいた。
そうだった、次は移動教室の授業……。
やばい、遅刻だ。
かばんから教科書を引っ張り出し、慌てて教室を出ようとする。
でも慌てすぎたのか、足がもつれてしまい机を巻き込んで転倒してしまった。
かばんの中身や手に持っていた教科書が教室の床に散乱する。
はぁ……。ほんと情けない。
自分のダメさに絶望しながら僕はゆっくりと起き上がる。
そして倒れた机と散らばった教科書を片付始める中でふと、4つの紙くずに目が行く。
浦塚が投げた紙くずだ、別に僕にはなんにも関係ない。
あいつが僕の方に投げつけたからここに散らばってるだけだ。
というか僕は被害者だし。これを片付ける義理なんてない……。
なんて考えつつも、その後にはしっかりと紙くずをゴミ箱に運んでいる僕。
ほんと、情けない。まじで。
ため息まじりに僕は、空っぽの教室を後にする。
遅刻だし、先生に怒られるだろうし……。なにより目立つ……。死にたい。