第19話 引き裂かれた2人
叫びと共に、飯崎の拳が僕の顔の真ん中に叩き込まれる。
「美術室の時みたいにさあ! 言えよ! 怒鳴れよ!」
痛みに小さな悲鳴を上げる。
その場に倒れこみたかったが、飯崎は髪を掴んで引っ張り上げる。
「うぐぅっ……」
「おいおい飯崎。やりすぎだろ〜」
「すいません。でもこいつ、何回言っても聞かなかったんで、ケジメつけさせないと」
飯崎の拳が再び僕の顔面に打ち込まれる。
その勢いで体ごと吹き飛ばされてしまう。
「チビはよく飛ぶなぁ!」
「おいおい、あんま顔やったら後が面倒だぞ。まあ困るのはお前だけどな〜。先輩からのアドバイス。でもよぉ凪、まだ足りないよな?」
「あはは……」
「足りないってさ。聞いただろ飯崎」
やめろ。
これ以上、先輩を笑顔にするんじゃない。
「なんだその目は! 舐めてんのか!? ゴミがよぉ!」
僕の表情に反応した飯崎が、地面に伏せる僕の腹を蹴り飛ばす。
痛い。
でも先輩を助けないと……。
立ち上がってあいつをぶっ飛ばせば……。
でもそんなこと、出来るわけがなかった。
痛みで身動きをとることもままならない。
島どころか飯崎でさえも、僕には倒せることはないだろう。
「ちょっとでも凪と付き合えるチャンスあるとでも思ったか? あり得ねえんだよ! おい飯崎。蹴りいれろ」
飯崎の踏みつけるような蹴りがもう一発。
今度は少し逸れて、太ももへと直撃する。
その痛みは足に広がって、もう立つことはできない。
島は、倒れこむ僕の顔を掴み上げる。僕は島の目を捉えて離さなかった。
僕の目を覗き込んだ島は、段々と不満げな表情になる。
「凪。こっちこいよ」
先輩が島のところに小走り。
「こいつさ。まだ反抗的な目してんだよ」
そう言った島は直後に信じられない行動に出た。
先輩の体をぐっと引き寄せ、頭に手を添えて……キスをした。
挨拶程度の軽いものじゃない。
愛し合っている二人がするように。深いものだった。
先輩はそれを拒むでもなく、嫌な顔一つせずに受け入れた。
明らかに僕への当てつけだ。
見開いた島の目は、僕を見下す。
僕を徹底的に侮辱するように、二人の深いキスは続いた。
お願いだ……やめてくれ。
先輩。そんな奴と……。
お願いだから、嫌だと叫んでください。
そんな願いは、届かないと分かっていた。
分かってはいたけど、目の前の光景を受け入れることなんて出来なかった。
僕は潰れそうになるくらいの力で目を閉じて、漏れ出す嗚咽を喉奥に抑え込んだ。
しかし、目の前の現実は音となって僕の耳を侵し出す。
2人の絡む舌から、水の跳ねるような音が。そして、音に合わせて先輩の息遣いが荒くなり、小さな声が漏れ始める。
先輩の声は一秒、一秒立つたびに大きくなり、僕の頭の中に反響し始めた。
その時間は僕にとって永遠のように感じられた。
言葉では言い表せない不快感が、感情となって僕の目から流れ出す。
そんな僕のボロボロになった表情に満足したのか、水の音は収まった。先輩の息切れた呼吸だけが聞こえる。
そして島の嘲笑うかのような声がこちらに向けられた。
「おい飯崎。こいつのカバン開けろ。財布とれ」
飯崎は、僕のカバンを漁り始める。
ありましたよ、と財布を島に投げ渡す。
「なんだ全然入ってないじゃん」
中身を抜き取られた財布を地面に投げ捨てた。
「こんな金なんていらないけどよ。ま、けじめだな」
飯崎はそのまま、僕のカバンを漁り続けている。
やめろよ……。
声なんて上げることはできない。
飯崎は、カバンからイヤホンを取り出す。
「お前さぁ。いっつもいっつもいっつもいっつも……これで俺を無視しやがって。マジでムカつくんだよ!」
飯崎はイヤホンを力の限りで引きちぎった。
僕はもう、目の前の出来事に思考もままならないでいた。
そして飯崎はカバンの中から更に何かを取り出した。
「お前これ……何度も何度も警告したよな……それなのに……。まじで眼中にないんだな。俺のこと」
飯崎が取り出したものは、スケッチブックだった。
絶望しきったような飯崎の表情が僕に向けられる。
お願いだ。お願いだ。本当にそれだけは。止めてくれ。
お願いだ。
「なんだそれ?」
島がスケッチブックを受け取り、中身を見る。
「おいおい……なんだよこれ……マジか」
「こいつ、ずっと蒼井さんのこと覗いて、これ描いてたんすよ。それで、ついに手だしたってわけですよ」
「あぁ。前にそんなこと言ってたな。こいつが……いや、キモすぎだろ」
そう言って島は僕のスケッチブックを先輩に手渡した。
「な、こいつこんなの描いてるんだぞ。やばいやつだろ」
「ほんとだね」
「だろ? この絵、破けよ」
「えっ……?」
笑顔のまま固まってしまった先輩。
先輩がそんなことするはずない。
お願いです……。もう嘘は……。
「キモイから早く捨てろよ。」
蒼井先輩……。
先輩は悲しそうな表情を一瞬見せる。だが、一瞬で笑顔を取り戻した。
「……うん。ごめんね。気持ち悪いよね」
先輩は、僕の描いた絵を、自分自身の絵を破り始めた。
一枚一枚。今まで以上の笑顔で。小さな笑い声をあげながら。
でも僕には、泣き叫んでいるようにしか聞こえなかった。
何も知らない島は「いいぞ!」と囃し立てる。
破るたびに、その笑顔は強くなっていく気がした。
もう先輩は限界だ……。
先輩の気持ちも知らないで、こんな酷いこと……。
もう僕は耐えられない。
ついに絵は最後の一枚になってしまった。
その絵は特別なもの。
水に抱かれた先輩。
先輩が探していた自分自身の表情。
最後の一枚に手をかけ始めた瞬間に僕は目を逸らした。
先輩……。
もう先輩のそんな顔見たくないです。
一段と大きくなった笑い声と、紙の破ける音が、僕の心に深く突き刺さった。
もう、全てが真っ黒の絵具で染められたみたいだった。
それから目に入ったのは、地面に撒き捨てられた絵の破片だけだった。
「凪もやるな~! すげえいい顔してるし、スッキリしただろ!?」
「......そうだね」
その言葉も嘘と分かる。
でもそれが分かったからといってどうすることもできない。
そして、僕の目の前に飯崎が立ちはだかる。
「……もうお前学校くんなよ」
僕の顔を踏みつける。
「裏切者に居場所なんてないんだよ!」
何度も。何度も。
段々と荒くなる声と共に。
「死ねよ! 死んでくれよ!」
僕の目に涙が流れてくる。
「お前なんて生きてる価値ないんだよ!」
重い一撃が、僕の脳を揺らす。
「なんでまだ生きてるんだよ! さっさと死ねよ!」
視界がぼやけ、もうなにもできない。
「おいおい、やりすぎ。まじで死ぬぞ」
「……殺せるもんなら、殺してやりたいっすよ」
「殺したいってさ。凪、どうする?」
「あはは……」
「笑ってるけどさ、お前の責任もあるんだぞ。誰にでも付いていくやつが俺の女って広まったらどうすんだよ」
「あはは……ごめんね......」
「自覚もってくれよなマジで。じゃあ行くか、あと飯崎に任せるけどさ、マジ何かあったらお前責任とれよ。俺ら関係ないからな」
「……もういいっすよ。俺もどうでもよくなりました」
薄く広がる目の前を、三人は背を向けて去っていく。
先輩……。
体が痛い……。動かない。
もう……。
……。




