第14話 2人乗りの自転車
自転車の後ろになんて乗ったことなかった。
僕の首筋を汗が流れる。
熱い昼空の下。ただ熱いからだけじゃない。どちらかというと冷や汗。
細い鉄でできた荷台は、アスファルトの段差を走るたびに大きく揺れる。
その衝撃は僕の尻へと直に伝わっていく。
ついでに、殴られた部分にも地味な痛みが蓄積する。
両側は田んぼ畑、そしてたまに住宅が見える少し大きな道。真っ青な空の中に真っ白な入道雲。まさに夏って感じ。
でもそんな景色も全然楽しめない。こんなにも痛くなるもんだったなんて……。
知ってたら絶対に乗ってなかった。
それに加え、自転車をこいでるのは、女子の先輩だ。
周りからはめちゃくちゃ間抜けに見えてるに違いない。
女子の後ろにちょこんとチビのヒカゲが乗ってるぜ! って……。
あぁ、なんか情けなさすぎる。
先輩の方も、この状況をどう感じているのだろう。
背中越しに顔は見えないけど、少し強めにペダルを漕いでいるのが伝わってくる。
それもなんか申し訳ない……。
女子に漕がせて男子の僕は後ろで座ったままなんて。
でも漕ぐのを変わるという提案も出来ないまま。
自転車のタイヤが、アスファルトの窪みに跳ねる。
ガタンという衝撃と共に、僕の尻にも同様の衝撃が。
その痛みのたび、バランスを取り戻そうと、手を前に伸ばす。
そこで、腕にぐっと力を込めて、その手を止まらせる。
そう、伸ばした手の先は先輩の腰だ。
掴めるわけありません! ここだけは……。
その我慢のおかげでバランスを崩してしまい、つられた自転車はフラフラと前に進む。
そして再び窪みの方へ……。その悪循環。
「いや~! 運転難しいね!」
見通しの悪い道でもないし、車も人の通りも少ないとは言えども少し危ない。
いい加減断ち切らなきゃ……。
先輩も多分だけど、2人乗りの自転車を漕ぐことに慣れていない。
僕の方がまだ、上手く漕ぐことが出来るだろう。
小学生くらいの時はよく二人乗りを漕いでいたから。
……後ろに乗っけてたのは飯崎だけど。嫌なこと思い出してしまった。
お互いにとってもその方がいいだろう……。慣れている立ち位置の方がいい。
やはり交代の提案はするべきだ。勇気を出す。
「あの……。先輩二人乗りしたことあります?」
「後ろ乗せてもらうことは多いよ!」
思った通り、前は全然無いっぽい。
変わろう。絶対その方がいい。
「でも前も良いね。なんか新鮮」
「良い、ですか?」
「うん、なんて言うか……。自分で運転してるってのをより感じる気がする」
「……より感じる?」
「なんかうまく言えないけどね。後ろの人のことも考えて安全な道選んだりとかしてるからかな~。とにかく難しい!」
さっきからフラフラしながらガタガタの道ばっかり行ってる気がするんですが……。
まあ僕の方もうまくバランス取れてないからってのもあるだろうけど。ほんとすみません。
「それに後ろだと前見えなくてちょっと怖いしね。真守君大丈夫?」
確かに後ろは背中に隠れて前が殆ど見えない。
横から覗き込もうとすると、バランスが余計に崩れてしまうし。
その分、段差やちょっとした下り坂なんかに敏感になってしまう。
知らなかった、意外とスリルある。
後ろってこんな感じだったんだな~……。
関心している場合じゃない。交代する提案もすっかり忘れていた。
早くしないと、ほかの生徒に見られてしまうかもしれない。
「あっ、前にコンビニがある! お腹すいてない?」
先輩。表情こそ見えないけど……どことなくなんか楽しそう。
「お昼食べてないし……すいてます」
「じゃあ寄るね」
まあもう少し、任せてもいいのかな……。
先輩はコンビニに入ろうと、道の段差を乗り上げた。
僕には見えていなかったが、かなりの段があったらしい。
今まで以上の衝撃が、僕の尻、そして股間へ直撃した。
思わず小さな悲鳴を上げてしまう。
「ごめん! 痛かった?」
「だ、大丈夫です……」
やはり後ろはダメだ……。コンビニで交代してもらおう。
先輩は、そのまま自転車を駐輪場まで走らせる。
僕は、急ぎ気味で自転車を降りて、尻と股間を休ませる。
「やっぱりさっきの痛かった? ごめんね」
そんな僕に気を使ったのか。
「いや。全然大丈夫……です。でもちょっと、休ませてください……」
「わかった。じゃあ何か買いに行こっか!」
そう、とりあえず休憩だ。
しっかりと尻の熱を冷まさねば……。
先輩の方も、少し汗をかいてる感じ。
やっぱり二人乗りの自転車を漕ぐのも簡単じゃないだろうな……。
でもどこか満足気な表情。
自転車の前かご、カバンが二つと一つのスケッチブックが詰められている。
それぞれのカバンを取り上げてコンビニの中へと入っていく。
開いた自動ドアからは冷房の冷たさが夏に火照った僕らを迎える。
風は思っていたよりも冷たすぎたのか、寒っと少しつぶやいてしまいそうになる。
まあでも外の暑さよりは全然マシだ。
店員のやる気のないいらっしゃいませーに迎えられる。
店員の目から僕たちはどう見えているのだろうか。
高校生の制服デートとか……?
ありえないな。
どう見ても恋人同士には見えない。
良くて姉弟か……。自分で考えてて辛い……。
「何食べる?」
先輩、僕の方を見つめて。
「え~っと……先輩は何にするんですか?」
キョロキョロ店内を見渡すがいい案が浮かばないので、とりあえず質問返し。
「えっ? えと、私は……そうだな~。じゃあおにぎりなか?」
「じゃあ僕もそうしますよ」
2人そろっておにぎりコーナーへと向かう。
さてどれにしようか、コンビニのおにぎり、意外と種類が多い。
あまり買わないからどれがいいとか全然分からない。
「いっぱいありますね……。どれがいいですか?」
自分から話題を振っていく姿に、自分で関心してしまう。
まあ他愛のない内容だけど……。何か自然に言えるようになってる?
上手く話せているようになっている?
「じゃあ、う〜ん……」
かなり悩む様子の先輩。そんな時間かかることか?
「う〜ん、う〜ん……これかな」
あれだけ悩んで選んだ選んだのは、梅干しおにぎり。
意外と優柔不断だなあ。
そう思いながら僕は何気なしに先輩と同じものを棚から手に取る。
「え、真守君も好きなの選んでいいんだよ」
「いや……好きなの選んだんですけど」
「そうなの? 私に合わせたのかと思っちゃった」
たかがおにぎりで合わせる必要なんかあるのか……。
なんだか先輩のその発言に少し距離感ができたような寂しさを感じてしまう。
もしかして僕がかなり気を使って、遠慮しているとでも思っているのか?
……確かに話すことには慣れていないからそう見えるのだろうか。
ついさっき上手く話せていると感じた自分は自惚れていただけだったのか……。
よし、ここはビシッと一つ。僕もいいところを見せよう。
先輩に手を差し出す。
「先輩のやつ。ちょっと貸してください」
「ん? どうしたの」
先輩は、僕の手におにぎりを乗せる。
そして僕はそのままレジへ。
そう、僕が奢ってやるのだ……!
慣れない行動で体が揺れてそうなくらいドキドキしてるけど、たまにはこういう所も見せないと。
「あっ待って……」
僕を止める先輩。でももう僕は止まりませんよ。
「大丈夫ですよ。僕が出すんで。」
言ってやった。何か小っ恥ずかしい。
慣れなさ過ぎて吐きそう。
こんな僕にも女子にご飯を奢る日が来るなんて……!
まあコンビニのおにぎりだけど。その事実には変わりない。
「じゃあお言葉に甘えて!」
先輩も少しの笑顔で受け入れてくれた。
早々に会計を済ます僕。
正直、お小遣いも少ないし、これだけでも財布にかなりのダメージ。
でも、少しだけど。自分の行動で誰かに喜んでもらえるってなんか嫌な気分しないな。
少し上機嫌で振り向くと、先輩がいなかった。
先に外に出たのかな? そう思って店の外へ出る。
自動ドアが開くと共に、店員のまたお越しくださいの声で灼熱地獄へと送り出される。
クーラーで涼まっていた分余計に暑い……。
先輩はどこに……。
コンビニの前を見渡すがどこにも先輩の姿が見当たらない。
どこ行っちゃったんだ……。
自転車はまだあるし、もしかしてトイレとか?
ならそうと一言言ってくれてもいいのに。結局先輩には振り回されてばっかりだ……。
心の中で愚痴をブツブツと唱えていると、背後からまたお越しくださいの声と冷気を感じた。
開いた自動ドア。
振り向いた先にはコンビニの袋を下げた先輩が。
先輩は、その袋の中身を取り出し
「はい、お茶。」
あぁ……そういうことか。
やってしまった。
さっき会計の前に呼び止めたのは、お茶も買いたかったことを伝えるためか。
そうとも思わず調子にのって会計を勝手に進めてしまっていた。
あぁ恥ずかしい。なんか恥ずかしすぎる。
独りよがりですみません。その上愚痴まで……。最低すぎる。
やっぱり慣れないことは変にするもんじゃない……。ケガする。
自己嫌悪。視線が下がっていく……。
先輩はそんな僕を少し覗き込むように
「じゃあここで食べる?」
優しい微笑みで。
その表情に少し心が和らぐ。
何だかんだ今の時間が楽しい。
「はい」
僕らは自転車の所まで移動する。
そして、カバンをかごに詰め込んで、その上にコンビニの袋を置き、中身を確認する。
「どうぞ」
先輩の分を手渡す。「はい」と受け取る先輩。
2人でいただきますと一礼して、おにぎりを一口。
「真守くんさ、一個だけで足りるの?」
「まぁ、元々少食なんで。あとお腹いっぱいだと眠くなるんです」
「じゃあこれぐらいで丁度いいんだね」
「そうですね。丁度って感じです」
他愛もなさすぎる会話。こんな中身のない会話したのいつぶりだろう。
「……おいしいですね」
「うん。そうだね」
だけど流石にな内容が無さすぎる。話も続かない。
唯一救いなのは、こんな会話の中でも優しい微笑みのままの先輩。
でも内心つまらないと思っているのかもしれない……。
先輩の為にも早く、食べ終わってしまおう。そうすれば次の行動にも移せるし、会話のきっかけも生まれるだろう。
そう思い、おにぎりを勢いよく頬張る僕。
しかし、頬張ったおにぎりの梅干しが想像以上に酸っぱいことに気づいたときにはもう遅かった。
強烈な酸味が僕の口。いや、顔中に広がり始める。
「うわっ!」
先輩の驚く声。想定外の衝撃が、表情に表れていたのだろう。
僕はお茶を一気に流し込み。その酸味を和らげる。
「真守君、すごい顔してたよ」
先輩は少し微笑んで。抑えられない微笑みが声になる。
いつもなら、恥ずかしいとか、何やってんだとか思うだろう。
でも今はそうは思わなかった。
この時間が、すごく良いものに感じれたからだ。
色々思う時もある、不安になることもある。
でも意外と二人の関係もうまくいっているのかもしれない。
こうやって楽しく会話しながら食事をとる。
夢にも思っていなかった光景だ。
おにぎりも食べ終わり、お茶を一口飲んで落ち着く。
最初の頃は先輩との付き合いは奇跡のような。特別なことだと思っていた。
でも今はこの関係が特別だとは思わなかった。
ただ、おにぎりを食べて、笑いあって。
ただそれだけのことだ。それだけで楽しかった。
ずっとこの日常が続けば……。
「そういやさ。……聞いてもいいかな」
落ち着いてからの急な先輩の一言に焦ってしまい、少しお茶を吹き出してしまう。
「な、なんですか?」
「さっき美術室にきた子だけど。なんて名前だっけ……」
「……飯崎ですか?」
先輩の顔が少し曇る。
「飯崎君……なんだけど。ちょっと気になっちゃって」
少しずつ、嫌な感情が蘇ってくる。
せっかくいい気分でいれたのに……。
「結構色々言い合ってたから気になって」
「……それはあんまり話したくないです」
少しだけ、驚いたような表情を見せる先輩。
先輩には知られたくない。そのまま黙って先輩から顔をそらす。
「そっか」
「すみません……」
「ちょっと前にさ、教室で絵破かれちゃったことあるでしょ」
無言でうなずく。
「その時なんだけど。……さっきもだけど。真守君の顔。すごい怖い顔って思って」
やっぱり先輩は、僕の表情をよく見ていた。
細かな変化。気持ちの昂り。見られたくない顔も全部。
「なんかすみません……」
「あっ、いや、なんて言うか。……何があったらあんな表情になるのかなって、気になっちゃったから」
そんな凄かったのか……。ものすごく恥ずかしい。
「なんか、感情、すぐ顔に出てしまうんですよ」
「そうなんだ。それっていいね」
「全然よくないです……。先輩のが明るい感じでいいと思います」
「そっか~。そう褒められると嬉しいなあ」
突然、ニッと笑顔の先輩。
笑顔。
…………。
「じゃあゴミ、捨ててきますね」
先輩の笑顔に、何故か僕はその場にいることが苦しくなった。
「こ、これ。捨ててきますね」
そして逃げるようにゴミ箱へと向かった。
ゴミを捨て終わった僕は、先輩の方へ戻ろうと、振り向いた。
「おーい! そろそろ行くよー」
そこには自転車にまたがって僕を待つ先輩が。
あ、運転交代の提案忘れてた……。
でも先輩はもう漕ぐ気満々でスタンバイしている。
飯崎のことを聞いてくる様子はもうない。それはいいのだけど……。
少しのため息と共に、ゆっくり自転車に近づいていく。
「はやくはやく!」
自転車のかごに詰められたカバンの隙間に2本のペットボトルが刺さっていた。
あれ。どっちが僕のだっけ?
そんなことを思いながら、またがった荷台。
夏日の中を漕ぎ始めた先輩の首筋には、すでに汗が流れ始めていた。
先輩の後ろ姿をしばらく眺め続ける。必死に漕ぎ続ける先輩。
聞こえてくる蝉の声。
いつの間にか、耳障りというにはうるさ過ぎる程の声に囲まれていた。




